(日本鯨類研究所 1998年発行 「捕鯨における日本の立場と反捕鯨キャンペーン」より)
アルネ・カラン
オスロ大学開発・環境センター教授
本論考は、日本の捕鯨をターゲットにした国際的な攻撃キャンペーンとそれに日本がどう対応してきたかを概観するものである。
フェロー諸島やグリーンランド、アイスランド、ノルウェーなどの他の捕鯨国と同じく、日本の対応もいくつかのかたちに分けられる。
一つには、捕鯨国は批判に対処すべく、国際的管理機関に積極的に参加し、また鯨類資源が枯渇してはおらず、捕獲がきちんと規制されれば捕獲に耐えられるとの科学的証拠を提供してきた。
これは持続可能な利用の論理である。
これは一部環境保護論議からの借用によるもので、その論に立つと、環境派が守ろうという鯨を管理するのは、むしろ捕鯨者である。
同時に捕鯨国は反捕鯨派が提起した問題に対処すべく、捕獲をより「人道的」かつ管理可能なものとするために新しいルールと技術を導入した。
別の局面では、反捕鯨グループが抱くある種の偏見に満ちた考え方に対し、民族自決権、ならびに伝統的な資源を持続可能な方法で捕獲する権利を守ろうと積極的に活動した。
こうした活動は旧来の国際機関での作業を通じて、また新しい機関を創設することによって展開された。
さらに、捕鯨国は国際社会のフル・メンバーであるとの主張を放棄することなく、自らのアイデンティティーを堅固にするよう努めてきた。
日本の地方では、祭りや新しく作り出された「伝統行事」を核にした村の活性化運動(村おこし運動)にそれがうかがえるし、クジラやイルカの町として観光客に売り込んでいる共同体も同様である。
国レベルでは、日本文化における人とクジラの関係は他に類を見ない日本独特のものであることが強調され、そのため日本の捕鯨は「原住民生存捕鯨」として分類される資格を持つと論じられている。
過去30年の間、われわれは強力な国際的反捕鯨運動の台頭を目の当たりにしてきた。
これは、1982年に国際捕鯨委員会IWCを動かし、商業捕鯨の全面的モラトリアムの採択に導いた。
このモラトリアムによって日本のほとんどの捕鯨活動に終止符が打たれた。
現在は、国際捕鯨取締条約(ICRW)が認める「鯨類捕獲調査」とゴンドウクジラとツチクジラを対象とした沿岸小型捕鯨(IWCの管轄権外)のみが小規模に続けられているにすぎない。
それにも拘わらず、日本は相変わらず欧米の環境保護団体と動物権団体が繰り広げている反捕鯨キャンペーンの標的とされている。
1982年にIWCがモラトリアム(公式に「捕獲限度ゼロ」という)を採択したときの多数派の主張は、モラトリアムとは、より優れた資源量推定と新しい管理モデル(改訂管理方式 RMP)が使えるようになるまでの間は必要なもので、1990年には再考されることになるというものであった。
一方、IWC科学小委員会は本委員会とは違う見解をもっていて、すべての鯨種に包括的モラトリアムを実施することは不必要であると判断していた。
当時、日本の捕鯨船団が捕獲対象にしていた鯨種のうち、米国の「絶滅の恐れのある種に関する法律」(1973年)が「絶滅危惧種」として指定されていたのはマッコウクジラだけであった。
他の鯨種、つまりミンククジラ、ゴンドウクジラ、ニタリクジラ、ツチクジラは、1980年代末にかけて資源豊度が初期レベルかそれに近い水準にあった57種のうちに入っていたのである(Aron 1988:104)。
現在、日本の捕獲調査が対象としている南氷洋ミンククジラは、特に資源が豊富である(Gulland 1988:44)。
マッコウクジラにおいても現在およそ200万頭はいて、240万頭と推定される初期資源量は下回るものの、絶滅危惧種とはとうてい認めがたい。
1987年にモラトリアムが効力を生じて以来、科学小委員会はいくつかの鯨類資源については持続可能な開発ができるとの結論を下している。
太平洋コククジラは十分に回復しており、「絶滅危惧種」のリストから外された。
また南氷洋ミンククジラは76万頭と推定されており、初期の資源豊度水準をはるかに上回っていると推定されている(De Alessi 1995)。
後で見るように、この推定は日本の立場にとって特に重要である。
また、これまでいかなる海産資源のために開発された管理方式の中でもRMP(改訂管理方式)は、おそらく最も高度で頑健なものである。
このRMPは1992年に科学小委員会により採択された。
環境保護団体はこれらの事態の展開にさまざまの反応を示してきた。
中には他の活動に時間を割くため反捕鯨運動から離れた団体もあるが、大部分はその取り組みを続けている。
鯨保護団体の中には「(捕鯨)条約の規定によれば、この論争は科学の作法に則って進められなければならない」ことを認識しながらも、新しい科学的証拠の有効性を否定し、生態学的議論に固執するものもある。
他方では、捕鯨国の科学者は十分に信用できないと訴えるところもある。(彼らは科学小委員会のメンバーの大多数が反捕鯨国から来ていて、中には反捕鯨団体と近い関係にある者がいるという事実を無視している。)
これ以外にも、「鯨類は系統群毎に管理しなければならないのに、系統群の分別・特定には不明の点が多い」とか、「出生率や死亡率についてはデータが不十分」、「オゾン層破壊が鯨類に与える影響が不明である」などといった主張がなされている。
