鯨イルカ・イデオロギーを考える(Ⅲ) — ジャック・マイヨールの場合 —

(『人文科学研究第121輯』 (新潟大学人文学部、2007年10月)より)

三浦 淳
(新潟大学人文学部教授)



3.ジャック・マイヨールと映画『グラン・ブルー』

.『グラン・ブルー Le Grand Bleu』という1988年製作の映画がある。 のちに『ニキータ』や『レオン』によって世界的巨匠と認められるフランスのリュック・ベッソン監督による最初の大ヒット作だ。 この映画によって一躍有名になったのが主人公のジャック・マイヨールJacques Mayolである。 アクアラングなどの装備を使わない閉息潜水の記録をうち立てた同名の実在人物で、映画製作に際しても協力したことになっているが、後述するように映画の中のジャック・マイヨールと実在の彼とはかなり異なった人間である。 しかし彼の名が広く知られるに至ったのは映画あればこそであり、また映画が彼の思想を喧伝するのに一定の役割を果たしたことも否定できない。 そしてその思想の根底にあるのが独特のイルカ観なのである。 そこで本論では映画内のジャック・マイヨールと実在の彼との双方を俎上に載せることにする。 なお、彼には仕事をしばしば共にした兄ピエールがおり、ピエールは弟の伝記をものしていることもあって本論でも言及するので、以下では区別を付けるためにファーストネームのジャックを用いる。


.映画『グラン・ブルー』は最初88年のカンヌ映画祭のオープニングで上映されたが、そこでの評価は芳しくなかったとベッソンは述懐している。1)

〔映画祭オープニングの〕5月10日を、僕は死んだように過ごした。 マスコミがこの映画を切り刻み、悪口を極めてこれを葬るのを見ていた。 TF1の生放送でアラン・ベヴェリニが〔ヒロインを演じた〕ロザンナをさんざんこきおろすのを見、ラジオが〈今年の失敗作〉と報じるのを聴き、殺意の批評の並ぶ新聞を読んだ。 /映画は翌日フランス全土で公開された。初めの数字は壊滅的なものだった。 /僕はそれらのパンチをもろに浴び、立ったままノックアウトされるボクサーさながらだった。
 ベッソンの筆致はやや大げさだ。 フィガロ紙は「傑作」と評価しているし、部分的に評価しているレヴューなら他にもあったからだ。 だが、「映像は確かに素晴らしいが、景色と芸術を混同してはいけない」「冗長」「我々も一緒に楽しもうという気にはさせない」「今週避けるべき1本」といった否定的な評価が少なくなかったことは間違いない。2) 映画館での上映が始まるとしかしこの作品は徐々に観客数を増やしてロングランを続け、94年8月末日段階でフランス国内だけで900万人もの動員数を記録する大ヒット作となった。3) 海外配給先も50カ国以上に及び、米国で150万人、西ドイツで80万人、スイスで67万人、日本で40万人などの動員数を記録している。4)
 映画祭直後のマスコミの評価と観客動員数との不一致は、この映画を考える時に忘れてはならない事実であろう。 映画という大衆的な芸術にあっては玄人筋と一般大衆との評価の食い違いはありがちなことで、結果として作品が大ヒットしたからといって、またベッソンがのちにフランスを代表する映画監督としてハリウッド資本からも一目置かれる存在になったからといって、当初の評価を完全な間違いだとする必要もあるまい。 確かに否定的な評価にもうなずける部分はある。5)
 この映画は主人公のジャック・マイヨールとその幼なじみでライヴァルのエンゾ・モリナーリの友情と競争、そしてジャックとジョアンナの恋愛という二つの人間関係を軸にしながら、海とイルカに対するジャックの想念を描いている。 人間関係二組と海や海洋生物のいわゆる「癒し」的な画像との融合こそがこの映画の特質なのである。 加えて人間関係の描き方とカメラでの捉え方には、のちのベッソンにも共通して見られる独特の切り口と切りつめ方があり、多分そこを評価するかどうかが作品全体の評価の分かれ目となるだろう。 主役3人、すなわち海が大好きで潜水が得意だが内気で人間関係に戸惑いがあるジャックを演じるジャン=マルク・バール、ジャックに一目惚れして後を追う女性ジョアンナを演じるロザンナ・アークェット、強引でありながら友人ジャックへの思いやりを秘めたエンゾを演じるジャン・レノがそれぞれに魅力を発揮していることは確かだ。 特にジャン・レノは独特の押し出しの強さもあって、他の主役2人をしのぐ存在感を見せ、のちに『レオン』でハリウッド進出を果たすのもむべなるかなと思わせる。
 実際この映画に対する感想を拾ってみると、必ずしも海やイルカの描写による自然賛美が主流とは言えない。 日本語版パンフレットから各界の声を拾うなら、海・イルカ・自然描写に注目する意見(石田ひかり、石田ゆり子〔いずれも女優〕)ジャン・レノに注目する意見(半田也寸志〔写真家・TCCFディレクター〕、こばやしユカ〔コピーライター〕)、男の生き方や男同士の友情に注目する意見(山城新伍〔俳優〕、大沢誉志幸〔ミュージシャン〕)、マイヨールに注目する意見(辻仁成〔作家〕)、音楽に注目する意見(野口守〔音楽プロデューサー〕)などに分かれるし、映画監督の大林宣彦は人生や人間の持ち時間という観点から総合的にこの映画の魅力を捉えようとしている。6) 他方、中条省平は『キネマ旬報』誌で「かなり内面的な感覚に充ち、(…)海に対する自閉的なこだわりに貫かれた、きわめて個人的な触感を持つ小佳作」と評している。7)
 先に引いた、カンヌ映画祭上映時におけるマスコミの評価でも、3人の主要人物を賞賛する声は複数上がっていたのであって、この映画に人を惹きつける部分があるとするなら、それは海やイルカといった自然描写だけではなく、自然に対する人間側の都合にもその理由を求めるべきであろう。


.結果が酷評であれ大ヒットであれ、ベッソンがこの映画を撮ろうとした動機はきちんと把握しておく必要がある。 ベッソン自身、両親がスキューバ・ダイビングの教師だったこともあり、小さい頃から海に親しみを感じていたようだ。 10歳の時にはモロッコでイルカと一緒に泳ぐ体験をしている。8) しかし決定的だったのは77年の夏、バカロレアを終えた彼が南イタリアへダイビングの訓練に出かけ、体調を崩し、潜水を医者に禁じられてしまった時のことである。 失意の夜、ベッソンは映画を見る。 その中で水深100mにまで潜るジャックの姿を見て衝撃を受けるのだ。

