グリーンピースのあまり平和的でない世界

(米「Forbes」誌, 1991年11月号からの翻訳)

Leslie Spencer、Jan Bollwerk、Richard C. Morais



 ゴム製のいかだに乗り込み、鯨を救おうと喧嘩腰になっている抗議者の集団 −− これがグリーンピースのイメージである。 ところが現実のグリーンピースは、内部の人間にしか実態を知られていない、莫大な収入のある多国籍組織である。 しかもマスコミと大衆を巧みに操る才知に長けている。


 「デイビッド・マクタガートの成功の秘訣は、そのままグリーンピースの成功の秘訣である。 つまり、重要なのは何が真実かではなく、何が真実であると人が信じるかである −− マスコミの貼ったレッテルが、そのまま真実になるのだ。 (グリーンピースは)一つの神話になり、さらに新たな神話を生み出す機械になった」

 グリーンピースに対するこの皮肉な発言をしているのは、環境保護主義者の過激な運動にうんざりした保守派の人間ではなく、もともとマクタガートと共同でグリーンピースを設立し、今ではそのライバルのエコロジー団体 Sea Shepherd Society(海の羊飼い保護者の会)の理事を務めるポール・ワトソンである。

 ワトソンは、グリーンピースがいかにしてみすぼらしいヒッピーの集団から、24カ国に事務所を持ち500万人の会員を擁する世界最大の環境保護団体にのし上がったかを解説した(ちなみにワトソンは、1977年にグリーンピースを脱退している)。 この出世物語に少なからず貢献したのは、ワトソンも言及している巧みな神話の創造である。

 最近離脱してしまった教祖的存在のデイビッド・マクタガート(59歳)の采配のもとに、年間収入 1億 5700万ドル(1990年度)のグリーンピースは、巧妙に運営された事業に成長し、DMやイメージ操作のコツを身につけた。 同時に、利潤追求を目的とする一般企業が行ったならば直ちに猛烈な非難を浴びるような陳情活動にも着手した。 マクタガートが強大な多国籍企業を「宿敵」と見なしてグリーンピースを運営した事実を考えると、これはたいそう皮肉なことである。

 グリーンピースの神話を生み出したもの −− それは、精製工場の煙突にしがみついたり、捕鯨船の銛の行く手に自分の身を投げ出したりする、命知らずの若者たちの姿である。 このイメージは人々に強烈な印象を与えた。 例えばグリーンピースの米国支部に次いで世界第2位の規模を誇るドイツ支部は、昨年3,600万ドルの収入をあげ、70万人の会員をかかえているが、そのうちの32万人は、毎年自分の銀行口座から50ドイツマルク(30米ドル)が自動的に引き落とされてグリーンピースの資金になるような手続きをしているのである。

 ところが最近のグリーンピースの内情は必ずしもピースフル(平和的)ではない。 神話の端にほつれが見えるようになった。 今春以来ドイツの複数の雑誌が、何百万マルクもの寄付金が環境破壊と戦うために使われる代わりに、そのままグリーンピースの貯金口座になだれ込んでいるという暴露記事を掲載したのである。

 1991年9月2日、アムステルダム所在のグリーンピース国際本部が、過去12年間会長を務めたデイビッド・マクタガートの辞任を発表し、グリーンピースは大きな組織替えを行うことになった。 後任に選ばれたのは、ヘルシンキの市民権関係の弁護士マッティ・ウオリ(Matti Wuori)(46歳)である。 名誉会長となったマクタガートは、今後はソ連が自国内の環境を浄化する手助けなどに時間を当てたいと語った。 控えめに言っても、このタイミングは興味深い。 ウオリが、今や幾分よごれの目立つグリーンピースのイメージを清めるための「ミスター・クリーン」として迎え入れられたと思わせるふしがあるからだ。

 聖人に近い存在として多くの人に崇拝されるこの神秘がかったデイビッド・マクタガートとは、そもそも何者なのか? マクタガートの巧妙なイメージ操作は、彼自身の伝記から始まっている。 1989年発行の著書「The Greenpeace Story」の中で語られ、その後グリーンピースをテーマとする多くの新聞や雑誌の記事の中でも何度も繰り返された「公式」の伝記がある。 それによると、不動産会社の重役として成功を遂げていたマクタガートは、39歳で光明を見出し、地球を救おうと決心した。

