捕鯨問題をめぐる往復書簡

世界自然保護基金(WWF)日本委員会 / 三浦 淳

(”nemo”第2号、1995より。
* 縦書き原稿から横書きへの変換のため、一部の漢数字を算用数字に変更してあります。)

三浦 淳
(新潟大学人文学部)



1.1993年5月5日付朝日新聞に掲載されたWWFの意見広告




2.三浦淳よりWWFへ

 前略
 5月5日付朝日新聞に載った貴委員会の意見広告に対して質問を致したく存じます。 お答いただければ幸いです。


(一)WWFの使命の(2)に「自然資源の持続的利用の推進」という項がありますが、これはその後で述べられている「クジラは人類と調和して共存する自然の一部として位置づけ、みだりに人間が手を加えるべきでない」と矛盾しているように思われます。 この論理的矛盾をご説明願います。

(二)(一)に関連することですが、鯨を捕るべきでない理由として「一部の人間の嗜好品として利用されている」からだとあります。 私は、何を必要と感じるか贅沢と感じるかはみだりに他者から規定されるべき問題ではないと考えます。 また鯨利用者が少数であることを理由とする鯨保護論は、少数者の文化の圧殺につながりかねないと思います。 WWFはこの点についてどうお考えでしょうか。

(三)鯨の資源量に関して、「現在南氷洋のヒゲクジラ(ミンククジラを含む)の生体容量は、商業捕鯨開始以前の約8%まで激減してしまった」と述べられています。 しかし現在日本が要求している捕鯨の対象はミンク鯨であり、ヒゲ鯨なら何でも捕らせよと主張しているわけではありません。 ヒゲ鯨を一緒くたにして現在の生体容量を掲げるのはおかしいのではないでしょうか。 少なくとも、当面捕鯨対象にすべきかどうか議論になっているミンク鯨については独立して生体容量を掲げるべきではないでしょうか。

(四)「クジラは回遊性が高い生物であるため(…)容易に『増えている』と判断すべきでない」とあるのは、IWC科学委員会のミンク鯨に関する資源量の議論に疑問を投げかけられているわけです。 そうでありながら、ASOCの鯨生体容量の報告に信頼がおけるとお考えになるのはどういう理由からでしょうか。

(五)最初のところで、WWFは「クジラだから」ではなく「クジラについても」保護を求めている、と書かれています。 これは大事なことで、私の意見では、絶滅の危機にある全ての生物に関して保護を訴える人は信用できますが、捕鯨に関してのみ反対意見を表明する人は人種差別主義者の疑いが濃厚だからです。 そこで、WWFが鯨だけではなく種の危機にある他のあらゆる生物のために平等に活動している証拠をお示しいただきたいのです。

 例えば、新潟県に生息しているトキは絶滅の危機に瀕しています。 その危機の度合は、鯨について3分の2ページの広告を一度出すならトキについては全ページの広告を毎日出さねばならないほどでしょう。 トキに限らず鯨などよりはるかに絶滅の危機にある生物は数多く存在します。 それらの生物のために鯨に劣らぬ精力と資金が費やされているのかどうか、お教えいただきたいと思います。


 以上の疑問に対する回答を、今月末までにお寄せいただければ幸甚に存じます。

1993年5月6日          三浦 淳

WWF JAPAN 御中




3.WWFより三浦淳へ

1993年7月30日
三浦 淳 様

(財)世界自然保護基金日本委員会
S〔個人名省略〕


 前略
 さて、5月に当会が新聞に掲載いたしましたクジラ保護に関する意見広告に対してご質問やご意見をいただきましたが、お返事が遅れましたことをお詫び申し上げます。 本来ならば、個々にお返事すべきところですが、たくさんのお問い合わせをいただきましたので、WWFの考え方をご説明し、代表的なご質問にお答えする形で、お返事させていただきたく存じます。 WWFの自然保護の理念とクジラ保護の考え方に関して皆さまのご理解をいただくことができれば幸いです。

 なお、WWF Japanが今年のIWC会議に向けて作成いたしましたパンフレットを同封いたしますので、合わせてご一読ください。


● はじめにWWF Japanが商業捕鯨に反対する根拠についてご説明いたします。


 WWFは、「WWFミッション(*1)」と「Caring for the Earth(CFE)・かけがえのない地球を大切に(*2)」を基に、長期的展望に立って地球の将来を考え、自然保護の戦略をたて実践しています。

 これまで人類は「自然資源は人間のために存在し、利用できるものはあくまで利用する」という考えのもとに、時には一部の人間の欲を満たすため必要以上に自然を搾取し続けてきました。 そしてこの傾向は、人類が高度の技術をもつようになった20世紀以降に加速され、多くの野生動物が絶滅の危機にひんしているのはご存知のことと思います。

 先進国における現在の生活態度(資源やエネルギーの浪費など)は、従来の考え方に根ざしたものでCFEの精神からかけ離れています。 人類が存続するには、すみやかに、過去のあやまちを認識して生活態度を改めること、資源の持続的利用を図ることが必要です。 資源(自然資源)の持続的利用を考えるとき、その利用は生存に必要最低限を満たすレベルで行うことが必要となります。

 現在、世界中から大量の食糧を集め、浪費している日本の自然資源に対する姿勢は問い直す必要があるのではないでしょうか。 先進国は世界の環境保全に積極的に責任を負うべきであり、もはや文化や習慣をふりかざしてのわがままは許されない時代になっています。

 過去の自然資源の利用のあやまちを反省せずに、日本が世界から食糧を集めているその一方で、途上国では環境破壊や資源の乱獲が起きていることを私たちはもっと認識する必要があるでしょう。