グリーンピースと世界自然保護基金(WWF)はその中の代表格で、「最後の一頭のクジラ」を救うためにと称した募金活動を行ってきている。
しかし、いずれも動物福祉論へと転向を見せている。
WWFは自然資源の持続的利用原則の推進に取り組む姿勢を誇示していたにもかかわらず、1992年の「捕鯨とIWCに関する立場表明」では「捕鯨操業が真に持続可能なかたちでのみ行われることをIWCが保証できるとしても、WWFは捕鯨再開に反対するという立場を変更しない」と述べ、自らの基本的姿勢とは正反対の立場をとった(WWF 1992:1)。
グリーンピースの立場も同様である(Ottaway 1992:3)。
これらと他の多くの団体は、人道的な捕鯨はあり得ない、鯨類は特別でユニークな生物であり、クジラは本質的な価値を有していると主張している。
こうした論法の変化は政府レベルにも反映している。
例えば、1991年にジュネーブで開催された国連環境会議(UNCED)準備会合では、ニュージーランドが鯨類の全面的保護を提案した。
その理由として、「鯨類にはこれまで地球上に存在した中で最大の動物種が含まれている。
彼らの脳は人間と較べより大きく、そして同じくらいに複雑であり、そのため海洋環境における鯨類は陸上における人間と同じ存在なのである」としている。
その後、IWC本委員会議長となったP.ブリッジウォーターIWC豪州代表委員はかつてインタビューで、食用肉が簡単・廉価に入手できるなら「巨大で、美しい動物」を捕獲する必要はまったくない、したがって、クジラを資源として利用するべきでないと述べている。
ジョン・ガマー元英国農業大臣は生態学上の議論をやめて、人道的捕殺の議論に乗り換えているし、ジョン・クナウス氏はIWC米国代表委員当時に、「いまや科学的証拠によればいくつかの鯨類資源については適切な保護措置の下での捕獲が可能であると分かったため、今後は倫理的根拠から捕鯨に反対しなければならない」(Marine Mammal News,May 1991)と述べた。
彼の後を受けたマイケル・ティルマン氏は1993年のIWC年次会議後、改訂管理方式の採択を阻止した功績により反捕鯨団体の動物福祉協会からシュヴァイツアー賞を授与されている。
ニュージーランドは、この論法転換の理由を手短に述べている:「商業捕鯨モラトリアムは現実の世界の世論を反映しているため、われわれはその維持のために努力するのである(第46回IWC年次会議オープニング・ステートメント)」。
これは日本の立場を理解する上で、きわめて重要なポイントである。
「世界の世論」とは何なのか、どのように作られるのか。
さらに地球上の大多数の人間が捕鯨に反対していることを示す調査など存在しない。
かりにそうだとしても、だからといって多数派には少数派に対し自分たちの考えを押し付ける権利があるということにはならない。
大部分の日本人にとってこの「世界の世論」なるものは、所詮は一部の欧米の活動家の見解がうさんくさい理由である政府に後押しされているにすぎない。
このような見解を世界の他の人々に押し付けることは、日本人の目には文化帝国主義と映る。
もう一つの戦略は、鯨製品の市場を破壊することであった。
「今までに出されたもっともおぞましい食事、ジャップはクジラの肉で宴会」とは英国のデイリー・スター紙1991年5月11日版の第一面の見出しである。
そして、
内側の第二面では、凄惨な写真(そのうちの一枚はフェロー諸島で取られたものだった)とともに、「貪欲なジャップが、血まみれの食卓で行なわれるむかつくような宴会で、山積みされた鯨肉を貪っている」といった記述を読者は読まされることになる。
このようにレトリックが駆使され、鯨肉を食することは、食人行為に近い不道徳な行為だとされてしまった。
もっと直接的に被害があったのは、非加盟国からの鯨製品の輸入を禁止した1979年のIWC決議および(絶滅のおそれがあるかないかは無関係に)全鯨種がワシントン条約CITESの附属書に掲載されたことであった。
そのため、日本は鯨皮を輸入することを許されず、鯨皮はノルウェーで腐るままに放置されている。
クジラ製品の合法的な国際取引が事実上不可能に近い中で、犯罪分子が国境を越えた鯨肉密輸ビジネスに関わろうとしたことはなんら驚くにあたらない。
日本の警察は摘発の実績をあげているが、一部のNGOは日本やその他の国で独自の「調査」を行うようになり、その報告書をIWC年次会議開催時に合わせて公表している。
日本は何回かにわたりボイコットの脅しを受けてきた。例えば、1985年に、22の団体が、日本航空をボイコットするキャンペーンを展開した(Brownand May 1991:108)。
このようなキャンペーンが大きなインパクトをもつことは少ない*1が、複数の日本の自動車製造業者が脅しを受け、NGOへの寄付を強いられたという(Misaki 1994:34)。
さらに深刻なのは、漁業者保護法ペリー修正の発動という米国の脅しである。
この法律は「国際的な野生生物保存計画の効果を減殺している」と証明された国からの輸入を禁止する権限を大統領に付与している。
現在までのところ、大統領は、いずれの捕鯨国に対してもそのような制裁の発動を控えている。
