捕鯨をめぐる情報戦争

("Japan Australia News"紙2000年9月の記事を、著者の了解のもと修正)

三崎 滋子
日本捕鯨協会アドバイザー



始めに:
昨年クリスマスから今年1月にかけて、南極海で捕鯨船団にむかってグリーンピスが戦闘的な抗議活動を展開した後、今年7月アデレイドで、国際捕鯨委員会(IWC)という政府間会議が開催された。 科学委員会などの予備会議が6月半ばに始まって、延々と4週間にわたる会議であった。 その間にオーストラリアのメディアが鯨をめぐる話題をしばしば報道したから、皆さんの中にはこれらに注意を払っておられた方もあったであろう。 会議で、或いはその周辺において、ホスト国オーストラリアが日本に向けて発信したのは、強烈な反日のメッセージである。 また、現状世界第3の捕鯨国であるアメリカ*でさえも、イギリス、ニュージーランド、オランダなどと共に口をきわめて、日本を非難した。 これがもし、主題が捕鯨というものでなかったのなら、国家間の反目につながるであろうというほどに大仰な、日本の政策、倫理、文化への非難である。(*註:原住民捕鯨からアメリカが生産する鯨肉はロシア、グリーンランドに次ぐ世界第3位で、調査捕獲による日本の肉生産量をはるかにしのぐ。) 

そもそも、このIWC という条約機構は国際捕鯨委員会という名が表す通り、捕鯨活 動があることを前提として、それを監督すべく設立された政府間機構である。これ はクジラ保護委員会ではない。かいつまんで言えばIWC条約はクジラを自然資源とし て扱い、もし十分に存在しているなら、これを管理して利用して行くという目的を もって設立されたのである。では、何故現状のように反日活動の中心の場になって しまったのであろうか?ことは複雑になっており、複雑にしたのは、反捕鯨団体で ある。


なぜ日本は捕鯨が出来なくなったのか?
現状に至る経緯を振返ってみよう。 1946年に条約として成立した国際捕鯨取締条約(International Convention for the Regulation of Whaling = ICRW)は、当時鯨油を求めて乱獲に走った捕鯨を管理し、過当競争の結果鯨油価格が乱高下するという状況から資源を守り「次ぎの世代にこの鯨類という人類共有の資源を残す為」に締結された。 鯨油市場を視界の中心にすえた、いわば現在のOPECが石油市場に対応するがごとく、資源保全の為の条約であった。 だから、この条約の理念は「捕鯨産業の秩序ある発展を可能ならしめる」ことにあった。 ところが、この条約に加盟した国の中に、鯨を原油資源だけでなく、食資源としても利用する国が少数あったのである。 条約はこれらの国々の為にも鯨類資源の持続的利用を促す理想的な条約であった。 日本がこのような鯨食資源国であるのは自明のことである。

しかし、1982年に商業捕鯨一時停止モラトリアムがIWCの年次会議で決定され、この決定にノルウェー以外の加盟国は従った。 そこで、2000年現在、商業捕鯨をおこなっているのは、世界でノルウェーのみとなった。 それだのに、未だに日本だけが鯨の敵に仕立て上げられて、こと捕鯨の話しになれば、聞こえるのは日本バッシングの声ばかりである。 どこかに、目に見えない戦略があるに相違ない