 クジラ保護は、海洋生態系の保護を図る上で重要な課題です。 WWFは世界中で20に及ぶクジラの生態研究および保護プロジェクトを行っており、今後とも力を入れて行きたいと考えています。

(*1)WWFミッション:WWFが1990年に策定した活動指針。人類が自然と調和して共存するような未来の実現を図ることを目標として、(1)生物の多様性を守る(2)自然資源の持続的利用の推進(3)資源エネルギーの浪費の防止の3つを使命としている。

(*2)CFE:WWFが1991年にIUCNとUNEPと共同で策定・刊行した。 持続可能な生活様式実現のための9つの基本原則と13の行動様式を提言している。


● とくに多くの方からいただきましたご質問2つにお答えいたします。

◆ クジラが絶滅しそうなら捕るべきではないが、どうして76万頭まで増えたという科学的データのある南氷洋のミンククジラまで保護しようとするのか

 ミンククジラの個体数についてはまだ正確にわかっていません。

 ミンククジラの数が76万頭(政府広報・水産庁)とは、91年のIWCに提出された数値を、加算したものです。 (表(1)参照)。ただし、データを加算することをIWCで認めているわけではありません。 個体数調査は南氷洋を6海区に分けて、毎年1海区ずつ調査していますが、回遊経路などクジラの生態が分からない時点で、年度の違ったデータを加算することの有効性が認められないのは当然でしょう。 ちなみに今年のIWCでは、新たなデータ(87〜92年)が提出され、それを加算すれば45万頭という数値がでてきます(表(2)参照)。 しかしこれについてのマスコミの報道はほとんどありませんでした。

 (1)クジラは広域を回遊し、その行動もはっきりわかっていない(2)ミンククジラが増加しているかどうかを知るには、長期間にわたる調査が必要である、などの点からも個体数を推定するには限界があります。少なくとも現段階では毎年減った増えたといった議論を科学的にすることはできないのです。

 WWFは、クジラの保護が海洋生態系の保護を図る上で重要な課題であると考えています。 たとえ現在個体数が安定している種であっても、海洋環境の悪化などで将来的には楽観できないため、クジラを脅かす要因である捕鯨再開には反対しています。


(1)1991年IWC科学委員会のデータ   .....   出典:第43回IWC

海区(経度)      調査年      推定サイズ    推定サイズ(95%信頼区間)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
I区(120W-60W)      82/83        73,000       45,000〜120,000
II区(60W-0)        86/87       122,000        84,000〜177,000
III区(0-70E)       87/88        89,000        52,000〜150,000
IV区(70E-130E)     88/89        75,000        45,000〜123,000
V区(130E-170W)     85/86       295,000       225,000〜386,000
VI区(170W-120W)    83/84       107,000        63,000〜182,000
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
                               761,000*


(2)1993年IWC科学委員会のデータ      出典:第45回IWC/4AnnexD

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 海区(経度)          調査年        推定サイズ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
I区(120W-60W)  WEST    89/90        28,580
               EAST                 23,672
II区(60W-0)    WEST    86/87        38,113
               EAST                 74,836
III区(0-70E)   WEST    87/88        67,209
               EAST                 17,136
IV区(70E-130E) WEST    88/89        21,417
               EAST                 42,800
V区(130E-170W) WEST    85/86         7,315
               EAST                 78,066
VI区(170W-120W)WEST    90/91        12,971
               EAST                 40,259
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
                                   452,374*

*データを加算することは、IWCでは認めていない。

◆クジラも家畜も同じ生き物なのに、クジラを食べるのは「ダメ」で家畜は「OK」なのはおかしいではないか。

 これは非常に難しい問題を含んでいるように思います。「無用な殺生はしないこと」には洋の東西を問わず異論はありませんが、日本人の多くは「家畜でもクジラでも殺生に変わりはない」と考え、欧米人の多くは「家畜は神が人間に与えたもの」として、一般野生生物とは区別するようです。

 繁殖をはじめとして生存のほとんどすべてを人間によってコントロールされている家畜と、大自然の営みの中で生きる野生生物のクジラを区別して考える必要があるのではないでしょうか。 たとえば、アフリカゾウの生息数は、生息環境の破壊や密猟により、1979年の130万頭から1989年には60万頭まで減ってしまいました。 60万頭といえども、アフリカゾウの種の存続の上で決して安心できる数ではありません。野生動物の商業的利用を持続可能なレベルで維持させることは非常に困難で、失敗したら取り返しがつきません。 そのためWWFは、野生生物の利用は必要最小限にとどめるべきだと考えています。


●その他ご質問いただきましたことについてお答えいたします。

◆クジラを食べることは日本人の伝統食文化であるのに、それを否定するのか。 また、かつてはクジラは日常食であり、高価な嗜好品となったのは、捕鯨が禁止されたためではないか。

 鯨肉を食べることは日本の文化のひとつといえるかもしれません。 しかし、南氷洋でおこなわれた列国による近代捕鯨は歴史も浅く、日本の伝統的な沿岸捕鯨とはほど遠いばかりでなく、大量捕獲によりクジラを激減させてしまいました。 そのため、クジラ肉はもはや日常食ではありえず、希少で高価なものとなりました。

 ちなみに、クジラが日本では昔から広く食されていたように説明されることがありますが、鯨食を、日本人全体の伝統食といいきることはできないでしょう。 鯨肉が全国的に大量に食されたのは、戦後、日本人が蛋白資源に喘いだ食糧難の時代のみです。