 ところが、この話は作り物である。 グリーンピース以前の彼の生活を知る人々によれば、彼は不動産ブローカーとして失敗している。 しかも自分のプロジェクトが失敗する前に、投資家や親戚を見殺しにして逃亡しているのである。 マクタガートの3番目の妻の母親で、彼のせいで金銭上の被害を被った何人かの一人であるガートルード・ヒューバティーの記憶では、彼は冷酷なビジネスマンであった。 「デイビッドはあるとき、私にこう言いました。 自分が何かを本当に欲しいと思ったときには、それを手に入れるためには、どんな事でもする覚悟が必要だと」。 彼女は回想する「どんな事でも、と言ったのですよ」。

 彼が心から欲しいと願ったもの −− それはグリーンピースの指導者の立場であった。 1979年にグリーンピースの名前の使用をめぐって、バンクーバーの作戦本部と、それと遠い系列姉妹関係を持つ米国所在のライバル支部とのあいだに、激しい紛争が起こった。 その頃にはマクタガートはグリーンピースのヨーロッパの作戦本部で活躍しており、フランスの核実験を阻止しようと自ら行動し、フランスのスパイの袋叩きにあった事で一躍有名になっていた。 バンクーバーの作戦本部の設立者たちは、グリーンピースという名前の管理権を獲得する目的で訴訟を起こした。 多くの人々に言わせると、これはデイビッド・マクタガートとグリーンピースの共同設立者兼会長のパトリック・ムーアとの間の公然の争いであった。 ムーアはカナダ陣営の支持を得たが、米国とヨーロッパの各支部は明らかにマクタガートに加勢した。 1980年には、マクタガートはグリーンピース・インターナショナルの会長として姿を現した。 ムーアはグリーンピースのカナダ支部長の地位に留まった。

 グリーンピース神話にお金と忠誠心とを捧げた何百万もの人々は、もちろんこの共倒れ敵な内輪もめについてほとんど何も知らされなかった。 ここにパラドックスが潜んでいる。 グリーンピースのような団体は、大企業を、主体性に欠け誰に対しても無責任であるといって攻撃する。 だが実際にはこうした罪状は、政府の規制を受け、巡察の対象となり、重税を課せられ、敵対心を持つ新聞に報道され、自分自身の株主によっても厳重な監視を受けている現代の企業よりはむしろ、グリーンピースにこそ当てはまる。 グリーンピースのような団体には、説明や履行の義務がほとんど課せられていない。 マスコミはこの種の組織を、腫れ物に触るように扱う。 グリーンピースを問い詰めれば、マクタガートの年収が6万ドルだったと答えるだろうが、年収以外のいかなる形式での報酬に関しても、口を閉ざすであろう。 ところが、米国の企業の場合には、このような報酬についても、代理兼委任声明書の中で明示する義務がある。

 米国グリーンピースやドイツ・グリーンピースのような支部には、独自の理事会があるが、実権と資金の大部分は、グリーンピース・インターナショナルが握っている。 この機関をマクタガートは、辞任するまでの期間、イタリアのぺルギアにある自分のオリーブ農園もしくはローマ所在のグリーンピースの事務所から指令を出して支配していた。

 アムステルダムの国際本部は大きな勢力を持っている。 なぜならば、ここには稼ぎ頭である12の国別機関から吸い上げられた資金が集められるからである。 これらの国別機関には、グリーンピースという名前を使用するための一種の特許権使用料を支払う義務がある。 この特許権使用料は、調達された基金の純手取り額の24%と定められている。 各国の事務所は、国際審議会の承認なしにはキャンペーンを開始できない仕組みになっているので、中枢部の権力はさらに強化される。