 〔海中でカメラに向かって〕マイヨールが顔を上げ、そこで僕は、マグニチュード25クラスのもの凄いショックを受けた。 /マイヨールの顔は……喜びに溢れていた。 苦痛も圧力も一切感じていない、ただ平穏な微笑、平静だけがあった。 彼はまるで、我々哀れな地上びとの目では見ることの出来ない、何かとても美しいものを認めているかのようだった。 その時、僕自身の目は、ただただ涙を流していた。 (…)/僕にとって、この映画は、その夏の二つ目のショックだった。 (…)マイヨールは、僕に、もの凄いウィルスを植えつけたのだった。9)
 こうしてベッソンはいつか海を描いた映画を作らねばと決心するのである。 程なく『人魚』なる海の映画を撮ろうとするが、海中撮影が可能なカメラが入手できないなどの理由から途中で断念、映画の作り方をまずきちんと学ぶべきだという結論に達する。
 1984年、映画『サブウェイ』製作中のベッソンはたまたま雑誌でジャックに関する記事を読み、彼に電話をかけ、初めて会うことになる。 一緒に食事をしながらジャックはずっとイルカの話をしていたという。 のちに映画『グラン・ブルー』の中で成人となったジャックが初めて登場するシーンに用いられたが、標高6000mのペルーの湖に潜った話も、ここで聞いたものだった。10) 数カ月後、『サブウェイ』の撮影終了が近づく頃、ベッソンの胸には徐々に『グラン・ブルー』の構想が形成されてくる。 85年、『サブウェイ』の成功を受けて次作構想を本格的に練り始めたベッソンは地中海を旅しながら『グラン・ブルー』の筋書をまとめてゆく。 その後制作側との交渉などで色々あって脚本も当初の予定からかなり変更されたものの、87年5月に撮影が開始され翌年1月に終了する。 5カ月間の編集作業を終えた後、カンヌ映画祭に上映されてからの経過はすでに述べた。


.では、ベッソンは映画『グラン・ブルー』で何を表現しようとしたのだろう か。 すでに述べたように、結果から見るなら3人の主要人物の中でもジャン・レノ演じるエンゾの人間性が強烈な印象を残すのであり、そこにベッソンの映画作家としての一面が表れていると言っていいわけだが、しかし本来ベッソンが最も表現したかったのは、彼自身の述懐にもあるようにジャックの人物像であったはずだ。 ただし、この場合のジャック像とは実在の彼ではなく、ベッソンがジャックをダシに使って自分なりに創造したものである。 後述するが、実在のジャックはのちにこの映画がもとでベッソンと袂を分かっているし、エンゾ・モリナーリのモデルとされるエンゾ・マイオルカ(これも後述するがジャックのライヴァルだった実在の潜水者)は映画の中のエンゾ像に激しく反発して訴訟まで起こしている。 以下、映画内の仮構の人物としてのジャック・マイヨールとエンゾ・モリナーリを実在人物と区別するために、映画内の二人はファーストネームに〈 〉を付けて〈ジャック〉〈エンゾ〉と表記する。
 『グラン・ブルー』の〈ジャック〉は、内気で人付き合いが苦手で、その分、海やイルカへ強い親しみを持つ人物として描かれている。 最初にモノクロで描写される少年時代からして、内気で控え目な少年〈ジャック〉と、ガキ大将だが彼にはひそかに一目置いている〈エンゾ〉というふうに対蹠的な描写がなされている。
 成人した〈ジャック〉が最初に登場するのが南米高地である。 そこで恋人になるジョアンナ(アメリカの保険会社から派遣されてきたという設定)と邂逅するのであるが、表面が凍結した湖に沈んだトラックを調べるために潜水して上がってきた彼は彼女に「ずっと前に会ったね」と言う。 それを彼女が否定すると、「君はイルカに似ているんだ」とも。11) ここにすでに最後のシーンに至るまでの二人の関係が暗示されている。 〈ジャック〉はジョアンナに惹かれるのだが、それが成熟した女性に対する愛情と言えるのか、疑問符が付くのだ。 もともと〈ジャック〉はイルカが好きなので好意を持った女性もイルカに見えてしまうのかもしれない。 しかし、もしかするとイルカに対する愛情と人間の女性に対する愛情は彼の中では未分化であり、一方が他方に吸収されてしまうのかも知れないのである。
 やがて〈ジャック〉は成人した〈エンゾ〉に誘われて潜水記録を彼と競い合うようになる。 ジョアンナはいったんNYの会社に戻るが〈ジャック〉が忘れられず、口実を設けてヨーロッパに飛び彼の後を追う。 ここから、話は〈ジャック〉と〈エンゾ〉の友情と潜水競争、〈ジャック〉とジョアンナの恋愛の二つを軸にして進行する。 〈ジャック〉はジョアンナに「家族の写真」を見せるが、そこに写っていたのはイルカの姿だった。 映画の最初のあたりで、〈ジャック〉の幼少期にアメリカ人である母が失踪したこと、少年時代には父が水中事故で死んだことが説明されているので、このシーンは天涯孤独の身である彼にとってイルカが家族同然だという暗示となっている(それ以前にも、彼が水族館のイルカと抱き合うようにして泳いでいるシーンが出てくる)。 いや、天涯孤独の身の上であることと、イルカ愛とには関連性があるという暗示なのである。
 そんな〈ジャック〉に惚れたジョアンナは仕事もうっちゃって彼との関係を築こうとし、二人は結ばれる。 しかしセックスではあくまで受動的な彼。 深夜、ジョアンナが目覚めると隣りに彼がいない。 海辺へ出ると〈ジャック〉は海でイルカと戯れていた。 一晩中彼女は彼を待って海辺で眠ってしまう。 ここで、女性との愛の営みよりもイルカとの戯れ——それはイルカとの一種の性行為かも知れないし、事実彼とイルカが接吻するシーンがある——のほうを優先させてしまう〈ジャック〉の性格が鮮明に描かれている。 ショックを受けた彼女はNYに帰ってしまう。 彼もそれに打撃を受ける。
 ジョアンナはNYに戻ったものの無断で仕事をさぼったため会社をクビになり、一方〈ジャック〉と〈エンゾ〉は北海油田に仕事を得るが違法行為でこれまたクビになってしまう。 実際的な仕事に不適応な男二人と、そのうちの一人を愛したがためにやはり不適応になりかかっている女。 やがて彼女は〈ジャック〉に電話をかけ、再びヨーロッパに飛んで一緒に暮らすようになる。 (ここでの2度目のセックスシーンでは最初と異なり彼は能動的だが、それでも途中で海にいる錯覚に襲われる。) 〈エンゾ〉のガールフレンドも登場し、ジョアンナは彼女と話をして子供が欲しいと思い始める。 それは、〈ジャック〉と普通の夫婦生活を築くことを意味していた。 だが果たして彼にそれが可能なのか?
 他方で〈エンゾ〉と〈ジャック〉は潜水記録を競い続けていた。 医者からストップがかかりながらそれを無視して115mの新記録を作る〈エンゾ〉。 しかし程なく〈ジャック〉がそれを破って122mを記録する。
 競争が一段落して〈ジャック〉とジョアンナは彼が少年時代を過ごしたギリシアでひとときを過ごす。 「海の中にいるとつらい」と彼が言うので、その理由を彼女が尋ねると、「上がってくる理由が見つからないから」と答える。 打ちのめされた彼女が「私もつらい。 ここにいる理由が見つからないから」と訴えると、彼は彼女を抱きしめる。 彼女は「理由が見つかったみたい」と答えるが、このシーンにも、海の中にいることの方を本分だと思っている〈ジャック〉と、普通の暮らしを望むジョアンナとの齟齬が示されている。
 二人は一緒に散歩に出かける。 ジョアンナは彼に自分の気持ちを伝えようとするがうまく機会を捕えられず、思いあまって海に飛び込む。 〈ジャック〉も飛び込んで彼女の周りを泳ぎ回る。 ジョアンナは自分の望みを語るが、〈ジャック〉は聞いているのかいないのか判然としない。 ジョアンナはついに自分が妊娠しているらしいと訴えるが、彼はすでに海のどこかに消えていた。 結婚して普通に暮らすことよりも海の中で過ごすことを選んでしまう〈ジャック〉の本質は、このシーンで最も強烈に示されている。
 〈エンゾ〉は再び〈ジャック〉の潜水記録を破ろうと考え、学者の諫止を振り切って試みるが、事故を起こしてしまう。 瀕死の彼は〈ジャック〉に「海の中がいい、陸よりも」と頼み込む。 〈ジャック〉は希望通りに、〈エンゾ〉を海の中へと葬る。 しかし深海に潜った〈ジャック〉も意識不明となってしまう。
 引き上げられた〈ジャック〉はどうにか回復するが、〈エンゾ〉を失ったショックで心はうつろだった。 しかし寝台に横たわっていると強烈な海のイメージに襲われる。 彼はジョアンナの制止も聞かずにシチリアに向かう。 そして海に潜ろうとする。 彼女はそこで改めて自分の妊娠を告げる。 黙ってうなずく彼。 しかし彼の海への思いを自分の愛によってつなぎ止めることができないと悟った彼女は、彼に告げる、 「行って」と。海に潜った彼を優しく迎えたのは、イルカだった。