◆WWFの意見広告などで使われている「クジラのバイオマス(生体容量)が商業捕鯨開始以前の約8%までに激減した(ASOCによる)」はどのようなデータに基づくのか。

 ASOC(南極と南極海連合)は、南氷洋のヒゲクジラのバイオマスが、南氷洋で今世紀はじめに捕鯨が開始された時は5,000万トン、現在は400万トン(8%)という算出をしました。 試算はIWC科学委員会に提出されたデータを利用しています。 バイオマスがこれほどまでに劇的に減っているのは、重量の大きなものが減っているためです(例 シロナガスクジラ 20万頭 -> 700 〜 数千頭、ナガスクジラ 40万頭 -> 1万頭)。 ただしすでに述べた通り、クジラの個体数の推定を正確に行うことはきわめて困難なので、「8%」とはあくまで目安となる数値です。

 以上、WWFのクジラに関する考え方を述べさせていただきました。 今後とも私どもの自然保護活動に温かいご理解とご支援を賜りますようお願いいたします。

                                 草々




4.三浦淳よりWWFへ

 拝復
 先に貴会の捕鯨問題に関する広告に対し質問状を送付いたしましたが、この度お答えをいただきありがとうございました。 じつのところ返事がなかなか来ないので、WWFとはいい加減な団体なのだろうと思いかけていたところでしたが、そうでないと分かったのは幸いなことでした。 印刷物の形でお答えいただいたので必ずしも私の質問に添っていない部分もあるのですが、貴会のお答えを尊重し、この文書に関して改めて捕鯨問題について貴会のお考えを質したいと思います。


 まず「はじめ」の部分に関してですが、先進国の生活態度を改めるべきだという下りまでは異論はありません。

 しかしその後の「自然資源の持続的利用を考えるとき、その利用は生存に必要最低限を満たすレベルで行うことが必要になります」とあるのは、一見もっともらしく見えてじつは論理的に整合していません。 生存に最低必要な量だけ利用しても自然資源が減少することもあれば、そうでない量を利用しても自然資源が減少しないこともあるからです。 ですから真に必要なのは、自然資源はどれだけ使えば持続的に将来に渡って利用していけるかを厳密に調査することなのではないでしょうか。 とくに最近の自然保護運動では、自分の利害に直接関係ない自然のみを保護せよと声高に訴える傾向がある(この点については最後に述べます)だけに、情緒に流されて何でも保護せよと主張するのではなく、冷静に自然資源の分析をすることが肝腎であると思います。

 次に、世界中から食糧を集め浪費している日本という下りですが、日本が貿易立国を国是としている以上、そして面積が狭く山が多い土地柄からして農牧業での食糧自給に多くを期待できない以上、外国から食糧を大量に輸入するのは当然ではないでしょうか。 それともWWFは自由貿易体制に反対で、江戸時代のように食糧の自給自足を訴えることをモットーにしているのでしょうか。 もしそうお考えでしたら、はっきりパンフレットなどにそう書いた方がいいと思います。 ただし私は、先進国が中進国以下に比べて食糧・エネルギーなどを贅沢に使っているのは確かだと思います。 日本の食糧の嗜好が他の食糧輸出国の自然環境を破壊する場合があることも知っております。 ここで必要なのはしかしまたしても冷静な調査と議論です。 日本に食糧を輸出するおかげで自然環境が破壊される場合もあれば、そうではなくその国の経済がうるおう場合もあるはずです。 無論破壊とうるおいが共存している場合もあるでしょう。 ですから日本向けの食糧輸出に伴う他国の産業構造の変化とそれに付随する自然環境との関連を洗いだして、害があるケースは個々に指摘していけばいいのです。 WWFで積極的にそうした調査を行ってはいかがですか。 問題をひとくくりにして「日本は世界中から食糧を集め浪費し…」というようなセンセーショナルな表現をするのは赤新聞同然で有害無益でしょう。

 さて次ですが、「クジラ保護は、海洋生態系の保護を図る上で重要な課題です」とあります。 鯨の保護が重要でないとは私は言いませんが、海洋生態系と言うとき、そこには海に生息する全ての生物が含まれているはずです。 特にWWFミッションに「生物の多様性を守る」とあるからには、鯨のような哺乳動物だけではなく、魚類、貝類、甲殻類、海草類、そのほか虫やアメーバに至るまで保護の対象になるはずです。 言うまでもありませんが、哺乳類は他の生物に依存して生命を保っています。 生命のリングを考えるとき、別段哺乳類は特権的な立場にはなく、むしろ下等生物ほど保護の必要性があるとも考えられるのです。(例えば、人類が滅んでも植物は困りませんが、植物が滅んだら人類は生きていけません。)

 話を戻しましょう。 海洋資源とは鯨ばかりではありません。 一般に食糧として広く用いられている魚介類全部がそうです。 したがって海洋生態系の保護を図ろうと言うのなら、海に生きる生物全部の保護が重要だと言わなければおかしいではありませんか。 WWFの姿勢に疑問を感じる大きな理由の一つがここにあります。 いったい何を基準に重要なものとそうでないものを識別しているのでしょうか。(何でも重要だと考えているとお答えでしょうか? WWFは例えばハタハタや越前蟹や日本海のニシンの保護のために広告を出したことがあったでしょうか?)

