(『人文科学研究第122輯』 (新潟大学人文学部、2008年7月)より)
三浦 淳
A.鯨イルカ・イデオロギーには、イルカは知能が高いという言説がしばしばつきまとう。
その元締めは誰か、或いは淵源はどこにあるのだろうか。
ジョン・C・リリー(John Cunningham Lily)という人物がいる。
1915年に生まれ2001年に死去したアメリカ人で、イルカと人間のコミュニケーション研究によってその筋では著名な存在である。
彼は55年頃から、イルカは高い知能を持ち人間と言語交流が可能との説を喧伝するようになった。
ここでは彼の著書や自伝を主な材料として、彼の学説の内実と軌跡をたどってみよう。1)
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(新潟大学人文学部教授)
4.イルカ研究者はいかにしてマッドサイエンティストになったか
リリーのイルカ研究は二期に分けられる。
しかしそこに行く前に、彼の略歴を知っておかねばならない。
B.リリーは実業家を父、教養ある女性を母とする裕福な家庭に生まれ育った。
父は息子にアイビーリーグの大学を出て自分と同じ道に進むことを望んでいたが、科学者になりたかったリリーはそれを拒否して、MITからも入学許可が出ていたものの、カリフォルニア工科大学に進む。
自伝によると奨学金がもらえるからという理由だったようだが、やがて金満家の息子であることが判明して奨学金は取り消されてしまう(21-26)。2)
最初は物理学に惹かれていたがやがて生物学にくらがえする。
もともと脳や心に関心を持っていたのだ。
在学中、知り合った財閥の令嬢と結婚。生物学をきわめるには医学部に移った方がよいとの忠告を教授から受け、ダートマス大学医学部に移る。
さらにその後ペンシルヴァニア大学医学部に籍を移して研究を続行する。
また、やはり以前から関心があった精神分析に、その後夫婦仲が悪くなったことで強い興味を抱くようになり、やがて分析医として認定される。
34歳で医学博士となり、53年に国立保健研究所(NIH)に招聘されたが、そこで脳についての研究を続けるため神経生理学研究所を創設している。
むろん、裕福な親を持つが故にNIHの給与だけで暮らす必要がないという事情が働いている。
自伝によると、政府が彼の研究成果を軍事目的に利用しようとすることに対する反発心が早い時期からあったらしい。
リリーはアインシュタインと原爆の例を出して、科学が悪用される可能性への危惧を表明している(171以下)。
ただし、その「信念」に彼が実際にどの程度忠実だったかは、多少問題がある(後述)。
やがて自由な実験が不可能であることなどからヒトの脳の研究には限界があると考え、動物の脳に興味を移す。
そこで浮かび上がってきたのが鯨であった。
50年代後半、リリーは少しずつ鯨やイルカについての知識を集め、イルカが高知能を有しているのではないかとの予感を強めていく。
ここから彼の第一期イルカ研究が始まるのである。
C.リリーは1958年からイルカ研究に適した場所を探し始め、ヴァージン諸島(アメリカ領)のセントトーマス島に的をしぼる(194以下)。
またこの頃、20年に及ぶ結婚生活に終止符を打っている。
つまりヴァージン諸島での暮らしは、イルカ研究という新しい研究生活のスタートであるばかりでなく、私生活における再出発でもあったということだ。
自伝で彼はこの島の女たちとの快楽を満喫したと述べているし、ほどなくエリザベスという女性と親しくなって再婚し、60年11月には二人の間に子供ができる。
リリーはこの計画のために10万ドルの私財を投じている。
他に海軍が3万ドル、空軍が1万ドル、国立科学財団が8万ドルを出し、のちにNIHも年間25 万ドルの補助金を認めた。
こうして1960年、コミュニケーション研究所(CRII)が活動を開始した。
セントトーマス島とは別に、本土のマイアミ近郊のココナッツグローブにも研究拠点が設けられた。
リリーの言うところによれば、保守的な方法でイルカ研究をしたい学者がここに集まり、なおかつ資金の調達など外部向けの工作をも担当していたということである。
セントトーマス島に比べると訪れやすいこともあってか、オルダス・ハックスリー、カール・セーガン、グレゴリー・ベイトソンらの文学者、天文学者、文化人類学者もここにやってきた。
当時イルカの知能研究がそれだけ幅広い注目を集めていた証拠であろう。3)
特にベイトソンはここに長期滞在してイルカの研究に従事した。
ただし、その方法はなるべくイルカに無理強いをせずに生態を観察していくという、人間の未開社会を観察する文化人類学的な方法と同一のものであり、イルカとの交流を促進してその能力を追究しようとするリリーの方法とは相容れなかったようだ。
また政府からの補助金を管理している人間はベイトソンを好まず、ベイトソンもベイトソンでイルカだけでなくタコの研究も始めたりしたので、政府系の人間はタコ研究にカネを出すわけにはいかないと言いだし、そのためにベイトソンは2年間でここを去ってハワイでイルカ研究を続行した(210)。
さて、肝心のリリーによるイルカ研究であるが、この第一期の研究でどの程度成果があったのだろうか。
最初はリリーもイルカの扱いに慣れておらず、何頭ものイルカを死なせてしまうなどした。
しかしその後新しいイルカが入り、その中には映画『わんぱくフリッパー』(1963年)に使われたイルカもいたという。