.以上の筋書きから分かるように、この作品は女性との愛や普通の暮らしよりも海やイルカに惹かれ、最終的には地上から消えてしまう特異な人間像を描いている。 〈ジャック〉が内気で人付き合いが不得手という設定も、そうした人間像の裏返しに過ぎない。 また、一見すると豪放磊落そうに見える〈エンゾ〉も、実はイタリア人男性に典型的なマザコンであり、母には頭が上がらず母以外の手になるパスタは食べないという設定になっている。 途中で登場する恋人にしても結婚を前提とはしていない。 その意味で彼もまた普通の地上の幸せを実現できるような人物としては描かれていないのである。
 映画『グラン・ブルー』が大ヒットした理由を考える時、こうした人間造型を無視することはできないだろう。 以上の筋書きとその分析から分かるように、この映画は単に海やイルカの癒しを与えるような美しい映像だけで成り立ってはいない。 映画の骨格は二組の人間関係(〈ジャック〉と〈エンゾ〉、〈ジャック〉とジョアンナ)なのであり、そこにも人を惹きつける部分があったのである。
 1968年のいわゆるパリ五月革命を初め60年代後半から70年代にかけて先進国を一様に襲った反体制運動を思い出そう。 それは単なる政治的な運動ではなく一種の文化革命でもあった。 その中に、窮屈で不健康な都会生活を離れて「自然」に逃れよう、或いは自然を保護しようという、一方で近代都市文明批判に、他方で環境保護運動につながる流れがあった。 一般には現代の自然保護思想の淵源は19世紀末頃に求められるとされ、当時のドイツ青年運動(ワンダーフォーゲルを生み出した)などにも見られるように、近代化の流れは「自然」への回帰や自然保護を訴える思想を伴ってきたのである。12) それは1960年代から70年代にかけての反体制運動においても変わりなかったと言える。
 ただし、20世紀後半に先進国を襲った「自然」回帰に独特なところがあったとするなら、経済成長と技術革新によって「自然」への接し方が変化したことであろう。 装備の向上で高峰登山や海での潜水が容易になり、大衆化していった。 また直接登山や潜水をしない人間でも映像文化の発達によって気軽に「自然の癒し」を擬似体験できるようになっていったのである。 その一方で20世紀後半の社会変革はそれまで人々を大幅に縛っていた社会規範を破壊し、いわば個々人を茫漠たる空間の中に放り出した。 自由が増大した代わりに孤独も強まっていった。 人間は与えられた自由に耐えられずそこから逃走する、というのはエーリヒ・フロムの示した有名な構図だが、古い束縛から解放された近代人は逆に自分のアイデンティティ確立に苦しむようになる。
 以上のような流れをふまえて『グラン・ブルー』を見るなら、そこに示された人間像と自然像とに一定の結びつきがあることは明らかであろう。 人との交際が不得手で、むしろ海やイルカの世界に入っていく〈ジャック〉。 こうした人間像は20世紀後半の、伝統や社会的規範が崩れた中での人間像と、経済発展の中で「自然」愛好を初めとする個人的な趣味の世界に閉じこもることが可能になってゆく時代とを捉えていたのである。
 無論現実には、〈ジャック〉のように魅力的な恋人との結婚や生活を捨ててまで「自然」に「回帰」してしまう、いわば確信犯的な人間は少ない。 また、映画の結末のように人間が海やイルカの世界と一体化することは実際には不可能である。 しかし配偶者や恋人との生活がわずらわしくなり、自然に埋没できたらと思う気持ちは誰にでも多少はある。 そうした気持ちをフィクションの形で充足させてくれるのがこの映画なのである。