 次にミンク鯨の資源量の問題ですが、海区ごとの資源量の合算が認められないというのは明らかにおかしいと思います。 南氷洋の広さからしていちどきに調査するのが困難である以上、年ごとに海区別の調査を行いそれを合算するのは、最上とは言いませんが資源量を推定する有力な方法と言うべきでしょう。 無論単純な合算をそのまま用いるべきかどうかには問題があるでしょうが、資源量を推測する重要な基礎になることは確かです。 もしそうでないというなら、海区ごとの資源量調査はいっさい無駄だということになってしまいます。 反捕鯨派の常套手段は「分からない、分からない」と言うことですが、もしそうなら例えばシロナガス鯨の資源量がこの鯨の捕獲が禁止された後も一向に増えていないことはどうして分かるのでしょうか。 データが信用できないと言いながら、絶滅の恐れがある鯨については提示された数量を利用し、資源量が豊富な鯨についてのみ「分からない、分からない」というのは矛盾しています。

 無論用心のために数量は少な目に見ておいた方がよいということはあるでしょう。 ですからミンク鯨の資源量が45万頭でも、或いは一の位を切り捨てて40万頭でもいいと思います。 ミンク鯨が76万頭いてRMS(改訂管理制度)による捕獲可能数が二千頭という数字が誤りなら、40万頭いて捕獲可能なのは千頭でも構いますまい。 それで日本が捕鯨をやると言えばやらせ、千頭では採算が合わないから止めると言えば止めるに任せればいいではありませんか。

 ところが実際にはIWC科学委員会の勧告したRMSは総会で否決されているのです(そのために英国人の科学委員長は辞任したということです)。 これは鯨資源を冷静に調査した上で捕獲可能な範囲内で利用するという「持続的利用」をIWCが考えていない証拠です。 IWCは鯨資源の「不利用」をしか考えていないのです。 とすると「持続的利用」をうたっているWWFの方針とはあいいれないと思いますが、どうお考えでしょうか。

 さて、ミンク鯨の問題を続けましょう。 南氷洋で長年の捕鯨により鯨種のバランスがもともとのものより大きくズレていることは誰も否定できないでしょう。 そのためむしろミンク鯨をある程度捕獲した方が、餌の競合するシロナガス鯨の増加に役立つという説があります。 これが正しいかどうかについては議論があるようですが、少なくともシロナガス鯨が激減して以来、ミンク鯨の成長が早くなっているというデータがあることは(桜本・加藤・田中編『鯨類資源の研究と管理』96頁)知っておいていいと思います。 現在の南極海はミンク鯨にとって(のみ)繁殖に有利な条件が揃っているわけです。 ちなみにこの説は「ニューズウィーク」誌のWWF批判記事でも取り上げられています(日本版、本年5月13日号)。 或る海域の餌の量が一定で、それが生息動物の成長に影響していることは、例えば最近日本の河川に戻ってくる鮭が小型化しているという点からも明らかでしょう。 これは日本で鮭の稚魚の放流が盛んになり過ぎて、餌場のオホーツク海で鮭一匹当たりの餌の量が減ったためと推測されています。

 自然は放っておいて保たれる場合もあれば、そうでない場合もあります。 例えば地球の砂漠化を食い止め植林を行おうというのは人為的な企てです。 あくまで自然のままがいいなら砂漠が広がっていくのを黙って見ているしかないことになります。 自然を放っておく方がいいのか、人が手を出した方がいいのかはケース・バイ・ケースです。 南氷洋を聖域にというのは、この点を無視した無責任な考え方と言わねばなりません。 すでに南氷洋には沢山の人の手が加わっているからです。 鯨ごとのバランスは捕鯨開始前と比較して大きく崩れています。 それを前提とした上で何が最善かを考えるべきで、ただ放っておけというのは一見自然を尊重するように見えて、じつは自分が何もせずにイイカッコができるスタンドプレーに過ぎません。 この提案をしたフランスは、実際は鯨資源の調査にろくな貢献をしていないからです。 金を出さず、自分の利害関係のない部分でスタンドプレーをする国が信用できるはずがありましょうか。 そしてそういう国の提案を支持する団体も信用に値しません。

 本当に鯨が大事だと考えるなら、例えばすでに聖域化されているインド洋の鯨資源調査をフランスやWWFは行うべきでしょう。 捕鯨がなくとも「海洋環境の悪化などで楽観できない」とお考えならなおさらのことです。 そういう種類の鯨がどのくらいインド洋にいるのか、将来に渡っての資源量の見通しはどうなのか、金をかけて調査してはいかがですか。

 過去の鯨資源管理が失敗の連続であったことは事実です。 その点で日本は他の捕鯨国(現在反捕鯨国に転じている国も含め)とならび大きな責任を負っています。 ただし過去に失敗したから今後も失敗すると考えるのはおかしいと思います。 少なくとも現在の情勢からして種を滅ぼすような捕鯨がどの国にもなし得ないのは明白ですし、過去においても(現在種の保存が危ぶまれているシロナガス鯨を除けば)南氷洋の鯨は絶滅に至ったものはありませんでした。 そして捕鯨が鯨資源の減少というマイナス面を持っていたことは勿論ですが、同時に鯨研究の進歩というプラス面を持っていたことも見逃してはなりません。 その意味で、ミンク鯨のような明らかに資源量の豊富な鯨については捕鯨を認め、その代わり捕鯨国には鯨研究面での貢献を義務づけるというのが賢明な方策ではないでしょうか。 例えば日本に年間一定量の捕鯨を認め、その代わり他国の鯨学研究者や留学生の受け入れをさせるといったやり方は、日本にとっても外国にとってもプラス面が大きいはずです。

 何でも危ないと言って騒ぐのは決して生産的ではなく、むしろ文化も習慣も異なる国々や人々の対立を激化させ、また現在のIWCのような偏向や無理な押し付けを容認してしまう態度につながります。 WWFもその点で冷静な議論や態度表明を心がけて欲しいものです。

 さて、次になぜ鯨を食べるのは駄目で、家畜ならよいのか、という問題に入りましょう。 私は、鯨の資源量の問題に関しては過去の日本にも少なからぬ責任があった、ただ捕鯨全面禁止は行き過ぎだという考えですが、こと「なぜ鯨だけは駄目なのか」という問題については、反捕鯨国側に百パーセント非があると思っています。 そしてこの点についての日本の反捕鯨論者や団体はまったく赤子同然の意見しか持っていないと考えています。 ただ、変な言い方ですが、貴会の今回のこの点についての回答にはある種の歯切れの悪さがあり、それが一抹の誠実さを感じさせないでもなかった、と言っておきましょう。