これも彼の研究が広範な関心を集めていた証左であろう。
リリーは脳の研究からイルカに興味を持ったわけだが、自伝の記述を見る限り時代の限界が濃厚で、例えばイルカはゴリラやチンパンジーより大きな脳を持っているから知性に優れているはずだというような記述になっている。
或いは、ヒトの脳でチンパンジーより大きい部分が抽象化などの高度な能力をになっており、イルカにあってはその部分がヒトよりさらに大きいから、高度であるといったおおざっぱな断定がなされている(226以下)。
現代では脳は単に大きいかどうかでは優劣が決められず、部分ごとの機能や、皮質の厚さや皮質内の神経の密度などによっても能力に大きな差が出ることが分かっている。
もっとも90年の自伝は後から回想して書いているので、実際に60年前後にリリーが研究を進めながら認識していた事柄を単純化したり忘れていたりする可能性もある。
そこで、1961年にリリーが出した著書『人間とイルカ』4)によって当時リリーがどの程度のことを認識していたかを明らかにしよう。
リリーはイルカの脳を切片化して顕微鏡で調べた結果として、大脳皮質の細胞密度は人間とほぼ同一だとしている。
そしてそれ以前の同種の研究ではイルカの大脳皮質の細胞密度は人間よりいくぶん低いとされていたことに対して、それは死後変化のためではないか、と述べている。5)
しかし、脳に関する知見はその後進んでおり、大脳皮質の細胞柱は平均して1個あたり108の神経細胞を含んでいるのに、イルカではその3分の1に過ぎないという報告が出ている。6)
こうした研究は80年代以降になされたもので、60年前後に第一期研究をしていたリリーが知らないのは当然のことである。
ただし現在でも脳細胞と知能との関係は明確になっているとは言えない。
加えて、そもそも人間と異種生物の「知能」を比較すること自体が可能なのかどうか、という根本的な問題がある。
哲学的な問題とも言えよう。
イルカの感覚と認知を研究している村山司は2003年の著書の中で、イルカの行動や種々の事象を見るとなにがしかの洞察や思考が働いているのではと思えるふしが確かにあるとしながら、「ヒトの基準で彼らの知的尺度のようなものを考えることがはたして妥当なのだろうかという疑問を禁じ得ない」と述べている。7)
この種の疑問は実はイルカ研究の当初から存在したのであって、リリーが61年に出した『人間とイルカ』の邦訳に序文をつけた細川宏(当時東大医学部教授)は、「イルカが果たして類人猿に匹敵しそれをしのぐ知能をもつかどうかは、知能というものの内容によって一概に決定はできない問題である。
(…)イルカの脳が哺乳動物界における一つの極限形を示していることはあきらかで、しかもその進化の方向が、人間を頂点とする霊長類的進化とは幾分違ったものであることは疑いない」と述べているのだが、これはやはり同様の問題意識の表明と思われる。8)
また、リリーはイルカが人間の声を真似ること、イルカ同士が音声で情報交換を行うこと、イルカの可聴周波数は人間のそれから中波ラジオの周波数に至るまで広範であることなどをふまえて、基本的に体の動作で情報交換を行うヒト以外の霊長類より高等であり、条件さえ満たせばヒトとの意思疎通が可能になるはずだと考えた。
ヒトの赤ん坊は家族の中で育てられることで言語を学ぶ。
だからイルカの赤ん坊をヒトに育てさせればヒトとイルカの意思疎通が可能になるのではないかというアイデアを得て、実際に人間の女性にイルカの赤ん坊を育てさせた。
しかし人間に育てられたオスのイルカは性的なフラストレーションに悩まされるようになり、結局中止のやむなきに至った。
もっともリリーは快楽としてのセックスを求めること自体をイルカが高等動物であるしるしと述べている(214
以下)。
このように現在から見ると不十分なところもあるが、それは時代の制約であるからやむを得ない。
リリーは総括的に、この時期のイルカ研究は成功だったとしているが、当時の未発達なコンピューターや脳科学の制約を考えるなら、またイルカの扱い方自体の知識が十分積み重ねられていない時代であったことを考えるなら、それもあながち強弁とは言えないだろう。
今風の言い方をするなら、「萌芽的研究」としてある程度の成果を上げたと言えるのではないか。
ただしそれはあくまで「ある程度」であって、彼が当初夢見ていたようなヒトとイルカのコミュニケーション(人間同士の会話というような意味合いでの)は、達成されなかったのである。
D.この第一期の研究成果はさておき、上にも述べたこの時期の著書『人間とイルカ』を見ながら、その記述法の特質を述べておきたい。
すなわち、この頃のリリーは科学者としての基本をそれなりに押さえた存在だった、ということである。
わざわざこういうことを書くのは、第二期になるとその辺が怪しくなってくるからだ(後述)。
この本の「ひとつの予言」と題した序文で彼は、「10年あるいは20年のうちに、人類は他の種の動物とのコミュニケーションを確立するだろう。
相手は人類とはまったく別のもので、たぶん地球外の生物か、地球の海中生物である可能性が強い。
いずれにしても、この生物は高度に知能が高く、ある種の知性すらそなえているはずだ」と述べている。9)
そしてその後すぐ、「あまりにSF的な予言ときこえるかもしれないが」と断りを入れている。