.この映画と実在のジャック・マイヨール、及びエンゾ・マイオルカとの関係 に触れておこう。
 ジャックは『グラン・ブルー』製作にあたって一応ベッソンらと並んで脚本・脚色を担当し技術顧問の仕事もしたことになっている。 しかし実際には映画に登場する景色を選択するのに若干協力しただけで、脚本脚色は言うまでもなく、技術的なアドヴァイスすらしてはいなかったらしい。13) 要するにベッソンの構想にインスピレーションを与えると共に名前を貸しただけ、ということのようだ。
 加えて映画完成後に金銭的なごたごたがあり、ベッソンとジャックは決裂してしまう。 ベッソンは買い切り制と歩合とを提示し、ジャックは即金の入る前者を選んだ。 ところがこの映画が大ヒットするに及んでジャックはベッソンに著作権料を支払えと要求した。 ベッソンは無論相手にしなかったが、ベッソンに騙されたというのがそれ以来ジャックの思うところとなった。 あそこに出てくるのは俺じゃない、と映画そのものをも否定するに至る。 事実この映画の〈ジャック〉と生身のジャックとにはかなり違いがあるのだが、それについては後述する。 ここでは、映画はあくまで映画の論理で作られたのであり、生身のジャックの名声を高めるのに寄与はしたが、皮肉なことに彼自身は映画やベッソンから遠ざかってしまったという事実を確認しておきたい。
 エンゾ・マイオルカとなるとさらに事情は厄介だ。 エンゾは実在のイタリア人で、ジャックと潜水記録を競った点だけは映画で描かれたとおりだが、他の面では一致点がない。 映画と違って二人は少年時代から友人だったわけではないし、潜水記録をいつも同じ場所で競い合ったわけでもない。 映画の結末で〈エンゾ〉が学者の警告を無視して潜水記録に挑み事故を起こすのもフィクションである。 だがエンゾがジャックと記録を競っていることは周知の事実だったため、ベッソンもエンゾを作品内に登場させた。 その際、本来ならエンゾの了承を取るべきでジャックにもそう要請されていたのに、取らなかったらしい。 ベッソンがジャック・マイヨールについてはフルネームをそのまま映画内で用いたが、エンゾ・マイオルカについてはエンゾ・モリナーリとファミリーネームを変更したのは、エンゾの了承を取っておらず、そのせいでエンゾから法的手段に訴えられた場合の予防措置だったのかも知れない。 しかしそれも無駄で、この映画を見たエンゾは自分の役の扱われ方に不満を持ち、名誉毀損の訴訟を起こし勝訴した。 その結果イタリア全土で『グラン・ブルー』は上映禁止となった。 2002年、エンゾはいくつかの変更を加えるという条件で上映を認めた。 映画の封切りから約15年もたってからである。 大ヒット映画『グラン・ブルー』がこうしたごたごたを抱えていたという事実は知っておいてよい。


.映画と実在の潜水者二人との不幸な関係を知った後は、生身のジャック・マ イヨール像に迫ることにしよう。 まず略歴から。
 ジャックは1927年4月、建築技師を父として上海に生まれた。 フランス人の父母が上海のフランス租界に暮らしていたためである。 彼は兄ピエールとともに上海租界の国際学校に通う。 この学校は男女共学で幼稚園からバイリンガル教育であり、フランス人が多いものの中国人や革命を逃れたロシア人などもいて国際色豊かだったという。14) また夏は日本の唐津で過ごし、母に素潜り(閉息潜水)の手ほどきをうけた。 39年、戦争のため一家はフランスのマルセイユに移り住む。 ジャックはそこでも素潜りの技能をみがく。 やがてバカロレアをとったが父の希望する建築関係には進む意志がなく、48年に兄と共に北欧に出かけ北極旅行を試みた後、北欧で知り合ったデンマーク女性と結婚して女児をもうける。 兄と共に50年代初めにカナダに移住、やがて妻と娘を呼び寄せ、それまでは事実婚 だった関係に終止符を打ち52年に正式に結婚し男児も生まれる。 しばらくは農園主としての暮らしを楽しんだが、生来の冒険好きの気質がそれに満足できるはずもなく、57年にあるきっかけから米国フロリダの新聞記者に転職し妻子と共に再 び移住。 その後マイアミ水族館のイルカ調教師になり、ここでクラウンという雌イルカと「運命的な邂逅」をして「ホモ・デルフィヌス(イルカ人)」という概念を考え出すに至る。 59年、ケイコス諸島に転居し、その頃から潜水に打ち込むようになる。 61年、ケイコス諸島からカリフォルニアに移り大学で映画の勉強を始める。 63年に妻と離婚。ここでも潜水は続けていたが、 66年にエンゾ・マイオルカの持つ記録を破る60m35を出したのを機に何度も世界記録を更新するようになる。 そしてこの頃から日本やイタリア、さらにはインドやポリネシアにも足を伸ばすようになる。 潜水記録は当時の学者が不可能だと予測した100mを超えるところまで伸びた。
 70年代初め、ジャックは若く美しいドイツ女性ゲルダを恋人にして暮らしていたが、ゲルダは乱射事件に巻き込まれて死亡した。 このショックを彼は終生引きずったと兄は述べている。 78年、51歳のジャックはアドリア海沿岸の水族館で当時17歳の美少女アンジェリーナ・バンディーニと出会い一目惚れする。 イルカと戯れている彼女を見て、「イルカ人」の女性版第一号にしようともくろんだのだ。 しかし年齢差が大きいこともあって二人の関係は恋愛か師弟か微妙なところがあり、少なくともアンジェリーナは次第に師弟関係として受け止めるようになっていったようである。 80年代半ばに彼女は別の男性と親しくなったが、これがジャックにショックを与え自殺の原因の一つになったのではないかと兄は推測している。 88年、映画『グラン・ブルー』の公開によりジャックの知名度が飛躍的に高まったことはすでに述べた。
 ジャックがはっきり精神崩壊のきざしを見せたのは2000年2月のことだと兄は述べている。 世界的な有名人として多忙な毎日を送りながらも、他方で大きな企画が挫折するなどの体験もあり、兄に向かって「何にも興味を持てない、自殺したい」などと口走るようになっていく。 相変わらず女性関係は華やかでありマスコミへの露出度も高かったが、やがて鬱病の徴候があらわれ、一人になることを怖がるようになる。 自殺への意志を何度も口にする。 そんな状態が続いた後、2001年12月23日、ジャック・マイヨールは首吊り自殺により世を去った。 享年74歳。


.以上から浮かび上がってくるジャック像はどのようなものだろうか。 映画の〈ジャック〉と比べて実に人間くさいと言えるのではないか。 〈ジャック〉は人間の女性との暮らしよりも海やイルカを選んだが、実在のジャックは決してそうではなかった。 彼は21歳でデンマーク女性と事実婚をしている。 妻とは15年後に別れているが、その後も恋人には不自由しなかった。 兄の書いた伝記には上記の二人以外にも晩年だけで何人かの名前が出てくるし、生涯に付き合った女性となると相当数に及ぶようだ。 ジャックは美しい女を愛し、また女にもてる男だった。 同性の友人もそれなりに多かった。 兄は映画の中の〈ジャック〉と現実の人物とでは天と地ほどの違いがあるとして、次のように述べる。