 まずお訊きしたいことがあります。 WWF日本委員会の性格です。日本委員会は——

(一)世界のどこかにある本部の決定や指令に忠実に従って仕事をする団体で、本部からの指令には逆らわない。

(二)本部で決まったことは一応尊重するが、場合によっては異議を唱え、内部論争や対立も辞さない。

——以上のうちどちらなのでしょうか? これまた変な比喩ですが、各国共産党の性格のような問題です。 ソ連共産党の指示に無条件で従うのか、場合によっては喧嘩もし絶縁も辞さないのか……。

 もし(一)だとすれば、要するにロボットと同じですからこうした意見交換をしても無駄だということになります。 (二)であって欲しいものですが、とりあえず先に行きましょう。

 まず「欧米人は家畜は神が人間に与えたものと考えている」とありますが、WWFは非科学的な前近代主義を容認する団体なのでしょうか?  家畜は神が与えたものではなく、人類が野生動物に改良を加えたものであることは明白だと私は思いますが、 WWFはそうは思わないのでしょうか? 私は宗教上の信念云々を言っているのではありません。 科学的な常識を問題にしているのです。 そもそもの初めから「野生動物」と「家畜」を峻別する思考はどう見てもおかしいのです。 また家畜にしても工業生産物ではないのですから完全に人間の手でコントロールできるわけではありません。 生産性には限界がありますし、疫病で全滅する可能性だってあるのです。 要するに野生動物と家畜の違いは程度の違いなのであり、本質的な違いではないということです。 もっとも、アメリカの一部の州ではいまだに進化論を教えるのが禁じられているそうですから、WWFのアメリカ委員会なら「家畜は神が与えた」と真面目に言うかも知れませんが、まさか日本委員会はそれに同調しますまいね?

 また、水産資源ということに限っていえば、そのほとんどは「野生」です。魚介類で養殖可能なものはごく僅かにすぎません。 大部分の魚介類の生態は、WWF得意の台詞を借りて言えば、「正確に分かっていない」のです。 とすると、WWFは大部分の魚介類について「持続可能なレベル」で維持できるかどうか分からないから世界中の漁業に反対であるという態度なのでしょうか。 もしそうならそうはっきり言うべきでしょう。 これは嫌みではなく、本当にそう思うのです。 その方がむしろ首尾一貫しているではありませんか。 水産資源の中で鯨だけを声高に保護せよと叫ぶのは、一種の動物差別主義で、それは容易に民族差別主義に転じるからです。

 この差別ということについて、日本の反捕鯨論者や団体が恐ろしく鈍感なのに私はいつも驚いています。

 お答えの文書には書かれていませんが、同封の「クジラと私たち」というパンフ(以下パンフと略記)のQ&Aの項に「欧米の一部の動物愛護団体は『クジラは知能が高いから、殺すのはかわいそうだ』『クジラを殺すのは残酷で、クジラを食べるなんて野蛮である』といった感情的な理由で捕鯨に反対している人たちもいます」とあります。

 しかしこの認識は甘いでしょう。 私の考えでは、こういう理由で捕鯨に反対している欧米人は「一部」ではなく相当沢山います。 無論ある種の動物保護団体のようにテロリストまがいの行動をとる人間は少数ですが、多数の欧米人はテロリスト的な行為でもそれが外国人や他民族に向けられる限りは黙認しているのです。 これは明確な民族差別ではないでしょうか? いったいWWF日本委員会は民族差別的な反捕鯨運動に同調するのでしょうか? 

 例えばかつて「中央公論」誌で(1986年4月号〜8月号)小松錬平氏と捕鯨論争を行ったロビン・ギル氏は、アメリカの反捕鯨運動は鯨は知能が高いから起こったのだとはっきり述べています。 そのギル氏も自らの論拠づけに利用しているかの有名な宇宙学者のカール・セイガンは、日本にも翻訳されている著作の中で反捕鯨運動を扇動するような言辞を弄しています。 私の友人でもアメリカに留学して「鯨は知能が高いから捕っちゃいけないと言われたよ」と苦笑した男がいます。 またニュージーランドに旅行して「日本人は鯨を食べるのか」といかにも気味が悪そうに言われた学生もいますし(日本大学生協連発行「読書のいずみ」本年3月)、「鯨は可愛い」は「一部の」動物愛護団体ではなく、例えばドイツの大部数を誇る週刊誌の記事にも堂々と書かれています(「Stern」本年5月19日号)。

 こういった事情をWWF日本委員会は認識していないのでしょうか? だとすれば無知のそしりを免れないでしょう。

 「鯨は可愛い」が単なる価値観や伝統の問題であることは明白ですが、欧米人(ノルウェー、アイスランドなどを除く)はこういった価値観を他民族に押し付けて恥じないのです。 また「知能」の問題について言えば、かつて鯨は知能が高いから人間とコミュニケーションが可能だという説は一部の学者により唱えられましたが、いまだに実証されていないのです。 にもかかわらずカール・セイガンは『コスモス』『宇宙との連帯』といった著作で反捕鯨を堂々主張しているのです。 私の見るところ、セイガンは宇宙人と容易に交信できそうにないので、その代理品を海中に見いだそうとしているのでしょう。 これがどれほど幼稚な思考法であるかは、彼の知名度に惑わされずに考えてみればすぐ分かるはずです。 また「鯨と人間はコミュニケーション可能」説のリリーやスポングといった人たちは今回日本にやってきて自説の宣伝に努めましたが、実証されてもいない学説を宣伝する彼らはもはや科学者ではなく、宗教の伝道師と呼ぶべきでしょう。 私の考えでは、彼らは生物上の「異種」ということがどういうことなのか分かっていな いのです。 これは科学的認識の基盤にあるべき哲学的認識の欠如を示しています(ここでの「哲学」は、難解な用語を振り回す訳の分からない代物という意味ではなく、物事の筋道通った考え方、くらいの意味です)。 知能やコミュニケーションが人間の側から考えられている限りそれは人間中心主義の産物に過ぎませんし、またそうでない場合は「知能」によって鯨を特権化する理由はなくなってしまうはずです。 例えばこれまた反捕鯨派の「学者」であるライアル・ワトソンは著書『生命潮流』の中で、人間と植物は精神交流が可能だと書いています。 そうかもしれません。 だとすれば、しかし、人間は植物を食べることも禁じられねばならないはずでしょう。