このような制裁は世界貿易機関 WTO(およびGATT)の規則の違反になる可能性が高い(McDorman 1991)。
さらに、IWCで日本の立場を支持したという理由で、数カ国のカリブ海小島嶼国に対して観光ボイコットが行なわれた。
このキャンペーンはきわめて悪質であり、1994年会議ではIWC委員が加盟国への攻撃に対して抗議せざるを得ないまでになった。
反捕鯨のレトリックでは、中傷的表現が駆使される。
クジラを食べる日本人が野蛮人として描かれるだけでなく、捕鯨者は皆、自らの利益を貪欲に追求し、もっともおぞましいやり方で世界最後のクジラを平気で殺す残酷な殺戮者であるとして非難されている(Kalland 1992,1993)。
これらの非難は、国や地域に関係なくすべての商業捕鯨者に向けられている。
しかし多くの日本人は、日本の捕鯨者に向けられる攻撃的な表現にはそれ以上の理由があると感じている。
そして、残念なことに、悪意に満ちた言葉による攻撃から物理的な暴力に至るまでに必ずしもそれほど大きな隔たりがあるわけではない。
日本のIWC代表団は、一度ならず、赤ペンキを投げつけられたり、唾を吐き掛けられたりしたことがあるし、日本人と間違えられたある国の代表は、グラスゴーの会議場となっているホテルのロビーで暴徒に襲われた。
自ら標的にされてきた三崎滋子氏によると、これらの侮辱行為は実に腹立たしいが、それは巨大な氷山の一角にすぎないのである(Misaki 1994:24)。
が、こうした事態はIWCと反捕鯨キャンペーンに対する日本人の認識を理解しようとするとき、重要な参考点になる。
IWCが代表メンバーを保護できないことは前兆的である。
反日感情はNGOだけに限られず、一部の代表団メンバーの中にも存在するのである。
「捕鯨者クラブ」とみられていたIWCは1982年の商業捕鯨モラトリアム採択時までには「クジラ救済クラブ」へと変身していた。
豪州、オランダ、米国、英国は経済的理由で捕鯨活動から手を引いた後、ニュージーランドとともに、当時増大していた反捕鯨の立場を共にする国々のグループ(like-minded group)のリーダーになった。
モラトリアム実施に必要な付表修正のために条約で義務付けられている4分の3の多数票を獲得するという目的のためだけに、小島嶼国を中心とした新加盟国がIWCに引き入れられ、1972年に14だった加盟国が、1982年には39ケ国に膨れ上がった(Hoel 1986:70)。
さらに、1979年からはNGOが年次会議への出席を許可され、それにより、まもなくIWC会議はクジラ保護主義者の主要な活動舞台と化した。
反捕鯨団体はIWC会議に時期を合わせて記者会見や反捕鯨報告の公表をおこない、マスコミ報道を最大限に利用している。
さらに、マスコミは会議場へ出入りすることができなかったため、NGOは議事を解釈し、その解釈をマスコミと世界に呈示するという大きな影響力を行使できる立場に立った。
彼らは、少なくとも最近まで、会議場からの情報を広範囲に独占することができたのである。
商業捕鯨モラトリアムはこうした雰囲気に包まれて採択された。
IWC科学小委員会がそのような過激な措置を勧告しなかったにもかかわらずである。
また、その後、1982年の決定で義務づけられたモラトリアムの再考も行われなかった。
それどころか次々と新しい要求が出され、その結果、タイムズ紙(1992年6月30日版)とウォール・ストリート・ジャーナル紙(1992年7月7日版)をして、IWCが途中でゲームの規則を変えたと非難させることになった。
その後、1993年のIWC会議の後、ケンブリッジの海産哺乳動物調査機関のフイリップ・ハモンド博士が次のような言葉を残して科学小委員会議長職を辞した。
「もし第一義的に重要な事柄に関する全会一致の勧告がそのように軽視されるならば、科学小委員会を持つ意味は何処にあるのだろうか。」、これによってIWCの管理事項における科学的威信のなさが露呈した。
IWC内の多数派が、再度科学小委員会の勧告なしに南大洋鯨類サンクチュアリの設定を目指したことで、IWCの政治的乗っ取りは完遂された。
科学調査はモラトリアムおよびサンクチュアリの問題と密接に関連している。
自然環境における海産資源管理を目的とした全ての国際機関では自然科学に中心的役割が与えられている。
そしてIWCも例外ではない。
したがって、国際捕鯨取締条約第5条2項は、付表修正は「科学的認定に基づかなければならない」と定めており、この目的のためにIWC内に科学小委員会が設置された。
これに従って1982年に採択されたモラトリアムの規定では、最良の科学的助言に基づいて早期の見直しを行うことが義務づけられたのである。
そのため日本と他の捕鯨国は、RMPの実施と捕鯨再開のために必要とされる科学情報を提供するために包括的調査プロジェクトに着手した。
これは極めて質の高い調査であることはIWC内で広く認められているが、過去10年の間、日本の鯨類捕獲調査は商業捕鯨の隠れ蓑だとして終始、非難を浴びてきた。
しかし、条約第8条1項は締約国の権利として、科学調査のためにクジラを殺し、捕獲し、処理することを認める特別許可を自国民に発給することを規定している。