すなわち、大胆な予言をしたあとに普通の読者が覚えるであろう違和感を予想するだけの分別がある。
また、研究上の失敗(最初はイルカを次々と死なせてしまったことなど)や私生活(結婚など)についても率直な筆致で書かれており、その研究についても非専門家向けに平明に説明しようとする意欲が感じられ、啓蒙的な姿勢を持ちながら萌芽的な研究に意欲的に邁進している40代半ば、すなわち研究者として脂の乗った時期にいる人間の姿を彷彿とさせる。
研究から出てくる可能性についても冷静に提示している。
具体的には、次のように4つの可能性が考えられるとしている。
(1)人間よりけた外れに大きい脳との出会いがあるかもしれない。その脳の心的プロセスは、われわれの生きている期間内には解明されないだろう。
何が何でもイルカは頭がいいというような言い方ではなく、むしろイルカと人間とのコミュニケーションの不可能性や、イルカの知能が低い可能性をも視野に入れており、謙虚な姿勢がうかがえる。
(2)イルカの脳は人間と違い言語中枢を持っていないかもしれない。
イルカの脳は人間のそれとは全然違う作業を行っているのかも知れない。
(3)イルカは実際は愚鈍なのかも知れない。大きな脳も、水中での運動コントロール、そして独特の音を出すのに使われているだけなのかも知れない。
また発する音も、感情と遊泳に関係があるだけで、他の意味などないのかも知れない。
(4)イルカは発声器官のせいで人間の言語をしゃべるのを学ぶことは不可能かもしれない。
同様に人間もイルカの言語をしゃべるのを学ぶことは不可能かもしれない。
かくして人間とイルカはコミュニケーションができないのかもしれない。10)
ただ、時代的な制約は当然ながらある。
生きているイルカの頭蓋骨に皮下注射用のチューブを打ち込んで薬物を入れたり電極を差し込んで電気を通したりして脳の構造や反応を調べようとする実験を行っている11)——イルカだけではなくサルやネコやネズミにも彼は同様の実験をしている——が、こういう実験法は現在なら残酷だとして研究者たちから排除されるだろう。
ただし、この種の実験にはそれなりの技術が必要で、50年代前半にリリーがサルを対象に実験を行っていた頃、FBIやCIAとつながりのある研究者からのコンタクトがあったと、1978年に出た自伝『サイエンティスト』の中で回想されているところからすると、きわどい実験法がかえって政府機関から注目を寄せられるきっかけになったと思われる。12)
また、動物の知能を測定するという研究は、知能による生物のランク付けに直結する。
実際、リリーはこの本で知能程度により生物を何段階かに分類している。
レヴェル1のウィルスやバクテリアから始まって、5が類人猿、6がかつて存在したらしい原生人類、7は書き言葉を持たない非文明的な人類、8は文明人、9は超人間的なレヴェル、となっている。13)
7と8を区別するのは、今なら差別的だと糾弾されそうだ。
また、イルカの中の知的な一群に教育を与えることができれば「アフリカ大陸におけるニグロ諸種族のような地位に立つことであろう」などという文章もあって、これも現在の研究者ならまず使わない表現であろう。14)
なお、この本は1961年に出ているわけだが、その数年後——まだ第一期研究を行っている時期——からリリーはLSD(幻覚剤)を頻繁に使用するようになり、研究そのものにも神秘主義の影が射すようになっていく(後述)。
それがまだ現れていないという意味でも、本書は健全な領域にとどまっていると言える。
言い換えれば、健全だったのは第一期研究でも前半のみ、ということになる。
E.さて、ふたたび90年の自伝によって第一期研究全体の問題点を探ることにしよう。
当時の科学的技術的な制約を別にしても、リリーの研究自体に付随する若干の芳しくない側面を指摘できる。
第一にイルカに対するリリーの過度な思い入れである。
前項で述べたように61年に出した書物では研究者としての節度をそれなりに守った記述になっており、90年に出た自伝の記述は後年のマッドサイエンティスト的な観念が過度に過去に投影されている可能性もあって、いくぶん割り引いて読まねばならないが、それでも自伝に記されている第一期研究当時のリリーの行動を見るなら、後年ひどくなる狂気の芽がうかがえる。
例えば人間とイルカの道徳的な比較である。
リリーは二度目の妻エリザベスとも時間がたつにつれて疎遠になっていくが、これについてリリーは自伝の中で、あるとき妻が二歳の娘をどなりつけているのを見て彼女の暴力性に気づいたとした上で、こんな風に書いている。
ジョン〔自伝でリリーは自分をファーストネームで呼んでいる〕はイルカが自分たちの子供のみならず、人間と触れあうときの優しく思いやりのある接し方に深い感銘を受けていた。
イルカは暴発的な怒りや激情を、けっしてあらわにすることがない。
(…)残酷な扱いをしない限り、イルカは決して暴力をふるわない。
/イルカとの絆が深まるにつれ、ジョンはどんどんイルカのようになっていった。
他方、リズのことは知れば知るほど俗物であることが分かってきた(230以下)。
村山司も指摘していることだが、イルカは別段平和の使徒ではなく、彼らの闘争行為や仲間への威嚇や攻撃はそれなりに観察されている。
村山は世間がイルカと平和を結びつけるような傾向を、リリーの「イルカは知的な動物だ」という説が曲解されたからだとしているが15)、実はリリー自身に曲解の責任があったのである。