 差別ということについてもう少し書けば、動物が人種・階級差別の根拠づけに使われる、或いは動物を可愛がっても異民族は奴隷扱いする、というのは珍しいことではないように思います。 日本でも江戸時代の徳川綱吉の「お犬様」は誰でも知るとおりですが、有名な『野生のエルザ』の著者アダムソンが最後に原住民に殺されたのもこういった事情があったからと推測されますし、かの悪名高きユダヤ人大量虐殺を行ったナチスの指導者の一人ヒムラーは、自分はユダヤ人を虐殺しながら動物が誰かに虐待されると烈火のごとく怒ったということです(村松剛『大量殺人の思想』)。 動物は単なる人間の道具ではありませんが、同時にそれは単なる「保護」や「愛玩」の対象でもありません。 動物を殺すな、というのが言い易いが故に、動物が民族差別の口実に使われ易いことを忘れないでいただきたいのです。

 IWCはこの点でも首尾一貫していません。 最初に私が述べた通り、自然資源の中には必需品であっても利用により減少するものと、必需品でなくとも一定の利用に十分耐えるものがあります。 ご存じの通り現在IWCに認められている捕鯨のうち、エスキモー(イヌイット)の捕獲しているホッキョク鯨は生体数が少なく(千頭程度)絶滅が恐れられています。 にもかかわらずこれは「伝統」の名のもとに認められています。 それでいて今回のIWCは、日本近海で2万頭以上いると推測されるミンク鯨50頭を捕獲したいという日本の申し出を拒絶しているのです。 南氷海は公海だから捕獲可能でも遠慮しろという論理なら幾分かは分からないでもありませんが、日本近海の資源量豊富な鯨の捕獲を認めず、絶滅の心配があるとされるアメリカ近海の鯨捕獲を認めるIWCは明らかに偏向しています。 WWF日本はこれに対しどういう態度をとっているのか、ご教示下さい。 WWFの論理からすれば当然エスキモーの捕鯨は禁止さるべきだということになるでしょう。 「文化や習慣をふりかざしてのわがまま」はいけないと、文書の2ページにもはっきりうたってありますからね。 またアメリカの経済力を持ってすればエスキモーを養うのは難しくはないでしょう。

 WWF日本委員会は無論、日本が誤っていると考える場合には敢然と日本を批判すべきです。 しかし、同様に外国が日本に対して偏見を抱いていることが明白な場合は、これまた敢然と外国を批判し偏見を正すべきではないでしょうか。 捕鯨問題には沢山の偏見が絡んでいます。 この偏見に何も言わずに、日本の誤った部分だけを批判するなら、それは内弁慶の卑屈さと見られても仕方がないでしょう。


 次に文書5ページの伝統の問題に行きましょう。 鯨資源がかつてに比べて激減していること、日本の戦後の捕鯨がいわゆる伝統捕鯨とは異なっていることはその通りだと思います。 ただし伝統の問題に関しては、流通機構が戦後著しく進歩したことを考えれば、漁民だけが鯨を食べてよい、式の狭い考え方には反対であることを付け加えておきたいと思います(たまたま魚網にかかった鯨を流通経路に回してすら、外国から非難されることがあるのは、ご存じでしょう?)。

 「日常食ではなく、希少で高価」というところには少し言いたいことがあります。 というのは反捕鯨論者が最近よく使う論法の一つがこれだからです。 パンフのQ&Aにも似たような記述「これほど豊かな時代に日本でクジラを食べることが本当に必要でしょうか」があります。

 まず、鯨は贅沢品というのは本当かという点です。 現段階ではそうは言えない、というのが私の意見です。 無論豚肉や牛肉や魚類のように日本人の栄養源の根幹をなしてはいないと思います。 しかし近所のスーパーでは現在のところ鯨の缶詰は安いもので一缶500円程度です。 確かに缶詰としてはお世辞にも安いとは言えず、またこれだけで一家何人かのタンパク質が賄えるわけではありません。 しかし嗜好品としてみた場合これは決して高くはありません。 時々ファミリーレストランで外食すれば一人当たり千円以上はかかるのです。 缶詰というのは毎日食べるものではありませんから、年に何回か買ってふだん食べ慣れた豚や牛や鶏とは違った味を楽しむ分にはむしろ安いのではないでしょうか。 ホエール・ウォッチングに私が新潟から小笠原諸島まで出かければ、交通費宿泊費などで数万円はかかるのですから。

 次に、しかし鯨の特殊な部位は非常に高価だ、或いは将来は缶詰すらも一缶数千円になるかも知れない、と反捕鯨論者は反駁するかも知れません。 私は、それでも構わない、鯨資源の管理がきちんとなされる限りは、と答えます。