また、同条2項は特別許可の下で捕獲された鯨は実行可能なかぎり処理すべきであると定めていることから、日本はこの非難を不当であると考えている。
調査は鯨類資源の管理にとって不可欠であると見なされているため、IWCが日本の鯨類捕獲調査に反対している事実は、IWCが不誠実で自らの条約を無視していることの証拠とみられている。
日本のもう一つの不満のもとは、文化的・社会的・経済的窮状緩和を目的として、沿岸ミンク捕鯨に従事してきた4共同体について日本が要求しているミンククジラ50頭の暫定捕獲枠をIWCが認めていないことである。
日本は、この小型沿岸捕鯨(STCW)がモラトリアムの対象とされていない原住民生存捕鯨と多くの共通の特徴をもつと主張している。
ある社会科学者の国際グループは、グリーンランド、アイスランド、日本、ノルウェーのミンク捕鯨制度(グリーンランドの場合は原住民生存捕鯨、後の3カ国は商業捕鯨として分類されている)の間に実質的な相違はないとの結論を下した(ISGSTW 1992)。
その結果、日本は、原住民生存捕鯨、商業捕鯨とは別に、小型捕鯨のための第三カテゴリー設置を要求し、管理制度が制定されるまでの暫定枠を求めたのである。
1993年の京都会議では、日本の4小型沿岸捕鯨共同体の窮状を緩和するために迅速に作業を進める必要を表明した決議がコンセンサスで採択され、その時点で、日本は自国の要請がついに聞き入れられたと考えた(IWC/45/51)。
しかしながら、この決議は年次会議主催国へのリップサービスにすぎなかったことがまもなく明らかになった。
1994年会議で日本は、他の加盟国の要求に応じるかたちで、暫定枠の下で捕獲されるクジラからの製品を関連共同体内部だけで流通させるための行動計画を提出した。
これに対してIWCの多数派は捕獲にまつわるすべての商業的側面を排除するよう要求してきた。
IWCは日本に暫定枠を与えることを拒否した一方で、その後ロシアに対してコククジラ140頭の捕獲枠を原住民生存捕鯨の下で認めたが、そこから得られる鯨肉と鯨皮の半分以上が国営のキツネ飼育場での餌として使われていることに対しては何の議論もなかった。
行動計画に関して残っている問題を解決するため1997年3月に開かれたワークショップでも、米国、英国、オランダ、豪州、ニュージーランドの5ケ国は、日本にはいかなる状況下でも暫定枠の割当を認めないことを確認した。
しかし、同時にオランダ委員は、商業捕鯨モラトリアムが解除された時には、同行動計画が有益な管理手段となり得ると述べた。
ここで、これまでの道程がもうひとつの茶番劇であったことに日本人は気付いた。
他にもIWC内の関係を悪化させ、活動に悪影響を及ぼしている問題は数々ある。
重要な案件は、IWCでの討議に先立ち「like-minded group」と呼ばれる閉鎖的な反捕鯨国のグループ内で討議され、事前に決定される(Misaki 1996:30)。
IWC会議の議題もまた徐々に変化している。人道的捕殺方法は、1950年後半から時折、議題に乗せられたが、毎年討議されるようになったのは1975年からである(Mitchell et al.1986)。
ついに1983年に「人道的捕殺作業部会」という独立の作業部会が設置された。
また、1994年にはホエールウォッチングに関する別の作業部会が設置された。
人道的捕殺部会は、違反小委員会と共に、高度に政治化され、日本にとっては厄介な存在になっている。
前者は、クジラに不必要なストレスを与えることなくどのように追尾を行えるかなど致死の基準と捕殺方法について討議する。
日本の科学者が多くの場合、電気ランスがもっとも人道的な二次的捕殺方法であるとみなしているにもかかわらず、銛で即死しなかったミンククジラを殺すために電気ランスを使用していることで日本はことさら批判されている。(1996年に、日本は二次的捕殺方法としてライフル銃を用いることを表明した。)
さらにこの作業部会の議論では、平均致死時間が2分から3分の商業捕鯨がどの程度人道的とみなされるかをめぐって多くの時間が費やされている。
その一方、アラスカの原住民捕鯨者が適切な技術を持たないために何時間もかけてホッキョククジラを殺しているのに、これに対して同じ問いが発せられることはない。
この点も日本は見逃していない。
また、多数派は捕鯨の人道性をその他の狩猟形態や屠殺場で行われていることと比較して検討することを望んでいない。
違反小委員会では、クジラの違法捕獲と偶発的捕獲、さらに鯨製品の違法取引が討議されている。
この作業部会では、あらゆる機会を捉えて、捕鯨者と捕鯨国が不誠実で正直でないのではないかとの疑いが投げかけられている。
ここでも日本はもっとも厳しい攻撃の対象とされている。
例えば、1994年会議で、英国代表の発言はきわめて悪意に満ちたものであった。
彼はその違反摘発の努力を無視して、日本の警察に対する不信感を公然と表明し、日本代表団をいたく侮辱した。
日本人やその他のIWCの展開を見守ってきた人々は、IWCが当初の目的から逸脱してし
まったと見ている(Sumi 1989)。
日本鯨類研究所(東京)の前理事長、長崎福三博士は、この状況を飛行機のハイジャックにたとえている。
つまり、「一つの国際機関が特別なイデオロギーの信奉者によってハイジャックされたのである。...