そればかりではない。
上の文章からは、人間関係のごたごたを一方的に他人の責任にし、自身の咎を省みない独善的な性格も見て取れる。
ちなみに間もなく彼は二度目の妻とも別居し、75年に離婚が成立している。
78年の自伝によると、LSD使用も離婚原因の一つだったようだ。16)
突き放した言い方をするなら、これはリリーが持っているディレッタント的な性格によるものだろう。
彼は裕福な親に恵まれ、自分のやりたい研究を続けることができた。
イルカの研究所を作るにあたっても多大の私費を投じている。
ふつう、特に理工系や医学系の研究は多大の研究費を要するが故に自分の興味だけで研究テーマを選ぶことは難しい。
公的な研究費を得るには、その研究が世間にとって役に立つという了解がなくてはならないからだ。
イルカの知能の研究という、世間の注目を浴びる「面白い」研究に彼が没頭できたのも、裕福な親を持ったがためのディレッタント的な性格がよくも悪くも可能にしたものだったと言えるだろう。
しかしそれは同時に、唯我独尊的な性格を助長することにもつながっていったのではないか。
第二に、イルカ研究と軍隊との関係である。
リリーは先にも述べたようにアインシュタインと原爆の例を自伝内で取り上げて、科学が平和目的のためだけに使われるべきだと強調している。
鯨やイルカを特殊な動物と見なすような研究が、捕鯨問題に見られるようにむしろ別の領域で国際紛争を招来するかも知れないと考えなかったところにリリーの限界があるわけだが、ここではその点は問うまい。
問題は、彼のこの第一期のイルカ研究に海軍や空軍が研究資金を提供しているという事実である。
むろんそれがイルカの直接的な軍事利用を念頭においたものだったかどうかは分からない。
提供する側はすぐに実用的な成果を出して欲しいと匂わせるような真似はしなかったかも知れない。
だが、軍隊がカネを出す以上、研究成果の軍事利用をまるで視野に入れていなかったとは考えにくい。
仮に研究成果の軍事利用を潔癖に拒絶するなら、そもそも軍隊から研究資金をもらうこと自体をやめるべきなのだが、90年の自伝を読む限りリリーがその辺をどう考えていたのかは分からない。
自伝の中では、第一期研究時代からイルカが海軍に利用されるのを恐れていたと書いて、昔から自分は平和主義者だったのだと強調している(253)。
しかしこれは後年から見た合理化、もしくは歪曲ではないか。
61年に出した本にはリリーの当時の本心が率直に現れているからだ。
すなわち、研究の当初から軍が積極的な援助をしている事実が61年の本には記されているのだ。
イルカ用のプールを作るときには海軍が岩盤を爆破する作業を初めとして本質的な貢献を行っているし、「援助を頼んだ官庁や財団の中でもっとも迅速に手を差しのべてくれたのは、海軍調査局・生物学部の中のシドニー・ゴーラー博士の課であった。
われわれが援助を申し込んでから三週間もしないうちに、ここがかなりの資金援助をしてくれることになり、研究プログラムに着手できることになった」と述べている。17)
リリーの研究にまっさきに反応したのが海軍であったことを偶然と受け取れるだろうか?
むしろイルカに軍事利用の可能性があったからこそ海軍側が飛びついてきたと解釈するのが自然だろう。
さらにこの本の後半で、リリーはイルカの軍事利用に言及している。
ミサイル等の回収、機雷・魚雷・潜水艦の発見、海上パトロールなどに使えるのでは、と述べた上で、次のように書いている。
かれら〔イルカ〕が戦闘的なタイプならば、自己指向的対人攻撃武器としてすこぶる有用となる。
かれらは夜間に港湾作業に従事し、潜水艦や航空機から放たれたスパイを捕獲し、黙々とそして能率的に敵拠点を攻撃し、そうした接触の情報を味方基地にもたらしてくれる。
かれらは核弾頭を運搬し、潜水艦・海上船・魚雷・ミサイル等に装着してこれを爆砕する。18)
要するにこの時期のリリーはイルカの軍事利用を相当程度認めていたわけで、平和主義者とは言いがたい。
たしかにそのすぐ後に、軍事より他の分野で役立つだろうとも書いているから、引用箇所は軍から資金を得ていることへの配慮とも受け取れるが、前述のように本当の平和主義者ならそもそも軍のひも付き資金を受け取るはずもない。
また78年の自伝でも、リリーがイルカ研究に手を染めた頃に国防省から声がかかって、そこに出向いて話をしたという記述がある。19)
ここからもリリーが決して軍隊や国防省に拒否的な姿勢をとっていなかったことが分かる。
ここで軍や国防省との関係を特に問題視するのは、リリーが90年の自伝で強調している自称平和主義との矛盾をあげつらいたいからばかりではない。
後で見るように、第二期のイルカ研究に至るとリリーと軍のイルカ研究は完全に袂を分かち、互いを敵対視するようになるからだ。
それは、平和主義者と軍隊の争いと言うよりは、むしろイルカ研究のヘゲモニー争いのように見え、リリーの平和主義自体がむしろ軍のイルカ研究への反発から帰納的に導き出された可能性も考えられるのである。
第三に、これは必ずしもリリーの責任ではないが、イルカ高知能説が実際の研究結果を超えて一人歩きを始めたという事態がある。
61年の本にもすでに記されているが、彼のイルカ研究が新聞記事になると、しゃべるイルカを描くマンガ家が複数現れたり、異星に知的なイルカが住んでいるというSF小説が新聞に載ったりしたという。20)