 鯨をきちんと科学的に資源管理した結果ごくわずかしか捕れないとしましょう。 そして鯨の缶詰すら異常に高くなり、私には手が届かなくなったとしましょう。 別にそれでもよかろうと私は思います。 自分が食べられないほど高価だから捕鯨に反対する人がいるとすれば、それは醜悪としか言いようがありません。 それは要するに嫉妬であり、取り上げるに足りますまい。 非常に高価な鯨を食べられる人がいて、そのお金で漁民が生活でき、またそのお金の一部が鯨学の研究費に回されるなら、むしろ大変結構なことではありませんか。

 鯨は贅沢品、必要最低限のものだけをという主張には、なにやら欲シガリマセン勝ツマデハ的なヒステリックないじめ(「戦時中なのにパーマをかけるのはけしからん」の類)の匂いがしますし、また文化の本質を理解していない人たちの奇妙に修道士的な生活理想が感じられます。 文化というものの一面は贅沢です。 例えば西欧の例で言えば、オペラを見るのにはかなりのお金がかかります(仮に安くても政府の補助金があるためです)。 オペラを見なくとも死ぬ人はいません(オペラ歌手は失業して死ぬかも知れませんが)。 それでもオペラは上演されるのです。 なぜでしょうか? それが贅沢だからです。 必要最低限のものだけで生きていけるなら地上に文化は生まれていないでしょうし、ということは人間は人間にならなかったでしょう。 贅沢も人間には必要なのです。 鯨食文化も同様です。 鯨資源が科学的に管理される限り、鯨肉がいくら高かろうが非難すべきいわれはありません。


 次に最後の「クジラの生体容量」に行きます。 はっきり言って、こういう記述は読む者を惑わせるだけですから、やめるよう私は要求します。 数値を使うのは結構ですが、鯨種ごとの頭数で表示すべきでしょう。

 まず、先の手紙にも書いたことですが、IWC科学委員会の鯨資源量推定についてミンク鯨のような資源量豊富な鯨については問題ありとしているのに、資源減少を訴える時だけそれを利用するのはどういう訳でしょうか。 態度を一貫させていただきたいと思います。 IWCの数値を使うならミンク鯨の資源量についても「分からない、分からない」と言うべきではありますまい。

 第二に、「生体容量」というのは馴染みにくく、頭数と容易に混同され誤解を生む概念です。 いささか邪推すれば、誤解されたいために使っているのではないかと思うほどです。 かつて捕鯨の限度量を決めるのにBWUという数値が使われたことはご存じでしょう(パンフにも記載してありますね)。 最も大きいシロナガス鯨を一頭、小さくなるにつれて何頭分と換算するやり方ですが、これがシロナガス鯨の激減につながる誤れる管理法であったことは今日広く知られています。 なぜ誤りであったか? 鯨の種類を無視して、どれも同じ基準で扱ったからです。 そのため捕られやすい大きな鯨の生体数が減っても止められない結果に終わったのです。 ですからその後のIWCは捕鯨の可不可を論じる際には種類別にした訳です。 WWFが鯨の種類を無視していっしょくたにし、おまけに頭数ではなく「生体容量」で南氷洋の鯨資源量を表すのはBWUと同断と言えましょう。 体の大きなシロナガス鯨、ナガス鯨などが多く捕られた結果、頭数と比べて「生体容量」では全体の資源の減少が実際以上に強調され(それでいてシロナガス鯨が絶滅の危機に瀕していることは、この数値からだけでは分からない)、ミンク鯨のような小型鯨が数多くいることは容易に分からなくなるからです。 ですから、数値はあくまで鯨種類別の頭数で表していただきたいと思います。 それによって本当に保護に取り組まねばならない鯨は(放っておくというような無責任なやり方ではなく)国際的に種の保存や資源増加の努力がなされなくてはならず、豊富な鯨は一定量の捕鯨を認めればいいという、ごく当り前の認識が広まることでしょう。 そして今本当に絶滅の危機に瀕しているのは南氷洋の鯨類ではなく、(WWFのパンフにもあった通り)一部のカワイルカであることももっと一般に知られていいと私は思うのです。


 長くて申し訳ありませんが、最後にもう一つ、捕鯨だけではなく自然保護一般のあり方についてWWFの姿勢を質したいと思います。 文書の中にアフリカ象の頭数を書いた箇所がありましたね(十年間に70万頭減ったというのですが、捕鯨との関連で言えば説得力には乏しいでしょう。 捕鯨国の現在の捕鯨要求は一年に1万頭を大きく下回っているのですから)。

 自然の保護を言うとき、資源量の科学的測定が第一であることは言うまでもありませんが、それが少数民族や少数文化や少数住民の圧殺につながらないよう用心することも、特に注意すべき点ではないでしょうか。 象牙目当てでアフリカ象が減少していることはおっしゃる通りですが、これもアフリカの国ごとに違いがあり、国によっては象の数が多くむしろ象牙などを輸出した方が財政が潤うところもあるのです。 こういう国情の違いを無視して一律に保護を叫ぶのは、先進国、特に都市住民の自己満足でしかありま せん。 私が特に危惧するのは、現在流行とも言えるほど人々の口に上る「自然保護」が実際には先進国・都市住民の思想であり、農村漁村や低開発国の抑圧につながりかねない点です。

 例えばこういうことです。 上でも引いた反捕鯨論者のロビン・ギル氏は、アメリカの反捕鯨運動のためアメリカの漁民はイルカを捕ることができなくなった、と誇らしげに語りました。 アメリカの漁民がイルカを捕っていたのはイルカ自体が目的ではなく、魚類を捕るとき網にまぎれこんできたからですが、アメリカ都市住民は魚を買うことをボイコットしてイルカを殺すなと圧力をかけたそうです。 好きな魚を食べないという犠牲を払ってもイルカを守った、とギル氏は言うのですが、これは私からみると都市住民の欺瞞に過ぎません。 都市住民は魚を食べなくとも食糧には困らないからです。 豚や牛や鶏など他にいくらでも食べるものがあるのですから。 それに対して漁民はとった魚が売れなければ飯の食い上げです。 ここに現れているのは、現場を知らない都市住民がその力にものをいわせて漁民を抑圧する構図に他なりません。 私はこの構図が現在の「自然保護」運動の大部分につながる恐れがあるのではないかと考えています。