ハイジャックされた飛行機は... 犯人が指図する方向に向かう。
IWCは明らかに条約が定めるコースを外れる方向に向かっている」(Nagasaki 1993:16)。
IWC内の反捕鯨グループが動物福祉または動物権の立場を受け入れ、生態学を意に介さぬようになったことでますます明白となった。
生態学からクジラの権利へ
反捕鯨の議論は多くの異なるかたちをとるが、生態学によるのか、倫理・道徳論に基づくかによって、議論は大きく二つに分かれる。
前者、つまり生態学的な議論はシステムとしての自然環境に関心をおき、種の生息域と生物多様性の確保を追求するものである。
この立場に立つのは環境保全主義者 conservationist であり、彼らは持続可能である限り、生物種の利用を受け入れる。
後者の倫理・道徳論には動物福祉論と動物権論の双方が含まれる。
動物福祉論者は屠殺方法を含め、人間による動物の扱い方に関心を持つが、動物権論者は利用の対象としてではなく、その存在固有の価値が動物にあるとして、動物の殺害そのものに反対している。
特に、クジラの権利については格別の主張がなされてきた(D'Amato and Chopra 1991)。
議論を簡単にするために、ここでは動物福祉論と動物権論は一つのものとして扱う。
というのはこれらの論者は捕鯨に関してはいずれも保護主義者 preservationist または protectionist であり、倫理的・道徳的理由から捕鯨に反対するという点で共通している。
動物福祉・動物権論者と環境保護団体は、捕鯨問題を含め多くの問題で緊密に協力しているが、国際的批判に対する日本の対応を理解する場合にはこれら二者を区別することが
大切である。
NGOとそのキャンペーン
反捕鯨キャンペーンを展開している国内的・国際的非政府組織(NGO)はおそらく何百とあるだろう。
そのうちオブザーバーとしてIWC年次会議に出席しているのは100程度である。
これらは活動理念という点でも、キャンペーンの張り方でもまちまちである。
だから反捕鯨キャンペーンには様々なかたちがあり、船を沈没させたり人間を標的にした嫌がらせをするといった暴力行為から、抗議文書、ワシントンやブリュッセルなどでのロビー活動に至るまでの広範囲に及んでいる。
そこで使われている戦略は5つの主要なカテゴリーに分けられる。
つまり、(1)クジラの捕獲を阻止する直接行動;(2)鯨製品の市場の破壊を目指した活動、(3)捕鯨国の製品に対するボイコットキャンペーンの実施、(4)中傷行為、(5)IWCにおける全面的かつ無期限のモラトリアムの実現、である。
日本はこれらすべての戦略のターゲットとされている。
国際社会の注目を集めた初期の活動の中には、日本の数カ所の共同体で何世紀にもわたり行なわれてきたイルカ追い込み漁を阻止するという試みがあった。
1980年には、一人の米国人活動家が、壱岐島の勝本で捕獲されたイルカの群を囲った網を切断するという事件があった。
最近ではグリーンピースが、日本が1987/88年度から実施している南氷洋での鯨類捕獲調査を妨害しようとしたが、日本は計画した通りの頭数を捕獲することができた。
これらの活動には、グリーンピースの撮影斑が同伴していて、抗議の旗は捕鯨者に対してよりもグリーンピースのカメラに向けられ(Kojima 1993)、世界中に放映されることになった。
IWC年次会議
IWCにおける事態の展開は、とりわけ日本の立場を鮮明にしたといえる。
IWCの詳細な分析を呈示することは本論考の範囲を超えている。
しかし、日本人はIWCが政治的に「乗っ取られた」との認識をもっており、この認識に対する日本の態度を理解するためにいくつかの主要問題を指摘する必要がある。
これらの問題は、1982年のモラトリアム採択、1994年の南大洋鯨類サンクチュアリの採択、日本の鯨類捕獲調査に反対するいくつかの決議の採択、および、日本の4捕鯨共同体の緊急な必要性を満たすためにミンククジラ50頭の捕獲枠要請をIWCが何度も拒否してきたという事実である。
北大西洋の捕鯨国と同じく(Kalland and Sejersen,発表予定)、国際的批判に対して日本は主に二通りのやり方で対処してきた。
まず第一に捕鯨者と政府は、よく耳にする捕鯨は持続可能ではなく非人道的だという主張に対応した。
そうすることで、彼らは世界的な環境・動物福祉の議論に自らを合わせようと務め、自分たちが持続可能な開発と動物福祉の擁護者であるとの姿勢を見せることさえしてきた。
第二は同じ環境・動物福祉の議論に対して今度は異を唱えるというもので、もう一つの世界的な論議、つまり文化的多様性の価値に訴えるという方法を採った。
日本の科学者は、南氷洋生態系における様々な鯨種間の相互作用の可能性に特に関心を寄せており、1960年代以降シロナガスクジラの回復が進んでいないことにつき、その一因としてミンククジラ資源の急速な増加を指摘する議論もある。
その論によれば、ミンククジラがシロナガスクジラの生態的位置を奪っているのである。
1994年に強行された南大洋鯨類サンクチュアリ制定はこの調査にとって妨げとなっている。
したがって、日本の科学者は、サンクチュアリがシロナガスクジラ資源の回復に深刻な脅威となり得ると考えている。
日本は、アイスランドとノルウェーと同じく、自然資源の持続的利用の原則を支持し、科学に基づいた自然資源管理を推進し、感情的手段を避ける必要性を強く訴えた(Sumi1989:319)。
日本は、ミンククジラの生息数は十分で、適切な規制の下で小規模な捕獲ならば資源に悪影響は与えないとして外国を説得する努力を払い、さらにそのような捕獲はシロナガスクジラの回復促進にとって望ましいと主張した。
さらに、世界の人口が増加する中で、捕鯨は、もっともエネルギー効率のよい食糧生産の方法であると考えられている(Freeman 1991;Nagasaki 1993;Misaki 1996)。
捕鯨国が対応しているもうひとつの主要な問題は捕獲の人道性についてである。