イルカを題材にしたSFは他にも多く書かれた。
有名なのはアーサー・C・クラークのジュヴィナイル『イルカの島』(63年)だが、他にも『アルタイルから来たイルカ』(マーガレット・セント・クレア著、67年)、『イルカの日』(ロベール・メルル、67年)があり、邦訳がない作品も加えるとかなり多数に及ぶ。
さらに『イルカの日』は映画化もされているし、『フリッパー』のように映画とテレビ双方で大衆の人気を博した作品も出てくる。
もとよりSFというのはそうした性格を持っており、人類がやっと人工衛星を打ち上げる段階で銀河系宇宙を人間が自由に飛び回る未来の物語が流布したり、逆に内的な宇宙と称して、現実にはあり得ない人間の心理や感受性をフィクションの形で創作したりする。
そのこと自体は決して非難すべきことではないし、想像力を駆使したフィクションをフィクションとして楽しむ分にはむしろ知的な娯楽として推奨できるだろう。
しかし、リリーの研究に触発される形でイルカに関するSFが多く書かれるという状況は、実際の研究結果と想像力の産物との混同を生む危険性を生み出した。
また、高名な物理学者レオ・シラード(これもリリーの友人である)のような人物すらもが『イルカ放送』(61年、邦訳あり)という小説を書いており、この危険性をさらに増大させたのである。
F.さて、この第一期研究の後、リリーはしばらくイルカから遠ざかる。
60年代後半のことだ。
その理由としてリリーは90年の自伝では、研究目的でイルカを研究所に閉じこめておくのに耐えられなくなったこと、ベイトソンに解雇された写真家が退職金支払いを求めて裁判を起こしたために3万ドルの支払いが必要になって研究所を売り払ったことを挙げているが(254以下)、おそらくはそれだけではなかろう。
リリーは理由の一端として5頭のイルカが食べるのを拒んで自殺したと述べているが、飼い方自体に、或いはスタッフの質に問題があったのではないか。
妻への態度を見ても、リリー自身の対人関係にそうした問題を引き起こす要因がひそんでいた可能性は否定できまい。
なお78年の自伝では、これに加えて、LSDを研究に用いることへの周囲の無理解、ニクソン政権による実務的研究の奨励、研究の潮流が変わってそれまで関わりを持った研究所とリリーとの溝が深まったことなどが挙げられている。21)
そもそも先にも述べたように、第一期イルカ研究も後半になるとリリーはLSD使用にのめりこんでいく。
幻覚剤を使うこと自体、アメリカ60年代から70 年代にかけてのカウンターカルチャーの中で、外部世界に向けられていた革命の対象を内部世界に転じるといった意味付けがなされていたわけだが、50年代から一部で始まっていたようである。22)
リリーもイルカ研究に手を染める前、50年代半ばに人間の精神を研究していた時代にすでに同僚から研究目的で LSD使用を勧められており、その時は断ったようだが23)、時代の流れも彼の体質を後押ししたわけだ。
もともと彼は脳や心に関心があってイルカに近づいたという経緯があり、ドラッグ使用を肯定的に捉えやすい体質があったと言える。
64年、イルカ研究中にドラッグで心が自分の肉体から離脱した状態を体験し、その状態がイルカによってプログラムされたのではないかとリリーは考えた。
しばらくはイルカ研究とLSD使用を並行して続けたが、結局はイルカからは離れて、LSD体験によって人間の心を研究する方向に回帰していった、と見るべきだろう。
リリーはスタンフォード大学の催眠研究所やメリーランドの精神医学研究センター、そしてエサレン研究所を知る。
エサレン研究所とは60年代に設立されたセラピーのための施設で、タオやチベット密教など東洋系宗教をも含むさまざまなサイコテクノロジーの実践の場となっていた。
オルダス・ハックスリーやベイトソンもここに出入りし、やがてリリー自身も密接な関係を持つようになり、一時期ここで講師も務めている。24)
60年代末からのリリーは仏教や禅に詳しいアラン・ワッツや、ヒンズー教やヨガに詳しいリチャード・アルパートや、さらにチリに住むオスカー・イチャーゾを尋ねてそこのグノーシス主義研究所に出入りし、スーフィズムや仏教や禅について独特の教義を学んだりして、この方面に深入りしていく。
この時期のリリーも複数の著書を出しており、邦訳されているものもある。25)
イルカ・イデオロギーを扱う本論の目的からはずれるので内容についてここで検討することはしないが、要するに幻覚剤を用いての神秘体験やその方面の研究所での仕事について書かれている。
今から見れば、70年代にもてはやされたニューエイジ、およびその中のニューサイエンス26)という枠の中でリリーは動いていたと言えるだろう。
この時期、彼はいくつもの恋を体験しては愛に関する考察をも極めようとする。
しかし終始LSDを手放さなかった事実は押さえておかねばならない。
やがてリリーはアメリカに戻るが、73年になってケタミンという薬剤を知る。
これも「内的現実」へのトリップを容易にする幻覚剤であり、彼はこの薬を常用するようになる。
この頃になると、自伝の内容は露骨に神秘主義、或いはオカルトに接近している。
例えばアラン・ワッツが死去したとき、来世では赤毛の女の子に生まれ変わると言い残したが、少し前からリリーと恋愛関係に陥っていたアントニータ・レナ・フィカロッタ(愛称トニ)の娘ニーナが直後に生んだ女の子が赤毛だったとか、リリーが生涯で何度も事故で死にかけているのにその都度助かっているのは高次の力に守られているからだとか書かれている。