 グリーンピースはこの権力をどのように行使したであろうか? 「無情に、そして冷酷に」使ったのである。 ここでは「目的のためには手段を選ばず」ともいうべき心理が働いている。 グリーンピースは1986年にフロリダ大学に圧力をかけて、海洋生物学者のランバートセンを免職させた。 ランバートセンの罪状は、鯨類の体中器官の組織の標本を必要とする研究を行った事である。 この種の研究は科学的に有効でないとグリーンピースは決めつけていた。 グリーンピースはさらに、ランバートセンが商業捕鯨者たちの引き立て役に過ぎないとの馬鹿げたことまで主張した。 現在ウッズ・ホール海洋研究所に在職しているランバートセンは、自分の研究が鯨類の病気を判定するためのものであったと語る。 彼の話では、グリーンピースのとった戦略の中には、抗議デモの参加者をトラックで大学構内へ送り込み、フットボールの試合の最中に「フロリダ大学よ!鯨を殺すことをやめよ!」と書かれた横断幕を広げさせるものまであった。

 ゾディアック社のゴム製救命いかだに乗り込んだグリーンピースのスタッフが、発射される捕鯨用の銛から身をかわす様子をマスコミが熱心に記録している間に、マクタガートは国際捕鯨委員会を抱き込む手助けをしていた。

 国際捕鯨委員会は1946年に、鯨の乱獲の防止を目的とする条約の締結により、捕鯨国間で結成された。 最も大きな影響を受けた国は日本、アイスランド、ソ連およびノルウェーであったが、同委員会は、約2万ないし3万ドルの年会費と会議に自国の代表者を派遣する費用とを支払さえすれば、いかなる国も自由に加盟する事ができた。 グリーンピースの海洋哺乳動物のコンサルタントを以前務めていたフランシスコ・パラシオによれば、彼とマクタガートは、捕鯨を直ちにに禁止しなければならないというグリーンピースの見解を、国際捕鯨委員会に押し付ける方法を、仲間と協力して考案した。

 この鯨の救済者たちが目をつけたのは、貧しい国やアンチグア、セント・ルシアといった最近独立した小国であった。 彼らは米国国務省に提出するための、加盟に必要な書類を作成した。 そして国際捕鯨委員会にこれらの国々の代表として出席する科学者およびコミッショナーとして、自分たち自身もしくは自分たちの仲間を任命した。 例えばマイアミ在住でコロンビア国籍を持つパラシオは、自分がセント・ルシアのコミッショナーに選ばれるよう画策した。 アンチグアのコミッショナーには、同じくマイアミ在住でパラシオの友人である弁護士のリチャード・バロンがなった。 マクタガートの友人で当時バハマ諸島のナッソーに住んでいたモロッコ生まれのフランス国籍離脱者のポール・ゴーアンは、パナマのコミッショナーを務めた。 グリーンピースの息のかかったコミッショナーたちは、国際捕鯨委員会に出席する事により、毎年、全経費をグリーンピースが負担する10日間の旅行と、1日当り300ドルの日当という役得を享受していたとパラシオは語る。 さらにパラシオの話では、ある国連大使が、こうした計画に協力するよう自国の政府を説得する目的で帰国した際に、グリーンピースがその航空運賃を支払ったということである。

 パラシオの語るところによれば、グリーンピースはこの計画により、1978年から1982年にかけて、商業捕鯨のモラトリアム(一時停止)とために必要な4分の3という絶対多数票の獲得を目的に、少なくとも6カ国の新規加盟を成功させ、そのおかげで1982年にモラトリアム案が通過した。

 この計画には、協力的な加盟者に代わって支払われた加盟料金を含めると、莫大な金額が費やされたとパラシオは指摘する。 「加盟国の年会費だけでも(一年で)約15万ドルに達した。 それに加えて我々は年間を通じてありとあらゆる賄賂のための支出をした」とパラシオは続ける。 当時30代だったフランス人のゴーアンは、海洋生物資源研究所(Sea Life Resources Institute)とよばれるマイアミに本拠を置く「財団」を通じて資金をかき集める守護神であった。 ゴーアンはどこからそのような資金を手に入れたのだろうか? 貿易への投資からだと彼は答えている。