実際のジャックは、自分の欲望に忠実で、はっきり物を言い、積極的で、自慢好きで、女性好きで、ときにあつかましく、自己中心的だった。 映画のジャックは無口で、物静かで、謙虚で、女性に対して臆病といえるほど恥ずかしがり屋だった。 実際のジャックと映画のジャックの類似点は結局、ある意味で浮世離れしているところ、イルカと会話ができるところだけだ。15)
 類似点として挙げられている「浮世離れ」とはどういうことか。 生身のジャックは多くの女性を愛し友人と交際したが、それは人間として普通の暮らし方をしたということではない。 経歴から明らかなように終生世界中を足しげく飛び回り、一箇所に定住して特定の職業に従事するような生活とは無縁だった。 家庭的な人間ではいささかもなかった。 娘が生まれた直後、「俺にはやりたいことが山ほどある。 子供や女房にじゃまされるわけにはいかないんだ」と言ったという。 この点でライヴァルだったエンゾとは対照的だった。 エンゾは家庭を大事にし、娘二人に潜水を教えた。 老年期に入って体力が衰えてもそれに見合った楽しみや仕事に従事する賢明さを持ち合わせていた。
 これに対してジャックは恋人や友人に囲まれていてもどこか感性が独特であり、他者との調和が難しかったようだ。 そして老いるにつれて気むずかしくなっていった。 『グラン・ブルー』で彼のファンになった若者たちとも必ずしもうまく交流できなかった。 むしろ自分は他人から理解されないという気持ちが強くなっていった。 閉息潜水の団体ができてもそこに集まった人々との人間関係は円滑ではなかった。 考えてみれば、映画がヒットしたときジャックはすでに61歳だったのである。 年齢から言っても若者と反りが合わないことは予想が付く。 そして若い時から自分のやりたいように生きてきた人間が団体の集団行動と融和するのは難しいだろうことも。
 他方、イルカと作業をするときのジャックは驚くほど辛抱強かったという。 こうした彼の二面性は、この連載の第1回で示したジョイ・アダムソンの姿とよく似ている。 『野生のエルザ』で著名な彼女は、対人的には残酷で短気だったが、動物に対する時はうって変わって辛抱強かった。16) その彼女が現地人の若者に殺されて生涯を閉じたように、ジャックは自殺によりこの世を去った。 そうした最期にも共通性が感じられる。 二人は人間世界ではうまく生きられず、結局は自分自身の生き方に復讐されたのではなかったか。


.ところで、ジャックの生き方を支えていた思想はどんなものだったのか。 彼の著書『イルカと、海へ還る日』によってこの点を確認しよう。 なおこのタイトルは日本人向けで、原題は「Homo Delphinus(イルカ人)」である。 言うまでもなく「Homo Sapiens(ホモ・サピエンス=知恵ある人)」をもじったもので、上述のように(G.参照)イルカと親密になることで思いついた表現である。
 彼がイルカと初めて出会ったのは10歳の夏、日本の唐津でのことである。 その時彼はイルカを「仲間」だと思い、心は親愛の情でいっぱいになったと述べている。17) それから時が流れて1957年、30歳の時にマイアミの水族館でクラウンという雌イルカと出会い、そこで働く決心をする。 イルカと人間にも相性があって、クラウンは最初からジャックに好意的だったという。 そしてクラウンと付き合うことで、イルカは人間より下等動物だという観念を捨て、むしろ人間がイルカを必要としているのだ、と思うようになる。 イルカを人間の都合に合わせて調教するのは相手に屈辱を押しつけることだ、また一時期流行ったような言葉や記号でイルカと意志疎通を図ることも、イルカを人間のレベルに高めようとする点で間違っていると彼は言う。(イルカだけでなくチンパンジーにそういう試みをするのも誤りだとする。) 異種とのコミュニケーションは、人間側の言葉や記号によるのではなく、「視線と心」によるのだという。 もう少し突っ込んだ説明を、彼は以下のようにしている。

私は、今までにない動物たちとのコミュニケーションを取りつつあった。 それは、本質的に精神、言葉に表現できないものであり、物質、言葉、システム、な どによるものではなかった。 (…)どんな定義もどんな法則もなかった。 (…)/〔クラウンと過ごせる〕わずかな時でさえ、テレパシーの一つの形と見なしてよいようないくつかを、私は確認することができた。 /その日の私の気分や考えに応じて、クラウンはいろいろな動作を示し、そして私たちは互いに決して間違えることはなかった。 (…)私にはクラウンの気持ちが分かり、クラウンも私の心を感じていたのだった。18)
 ジャックは59年にケイコス諸島に移ったためクラウンとは離ればなれになったが、7年後に水族館を訪れるとクラウンは瞬時に彼を見分けて親愛の態度を見せたという。
 イルカとのコミュニケーションとは、要するに分節化された言語に還元できない何物かである。 同様の説明を、彼は潜水体験に関してもしている。 厳粛な時を刻む何秒かが過ぎ、たとえそれを頭ではカウントすることは知っていても、すでに脳はあらゆる思考から解放されていて、個人の意識が宇宙の普遍的な意識と一体化する、あの崇高な精神状態に近づきつつあった。 /私は少しの間、文字通り、時間と空間の観念から完全に解き放たれていた。19)
 「宇宙の普遍的な意識」という表現に注意したい。 神秘主義の影が射している。 ただし近代科学を無視しきっているわけでもなく、その直後に水深50m付近で感じる快感を「麻酔状態」や「精神病理学的な反射作用」のためかも知れないとしている。 しかし水深も50mまで来ると周囲は青色だけになる。 それが「グラン・ブルー」という言葉の意味であり、それを彼は「太古の昔、人間の祖先が住んでいたであろう世界」と呼ぶのである。 海に潜る際にも、スクーバを身につけて海中世界の美しさに感心するような態度を彼は排撃する。 それは「陸上の動物のメンタリティーを保ったまま水中に行き、そこに植民地主義者の貪欲さと攻撃性を持ち込む」ことであり、水族館のガラスをのぞいているのと変わりないというのだ。 だから海棲哺乳類のように息を止めて入らなければ本当の海の世界には近づけない。 そうするなら、「とるにたらないが、しかし不可欠な宇宙の歯車としての私」となることができる。 それを教えてくれるのは海棲哺乳動物だという。
 一方、彼は潜水中に息を長く止めておけるようにとヨガを学んでいた。 彼によれば、呼吸は酸素を体内に取り入れるためと考えられがちだが、実は大気に満ちた「プラナ」によって活力を得ているのだという。 この言葉は本来はサンスクリット語で呼吸を意味し、インド哲学では風の元素を表したが、ヨガではより包括的な概念になっているようだ。 彼はヨーロッパにヨガを広めたアンドレ・ファン・リゼベトの言葉を引用している。(ちなみにリゼベトは1919年生まれ、2004年没、ヨガやタントラについて数冊の本を出しておりヨーロッパでは広く読まれているようである。)