いや、このあたりまでならまだ笑って読み飛ばせば済むが、それに続いてリリーはこの「高次の力」をECCOと呼ぶようになるのだ。
ECCOとは、Earth(地球), Coincidence(偶然), Control(制御), Office(局)のことである。
ECCOはリリーを諜報員として選び、地球上で彼らの使命を実行させるために訓練している——とリリーは確信するに至る
(356)。27)
リリーはまた別のネットワークともコンタクトを始める。
それはSSIと称され、Solid(固形), State(状態), Intelligence(知性体)の略であって、コンピューターのような、宇宙全体に広がる固形の生命状態から構成されているという。
そしてこのグループはECCO(宇宙の総合的な秩序を代表しているように見える)とは逆の目的で働いていて、生命体や水生動物などを征服し、支配しようとしていた。
捕鯨やまぐろ漁業などにより、鯨類を絶滅させることがその手始めである。
ECCOのエージェントとしてのリリーの使命の一部は、このソリッドステート知性体による脅威を世界に警告することであった、という。
リリーはフォード大統領に警告しようとするが、電話がつながらなかった、と書いている。(357以下) 28)
こうしたリリーの主張と行動は、言うまでもなく周囲の人々にしかるべき対応をとらせた。
つまり精神病院入りである。
実際にリリーは病院に入れられたが、退院してからもケタミンを手放さなかったという。
さらに、周囲がケタミン提供を渋るようになると別の薬剤を探し求めている。
完全に薬物中毒になっていたわけだ。
そして別の薬剤を服用して自転車に乗り転落して大けがをする。
自分は地球の人間の肉体に異星人が住み着いている存在だ、と言い出すようにもなる。
故郷の異星文明に戻ると偉大な存在になるが、地球では限界のある人間という存在に押し込められているのだ、と。
加えてこの時期の彼の信念からすると、人が心の領域において本当だと信じることは、ある限界内において本当であるか、本当になるというのであった。
心の領域には限界はないが、肉体には明確な限界がある、と。
また、「愛」を求める行為が周囲から批判されもした。
インタビューを受けながらインタビュアーの女友達に触り続けていたのでセクハラの嫌疑も受けた。
リリーの「内的現実」では、彼女と二人きりで愛を紡いでいたらしい(364)。
以上、この時期のリリーを概括するなら、薬物中毒者が異常な行動を示し異常な世界観を披露していると言うしかない。
ただ、こういう人間が周囲から完全に見放されたのかというと、そうではないところに問題の根深さがある。
60年代から70年代のカウンターカルチャーに発したアメリカ・ドラッグ文化は、東洋の宗教や神秘主義と結びついてそれなりの広がりを見せていた。
いわゆるニューエイジである。
たとえまともな科学者や政治家に相手にされなくなったとしても、リリーのこうした「世界観」を受け入れる人間は一定数いた。
前述の女性トニにしても、75年にリリーと正式に結婚して彼の三度目の妻となっている。
そうした支持層を基盤として、リリーの第二期のイルカ研究が始まってゆくのである。
G. 1976年、リリーは友人たちとともにヒューマン・ドルフィン財団を立ち上げた。
ここに彼の第二期イルカ研究が始まる。
彼はこの研究を「ヤヌス計画」と名付けた。
ヤヌスとは古代ローマ神話で普通の顔以外に後頭部にも顔を持つ双面の神であるが、顔の片面が人間、もう片面がイルカという含意で、異種間コミュニケーションを象徴させたわけだ。
60年代の第一期研究の頃と比べると高性能コンピューターが安く入手できるようになっていることから、イルカの「言語」研究も容易になったとの判断があったらしい。
また、他のイルカ研究者への対抗意識も見逃せないだろう。
リリーは自伝のなかで、70年代には多くの人がイルカ研究を始めており、それは自分の研究からの影響であると述べている。
加えて73年の映画『イルカの日』に不快感を抱いた。
イルカに関する誤った知識が混入しているのに加え、自分の研究を下敷きにしていると考えたからだ。
そのため彼は著作権侵害で映画プロデューサーを訴えたが、敗訴している(404)。
さらに、海軍との確執が表面化する。
60年代の第一期研究においてリリーが軍から資金を得ていたこと、イルカの軍事利用にも必ずしも反対はなかったこと、自伝で主張しているような平和主義を貫徹したとは言えないことはすでに指摘した。
つまり軍側からすれば、第一期のリリーの研究はそれなりに評価できるものだった、と考えられる。
しかし第二期になると、リリーの研究はまともな人々から広範な注目を集めたとは言えなくなる。
この場合の「まとも」とは、研究活動を興味本位やオカルト趣味といった「面白おかしさ」からではなく、科学者や政府関係者などのように、純正な科学的立場から評価する能力を持つ人々、という意味である。
例えば80年にナーバルオーシャンシステムセンターがイルカ研究についての会議を催したとき、多数の著名な科学者が招待されたにもかかわらず、リリーは除外された。
リリーはこれに抗議したが反応はなかったという(409以下)。
リリーはこれを不当なものとするが、第三者の目で見れば事情は明らかであろう。
