反捕鯨で「富と名誉」を得る人々

(インテリジェンス 1995年8月号)

掘 武昭
経済人類学者



「神」になった鯨

 ハワイで最近神格化された動物がいる。 鯨である。

 鯨やイルカ、或いはシャチといった大型海洋哺乳動物に対する西欧人の思い入れは、 海からの重要な蛋白源として見てきた日本人には想像を超えるものがある。 いやむしろ彼らの論理が理解できない、とさえいってもいいかもしれない。

 日本の捕鯨関係者には、こうした欧米の「思い入れ」を基点にした日本への攻勢と、 その厚かましさに耐えかね、過激な反論を試みる人もいる。 西欧人は鯨を人間以上のものとして扱い、鯨をもって聖獣化した、と。 鯨が神に昇格したのである。

 もっとも、鯨が聖獣化された過程はそう単純なものではない。 いやこのテーマを追いかければ追いかけるほど、事態は複雑で、究極的には国際政治 の場におけるゲームという迷路に入り込んでしまう。

 毎年多くの科学者、行政官、政治家、そして環境保護という新しいビジネスに専念 する運動家が膨大な予算とエネルギーを費やし、捕鯨を禁止すべきかどうかでめくじら を立てている。 不毛な議論とも思われるが、反面、西欧文明と非西欧文明との衝突、あるいはこの 地球上に生きる人類に与えられた将来への展望を追求するに絶好のテーマともいえる。



捕鯨禁止の起点はベトナム戦争

 1970 年代初め、アメリカはベトナム戦争という泥沼に入り込み、抜きさしならぬ 状況に陥りつつあった。 枯れ葉剤の大量投下と環境への壊滅的影響、反戦運動の盛り上がりと麻薬禍の拡散、 脱走兵の続出等々、反米、反体制、反戦気運を何としても方向転換させる戦略を 考え出す必要があった。 その結果、ホワイトハウスに特別戦略諮問機関が設置され、英知を絞った末の作戦 として自然保護が全面に打ち出されることとなった。 そして、その象徴として鯨に照準が定められたのである。 自然保護に関してカリスマ性に富む多くの理論家、運動家が動員され、それが 1972 年 のストックホルム国連人間環境会議の開催へとつながっていく。

 この会議で、のちに環境保護運動の象徴となる捕鯨のモラトリアム提案が、何の 根回しもないままに電撃的に可決される。 以来、日本は鯨を大量に殺戮・消費する悪魔の国として、徹底的に弾劾され魔女狩り の対象になっていく。

 この経過をアメリカを中心にざっと整理してみたのが次頁の別表である。


70年代初めの米国反捕鯨運動の推移

1971年1月 全米における捕鯨全面禁止決定。
同時に本件商務省から大統領府直接管轄移管。
4月 ニクソン大統領海洋哺乳動物保護法可決。
6月 ワシントンにて IWC 会議開催。
民間人のマッキンタイアーが初めてオブザーバーとして出席、 10年間のモラトリアムを提言。
この時彼女はフレンド・オブ・ジ・アースの別働隊組織として プロジェクト・ヨナをサンフランシスコに設立。
6月 バージニア州シェナンドア国立公園にて鯨をめぐる 大規模なシンポジウム開催される。
12月 ニクソン大統領とキッシンジャー国務長官、 モーリス・ストロング国連人間環境会議事務局長に 10 年間の モラトリアム採択を要請。
1972年4月 米国上・下院、10 年間のモラトリアム共同決議。
6月 ストックホルム国連人間環境会議開催。
6月7日 ストックホルムのスカプネス高原において、 ストロング国連人間環境会議事務局長が、環境グループの ビッグ・ファームを前にモラトリアム導入のアジ演説
(後々これが彼の政治的偏向を非難される原因となった)。


 ここで気がつくのは、どうやら、かつて捕鯨産業が最も華やかなりし頃の中心地で あったサンフランシスコとハワイが鯨保護でも主導的立場にあることだ。 どこか陰で、もぞもぞ動いている気配である。 最も過激にしてカリスマ性をもった運動家であるジョーン・マッキンタイアーも、この 二つの場所を中心に反捕鯨運動を展開していった。

 とすれば、彼女を捕まえ、インタビューすれば、当時のアメリカ政府と環境グループ との接点がわかるかもしれない。 しかし、わずかに知り得た情報は、彼女が、その後グループから除名され行方不明に なってしまったという風評だけ。 しかもアメリカ最大の石油会社と密着し、環境グループの関心が石油開発に向かわない よう、一種の逆スパイをし、さらには大変な額の運動資金をもらったままドロンを 決め込んだという芳しくない噂であった。 となればここは好奇心を働かせて彼女の行方を追うしかない、と電子通信を使っての 大捜査網を張ることとなった。