プラナは、エネルギーと宇宙のエネルギーとの総体と考えることができる。 それはまた、人間に生命を与えるエネルギーの総体でもあり、その最も知覚しやすく、もっとも働きかけやすいのが息であり、呼吸である。 (…)自分が生きている宇宙との完全な調和のなかに身をおくため、プラナは最も重要な要素である。20)
ジャックはここから呼吸の大切さを説き、ヨガ行者が持つ特殊能力——長く息を止め、心臓の動きを緩慢にできる——を鯨やイルカにも見られるものとして賞賛する。 そういうヨガ行者のあり方こそが鯨やイルカに近く、そして海や自然と融合して生きることにつながるのだ、と言いたいようだ。(映画『グラン・ブルー』で凍った湖に〈ジャック〉が潜るシーンでは、彼の呼吸や心臓の鼓動が緩慢になり、彼の体調を測定していた学者が「鯨やイルカのようだ」と評するシーンがある。)
 こうした彼の思想は、その神秘的主義な側面と合わせ、60年代以降に先進国を席巻した対抗文化に発する「ニューエイジ」、そして現代にあっては「スピリチュアル」もしくは「スピリチュアリティ」と呼ばれるものとほぼ一致すると見てよい。 ジャーナリスト磯村健太郎の説明を借りよう。

ニューエイジとは米国で七〇年代以降に広まった、スピリチュアリティを重んじる信念や実践の総称だ。 運動といっても中心となる組織があるわけではなく、小さなグループがゆるやかなネットワークでつながっているだけだ。 個人主義的な傾向がきわだち、グループは基本的に出入り自由だ。 (…)思想傾向としては、なにか神的なものや霊的なものが、宇宙や自然、人間のなかにあるという汎神論的な特徴がある。 そうした「聖なるもの」とつながるために、たとえば瞑想やヨガ、さまざまな心理学的な技法などを使って、心の成長や意識の変容を目指す。21)
 先進国の人間は60〜70年代の叛乱の時代を経てキリスト教などの旧来の道徳的規範から離れたが、かといって理性や科学にのみ立脚し近代的な「個」の思想を追求したわけでは必ずしもない。 むしろ自然や宇宙などとの一体感を自由に追い求める一種の新しい宗教性に染まっていった人間も多かった。 映画『グラン・ブルー』の大ヒットやジャックのような人間が脚光を浴びる下地はそうした時代性にあっただろう。 加えて先進国の経済的成長と消費社会の到来は、こうした新しい宗教性とつながりを持っている。 社会学者・伊藤雅之は次のように指摘する。

〔ニューエイジの〕典型的な担い手は、「宗教」という言葉には違和感を示すが、スピリチュアリティには興味があり、個人のネットワークを中心に行動し、意識変容をめざす人々である。 もちろんニューエイジャーのなかには、きわめて純粋に意識変容を目指している人々から、ニューエイジ・グッズ(ヒーリング・ミュージックのCDやアロマオイルなど)を購入するにとどまる受動的な消費者までの幅広い人々が含まれる。 しかしニューエイジを受容する人々の社会的属性に関しては均質性が高く、教育程度の高い、比較的裕福な家庭に育った (…)人々が中心と捉えられている22)
 ここで言われている「きわめて純粋に意識変容を目指している人」にジャックが、「受動的な消費者」に一千万人以上にも及ぶ映画『グラン・グルー』の観客の大多数が相当することは、言うまでもあるまい。 裕福な社会こそがおびただしい「受動的な消費者」を生み出すのであって、新しい宗教性やヒーリング映画を下支えしているのである。


.上記の『イルカと、海へ還る日』以外に、ジャックは兄ピエールとの共著で『海の記憶を求めて』を98年に出している。23) この本によってさらに彼の思想を追うことにしよう。
 まず、この本の奇妙な構成を知っておく必要がある。 序文やグラビア(イルカや海中の写真)を別にすると、最初に来るのはジャックが書いた「バハマ諸島の謎」である。 キューバのそばにあるバハマ諸島近くの海底に古代遺跡があるのではないか、と主張している。 挿入写真を入れても20頁あまりの、さして長くないエッセイだ。
 次に来るのはピエールの「海の民の足跡」である。 これまた20頁ほどのエッセイであるが、プラトンの著作に登場するアトランティス大陸やラスコー洞窟の壁画などに言及し、また様々な史跡にも触れつつ、ヨーロッパ古代史は地中海の文明が広がっていく中で作られたのではなく、むしろ「海の民」によって大きな影響を受けていたのであり、その起源は大西洋であるという(つまり大西洋=西からヨーロッパ=東に向けて民族や文化の移動があったとする)。 ピエールはその場所を特定してはいないが、アトランティスはカナリヤ諸島付近にあったのではないかとし、またマイアミ・バミューダ諸島・プエルトリコを結ぶいわゆる三角地帯の海底にも重要な史跡が眠っている可能性があると示唆し、この三角地帯の地図をエッセイ冒頭に掲げている(その意味については後述)。
 さて、その後に来るのが『海の十神』と題された兄弟合作の小説(!)なのである。 「海の十神」とはプラトンの『クリティアス』に登場するアトランティスの支配者だ。24) 兄弟は小説という形で彼らの考える、いや、こうあって欲しいと願う古代の姿を描いているわけだ。 分量は250頁あまりに及び、先に収録された二人のエッセイをはるかに凌いでいる。
 この小説の梗概を述べよう。 全体は2部に分かれている。 第1部は1943年のマルセイユを舞台とする。 第二次大戦中、ドイツ海軍少佐クルト・ミュラーはヒトラーの密命を受けて謎の男ジョルジオ・マルカンタキスに会い、Uボート活動を有利に展開するために海底の秘密を探り出そうとする。 マルカンタキスは不思議な能力の主で、ミュラーの素性を見破り、世に知られていない古代史を述べ立てもする。 海の民によってヨーロッパ古代史は動かされていた、海の民と陸の人間には根本的な対立があるという。 「君たちの科学に対する概念は卑小だ。 われわれの雄大な概念とは比較にならない。 われわれの科学を生み出す力は精神の領域に属するものであって、君たちが言うところの物質に属するものではない。」 彼はアトランティスにあったとされる金属オリカルクを所有してもいる。 しかし交渉のごたごたの中でミュラーの部下がマルカンタキスを射殺してしまい、第1部は幕となる。
 第2部は1973年のマイアミを舞台とする。 海が好きな若者ジョナサンはたまたま知り合った美しい人妻と関係を持ち、その夫デヴィッドに話をもちかけデヴィッドの出資と協力でカリブ海に眠っている難破船の宝を探し出そうとする。 探索過程の中で海に造詣の深い老人ジェリーがメンバーに加わるのだが、この老人こそ第1部に登場したクルト・ミュラーに他ならない。 彼の思惑は実は宝探しにはなく、第1部で知った海の民とアトランティスの秘密をバミューダの三角地帯で探求しようというところにあった。 「海底に呑み込まれた巨大王国の民は、元来水陸両生だった。 このことは、ギリシャ神話でも語られているし、インドのヴェーダ語の古い文献にも記されている。 北欧のサーガにもそういう言い伝えが残っている」と彼は言う。
 探索を続けるうちに金属オリカルクの円盤が見つかり、そこに描かれた模様は知られざる古代の歴史を暗示していた。 老人は言う。20世紀の人間は物質的な世界しか認めなくなった、かつては自分もそうだった、だが物質に実体はなく机上の空論に過ぎない、黄金時代は先史にあった、現代の技術文明はそれに比べたら糞みたいなものだ、と。 その夜、仲間の二人が所用で上陸したため一人船内に残っていた老人の前にマルカンタキスが現れる。 彼は生きていたのだ。「わしは君の長い人生を背後からずっとつけてきた。 (…)/わしは君の唯物的な考え方を覆すことに成功した。 この世は幻想にすぎない。マヤは我々の感覚と知性と意識で解釈されることで存在しているにすぎない。 (…)/この形相の世界は、意識の外には存在しない。 (…)したがって、すべては可能だ。 それぞれの分に応じた形で。 /(…)アトランティスもムーも、実際に目に見える遺跡や廃墟からはるか彼方の深淵にいまも存続しており、それは、考古学者や先史学者などにはとうてい手の届かない、とてつもなく遠いところにある……」 老人となったクルト・ミュラーは答える。 「ただちにお供します。 それが私の進む道だとつねづね考えておりました。」
 やがてマルカンタキスはジョナサンとデヴィッドの前に姿を現す。 「海に敬意を払うことなく、海に触れる者に災いあれ。 難破船の略奪者に災いあれ!  なぜなら海に沈んだ財宝も海に属するものであり、その胎内から罰せられずに奪取されることはありえないからだ……。 /破廉恥にもこの深淵に侵入するテクノクラートと科学者に災いあれ! (…)/われらの海の兄弟であるイルカやクジラをためらいなく虐殺するすべての者に災いあれ。 (…)海は万物にとっての根源的母胎なのだ。 (…)わしは海の十神の最後の一人だ。」
 そしてジョナサンとデヴィッドは破滅する。