第一期イルカ研究の彼はまだ科学者として評価されていたが、その後の幻覚剤常用による言動がたたってマッドサイエンティスト扱いされるようになり、もはやまっとうな学者たちからは相手にされなくなっていたのである。
加えてリリーはこの会議について、外部のイルカ研究者に海軍が資金援助をすることで海軍の優位性を確保しようとする目的があり、またリリーの努力によって浸透したイルカが知的な存在だというイメージをくつがえそうとしていると非難している(410)。
イルカは知的な動物というイメージが、アメリカにおいて連邦の海洋動物保護法(MMPA)制定につながり、この法は捕えられたり殺されたりするイルカの数を制限するとともに捕えられたイルカの扱いを規定しているが故に、マグロ漁業に影響を与えていた。
漁師がイルカを殺さずにキハダマグロを捕獲するのは困難だったからである。
しかしリリーも認めているが、 MMPAが直接的に海軍にとって障害になるということはなかったのである。
常識的に考えて、イルカを守れという過激な声が漁業を営む人々の生計を脅かしかねないからこそ、MMPAや、その基盤となったイルカ高知能説への批判が起こったと考えるべきであろう。
リリーの言い方では、レーガン政権のもとで軍事と関係する研究者のみが優遇されて政府から資金をもらい、そうした連中はリリーを批判するのみならず、イルカはリリーの言うようには知能が高くないと一般に思い込ませようとしているということになるのであるが、むしろオカルト趣味のリリーは政府関係者や実績のある科学者から相手にされなくなっていた、と理解するのが実態に近かろう。
つまり、リリーの言う軍隊陰謀説は本人の一方的な思いこみに過ぎないということである。
そもそも第二期研究におけるリリーは第一期とは異なって資金不足に悩み、『イルカと話す日』といった著作を出版してその収入を研究に回そうとした。
(この著書の内容は、すぐあとで見るようにかなりカルトっぽいものである。)
軍からカネが入らないだけでなく、その他の外部資金もわずかしか入ってこず、そのためスタッフは専門的な訓練を積んだ学者ではなく、「イルカとの水遊びを通じて分かちあう安らぎに意義を見いだす熱狂的な若者」のヴォランティアが多数を占める(416以下)。
つまりこの第二期にあっては、リリーを支えていたのは冷静な科学者集団ではなく、わけの分からぬまま彼を教祖扱いするカルト集団に近いものだった、ということだ。
リリー自身ですら専門家の欠如が研究に悪影響を及ぼすことを自伝で認めているのに、である。
こうした惨状こそが、この時期のリリーが外部からどう評価されていたかを雄弁に物語っている。
資金不足のために物理的な環境も第一期に比べて不備であった。
そして85年、ヤヌス計画は終わりを迎える。
リリーは自伝で色々言い訳をしているけれども、結局のところ彼はこの第二期研究では目立った成果は上げられなかったのである。
この時期の彼がもはや最先端の科学者でもなければ、まともな判断能力を持つ人々から注目される存在でもなくなっていたことの何よりの証拠だろう。
加えてこの第二期研究では相変わらず幻覚剤使用を続けており、そこから来るイルカの「集合意識」との触れあいを語ったりしているのだが、それは「言葉で言い表すことは到底不可能」なので、ついに他者にその真価を伝えることができないという代物なのである(415以下)。
さて、では『イルカと話す日』はどんな書物だろうか。
科学的に根拠のある部分については、イルカの基礎知識や研究法が啓蒙的に紹介されているが、61年の著書を知っている人間からするとさして新味がない。
そして将来構想となると、SFまがいの代物である。
鯨は人間以上の思考力を持ち人間以上の遠い視野で過去や未来を見つめている、鯨は地球のたどった歴史を記憶している、鯨には人間と同等の法的権利を認めるべきである、鯨の倫理と哲学を理解して地球上・銀河系における人間の姿を見極めるべきである、国連に鯨代表を派遣する、鯨の持つ知識を利用した新しい産業ができる、米国国会図書館と鯨の間に電話回線網が設けられる——といった内容なのである。29)
繰り返すが、第二期のイルカ研究において、こうした仮説はどれ一つ実証・実現されることなく終わった。
そして第一期研究のさなかに出した『人間とイルカ』にあっては科学者としての節度を守った記述がなされていたのに対し、この『イルカと話す日』ではその節度が失われている。
マッドサイエンティストと呼ばれてもやむを得ない内容と言わざるを得ない。
ケネス・S・ノリスという著名なイルカ学者がアメリカにいる。
1925年生まれで、著書『イルカ入門』は邦訳も出ている。
この本を読むと、前述の MMPA法とマグロ漁業に関してやはりイルカ保護の立場から書いており、自然科学者というのは基本的に都市に住まう中流階級的な価値観の主で、第一次産業に従事する人間にはあまり同情や関心がないらしいと感じさせられるのだが、そのノリスにしてからが、イルカの知性については以下のように書いているのだ。
これまで述べてきたイルカのコミュニケーションの実態は、彼らが私たちのような高度にシンボル化された言語を持たないことを示している。
(…)イルカたちは、現在起きつつある出来事について情緒的表現をすることしかできないらしい。
(…)イルカのコミュニケーションには過去や未来の物事を示すシンボルなど存在しない。