動物福祉・動物権擁護論者は、「人道性」をめぐる多くの人々の認識の変化と動物の苦痛への高まる関心を反映し、捕鯨について血なまぐさいイメージを作り上げた。
捕鯨時にクジラは死ぬまで長い苦痛を受ける。
が、これは特に、つい最近まで旧式の技術が使われていた原住民生存捕鯨に当てはまることである。
アラスカのホッキョククジラ捕鯨はおそらく、近代的な商業捕鯨よりもはるかに大きな苦痛をクジラに与えるものと思われる。
しかしながら、動物福祉の問題が1970年代後半にIWCの議題に定着したときに、主要なターゲットとなったのは商業捕鯨のほうであった。
捕鯨国は捕殺技術を改善することでこの批判に対応した。
大型クジラを対象とした商業捕鯨における非爆発銛の使用禁止措置が1983年からミンククジラにもその適用が拡大されたとき、感電死、麻酔ガス等いくつかの捕殺方法をテストする調査計画が着手された。
ペンスライト爆発銛がもっとも効果的であることが分かり、1980年代半ばから日本とノルウェーのミンク捕鯨ではペンスライト銛の使用が義務付けられることとなった。
新しい爆発銛は平均致死時間を3分以内に引き下げ、大部分のクジラは即死である。
これは、他の形態の狩猟と比べても優れている。
「動物の取り扱いに関するデンマーク倫理協議会」(Dansk Dyreetisk Rad)の会長は、クジラに加えられる苦痛を、家畜が生涯味わう苦痛と比較した結果、自分は、檻に閉じ込められたニワトリや豚になるよりは銛で仕留められるクジラのほうがよいと結論づけた。
それでも、より信頼度の高い爆発銛の開発や捕鯨者の技術の向上を通じて改善する余地はいまだ残されており、この方向に向けての努力が続けられている。
捕鯨国は個人や団体から提起された諸問題に建設的に対応するために多大な努力を払ったものの、海産哺乳動物の捕獲に対する前向きな国際世論を作り出すのに収めた成功は限られたものでしかなかった。
対象種の資源量や狩猟者が陥っている窮状にもかかわらず、EUと米国への海産哺乳動物製品の輸入禁止が支持されている。
同様に、科学小委員会がある種の商業捕鯨は再開できるとの結論を下したが、IWCの捕鯨モラトリアムはいぜん維持されている。
今日、捕鯨モラトリアムを永続的なものとするため、加盟国は捕鯨条約を改訂しようとしている。
豪州やニュージーランドなどといった国の立場は、資源量や捕獲の人道性にかかわらず、クジラはいかなる状況の下でも捕獲されるべきでないというものである。
これらの国では、このような動物を殺すことは道徳的に間違っているとされている。
モラトリアム施行の動機が、もはや科学や動物の苦痛(もし、そうなら)とは別のところにあることは誰の目にも明らかである。
反捕鯨の考えはそういったこととは別次元へと飛躍してしまっている。
つまり、クジラはより広範な環境問題、動物権問題のシンボルに変えられてしまったのである。
クジラはきわめて「特別な」存在に変えられてしまった。
しかし、動物を魅力的かつ特別な存在としてとらえるのは価値観に裏付けされた判断であり、それは文化的脈絡で見る必要がある。
したがって、反捕鯨キャンペーンは経済活動(つまり捕獲)だけでなく、生活様式、文化に向けられたものなのである。
海産哺乳動物およびその捕獲は、環境保護と動物権運動にとって強力なシンボルとなっただけでなく、捕鯨者とその社会にとっても新しい様々な意味を持つようになった。
捕鯨者にとって、捕鯨は伝統や先祖との繋がりを表現し、維持し、実現する方法であったが、それはまた近年では、自分たちのふるさと、自決権、アイデンティティーを象徴するようになった。
政府にとっても、それは主権と同時に自然資源の持続的利用の原則を象徴することになり得る。
反捕鯨運動から影響を被ったどの国でも、捕鯨は国民感情と緊密に結び付くようになった(Brydon 1990;ISG 1992; Kalland and Moeran 1992;Nauerby 1996)。
日本では、反捕鯨の議論は地域、国家双方のレベルでアイデンティティーを打ち立てるために利用されてきた。
日本の各捕鯨共同体は、それぞれ独自の反捕鯨キャンペーン経験を持っている。
また、モラトリアムによる影響もさまざまであった。
捕鯨にたずさわってきた家庭は収入源を失うという厳しい現実に直面したが、それにもまして決定的打撃となったのは社会的地位の喪失と孤立感の増大であった。
共同体では、若年層が高齢者を残して都市に移動している。
祭りの担い手である若者たちがいなくなったこと、また捕鯨活動の停止により祭りをする意味が失われたために、共同体の祭りは大変な痛手を受けている。(Kalland and Moeran
1992)。
さらには地域の食生活にも変化が及んでいる。
しかし、いくつかの共同体はなんとかこの苦境にとりくむため、反捕鯨の巧言の一部を逆手にとって自らのために活用した。
それによってクジラと捕鯨は新しい象徴的な意味を獲得し、共同体の歴史と宗教的儀礼の営みに深くかかわることとなったのである。
このようにしてクジラと捕鯨は、地域のアイデンティティー形成とその維持にとって重要な要素となった。
日本の地域共同体では、ふるさと意識を呼び起こし、活性化を図るために、過去の遺産に頼ることがよくある。
鮎川や太地のような共同体は「クジラの町」として地域振興をはかり、クジラ博物館、ホエールランド、その他観光客誘致のためのクジラ関連行事に巨額の投資をしている。
クジラやイルカのマークが、橋や建物の出入口、郵便局、消防署、マンホールに取り付けられている。
また、観光客を誘致するために祭り、音楽、踊りなどが新たに作り出されている(Takahasbi 1987; Kalland and Moeran 1992)。
壱岐島の勝本は1980年に欧米の活動家が魚網を切断し、捕獲されていたイルカを逃がしたという事件で、欧米の過激な環境保護主義の直接行動の標的となった経験を持つ日本の共同体の一つであるが、その勝本でさえ、この風潮を有効に利用している。
勝本町では入り江を閉鎖して、観光客が調教されず「自然のまま」に生活するイルカを楽しめる「イルカ・パーク」を建設し、「イルカの町」として売り込みを図っている。