貴方は捕鯨反対ですか?
私自身1968年から10年ほどオーストラリアに居住していた。 その間に私自身が反捕鯨から捕鯨擁護派に転換したのである。 当初は御多分にももれず、グリーンピースなどの反捕鯨団体の宣伝に惑わされて、「何故日本はこんなに憎まれてもまだ捕鯨をしなくてはならないのだろうか?」と思って暮らしていた。 たまたまIWC年次会議がキャンベラで開催されることになって、科学委員会に出席される日本人科学者の通訳をすることになった。 これが目からウロコが落ちる経験となったのである。 その経験を通じて、私は鯨類資源に関する日本の科学が世界をリードする水準にあり、日本の提供する情報やデータなしにはIWCの科学委員会は研究材料もろくにないという状態であることを知った。 それだのに、一般の西欧社会では宣伝が巧みな反捕鯨の学者が日本の科学はマヤかしであると宣伝し、それにのせられて先進諸国がモラトリアムを多数決で決定するに至ったのである。 IWCの科学委員会は一度も全鯨種モラトリアムが必要であるとは言ったことはない。 むしろ、鯨の種類別に順次、禁漁処置をとり、その一方増えていて保護を必要としない鯨種には持続的に利用可能な範囲を調べて捕獲枠を与えることに合意していたのである。 私は今回の会議では日本捕鯨協会のメディア対応スポークスパーソンであったので、6月下旬に日本を出発する前から電話でオーストラリア各地のラジオ局からトークバック番組に呼び出されたり、オーストラリアの新聞にインタビューされたりしてきた。 本会議がはじまる1週間前に現地に入ったが、会議の終了する7月7日まで、怒濤の様に押し寄せるオーストラリアや欧米のメディアの取材に応じて眠る時間もなかった言っていいほど忙しかった。 「鯨」の問題が大きなニュースになるというお国柄は、結論として言えば、鯨を盲目的に愛し、日本は捕鯨をするから悪いという政策を国是にしている。 そんな食資源の満ち足りたこの国は平和な国なのだなあという思いがする。 満ち足りて文句をいう場がないから、鯨を舞台に、自国の国是を文化の異なる国日本に押し付けているのである。 その故に、殺すから日本の科学は商業の偽装であるとか、日本人は鯨を食用にするから許せないとかあれやこれやと言い掛かりをつけてくるのである。 そういう国是にたてば、日本とかノルウェーは倫理に反する国とみなされる。


日本の言い分
日本は何故捕鯨をするのか? その理由は日本は鯨を食資源と考え、科学的根拠にたって、捕鯨の可能な種に限ってこれを食資源として利用するという立場を固守しているのからである。 鯨のような自然(野生)生物資源を持続的に利用するのを是とする日本やノルウェー側の意見は、いわゆる西欧社会にはとっては、異端としか。 聞こえない。 異端を教化しようとする宗教的な倫理をもって、こちらを押さえつけようとする。 このような先方の唯我独善に対して、我々はくじらを食べなさいと押し付けているわけではない。 しかし、相手は日本が発言すれば、日本の言い分を否定する為に誹謗やデマをでっち上げる、その結果こちら側の言い分は『ウソ』であると西欧の一般大衆が信じ、政治家がこれを受けてまた日本バッシングをするというのが現状なのである。 捕鯨など止めてしまえば、嫌な思いをしないで、平和な生活が送れるのに、と思う方もいるであろう。 では、日本は何故それほどまでに嫌な思いをしながら、捕鯨にこだわるのか? 根本的なところでの、食い違いを検証してみよう。


食糧安全保障の問題
日本人が日常食べている食品の内カロリー計算で80%ものが輸入品に依存しているということを御存じであろう。 さらなる経済成長は望めないとして、これからの日本は、従来は繁栄の為に犠牲にしてきた食糧自給を少しでも回復する路線をとらねばならない。 現状では、豪州や米国のような資源輸出国から見れば、「日本を殺すに刃物はいらない」のである。 食糧補給を断てば即日本人は食べるものに困窮するのである。 そこで、食糧安全保障の戦略の象徴的な品目として豊かなミンク鯨資源を将来の蛋白源として管理し、利用すべく条約に従って調査しているのに文句を言われる筋合いはない。 条約の「抜け穴」を使うというが、「抜け穴」というのは禁止と明記されていない方法を利用することであり、日本の科学捕鯨はそうではない。 捕鯨条約の主要な項目第8条にある「調査の許可」により行なっているものである。 この第8条はそもそも米国の発案により採択された、捕鯨条約の中の核ともいえる重要な条項である。抜け穴という語、loopholeをOxford Dictionary で引いてみれば、日本が行っている調査はそれにあてはまらないと言うことが明らかになるだろう。 Oxford Dictionaryには、「抜け穴とは、規則或いは契約に明記されていない或いはそれらに省略されている方法を使って、規則或いは契約の規定を逃れること」とある。 日本の調査捕鯨はIWCの科学委員会に調査目的とその成果を全て報告した上で行われているものであり、科学目的を有していることに疑いはない。 しかも、その調査で得た副産物である鯨肉を販売するのは政府の指令によるものであり、これから得た収益は全て事後の調査の費用に向けられている。 これは条約第8条が規定している通りの方法であり、鯨肉を無駄に投棄する方法を、条約が規定してかのごとく主張する反捕鯨の言い分のほうが、「抜け穴」を奨励しているとしか解釈出来ないのである。