 グリーンピースのキャンペーンは、「鯨を救おう!」運動に似て、オープンで自然発生的にさえ見える事がある。 しかし実際には入念に計画されたものである。 キャンペーンはまず、組織化された調査員たちが、政府の役人、トラックの運転手、グリーンピースの環境汚染反対運動の標的になっている企業に勤めながらもグリーンピースに同調する社員などから情報を集める事により始まる。 内情に明るいある人物の話では、情報の収集にはチューリッヒにある秘密の基地まで関わっているとの事だが、この点をマッティ・ウオリは否定している。 いずれにしても、次の事だけははっきりしている。 すなわち、グリーンピースは自らの連絡網によって自警団に変身したのである。 自警団というのは、環境破壊防止法が施行されるよう常に警戒を怠らず、政府の施行者たちのやり方がなまぬるいと判断した場合には、自らが裁判官と陪審員の役目まで果たすという意味である。 この事実が一般には理解されていない事は、驚くにはあたらない。 グリーンピースに同調する某新聞は、いつも彼らの味方をしてきた。

 グリーンピースの資金集めに最大の貢献をしたのは、グリーンピースも全く予期していなかったある悲劇的な出来事であった。 1985年にフランス政府の職員たちが、グリーンピースの核実験妨害行為を阻止しようとして、ニュージーランドのオークランドでグリーンピースの船「レインボー・ウォリアー号」を爆破した。 その時船に乗り合わせていたカメラマンのフェルナンド・ペレイラが死亡した。 この事件をきっかけに、グリーンピースは一挙に殉教者と見なされるようになったのである。

 グリーンピースは待っていましたといわんばかりに、衆目を集めたこの事件を利用した。 1985年から1987年にかけてグリーンピースの米国支部の収入は3倍にはね上がり、2,500万ドルに達した。

 しかしこの殉教にも、ペレイラがテロリストの味方であったとの申し立てによって幾分影がさした。 ドイツのある諜報機関員の証言では、テロリスト集団「6月2日運動」が政治的な隠れみのとして使う表向きの人物の「連絡相手」として、そして更に西ヨーロッパにおける反核・ミサイル抗議運動の計画におけるソ連のKGBとの連絡相手として、ペレイラの名前が挙がっているファイルがドイツおよびオランダの諜報機関に保存されている。

 グリーンピースはこの主張に反論して、テロリストとの関係を匂わせるこの話は、オークランドで起こった厄介な事件をごまかそうとするフランスのスパイ活動防衛組織によって仕組まれた捏造であると語った。

 この事件の真相は永久に解明されないかも知れない。 しかしグリーンピースはこの悲劇を通して莫大な宣伝効果を達成し、他方の警察の主張はマスコミにほとんど無視された。 自分に都合の悪い情報が流れると、グリーンピースはしばしば告訴という手段をとる。 昨年中にもグリーンピースは、自分たちの気に入らない記事を書いたドイツの3つの雑誌を告訴している。 他人に対しては思う存分非難しておきながら、グリーンピースは、他人にも自分を非難する権利がある事に気づいていないようである。

 アイスランドのレイキャビクに本拠を置く独立映画製作者のマグナス・グドムンドソンが1989年に手がけたドキュメンタリー映画「Survival in the High North」(「極北での生存」)は、極北の猟で暮らしを立てている人々と環境保護者たちとの葛藤を描いている。 映画では、グリーンピースと動物生存権論者の集団によるアザラシの毛皮のヨーロッパへの輸入禁止キャンペーンが成功を収めた後に、アザラシ狩り産業が壊滅的打撃をこうむったアイスランド、グリーンランドおよびフェロー諸島の狩猟民族たちとの間に福祉制度への依存度が高まり、自殺率が上がった悲惨な状況が写し出されている。