国際的な反捕鯨キャンペーンは疑いなく、ホエールウォッチングだけでなく、クジラ関連の観光市場を作り出した。
しかし、この競争の激しい市場で生き抜くために、それらの町は自分たち自身のイメージに合った町とならなければならない。
もしクジラの町としてのイメージを保つなら、観光客に新作の祭りやマンホールのクジラのイメージを見せるだけでなく、少なくともホテルや旅館で鯨肉を提供できなければならないということである。
捕鯨が停止されているために、イルカやゴンドウクジラなどの小型鯨類への新しい需要が生じることになった。
地域を越えた国全体の問題として、捕鯨論争は日本人にとって自らと世界の関係について改めて問いかけるきっかけとなった。
政府関係者や捕鯨者の双方から頻繁に尋ねられる問いの中に、絶滅の危機に瀕していると考えられているホッキョククジラの捕獲がアラスカのエスキモーに許可されているのに、絶滅の危険がない日本近海のミンククジラの捕鯨が禁止されるのはなぜかというものがある。
または、ロシアが原住民生存捕鯨のカテゴリーの下で、毛皮生産用の国営動物飼育場でキツネの餌にするために多くのコククジラを捕獲することが許されているのに、原住民生存捕鯨と同じ文化的特質をすべて有している日本の小型沿岸捕鯨が原住民生存捕鯨として認められず、共同体内で消費するためのミンククジラ50頭の暫定枠を拒否されるのはなぜかという問いもある。
さらに、条約で規定があるのに、なぜ日本が鯨類捕獲調査の実施を許されるべきでないのかとの問いもある。
今日、多くの日本人は、捕鯨論争は環境問題でも倫理問題でもないと確信している。
むしろ、一部の人たちは、貿易摩擦や防衛問題を中心としたより広い視野に立って捕鯨問題を見ている。
日本が直面しているのは米国をはじめとする欧米の陰謀であり、その裏には日本人への人種的偏見があるのではないかとの感情が広まっている。
山本七平の言葉を借りれば、「米国人にとっての捕鯨問題は、明確な形をとらないが根深い反日感情を思うがままに吐露できる捌け口となったのである」(Yamamoto 1985:12)。
ほとんど全ての社会で食物は重要な文化シンボルであるため、日本の鯨肉消費に対す
る国際的批判は、反捕鯨キャンペーンが日本文化全体に向けられているとの確証であると見られている。
クジラを食用に殺すことが同じ目的のために牛や豚を殺すことに較べて道徳的に悪いという主張は理解できるものではない。
実際に多くの日本人は、野生生物を殺すよりも家畜を殺すほうが悪いと考えている。
さらに日本はこれまで、鯨肉が栄養面ですぐれた特質をもっていると強調するのに大きな努力を払ってきた。
鯨肉は日本の伝統食文化の一部であるが、さらに蛋白質、鉄分に富んでおり、これにはコレステロールを引き下げ、循環器系の疾病リスクを低下させる不飽和脂肪酸が高い割合で含まれていると幾度となく指摘されてきた。
が、鯨肉を食することは欧米のマスコミでは、野蛮で食人に近い行為と見られている。
日本人は自国文化への侮辱と見られるそのような報道に失望感をもって反応している。
ある作家は「鯨を食べることを止め、アメリカ産の牛肉を食べろ」という要求は無神経かつ自己中心的な要求だと述べている(読売新聞 1982年11月10日版)。
また、「隣人が食べている食物が気に入らないから自分が作った食事をとれといっているようなことだ。
まったく無礼なやり方ではないか」との見解もある(Takabashi 1988:96)。
また強い口調で、「一つの民族が他の民族の伝統的食習慣に自らの考えを押し付けている」という人もいる(日本経済新聞 1984年9月2日版)。
日本人の一部は大部分の文化人類学者が同意するように文化的帝国主義であると見ている(Misaki 1996:21)。
欧米による文化的批判は、一部の日本人のプライドを傷付けているかも知れない。
しかし、それは同時に、例えば日本人が類いまれなる民族であるというような日本国内の日本人論を再燃させている。
例えば、日本人は鯨食をもつためユニークであるということはしばしば聞かれるし、鯨肉が日本人の体質にあっているという議論さえある*3。
この文脈では特にイヌイット、またフェロー諸島、アイスランド、ノルウェー、インドネシアなど、また、第二次大戦後には英国人も鯨肉を食していて、日本人の鯨製品消費がユニークでないということは無視されている。
また、鯨肉がすべての日本人にとって伝統的な食物であるとは言えないし、日本の国民文化の中で特別な地位を占めているとも言えない。
伝統的鯨料理のほとんどは捕鯨で有名な一部地域に限られていて、消費対象となる鯨種と鯨肉調理法については地域の嗜好に大きな違いがみられる(Akimichi et al.1988;Kalland and Moeran 1992;Manderson and Akatsu 1993;Goj 1997)。
国家レベルでクジラ消費が奨励されたのは、以下のような4つの理由による。
つまり ①20世紀初頭における捕鯨産業の日本北東部への伝播、②戦前の軍隊での鯨肉缶詰の利用、③戦後初期における食糧不足、④学校給食での鯨肉の利用である。
終戦直後、鯨肉は日本国民の動物性蛋白源の47パーセントを占めており、多くはクジラが日本人を飢餓から救ったと確信している。
おそらく、クジラと鯨肉への執着の一因はこの信条にあろう。
学校給食における鯨肉の利用もまた、多くの人々の心に長く残る影響を与えた。
しかし鯨肉を国民の食生活の重要な一構成要素としたのは鯨肉がもつ象徴的な価値であった。
反捕鯨キャンペーンが鯨肉を日本文化のシンボルに変え、鯨肉を食べることに新しい意味を与えることになったのである。
つまり鯨肉を食べることは、以前であれば地域共同体への帰属を表明する儀式的行為であったが、今日ではその帰属先が日本という「部族」になったのである。
鯨食が日本人を他の国民と区別するものと見なされたのである。
かくして、日本人はユニークな存在であるかのように見え、捕鯨問題は日本人が好んで語る自らのアイデンティティーをめぐる神話を強め、それがまたある形の愛国心を高めるのに一役買っていることになったのである。