ミンク鯨は豊かな資源
南極海で増殖し、100年前より10倍にも増えたと推定されるミンク鯨は、一頭で食牛約15頭分もの食資源を生産できるのである。 それも、IWC科学委員会が苦労して開発した管理プログラムに従えば、増えていく頭数から自然に死んでいく頭数を差し引いた、いわば利子の一部をもととなるものだけを、全体の資源を損ねることなく少なくとも100年間は捕獲していくことができる。 このプログラムの試算では、南氷洋のミンクだけで、今後100年間に年間平均2000頭捕獲できる。 これは食肉にして、単純に言えば一年につき3万頭分である。これだけの牛を生産するにはどれだけの土地が必要か? 1頭あたり、半エーカー(約500坪)と計算すれば、それが、コスタリカ一国の面責に相当する49500平方キロであり、日本がこれだけの平坦な土地が森林伐採なしに確保できないのは自明のことである。


反捕鯨に転じた元捕鯨国
歴史を見れば、反捕鯨主義が駘蕩したのはわずか30年前からである。 その前は世界の先進国は競って捕鯨に勤しみ、乱獲をしてきた。 そのころ捕鯨大国であった米英、オランダなど大半は極端な反捕鯨に転換し、現在捕鯨にこだわっているのは、鯨を食資源としてきた国、日本、ノルウェー、そして原住民/生存捕鯨だけであることから、反捕鯨が何故これらの捕鯨に反対するのかがわかる。 明らかに鯨を源油資源としてのみ利用してきた国が、石油資源の開発と時を一にして一斉に反捕鯨に走ったのである。 そもそものボタンの掛け違いがどこにあるのかが分かる


鯨の神聖化
1972年にアメリカがストックホルム国連環境会議で商業捕鯨10年モラトリアムを提案したことから、多くの西欧国では鯨に一種の神格を与える教育が始まったが、そのキーワードは「一頭の鯨を救わずしてどうして地球が救えるのか?」であった。 このような教育はこれらの国では政府の後押しを受けて、まるで宗教の宣教のような勢いで深く大衆に浸透してきた。 奇妙なことには、コンピュータ技術の発展などから人類の運命は科学で変えられるというような思想が主流となっていった反面、宗教が精神的な拠り所として物足りなくなって、人々が次第に教会から遠のく風潮生まれたが、同じ時期に、愛鯨教とも言える反捕鯨主義が普及したことである。 反捕鯨の主導者はは科学不信者が多い。また、世界のトレンドセッターのアメリカがベトナム戦争の悲惨な体験から、若者の反体制主義の駘蕩のきっかけを作ったのも、これと無関係ではない。 現在反捕鯨を国是としている国はいずれも、大規模な牧畜産業をもち、かつ石油の精製産業と石油製品の世界中での流通を支配する産業をもっている。 反捕鯨は石油開発により捕鯨が不要どころか、かえって競合産業となった結果の捕鯨産業潰しの世界戦略であった。


日本はなぜ捕鯨にこだわる?
条約締結当時日本が捕鯨をするのには理由があった。 1946年は第二次世界大戦で敗北した結果食料難に陥って、年間数百万人もの餓死者が予測されていたのである。 もとより動物性蛋白源用に陸上動物を飼育する余裕はなかった。 もともと日本は地形からして、また1000年にわたる仏教の普及の結果長い間四つ足動物は食べることをはばかられてきたから、牧畜を発展させる条件がなかった。 大規模牧畜の地理的余裕がないから、牛肉などは特に手間暇かけて高級なものを生産するので、戦後の疲弊した状態で食肉産業が発展するわけがない。 おまけに、万葉集にさえ鯨とりを「いさなとり」という枕詞に使用しているくらい永きにわたって鯨を食用としてきたのである。


先進国の反捕鯨戦略
この世界戦略の目的達成の為に主要先進国は国策として、ゲリラ作戦に出たのである。 動物愛護団体と環境団体による大衆洗脳作戦である。 小学校の先生はこぞって愛鯨教育を行った。 有名タレントは洗脳され、それぞれの分野で反捕鯨活動を行うことにより、大衆の支持を受けた。 鯨は海の原油資源から一躍「海の人類」としてあがめられるようになった。 概して西欧人、特にアングロサクソンは大きいものほど尊いと思う傾向があり、鯨は地上最大のほ乳類という名のもとに、一種の神格を与えられた。 鯨の聖獣化である。 鯨は国境を超えて回遊するから世界規模での戦略の中心としてはもってこいである。 世界規模で展開するのが必要な環境保全のシンボルとなるのに理想的である。 おまけに過去に枯渇に追いやったという罪の意識が大衆にある。 宗教的な意味を持たせるのにもってこいである。 このような教条のもとで子供から大人まで老若男女をとわず洗脳された。 あまりにも洗脳作戦が成功したので、アメリカの元IWC主席代表ウイリアム・アロンが「ついにその成功が悲劇を生むようになった」といったほどである。 悲劇は日本人を初めとする世界の少数派、鯨食民族にふりかかった。