/では、イルカたちは、個体に共通した記憶や行動以上の何らかの形で、「文化」を保持することができるのだろうか。
あるいは私たちのように、過去の出来事に思いを巡らせ、それを美化したりすることがあるのだろうか。
私はできないと思う。
彼らにそのようなことができることを示す証拠はまったくないからだ。
/またイルカたちには、私たちの豊かな文化の基礎となっている「世代をこえた経験の伝達」の機構も存在しないようだ。
つまり、集団としての経験を文字や口伝の形で後の世代に伝え保持していく能力である。30)
イルカの知性に関してはまだまだ不明な点も多いとはいえ、現在の研究ではだいたいこの程度の見積もりがなされていることは知っておくべきだろう。
また、ノリスはこの本の末尾に参考文献一覧を掲げているが、そこにリリーの著書は一冊も入っていない。
リリーが学者としてどう評価されているかはここからも明らかだ。
ちなみにリリーの第一期イルカ研究に関わったベイトソンの著書は入っているのだから、ノリスがリリーの第一期研究圏内にいた人物をはなから無視しているわけではないことも分かる。
要するにリリーの研究は、そのまともな部分はとうに他のイルカ研究者によって追い越され、まともでない部分は相手にされない存在になっているのである。
H.最後に、リリーの自伝を邦訳した中田周作が同書のあとがきに記しているところに注目したい。
翻訳者というのは、得てして原著の価値を過大に宣伝したり、原著者の思想や主張を鵜呑みにして無批判的に受け入れたりしがちなものだが——例えば本連載前回の注18で指摘した関邦博や、リリーの『サイエンティスト』や『意識の中心』を訳した菅靖彦など——中田についてはそうした卑屈さは微塵もうかがえない。
1992年にリリーが初来日したとき、中田は彼の90年の自伝を訳すべく精読している最中だったので、リリーの講演会場に出かけ、そこで自伝の内容に関して三つの質問をしたという。
つづめて書くなら、「取り巻きを寄せ付けないようにするにはつまらない顔をしているに限る、とあなたは自伝で書いている。
なのに、本日のあなたは取り巻きに囲まれている。
戦略に失敗したのでは?」
「イルカ=鯨高知能説と独自文化説を打ち出すためにあなたは鯨類の脳の大きさを強調しているが、人間中心主義を批判していたあなたは脳中心主義に陥ったのではないか」
「あなたはイルカ=鯨の方が人類より長い歴史を持っているのだから、生態系や地球環境に関する情報をも人類より多く持っていると主張する。
それなら、ゴキブリの方がさらに長い歴史を持ち、なおかつ人間の台所に出向いているのだから、ゴキブリから生態系情報を学ぶべきではないか」という質問である。(483以下)
ちなみに、第一の質問をしたとき、リリーの左右を固めていた取り巻きが顔を見合わせざわめいたという。
中田の質問に対してリリーからは満足のいく回答は得られなかったようだが、後日、リリー自伝の邦訳を上梓する予定になっていた出版社に彼の取り巻きから激しい抗議の電話がかかってきたという。
リリーとその取り巻きがどういう種類の人間たちかがうかがえる逸話であって、ここからもすでにリリーが科学者ではなく、カルトの教祖となり果てていたことが看取できるのである。
注
なお動物学者の日高敏隆は1980年に柄谷行人と対談した中で以下のように述べているが、この種の問題は動物学という分野にかかわる人間にとって避けて通れないもののようだ。
「〔動物から人間を説明するという方法は〕人間も動物もルーツが同じで、しかも進化してきたのであるから、こっちからこっちへ引いているだろうという発想ですね。
それは非常に陳腐な話にしかならないと思うんです。
/いま比較生理学なんていう変なことをやってるんですが、とにかく昆虫だって一種類ずつちがう。
あるひとつの種に当てはまったことは、もうひとつの種には当てはまらないことが大部分である。
たとえば(…)ある種の昆虫をある方法で解析したらあることがうまくわかった。
そこでその方法を、もうひとつの種に、近縁種だからたぶん同じだろうというので適用すると、たいてい失敗で
す。
(…)みんなおのおの違うわけです。
ですから、チンパンジーでこうだから、人間もこうだろうということが言えるとは思えない。
もし人間を識りたかったら、人間そのものを対象にしてやらなきゃね。」柄谷行人『ダイアローグⅡ』
(第三文明社、1990年)20頁以下。
日本では柄谷行人がそうした流れを批判していた。
1984年に彼は坂本龍一・村上龍との鼎談で次のように述べている。
「むろんニューサイエンスなんて、ないんです。
サイエンスっていうのは、組織的なある表現体系なんですね。
どんなすぐれた科学者も、すべての時と対象において科学的なわけではない。
彼は、”科学的”な形をとる時だけ科学的なのです。
たとえば東洋医学をとってみてもね、鍼・灸は確かに効くわけよ。
だけど、効くとか治るとかってことはどういう意味なのか、そのことをある形できちんと確かめるのが西洋医学というか科学なんだね。
/だから、両方を総合した新しい医学が始まったとは言えないんですよ。
そう言ったら、どっちもダメになっちゃうからね。
今、ニューサイエンスを言う連中はそれこそ神秘主義の連中なんだけれども、サイエンスのある種の組織的な厳密さを放棄して言ってますよ。
それでは何も明らかにならない。」『ダイアローグⅡ』、354頁以下。