 グドムンドソンの映画は、記者として賞を受けた事もあるデンマークのジャーナリスト、リーフ・ブレーデル(Leif Blaedel)が1986年に行ったある指摘を再検証している。 それは、グリーンピースが使用したあるプロパガンダ用の映像が、金で雇って人に動物を虐待させて捏造したものであるという指摘であった。 ブレーデルは「Goodby Joey」(「グッドバイ・ジョーイ」)という映画の中の陰惨な場面に言及しているが、この映像はその製作者により捏造されたものであると、オーストラリアのディランバンディの裁判所はすでに記録している。 ブレーデルの報告によれば、これらの陰惨な場面は、その後この映画のためにカンガルーを虐待したかどで罰金を科せられた、金で雇われたカンガルー猟師たちによって計画的に実演された。 裁判所の記録を読むと、閲覧希望者の要請に応じてグリーンピースのデンマーク支部がこの映画を貸し出した事が判明している最後の年よりも3年前の1983年に、この映画が偽者である事が衆知の事実になっていた事がわかる。 ちなみにこの最後の閲覧希望者は、ブレーデル自身であった。 グリーンピースのマスコミ担当理事のペーター・ディクストラ(Peter Dykstra)は、グリーンピースは1983年にこの映画の「真偽の問題点」を発見し、それ以来配給を停止していると説明する。

 グリーンピースは、アイスランド、英国およびノルウェーの裁判所で、差し止め命令あるいは損害に対する請求権もしくはその両方を主張して、グドムンドソンの口を塞ごうとした。 グドムンドソンは今までに訴訟費用として約4万ドルを支払っている。

 仮にグリーンピースの目的が、こような手段をも正当化するとしても、これらの高まいな目的とは一体何であろうか? これに正確に答えるのは不可能であるが、それが企業と自由市場に対する憎悪である事は明白である。 グリーンピース米国支部の専務理事のピーター・バハウス(Peter Bahouth)は、1990年4月に「In These Times]紙の記者に次のように語っている。 「私はマーケット・アプローチなるものを信用しない・・・。 それは、結局は毒物や公害を商品として扱う事につながる。 企業が利益を最重要項目と見なしているかぎり、彼らが環境に配慮する事を期待しても無駄である。」

 ドイツの環境保護コンサルタントであるヨーゼフ・ヒューベル(Joseph Huber)は、グリーンピースのドイツ支部に好戦的要素がある事を指摘し、情報通である部外者としての見解を以下のようにまとめた。 「グリーンピースのメンバーたちは、自分たちが何を求めているかを判っていない。 しかし大企業主義と資本主義による地球の深刻な破壊に対して強く抗議する必要は感じている。 マルクス主義的要素に、新しいタイプのロマンチシズムと無政府主義とが混じり合っているのだ。」

 環境保護主義そのものの中には、それがうまく機能するためには国家統制主義や反市場主義を実践しなければならないという必然性はない。 例えばモンタナ州ボーズマンに本拠を置く政治経済研究所(Political Economy Research Center)は、環境問題を土地所有権の側面から解決する方法を是認している。 また、主流派である「環境保全基金」(Environmental Defense Fund)でさえも、売買可能な環境破壊の認可に賛成している。 ところがグリーンピースは、−− 少なくともウオリが会長となる以前のグリーンピースは −− 自由市場とは全く関わりを持ちたくないという態度であった。 グリーンピースの見解では、環境破壊は代償ではなく犯罪であり、たとえそれが産業全体の閉鎖を意味する場合でも、単に課税の対象になるのではなく、禁止されるべきなのである。

 ロバート・ハンター(Robert Hunter)はグリンピースの共同設立者の一人であり、一部の人々にとっては、その精神的指導者であった。 彼は現在ではトロントを本拠に環境保護をテーマとした映画を製作している。 1979年に彼は「Warriors of the Rainbow」(虹の戦士たち)と題されたグリーンピースの年代記を書いている。 この本には、次のような記述がある。 「(グリーンピースが)体現した社会的意識の形成には、マキャベリズムと神秘主義とが同様に重要な役割を果たした。 それはある時には宗教的情熱を、また別の時には凶暴性と紙一重の冷酷さを具体的に表現した・・・。 堕落と偉大さの両者がそれぞれの役目を果たし、それぞれに代償を支払う事になった。」

 冷酷さと宗教が混じり合うと、爆発の恐れがある。 両者が絶対論者的な確実性をもって結合した場合には、なおさらである。 グリーンピースは様々な研究に助成金を与えているが、毒性物や核廃棄物の浄化に関する研究には資金を出そうとしない。 なぜだろうか? グリーンピースは、自分たちの使命は、汚染を清掃するよりはむしろ汚染を防止する事にあると主張する。 そこでこうした廃棄物の安全な処理方法が発見されれば、廃棄物を作り出す工業過程そのものを排除するというグリーンピースの目標が弱体化されかねない。