成功の悲劇
悲劇は鯨聖獣主義の結果、鯨を食べる人間は悪いものであるということになっことから起こった。 我々日本人は「鯨の敵」であり「環境の敵」にされた。 反捕鯨は79種もある全ての鯨が一切合切枯渇していると宣伝してきたので、大衆はやみくもにどんな鯨でも一頭たりとも食べてはならないと考えるようになっている。 実はこのように日本が世界の敵であるというイメージを与えられるのは、何も捕鯨問題に限ったことではない。 しかし、他の問題では西欧諸国の利害が日本と複雑にからみ合い、表立って日本をバッシングするわけには行かないが、この捕鯨問題を舞台とすれば、完璧なまでに日本を敵対国としてバッシングできる。 自分の側には何ら失うものがないからである。 しかも、大衆が後押しするという体制になっているので、政治家にとっては、自分の票を稼ぐことにもなり、一石二鳥である。


反捕鯨のいう鯨の枯渇は本当か?
実は減った鯨を禁漁にして永いのに、一向に回復がはかどらないのは、別の種類が餌や海の領分を占領しているようになったからである。 回復が遅い鯨種は大型のシロナガス、ナガス、セミ、などである。 世界中の海を占領してこれらの大型鯨の餌を乗っ取っているのは主にミンク鯨である。 ミンクは以前鯨油資源としては捕るにたらないサイズであったので、捕られずにいたのである。 それが、他の大型クジラが少なくなって、空家に居座ったような状態なのである。 一日体重の3%に上る魚類を食べなくては生存できない鯨が増えた結果人類の総漁獲の3倍から6倍もの海産資源が食べられてしまっているという状態になっているのである。 このような事は反捕鯨にとっては、誠に都合が悪い。 そこで、一切の真実を「日本のような異端の国の信じることで、虚偽である」と逆宣伝するのである。 実はこれらの事実は日本だけが言っているのではない。 国連食糧機構(FAO)などの資料を参考に、日本が声を大にして世界に警告していることなのである。


ホエールウォッチングは抜け穴産業
おまけに、捕鯨産業にとって替わり、鯨を見る観光産業「ホエールウォッチング」産業が盛んとなった。 これを国家規模で推進しているのがアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドなどである。 ホエールウォッチング産業は元来反捕鯨団体と関係が深い。 反捕鯨団体はウォッチング見物の対象となる沿岸性のゆったりと泳ぐ鯨種までもを日本人が捕り、食べようとしているがごとき宣伝をする。 米英などの捕鯨産業が現在ウォッチング対象となったザトウやセミを捕りたかったのは、これらの鯨種がまだ沢山いた半世紀も前の話である。 今これらの鯨種は減少しているから改定された管理方式というコンピュータプログラムで捕獲枠が与えられるはずがないし、日本が捕獲できる筈がない。 問題について理解が浅い大衆は、すっかりそう日本人がザトウやセミを食べるのだと思い込み、余計反日感情をたかぶらせる。 ホエールウォッチングを奨励せよとは捕鯨条約のどこにも書かれてない。 日本にもホエールウォッチングはあるし、日本はこれを楽しむことを否定するわけではないが、反捕鯨が大いに推賞するこのホエールウォッチングは、条約上でいえば、「抜け穴」を利用して成立する産業なのである。


反捕鯨のごう慢
私がトークバックラジオで聞いた声は大体このような浅薄な理解しかしない人々の声であった。 いわく、「日本人はナチスより悪い」「ノルウェー人は許せるが日本人はゆるせない」「日本人が捕鯨という経済侵略をするからホエールウォッチングが出来なくなる」「金持ち日本人が何故鯨までたべるのか?」「日本人のわずか11%しか捕鯨を支持していないのに、何故捕鯨禁止をしないのか?」これらに答えている内に、段々彼等の潜在意識が明らかになってきた。 そもそも、反捕鯨は鯨の代弁者の姿勢をとるが、鯨自身の心理は不明であり、人間が勝手にイメージ化した鯨を奉っているにすぎない。 「鯨にお世話になった恩返し」という反捕鯨もいるが、それは「捕鯨によって捕った鯨にお世話になった」というのを短脈に捉えたに過ぎない。