反捕鯨という名の政治ゲーム

ところが動向を追いかけていくうちに奇妙な情報が入ってきた。 いわく彼女は環境グループの資金をもってハワイへ逃れてしまったこと、その後 インディアン系アメリカ人と組んでハワイにおけるホエール・ウォッチングの黒幕と なって、ここから日本非難の指示をしているというのである。 そこでハワイのグリーンピースに何度となく問い合わせの電話やファクスを送った後、 現地に乗り込んだ。 しかし、グリーンピースと彼女はいっさい関係を持ったことはないという。 さらに、日本でいえば水産庁にあたるナショナル・マリーン・フィッシャリー・ サービス、並びにパシフィック・ホエール財団に頼み込んだところでようやく二人の 消息がわかった。 マウイ島ラハイナに住んでいるという。 ラハイナはかつて太平洋捕鯨華やかなりし頃、最も栄えた捕鯨基地であるが、現在は 海岸線に沿って 1 マイルほどの一本道にレストランとみやげもの屋が集中している だけ。 ところがこの地域は、最近本土からハワイに憧れてきた人たちばかりで、依然二人の 消息はわからない。 それでも諦めずにバーからバーへと訪ね歩いているうちに、面白い噂ばなしが入って きた。 彼女は鯨保護のために集めた潤沢な資金を持ち込んで、確かに 5 年ほど前まで相棒の 男と一緒に生活していた。 だがどうしたことか上手くいかなくなって、その後誰も消息を聞かないというので あった。

 私は、ここまできて、背筋が寒くなるのを感じた。 現在もホットなイシューとして世間を賑わせている鯨問題が、実はそれに反対する 個人なり国家なりの政治ゲームに集約してしまうということに気がついたのである。 もっと端的にいえば、捕鯨に反対すればするほど「儲かる」グループがあり、その グループと常に負の政治コストを負担しなければいけないグループとのサバイバル ゲームであるということを。

 マッキンタイアーは、この運動で潤沢な資金と男を得た。 反捕鯨派であったはずのブルントラントもまたノルウェー総理大臣となり、 モーリス・ストロングはカナダ最大の電力会社オンタリオ電力公社の CEO の地位を得た。 以来、彼らの鯨に対する態度は微妙に変化してきている。



“やっかいもの”扱いの外務省

 ここで捕鯨問題に対する日本の取り組みと展望について触れてみたい。

 私個人の考えでは、南氷洋に関してはすでに捕鯨再開にタイミングは失していると 思う。 しかし、一番の問題は、この分野から日本が撤退するにあたり、人類の将来への 希望的展望、環境と経済成長のバランス、野生動物・海洋生物資源の科学的利用など について徹底した合理的、かつ科学的議論が国際社会においてなされるかどうかである。単に多数決によって日本が孤立化するのを懸念するというような次元の問題では ないのだ。

 今こそ、日本が全知全能を絞って島国民族としての生き方、文化のあり方を世界に 訴えていく最高の場が IWC(国際捕鯨委員会)である、としてとらえるべきだろう。 その結果、世界の鯨が全てサンクチュアリーの対象になったとしても恐れることはない。人類のあり方を示す一里塚として、必要なのは徹底した議論なのだから。

 そもそも日本が、戦後国際社会に正式に復帰することになった由緒ある国際条約が IWC であった。 その IWC が日本の経済大国化の進展と歩調を合わせるかのように、日本叩きに熱中する 環境保護グループの巣窟と化していったとする捕鯨再開派の主張は、真実の一面を 突いている。 ことの本質の重要性を軽んじてきた怠慢と、かつ欧米の主張を検証することなく、 感情的に報告することに終始してきた日本のマスコミのあり方にも責任はあろう。 特に折衝にあたる外務省の最近の姿勢は、どちらかというと「やっかいもの扱い」で、 その根底には「もう、いい加減にしたら」といった態度が目立ち始めている。 もちろん個人として事の重要性に気づき、熱心に取り組む人もいるが、それは 例外である。

 基本的には、戦後の日本の特徴である、対米追随外交がその根幹となっていると いえないか。 そこには同じ水産国でありながら、北大西洋でのミンククジラの商業捕鯨を一昨年 開始したノルウェーに象徴されるような国民の間での徹底した議論と合意、そして 外交の自主性を重んじる風土がまったく欠如しているといってよい。

 地球規模での環境問題は、事態の如何を問わず避けて通れない。 とすれば鯨のみならず、公海における遠洋漁業への日本国の取り組み方を徹底して 議論し、そのプライオリティーを早急に確立すべきである。 IWC は日本の世界におけるあり方を身をもって体験できる貴重な場であることを 忘れてはならない。 と同時に国際社会には、ことの善悪はともかく、徹底したレトリックと信念、それを 裏付ける知能で世界を動かし得る、すなわち歴史を作り替えるほどの能力を持った トリックスターが必ずいることを、心に刻み込んでおく必要がある。 金があり、かつ世界の動きに情緒的に動かされやすい日本は、こうした連中にとって の草狩場にさえなっているのが現実である。



IWC を牛耳る学者

 トリックスターの旗手として、真っ先に紹介しておきたいのが、英国を代表する 著名な数学者であり、水産資源学者でもあるシドニー・ホルトである。 数学的手法をもって水産資源の動態を理論家した人物である、といったほうが正確な 表現であろうか。 捕鯨の分野において彼の名を知らない人はまずいない。 ただ最近はあまりに過激、かつイデオロギーを優先するところから、毀誉褒貶が 激しく、この先鋭的な理論も影が薄くなりつつある。