持続可能でかつ人道的な活動
自然資源の利用は持続可能な場合にのみ許され、動物は最小限の苦痛とストレスの中で殺すべきだという基本的前提は受け入れ、捕鯨国はその多くの努力を、ある資源は豊富であり、近代的捕鯨は人道的であることの証明に注いでいる。
事実、捕鯨国は自然資源の持続的利用の原則を強力に弁護している。
IWCのような国際機関は(1)明示された目的に従うこと;IWCの場合は「鯨類資源の適当な保存を図り、捕鯨産業の秩序ある発展を可能にする」(条約前文)こと、そして(2)自らのルールを遵守すること;例えば付表の修正は「科学的認定に基づくもの」であり、「鯨製品の消費者及び捕鯨産業の利益を考慮に入れたものでなければならない」(条約第5条)ことを前提として、捕鯨国は巨額の資金を鯨類調査に投じた。
捕鯨国は、広範囲にわたる船上目視査計画に着手し、さらに日本は、1987/88年度からは南氷洋で、また1995年からは北太平洋で鯨類捕獲調査を実施している。
捕獲調査の主要目的は、「南ミンククジラの年齢による自然死亡率 ... 繁殖における加入率とその変遷、...(及び)南氷洋海洋生態系におけるクジラの役割を推定すること」である。(ICR 1991:1)。
捕鯨と国民感情
捕鯨者・捕鯨国がこれまでに達成した進歩は反捕鯨キャンペーンの文化的、政治的前提を公然と利用するというもう1つの戦略によるものであった。
これを最初に行ったのはイヌイットであったが、その理由はここで詳述するには複雑過ぎる。
ここではその理由が、一つには世界中の先住民で見られる政治的な動きと再活性化の中に、また一部はIWCでの議論のプロセスに見出されるということを指摘するに留めたい。
IWCが1981年に人々の文化的必要性に対応するために、「原住民生存捕鯨」という新しいカテゴリーを定義した*2とき、IWCの多数派がもつ世界観とは別の世界観の存在が正当化されたのである。
その時以来、先住民以外の人々が文化的必要性という観点から捕鯨擁護の論議を展開しようと努めたが、これは大きな成功を収めるに至っていない。
1986年から1994年まで、日本は小規模の暫定枠を獲得するために、沿岸ミンク捕鯨操業の文化的側面について33編の論文(8カ国からの23人の社会科学者が執筆)を提出した(GoJ 1997)。
またノルウェーも、1992年にミンク捕鯨の文化的側面に関して網羅的に論じた文書を提出した(ISG 1992)。
両国は、文化的多様性の保存を強調することによって、先住民や地域住民が自らの発展の道を自分で決める権利を守るという戦略をとった。
端的に言えば、この戦略は人はそれぞれ違った生き方をする権利をもつという主張につながる。
捕鯨はその権利を象徴するシンボルとなったのだ。
過去20年ほどの間に、鯨類を世界的な資源、人類の共通の遺産として再定義する試みが組織的に行なわれてきた。
捕鯨は国際的な環境保護運動、動物福祉運動が勢力をのばした1970年代に、活動家の最初のターゲットの一つとされ、捕鯨を終わらせようとする彼らの目論見の中でIWCは脚光を浴びることとなった。
クジラ保護主義者は二つの戦略を通じて、時には両者を織り交ぜながら捕鯨の終焉を目指した。
第一は、直接的な暴力・脅迫行為または貿易制裁を通じて非加盟国による捕鯨を終わらせ、IWCが事実上クジラの管理を独占する状況を確保することであった。
第二の戦略は、捕鯨モラトリアムの実施と南大洋サンクチュアリ設定に必要な4分の3の多数票を獲得するために新しい反捕鯨国をIWCに加盟させることであった。
クジラが人類の遺産だとの主張は、非捕鯨者がクジラを我が物にする最終段階に登場する。
クジラが世界の共通資源(res communis)であり、開放された自由な資源(res nullius)ではないとの理念に立って、オーストリアなどの内陸国や環境保護・動物権運動は、捕鯨を生活様式の一部にしている人々と同じように、自分たちも鯨類管理に参加する権利をもつと主張した。
実際のところ、クジラを一頭も捕ったことのないオーストリアなどの国が、捕鯨条約の締約政府として認められていない先住民、つまり宗主国政府(例えば、米国とデンマーク)によって代表されなければならない人々よりもIWCで大きな影響力を行使しているのである。
自然資源は、栄養的、経済的、社会的、文化的必要性にもとづいて、これらの資源に依存する地域共同体の積極的参加を得てこそ最善のかたちで管理できるというのは今日広く受け入れられている考えである。
これは、「新・世界環境保全戦略 − かけがえのない地球を大切に」と題する報告(IUCN et al.1991)及びアジェンダ21に組み入れられた原則である。
このような方向をとらないこと、つまり地域住民の必要性と文化的相違点を無視してきたことが地域住民の反発を生んできたことは、われわれの経験が教えるところである。
例えば、アイスランド漁民はアザラシを害獣として見るようになっており、ますます敵対的な姿勢をとるようになっている(Einarsson 1990)。
また、鯨肉を食することが国レベルでの「民族」への帰属や敵対者への反対を表明する儀式的行為となり、国民的感情を高める結果となった。
現在のIWCにおける管理方針は、国際関係や保護の対象とするはずの生態系に対しても配慮に欠け、このような管理方針が内包している危険をIWC内の多数派が早急に認識することが望まれる。
2) IWCは原住民生存捕鯨を「伝統的な捕鯨への依存及び継続的な鯨利用に関し強い共同体、家族、社会、文化的絆を有する原住民、土着民、または先住民により、また彼らに代わって行われる地域原住民消費目的のために行われる捕鯨」と定義している。
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しかし、その年の水産物輸出、海外からの渡航者による収益ともに過去最高を記録している。
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