反捕鯨の団体が実施したという日本の世論調査によれば、「日本で鯨肉を食べるといっているのは11%にしかすぎない」といってくるが、これはその調査の質問が誘導的にマイナス方向に設定されたことは明らかである。 たとえ100歩ゆずって、その数字をうけいれたとしても、11%は数でいうと実に1400万人であり、これはオーストラリアの総人口に匹敵する数である。 日本政府がこれだけ多くの人々の声を無視すべきだというのである。 「日本人は異端だから無視してかまわない」という、この考え方はごう慢そのものではないのか? 一方日本の総理府が行った世論調査では実に78%が「豊富な資源からであれば」と捕鯨を支持している。 どんなに日本の外務官僚、通産官僚の一部が外国に出ていて捕鯨問題の対応が面倒であると思っても、日本政府が、閣議決定により捕鯨擁護を止めないのは、これだけの多くの人々が国の誇りを懸けて捕鯨を支持しているからである。 今回私が出演した豪州チャネル7のニュース番組で、IFAWという反捕鯨団体が「日本の外務省に働きかけて、日本の調査捕鯨を停止させよう」という作戦を公言しているが、仮にこの作戦が効果を上げても、捕鯨をやめた次に、どんな問題を舞台に反日運動を展開するのかがはっきりしない以上、将来の闘いがどこにおきるのかが闇の中のまま、日本は捕鯨 擁護を止めるわけにはいかない。


反捕鯨の深層心理
彼等の深層心理には日本人をはじめとするアジア人や他の有色人種の増加と進出に対する怒りと恐怖があるのであろう。 スポーツの世界を見ても、また政治経済、技術の分野でも白人が圧倒的な有利性をもつ時代はすぎた。 21世紀にはどの国がリーダーシップをとるのかは未知である。 これが恐怖となって捕鯨問題のような問題を種に、どこかで噴出するのである。 IWCでかってスイス代表が発言したことは、そのいい例である。 1986年にIWCの小型沿岸捕鯨作業部会でスイス代表はいった、「我々は捕鯨をしたことがない、またその善悪についても、一定の条件があれば是認しても良いとさえ考えている。 しかし、我が国のかっての主幹産業、時計産業を潰した日本のような経済力豊かな国の国民がなぜ鯨のような素晴らしい動物を食べなくてはならないのかは、理解できない。」 グリーンピース、IFAW, Humane Societyやその他の動物愛護、動物権団体がばらまく反捕鯨宣伝は実はこのような隠された心理を利用して展開する反日、反アジア、反アフリカ運動だ。 反捕鯨団体はこの心理を知ってか知らずか利用して、運動を展開し、多額の寄付金を大衆から獲得しているのである。 抗議産業と化したこれらの反捕鯨団体は、存続を懸けて反捕鯨宣伝に没頭するから、もはや反捕鯨運動は留まるところを知らない。 日本が仮に捕鯨から全面撤退したら、この反日エネルギーはどこに噴出するようになるのであろうか?


カリブに関する反捕鯨の宣伝
日本がカリブ諸国の票を買収しているというデマが氾濫している。 有色人種をおとしめ、インチキで腐敗していると宣伝するためのデマである。 カリブ諸国はアフリカより昔運搬されてきた黒人が現在の主権をにぎっているから、有色人種の発展を脅威とする人々にとっては小国であってもジャマなのである。 彼等はヨーロッパ、アメリカの支配から脱して独立し、自分達の経済を自立させようとしている。 日本は海洋資源に頼らざるを得ない資源貧乏国であるが、カリブ諸国も海洋資源依存の国であり、野生生物資源を持続的に利用しなくては、食生活が持続できない。 カリブ諸国の多くはバナナや香料といった品目が主たる輸出品目であったが、今それから脱皮を模索して、海産資源の開発に未来をかけているのである。 鯨については、古くからブラックフィッシュと呼ぶゴンドウ鯨を食資源としてきた。 これはIWCではまだ規制対象としてはいないが、いつされるかも知れない状態である。 ドミニカの新聞でIWCについて、総理大臣が発言しているが、その中で、「いろいろ反捕鯨団体が宣伝しているが、我々は世界の持続的海産資源の先進国であり、また唯一の非白人国である日本をリーダーとしたい。」と語っている。

