赤身のステーキ

鯨のステーキの味といえば、数ある鯨料理の中で、私にとっては一番なじみのある味である。 捕鯨とは特に縁のない地方で育ったせいか、今ではよく食べる鯨の刺身は、子供の頃には食べたことはなかった。 商業捕鯨が行なわれていた頃に小中学校に通っていた人々が、鯨の味の思い出としてよく挙げるものに給食の竜田揚げがあるが、給食のない小学校に通い、中学で初めて給食を体験した私が接したのは鯨を使った串カツで、好物ではあったものの、使っている肉の量は多くはなかった。 家庭ではベーコンはたまに食卓に上がったが、鯨肉としては、ステーキと呼ぶのもおこがましいが、鯨の肉の小片をフライパンで焼いたのが唯一であった。 子供の頃は牛肉は高値の花であった(それ故に、牛肉というのはさぞかし美味しいのだろうと思い込んでいて、後年食べた際に「この程度の味?」と期待はずれに終わった記憶がある)。 笑い話に聞こえるかも知れないが、高校時代に「ウチでは月に一回はジンギスカン鍋を食べる」と言っていた同級生が、とても裕福な人間に思えた。

後年1991年にアイスランドでIWCが開催された際のTVニュースだと思うが、地元の青年らしき人が鯨のステーキを一口食べて「懐かしい味だ」とポツリと言うのを見た際、「ああ、あの味を知っているのか」と共感を覚えたものである。 仕事の都合で2年ほどアメリカに住んでいた際、鯨のステーキに似せるために、牛肉をおろしショウガと醤油で味付けして焼いていたが、やはり本物の鯨肉の風味の代用にはならないのであった。

鯨の赤身の特徴としては、脂肪分が少なく(牛や豚の半分、馬肉と同程度)、少し筋が多いという点があげられるのではと思う。 前者は、コレステロールを気にせずステーキを食べられる事につながる。 ステーキなのにサッパリしていて、しかも堂々とした食感がある。 これに比べると牛肉のステーキは、見ただけで脂が体にもたらす影響が気になるし、風味の点においても少々退屈な味に思えてしまう。 鯨肉の筋は、適度の歯ごたえを与える反面、肉を焼く際に気をつけないと焼きあがりが硬くなりすぎるが、逆にこの筋っぽさが鯨のステーキ独特の歯ごたえを与えてくれる。 肉を焼く前に、醤油に好みの薬味を混ぜて鯨肉を半日ほど漬けておくのはひとつの方法だが、その際に醤油と同量の焼酎を混ぜておくと焼き上がりが硬くならないことを、林家木久蔵師匠の講演で最近知った。 実際に試してみると、満足のできる柔らかさに焼きあがった。 なお、知っている方も多いと思うが、師匠は捕鯨の存続のために長年尽力されてきた方である。 私自身も十数年前、師匠が雑誌に書かれた呼びかけに応じたことが捕鯨問題に積極的に関わる一つの契機だった。

市販のステーキ用鯨肉は小さめのものがほとんどだが、個人的には大き目のステーキが好みなので、刺身用の厚さ2.5〜3センチの赤肉を半分の厚さに切って食べている。 特に、おろし生姜やおろしニンニクに醤油を少々かけて食べると最高に美味しい。

正直言って、この味の知名度が低い現状は少し不思議である。 牛肉料理の専門店で出されるようなステーキに引けをとらない大きさの鯨のステーキが適度な価格で食べられるならば、若い世代にもファンが広まると思うのだが。

(2004年7月6日 記)

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