.小説のあらすじは以上である。 さて、ここから何が分かるだろうか。
 先にも述べたようにこの本は小説とエッセイの双方を掲載しているが、巻頭の序文で、ジャックは兄と共に次のように述べている。

先祖をさかのぼれば水陸両生類にたどりつく可能性が高い哺乳類、すなわちホモ・サピエンスについても、私は昔から大いに興味をもっているのだが、このことは私のファンには余り知られていない。 (…)/そこでこの場を借りて、私が長年兄のピエールと分かちあってきた「人類の真の歴史」に対する情熱の一端をご披露させていただきたいと思う。25)
 ジャックがアトランティスなどの古代史に抱いていた情熱は、単に知られざる歴史があるのではないか、海底に眠っている遺跡に古代人類の活動が記されているのではないか、という域にとどまってはいない。 人類が古代においては水陸両生類であり現在とは根本的に異なっていた、と彼は考えていたのである。 この本のピエールのエッセイで言われていた「海の民」とは、兄弟にとっては単に海洋民族という意味ではなく、水陸両生という生物学的な意味合いを持っていたわけだ。 小説の最後でマルカンタキスが、欲望に駆られて海底の秘宝探しをしたり鯨イルカ類を殺戮したりする現人類を非難する時、水陸両生というあり方こそ人類にとって理想的とする思想がそこには籠められている。
 ところでこの小説の冒頭にはチャールズ・ベルリッツの「推薦の言葉」が収録されており、「小説という体裁を取っているが、ここに書かれている出来事の大半は事実である」と述べている。 ここで「言語学者、水中探検家」とされているベルリッツ(Berlitz)とは何者か。 日本にも進出しているベルリッツ外国語学校を創設した言語学者マクシミリアン・デルフィニウス・ベルリッツの孫であり、祖父の衣鉢を継いで言語学者として活動しつつも、超常現象に関する著作をも多く出版している人物だ。 『謎のバミューダ海域』は中でも有名だが、他に『超真相・ノアの箱舟』『ロズウェルUFO回収事件』など邦訳が数冊出ている(祖父はドイツ出身だが、本人はアメリカ生まれなので、邦訳では「バーリッツ」と表記されることが多い)。 古代言語を研究する中で超古代史に興味を持ち、また若い頃から潜水の趣味があったのに加え、第二次大戦後アメリカ陸軍防諜部に勤務して航空写真を見る機会が多くあり、山岳都市や海底都市への興味をかき立てられたようだ。26) 兄ピエールのエッセイにバミューダ沖の三角地帯の地図が掲げられていたことからしても、兄弟はベルリッツと超古代史観を共有していたと見てよい。
 しかし言うまでもないがベルリッツのこうした本は厳密な科学的検証を経ていないきわめて通俗的な疑似科学であって、他の類似本と同様まともな科学者には相手にされていない。 例えばバハマ諸島のビミニ島沖のいわゆるビミニ・ロード。 これは海底に古代遺跡が沈んでいる好例とその筋の人たちは主張するが、実際には方解石によって自然に造られたものに過ぎないという。27) しかしジャックはこの小説だけでなく他の著作でもビミニ・ロードに執着を見せているし、28)そこでは日本の与那国島の沖にも同様の遺跡があるとしたり、またナスカの地上絵などにも言及している。
 ジャックの持っていた海やイルカへの観念は、こうした疑似科学と深いところで結びついていた。 兄の書いた伝記からも分かるが、ジャックは地球各地の海底遺跡に興味を抱き、そうした場所に出かけていっては潜水を行った。 けれども「遺跡」が科学者によって真正と認定されたことはなかったようだ。 彼の期待する「遺跡」が方解石などによる自然の造形に過ぎないとされる例が重なっていくにつれ、彼の内部には失望と挫折感が堆積していったのではないか。 最晩年にノイローゼがひどくなっても、モロッコ沿岸に海底遺跡らしきものがあるとの情報を得ると元気を取り戻して勇躍出かけて行くが、結果はまたも自然の産物ということで、ひどく落ち込んでしまったという。29)
 彼は好きなように人生を送った。 家族に縛られることなく、多数の美しい女性と愛し合い、多くの友人を持ち、地球上を転々として、自分の想像する人類史を跡づけるものがあるのではないかと考え潜水を行った。 しかしそうした古代史の実証という面では成果はまったくと言っていいほど上げられなかったのである。 いかに『グラン・ブルー』で世界的な名声を博し、讃美者や潜水趣味者たちに囲まれていようと、現実は彼の思想を肯定してはくれなかったのだ。 いや、与那国島沖の「遺跡」についてはいまだに自然生成説だけでなく遺跡説もあるようだし、30)将来ジャックが関わった海底「遺跡」の中から真正だとされる例だって出てこないとは限らないだろう。
 しかし仮にそうなったとしても、それは単に陸上の遺跡が海中に没したということの証明に過ぎず、彼の思想が科学的な事実として認められたことにはならない。 彼の思想の根底にあるのは、古代人類は水陸両生であり、それこそが人類の本来的なあり方であり、現在の人類は陸生であるが故に歪みや不正に至ったのだという信念なのだから。 彼の思想は科学としての生物学には捕われないが故に夢想と呼ぶべきもので、結局は学問としてではなく小説の形で表現されるしかなかったのである。 どこにもない場所、どこにもない人類のあり方を求め続けたのが彼だった。 そうであるが故に、彼にはついに穏やかな最期は訪れるはずもなかったのではないだろうか。