カリブ諸国について日本が買収しているというようなデマを信じる人は、過去の経緯を聞いてほしい。 そもそもIWCに彼等が加盟したのは1981年で、反捕鯨団体が加盟分担金をIWCに支払い、米国人と英国人の活動家をセントヴィンセントとセントルシアの国家代表に仕立て出席させた。 その為にこれらの国々の出先公館から本国の承認なしに信任状を発給させている。 おかげで、反捕鯨派がIWC で際どい2票を勝ち取り、商業捕鯨モラトリアムを1票の僅少差で通過させたのである。 1982年IWCに出席した日本の作家、阿刀田高はこれを「聖者の行進」と月刊「文芸春秋」で述べている。 その後セントヴィンセントが毎年2頭のザトウ鯨を捕獲していることが判明したが、当時の代表は本国政府の任命した人間でなくては反捕鯨団体の米国人の活動家であったので、自ら代表している国を糾弾するのみで、原住民/生存捕鯨として市民権を与える努力しなかった。 そこで、本国政府が傀儡への信任状を取り消して、自国のジュネーブ在住の政府代表であり世界的オペラ歌手グロリア・ペニングスフェルド女史を任命したのである。 彼女を通じて日本は協力を依頼され、正式に同国の捕鯨を原住民/生存捕鯨として認可するようにIWCに提案を行い、認可された。 以来同国をはじめとするカリブ諸国は日本の主張を検討して、「持続的海洋資源の有効利用」の原則を理解して、彼等の国益に合致すると判断した結果IWCで日本の支持をすることが多くなったのである。 たまたまこれらの国々が日本の海外援助対象150ケ国の中に入っていることから、反捕鯨は日本が票を買っていると宣伝しているの過ぎない。 実際これら対象国の中にはIWCで日本反対をしているものもある。 もし150ケ国が全部IWCに加盟して日本支持の投票をしていたら事態は大層変わったものになっていたであろうが、現実はそうではない。 日本の多額援助をうけているインドやアルゼンチンは常にIWCで日本反対をしている。


英国人の優越感
1993年京都でIWC年次会議が開かれた時、英国代表団のメンバーでWWF代表の女性がNHKのテレビで次のような発言をした。 『IWCが黒人やその他の有色人種に乗っ取られることが心配される。』彼女ははっきりと英語でBlack and other non-white people と発言しているのに、丁寧な翻訳は「ヨーロッパ人以外の人々」と訳していた。 日本のメディアは人権擁護派からの抗議に敏感であるからこのような表現をとったのであろう。 しかし、この例に見られるように、問題の裏を垣間見る発言や言動まで色を薄めて報道してしまうのは、いかがなものであろう? これでは、読者側が問題を分析する洞察力を養えないのも無理はない。


オーストラリアのメディアの報道ぶり
ことほど左様にオーストラリアの一般メディアも問題の根本的な面を報道するのはまれである。 今回わずかに会議前の The Bulletin誌と会議の終わった総轄報道でThe Australian紙がまともな報道ぶりを見せた。 他は大小同異ではあるが、それでも会議中の我々のプレス対応の結果、最後には見出しが反捕鯨でセンセーショナルなのに、読めば中身は中立の面もあるという工合になってきた。 そのような理解のもとに、現地のメディアの報道に接していただければ幸いである。


結論
これからの日本にとっては、国際問題の中でも、捕鯨問題をいかに有利に導くかが、重要な課題である。 その理由は、さまざまな国際機構で、加盟国多数派が条約を逸脱して偏向した決定ばかり採択し続けた場合に、条約に基づいた本来の機能を回復させるには、我が国はどう行動すればよいか、それを試みる格好の舞台をIWCは我々に与えているからである。 そのような場合、西欧の一方的情緒論を相手に日本が信じるところを追求する勇気があるかないか、そしてそのような勇気があるならば、その多数派の逸脱行為の是正を求める行動こそ、我々が21世紀の新秩序の中で生き延びる資質として理想とするものなのではないのか? このような理想を追求する場は、将来捕鯨条約ばかりに留まらないであろう。

今回の会議でオーストラリアのヒル環境大臣が明らかにしたが、彼は日本の調査捕鯨を「権利の乱用」であるとして、国際司法裁判所に提訴する意志があると発表した。 仮に提訴が実現したとして、日本の調査が条約8条により明確に規定通りおこなわれている以上、提訴した原告側がかえって、日本の正当性を裏付ける場を我が国に与えることになる可能性が高い。 しかし、万一西欧の倫理を基に偏向した結論が出されたとしたら、もはや日本が捕鯨条約に加わっている理由は何もなくなるであろう。 その時日本の執る態度が、世界政治の新秩序を導入するきっかけになるに足るものであることを私は期待している。


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