> > どうなんでしょうね。慰安婦問題で保守から一目置かれていたようですが、私は秦郁彦氏は中共に忖度する学者の一人と見てますし、秦氏の100人斬りでの向井氏に関するものを見ていると、悪意を感じてしまいます。
>
> 秦センセイの南京は4、5万人というのは、政治的な数字ですしね。
> 15年戦争史観批判も中国が抗日8年戦争と言っていることからきたようですし。
全くですな。
中国忖度派なのでしょうな。
奇っ怪な人物です。
> どうなんでしょうね。慰安婦問題で保守から一目置かれていたようですが、私は秦郁彦氏は中共に忖度する学者の一人と見てますし、秦氏の100人斬りでの向井氏に関するものを見ていると、悪意を感じてしまいます。
秦センセイの南京は4、5万人というのは、政治的な数字ですしね。
15年戦争史観批判も中国が抗日8年戦争と言っていることからきたようですし。
> > まぁ、赤ラインの部隊が向井・野田両氏の所属した第3大隊の攻撃ラインのようです。
> ありがとうございます使わせて頂きます。<(_ _)>
> >
まぁ、一応偕行社の方も、第3大隊は、73高地までのようですな。
73高地が、何処かをまだ確認しておりません。
33連隊の戦闘詳報を見ても、73高地の位置は判りません。
> まぁ、赤ラインの部隊が向井・野田両氏の所属した第3大隊の攻撃ラインのようです。
ありがとうございます使わせて頂きます。<(_ _)>
>
> まぁ、向井氏が、同行程で、参戦していたから、一体何なのかという話なのですがね。
> 何か不当行為が有ったのかというレベルなのですな。
>
> >秦郁彦「『いわゆる「百人斬り」事件の虚と実(二)』より
> 歩兵砲小隊の部下(第二分隊長)だった田中金平伍長は向井が負傷せず、南京占領まで戦ったと筆者に語り、分隊員の辻岩松、松田清治郎の両氏や松田利春中尉(第八中隊長)も同様の記憶である。 (『政経研究』2006年2月 P91)
> <
>
> の金平を含む5名が、【百人斬り】のカウントでもしていたのでしょうかね?
> 仮に、向井氏の南京法廷での証言などが【偽証】であったとしても、
> 何かの不当行為を【立証】出来ているというわけではないのですな。
> 【戦闘行為】としての【刀剣使用】は、【合法範囲】なのです。
> 因みに、それらの5名が、【非戦闘員】を相手に【処刑競争】をしていたということを【立証】したと言うことでは無いのですわな。
> そんな事ならば、日記に載せてないのは非常に不合理ですからな。
私もそう思います。野田少尉の講演会も小学生相手に「敵」をバッサバッサと倒した武勇伝として面白可笑しく語ったものでしょうし、野田氏が据えもの切りのような構えを見せてくれた、そう見えたというだけの話で、無理やり印象操作に使われていますが、サービス精神から出た演出程度のものだったんでしょう。
そもそも片桐連隊の動きは鈴木の証言にある紫金山で山頂に敵を追い詰めるような行動ではないですし、入院とか偽証する必要がないといえます、むしろ紫金山で戦ったような印象を与える田中金平の手記の編集の方に違和感があります。
> 田中金吉史料についての疑問点。
> ①昭和五十四年十一月に発行
> ②6日紫金山山頂より 馬群高地正面へ展開する。
>
> ①については、両少尉の処刑後。
> ②の戦闘経過がオカシイ。展開すると展開予定とは違う。
>
> こんな感じですかねぇ。
ありがとうございます。
やっぱりおかしいですよね。
この馬群高地方面ていうのも、紫金山戦を戦った歩兵第33連隊の行動に近いように思えるんです。
まぁ、向井氏が、同行程で、参戦していたから、一体何なのかという話なのですがね。
何か不当行為が有ったのかというレベルなのですな。
>秦郁彦「『いわゆる「百人斬り」事件の虚と実(二)』より
歩兵砲小隊の部下(第二分隊長)だった田中金平伍長は向井が負傷せず、南京占領まで戦ったと筆者に語り、分隊員の辻岩松、松田清治郎の両氏や松田利春中尉(第八中隊長)も同様の記憶である。 (『政経研究』2006年2月 P91)
<
の金平を含む5名が、【百人斬り】のカウントでもしていたのでしょうかね?
仮に、向井氏の南京法廷での証言などが【偽証】であったとしても、
何かの不当行為を【立証】出来ているというわけではないのですな。
【戦闘行為】としての【刀剣使用】は、【合法範囲】なのです。
因みに、それらの5名が、【非戦闘員】を相手に【処刑競争】をしていたということを【立証】したと言うことでは無いのですわな。
そんな事ならば、日記に載せてないのは非常に不合理ですからな。
まぁ、赤ラインの部隊が向井・野田両氏の所属した第3大隊の攻撃ラインのようです。
田中金吉史料についての疑問点。
①昭和五十四年十一月に発行
②6日紫金山山頂より 馬群高地正面へ展開する。
①については、両少尉の処刑後。
②の戦闘経過がオカシイ。展開すると展開予定とは違う。
こんな感じですかねぇ。
田中金平の史料の問題点。
①昭和五十四年十一月に発行されたものである。
=>両少尉処刑後であること。
②紫金山山頂より 馬群高地正面へ展開する。
=>馬群は紫金山の麓にあり、行程的には、馬群=>紫金山攻略となります。