 彼の提唱した核となる理論は、魚の自然死亡率と生存率、ならびに人為的漁獲高は 一定であると仮定した上で、魚の資源量を予測したものであった。

 この理論が世界の水産資源学者に与えたインパクトは衝撃的であって、日本も 例外ではなかった。 彼は当時 FAO(国連食料農業機関)に所属する科学者代表であり、かつまた IWC の 中心的科学者であった。 ところが彼は 30 歳を過ぎる頃から、自説の科学理論にイデオロギーを 結び付け始めた。 鯨を人類と同格に扱うサンクチュアリー運動に傾斜し始めたのである。 彼は自らの信念を世界中に広めるべく、グリーンピースをはじめとする環境保護 グループと連帯を進める一方で、自らの理論を信奉する学者を育成し、IWC をはじめ とする国際機関に送り始めた。

 彼の戦略は数学的緻密さに基づき、秘密裏に進められた。 特に巧妙だったのは、自分の仲間を使い、かつ自説を全面に掲げつつ、世界を分割 しながら、鯨の徹底保護を進めたことであった。 気がついたときには世界中のほとんどの地域で、鯨保護が環境保全の象徴として、 学童に教育する展開にさえなっていたのである。 IWC もその例外ではなかった。

 もっとも一方では、彼の思想を非科学的すぎると懸念する人達が徐々に増え、 やがて彼はその活動の中心であった FAO から解任されてしまう。 しかし彼の執着心は見事なもので、世界中から集まる環境保護グループからの潤沢な 資金をともに、鯨にまったく関心のなかった国セイシェルの代表に就任したり、 時には国際環境保護団体の代表になったりして、依然として IWC 総会や 科学委員会に中断することなく出席、にらみを利かせている。

 厳密に言えば IWC は国際機関としての体を失いつつあるのだろう。 それ故日本が脱退すべきという議論もある。 しかし、それは、 APEC からアメリカを外す、あるいは安保体制の全面見直しを アメリカに迫る、というのと同次元の問題である。 残念ながら「アメリカの正義」に逆らうだけの自尊心も心の準備も今の日本にはない。

 私個人は、日本はこのまま IWC を脱退することなく、かつアメリカを苛立たせる ことなく、一部地域の伝統的な沿岸捕鯨のみを再開する方向で合意を得ることは 可能と思っている。 また、それならば、日本が孤立を恐れずに突っ走っても構わないだろう。

 しかし、それには日本の国民、政府、議会が一致して、科学の真実、汎人間主義と 文化の相関関係を、冷静に議論しその整合性を世界に訴えていくことが必要である。 アメリカの圧力を国境を接して受けているカナダが、IWC を脱退後すでに 12 年が 経過している事実をもう一度考えるべきである。



ノルウェーにみる「誇り」の堅持

 最後に IWC が打ち出した「商業捕鯨に関する凍結継続決定」に反して、商業捕鯨 を再開したノルウェーの現状を報告しておこう。

 ノルウェーの決断は日本、アイスランドなど、ごく僅かの捕鯨賛成国をのぞくと、 世界を敵にまわしたといっていい。 経済制裁措置を発動するといった警告が、強硬な反捕鯨国であるアメリカ、イギリス から出されたのをはじめ、グリーンピース、シーシェパードに代表される過激環境 団体が早速ノルウェー製品のボイコット運動に入ったことは広くマスコミを通じて 報道されたから記憶に残っている人も多いはずだ。 イギリス政府は、「ノルウェーは欧州共同体に加盟する機会を失った」とまで警告 した。 しかしその後ノルウェー国民は自らの意志で独自の道を行くことを決定している。 むしろアメリカが従来の強硬な反捕鯨姿勢を軟化させ始めている。 人口わずか 420 万人にしか満たない小国が、ひたすら独自の判断に基づき、予定した ミンククジラ 296 頭を捕獲したこの動きは、観念的、情緒的、かつ政治的、 ビジネス的打算に裏打ちされた反捕鯨国、環境グループの「有無を言わさぬ強権」に 一矢を投じたといえよう。

 高速艇を繰り出し、体当たりに近い実力行使で捕鯨を阻止するグリーンピースに たいしてもノルウェーの漁民はその挑発に乗ることがない。 操業を中止し、熱いコーヒーを飲みながら、洋上に漂う環境保護グループにも コーヒーカップを差し出す。 ノルウェー政府と国民との成熟した信頼関係があってこそできる芸当である。

 実際の彼らの主張を分析していくと、そこには、(1) 捕鯨を単なる漁業産業として 捉えるのではなく、トータルの国民経済の中で、その必要性を訴えていること。 (2) 国家の独立、国土の保全・環境保全と共生のあり方を自国なりに確立していること。 (3) むしろ人間のエゴを前面に押し出しているのは、環境グループの方であって、 エコシステムからして見ると、どちらが残酷なのか、と世界の人々に訴えていること − などがしっかりと確立されており、彼らの信念に圧倒されるのである。

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