1)
リュック・ベッソン(山崎敏訳)『グラン・ブルー リュック・ベッソンの世界』ソニー・マガジンズ、1996年、98頁。
2)
同上、152頁以下。
3)
同上、108頁。
4)
同上、114頁以下。
5)
この映画には短縮版(2時間12分)と完全版(2時間48分)とがあるが、私は完全版で見ている。 『グラン・ブルー 完全版〈ワイド・スクリーン版〉』 (VHSビデオ、日本語字幕=古田由紀子)20世紀フォックス・ホームエンターテインメント・ジャパン株式会社、1997年。
6)
『グラン・ブルー 完全版パンフレット』Nippon Herald Films Inc. 1992、16頁。
7)
『キネマ旬報』キネマ旬報社、1988年8月上旬号、39頁。
8)
Wikipedia英語版の「Luc Besson」参照。モロッコでの体験については、『グラン・ブルー 完全版パンフレット』、21頁。
9)
『グラン・ブルー リュック・ベッソンの世界』、15頁以下。
10)
同上、28頁以下。ただし日本語版パンフレットには少し別のストーリーが載っている。 「イルカに魅せられた潜水夫の物語は長い間私が映画にしたいと考え続けてきた題材だった。 映画監督になれたとき、すぐに紳士録でジャック・マイヨールの住所を調べてマルセイユに行った。 見知らぬ男が、イルカのこと、(…)などを矢継早に話しだしたわけだから、彼も相当困ったようだ。」 『グラン・ブルー 完全版パンフレット』、21頁。
11)
この映画はかなり忠実にノベライズされており、そこで筋書きや作中人物の発言を簡単に確認できる。 パスカル・パリヨー/ボブ・クロープ(檜垣嗣子訳) 『グラン・ブルーの物語』株式会社ソニー・マガジンズ、1999年。 この箇所は43頁。
12)
アンナ・ブラムウェル(金子務監訳)『エコロジー 起源とその展開』 河出書房新社、1992年、特に第6,9章を参照。
13)
ピエール・マイヨール/ジャック・ムートン(岡田好惠訳) 『ジャック・マイヨール、イルカと海へ還る』講談社、2003年、130頁。 以下、映画と実在のジャック及びエンゾとの関係は同書130頁以下により、いちいち断らない。
14)
『ジャック・マイヨール、イルカと海へ還る』、29頁。 以下、マイヨールの伝記的事実関係は本書と、一部はジャック・マイヨール(関邦博・編訳)『イルカと、海へ還る日』(講談社、1993年)により、特に重要な箇所以外はいちいち断らない。
15)
『ジャック・マイヨール、イルカと海へ還る』、131頁以下。
16)
本連載第1回『人文科学研究第117輯』、新潟大学人文学部、2005年、Y52頁。
17)
『イルカと、海へ還る日』、49頁以下。以下、ジャックとイルカの関わりは本書により、重要箇所以外はいちいち断らない。
18)
同上、81頁。  なおこの前後を読めば分かるが、ジャックはイルカを高知能動物と捉えるような見方とは一線を画している。 彼は人類を基準にイルカを測定することを拒否しているのであり、そもそも知能という考え方が人類のものだから不当だとするのである。 彼が重視するのは「心」を介した親密さの感情でありコスモスとの一体感である。 この『イルカと、海へ還る日』(原題『Homo Delpinus』)は関邦博(当時神奈川大学理学部助教授、現在は教授)の編訳による本で、関は小さな活字で適宜註釈や解説を挿入しているが、彼の解説は、外国文化紹介者にはありがちなことだが、かなりご都合主義的で矛盾含みである。 一方でジャックのイルカ理解を敷衍しながら、他方では脳の大きさからイルカは高知能かも知れないなどと書く。 「厳密にいえば私たちはイルカに対してまだ何も知らない。 /イルカたちは2500万年前の昔から海の歴史を見てきた。 人間はせいぜい400万年だ。 彼らは(…)私たちが知ることのない大自然の歴史を知っている」などと疑似科学めいたことも書いている(同上、159頁以下)。 理系学者にこういう人物がいることは知っておいていい。
19)
同上、105頁以下。
20)
同上、144頁。なお訳書では「アンドレ・リスベス」と英語読みしているが、Andre' van Lysebethはベルギー人なので本論ではそれに合わせた読み方を採用した。
21)
磯村健太郎『〈スピリチュアル〉はなぜ流行るのか』PHP新書、2007年、55頁以下。
22)
伊藤雅之『現代社会とスピリチュアリティ』渓水社、2003年、13頁。
23)
ジャック&ピエール・マイヨール(北澤真木訳)『海の記憶を求めて』 翔泳社、1998年。 以下、本書からの引用は重要な箇所を除きいちいち断らない。
24)
プラトンはアトランティスについて『ティマイオス』とその続編『クリティアス』で言及しているが、その国制や支配者について詳述しているのは後者である。 海の十神とは海神ポセイドンが生み出した五組の双子で、彼ら十人がアトランティスの支配者とされる。 プラトン『クリティアス』第7節以下(『プラトン全集第6巻』角川書店、1974年、289頁以下)。 ちなみに『海の記憶を求めて』でマイヨール兄弟が展開している「大西洋の大陸からヨーロッパに向けて古代文化は東進した」という考え方もプラトンによっている。
25)
同上、3頁。 26)チャールズ・ベルリッツ(小江慶雄・小林茂訳)『謎の古代文明』 (紀伊國屋書店、1974年)訳者あとがきによる。
27)
と学会『トンデモ超常現象99の真相』洋泉社、1997年、118頁以下。 なおバミューダの三角地帯についても、特に原因不明の事故が多いという証拠はないと同書323頁以下で説明されている。
28)
ジャック・マイヨール(外山厚子ほか訳)『海の人々からの遺産』翔泳社、 1999年。
29)
『ジャック・マイヨール、イルカと海へ還る』、198頁以下。
30)
日本語版Wikipediaで「与那国島」を参照。

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