 グリーンピースの米国支部は、最近米国の木材産業の経済学に関する報告書を作成するよう森林学の権威であるランダル・オトウール(Randal O'Toole)に依頼した。 オトウールは、米国森林事業団(U.S. Forest Service)に対する政府の補助金を廃止して、レクリエーション費を利用者から徴収する事を同団体に許可すれば、樹木の過剰な伐採の可能性は少なくなるだろうとの結論を下した。 オトウールの話では、グリーンピースはこの報告書の勧告内容がグリーンピースの名義で出版される事を許可しなかった。 「どうやらグリーンピースのお偉方の誰かが、私の結論が気に入らなかったようだ。」と彼は語る。

 グリーンピースは自分たちの資金集めに使用する文書の中で、マハトマ・ガンジーの非暴力主義や「任務を遂行する証人」というクエーカー教徒の考え方に対して、繰り返し賛意を示している。 だがガンジーは、たとえ正当な目的のためでも邪悪な手段は正当化されないという強い信念を持っていた。 したがってグリーンピースがガンジーの理想に忠実であるという主張は、まゆつばものである。

 その一例としてあげられるのが、「Earth First](アース・ファースト)に対するグリーンピースの支援である。 このエコロジカル・テロリスト集団のやり口には、ガンジーはゾッとしたはずである。 ところがその共同創立者の一人であるマイケル・ロゼール(Michael Roselle)は今やグリーンピースから給料を受け取る身である。 このグループは、樹木に大釘を打ち込む事で知られているが、これによって製材所の従業員が怪我をする恐れがある。 (「アース・ファースト」は今では樹木に大釘を打ち込む事を「思いとどまらせる」努力をしているとロゼルは述べている)。 1990年に自動車に仕掛けられた爆弾が破裂して、その事故で怪我をした「アース・ファースト」の会員二人が逮捕された際には、グリーンピースは環境保護団体の同盟を結成し、保釈金や私的な調査の費用の支払いを助けた。 今でも「アース・ファースト」の会員であるロゼルは、この二人の団員は反環境保護主義者たちにより殺人未遂という無実の罪をきせられた被害者であるという説を曲げない。 この事件について、結局は告訴は一切行われなかった。

 善良さを強く暗示するグリーンピースの優しいイメージと名前が、資本主義に対する嫌悪を隠すための保護色である事は明白であるように思われる。 グリーンピースの国際理事会のメンバーであるスーザン・ジョージ(Susan George)と軍事関係の専門家のウイリアム・アトキン(William Atkin)が、かの悪名高い左翼団体であるInstitute for Policy Studies(政策研究協会)でかつて働いていた事は、いまさら驚きではない。

 その発言の多くから判断すると、グリーンピースは絶滅に瀕する種の救済という目的に忠実な機関というよりはむしろ、グリーンピースの会員たちが希望する方法で世界を動かしている「独裁主義」の提唱者である。 この事は「グリーンピース」誌の1990年3月・4月号の論説で明白にされている。 この論説は、東欧の統制経済を西側の「残酷な資本主義」に匹敵するものとして捉えている。 社会主義によって生ずる環境の荒廃は無視して、この論説は「純粋にエコロジカルな観点から言えば、これらの2つの競合関係にあるイデオロギーは、ほとんど区別がつかない」と結論付けている。 こうした無謀な記述は、近年自由化された東欧諸国においては(グリーンピースがこの地域に最近2つの支部を開設したにもかかわらず)是認されないだろうが、甘やかされてきた西側においては、信奉者を見つけているようだ。

 グリーンピースの新しい会長は、この反資本主義的な感情に歯止めをかけて、グリーンピースを環境保護運動の主流派と合流させる事ができるだろうか? マティ・ウオリは前任者に比べて穏健である自分の見解を、グリーンピースの中に吹き込む覚悟はできているようである。 彼はまた、内部調査部門の設置も計画している。 だがウオリはグリーンピースの悪い面を抑制すればするほど、グリーンピース神話の核をなしてきた好戦的であるというイメージを損なう危険を冒すのである。

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