 とりわけ単に野生動物の数だけを問題にするのではなく、自然環境の汚染ということを問題にするなら、先進国・都市住民の責任は重大なはずです。 それでいて自然保護団体に幾らか寄付し、反捕鯨を叫び、毛皮や象牙は使わないと誓っていればなんとなく自然を守っている気分になる、これは変です。 自分の利害に直接か関わらない部分でだけ自然保護を叫び、そうでない部分には目をつぶる——これはきわめてたちの悪い欺瞞と言えるでしょう。 自然保護のためには漁民の食いぶちを奪うのもやむを得ないと考えるなら、エネルギーを大量消費する先進国・都市住民は同程度の犠牲を払うべきでしょう。 同程度とは、年一万円をWWFに寄付する程度のことではありません。 電気を使わぬために冷蔵庫やクーラーの使用は原則禁止し、排気ガスを減らすため自家用車の所有も禁止する。 また企業の電気大量使用や煙放出を大幅に規制し、徹底的に環境汚染を防止する、このくらいのことはして然るべきではないでしょうか。 そのため企業の採算が悪くなってサラリーマンの給料が下がったり解雇者が出てもやむを得ないでしょう。 自然資源使用を厳重に規制し、漁民の収入や低開発国の外貨取得手段を奪うのが当然ならば、先進国・都市住民の収入が減ろうが失業が増えようが構わないはずでしょう。 WWFはそういう主張をする気があるのでしょうか。 つまり、いささか意地の悪い言い方をさせていただくなら、自然保護団体に多くの金銭的貢献をしてくれる都市住民や一部の金持ちの日常生活を根本的に叩き直すことができますか? そうでなければ、「自然保護」は所詮、強者の弱い者いじめや自己満足の域を出ることはできないでしょう。


 長々書いてしまい、申し訳ありません。 しかしWWFは国際的にも有力な自然保護団体だそうで、その影響力も大きいと思います。 それだけに行動にも慎重さが要求されるのではないでしょうか。 以上の疑問へのお答えをいただければ幸いに存じます。

敬具
1993年8月24日 三浦 淳




5.WWFより三浦淳へ

1993年9月30日
三浦淳様

(財)世界自然保護基金日本委員会
自然保護室 K〔個人名省略〕

拝啓 時下ますますご健勝のこととお喜び申し上げます。 また、当会の捕鯨問題への姿勢に関する質問や率直な意見をいただきありがとうございました。 今後の活動の参考にさせていただきます。


 商業捕鯨に関する問題は非常に難しく、商業捕鯨を推進する側、クジラ類を保護しようとする側の相互理解の不足から、双方の間に深い溝ができ、お互いに不信感さえ生まれてしまいました。 この返書は、三浦様のご質問に答えると共に、三浦様と同様の疑問をお持ちの方にもWWFのポジションを理解していただけるよう作成しました。


 今日の環境問題のほとんどは、先進国を中心とする人間の環境容量を無視した活動や浪費的なライフスタイルが原因となっています。 クジラ問題を通して、一般の人々に人間の生きる新しい道を考えてもらえることを期待して活動しております。 我々の活動が、WWFの究極の目的 「加速しつつある自然環境の悪化を食い止めるだけでなく、破壊から回復の方向に導き、人類が自然と調和して生きられるような未来を築く」 をもとに行っていることをご理解いただければ幸いです。


 なお、三浦様のご質問は非常に専門的であるため、海洋保護事業担当者である私からご返事をさせていただくことになりました。




(1)「自然資源の持続的利用を考えるとき、その利用は生存に必要最低限を満たすレベルで行うことが必要になります」は論理的に整合していない。 最近の自然保護運動では、自分の利害に直接関係ない自然のみを保護せよと声高に訴える傾向があるだけに、情緒に流されてなんでも保護せよと主張するのではなく、冷静に自然保護の分析をすることが肝心であると思う。

: 人間が自然資源を利用する上で、冷静に自然資源の分析をすることが肝心であることに異存はありません。 また、自分に直接関係ない自然のみを保護せよと訴える傾向も否定できません。 しかし、WWFでは情緒に流され、自分の利害に直接関係ない自然のみを保護せよと声高に訴えているわけではありません。 WWFにもかなりの研究者がおりますが、野生生物(特に、海洋生物)の調査は、非常に困難でたいへんな時間と資金を要します。 そのためほとんどの場合、十分に研究が進んでいないというのが現状です。 しかしたとえ不十分な調査でも、激減していることがあきらかになった場合、野生動物が有利に (疑わしきは野生生物の利益に) なるよう保護を進めるべきと考えます。 種にもよりますが、個体数が一度一定以下に減少すると回復させることがたいへん困難であり、悠長に結果が出るまで待つわけにはゆかないからです。


(2)日本が貿易立国を国是としている以上、そして面積が狭く山が多い土地柄からして農牧業での食糧自給に多くを期待できない以上、外国から食糧を大量に輸入するのは当然。 WWFは自由貿易体制に反対で江戸時代のように食糧の自給自足を訴えることをモットーにしているのか。

: GATTに対し、環境保護団体が懸念を抱いているのをご存知でしょうか。 人間経済は、ものを材としか見ず、それが失われることにより発生する環境コストを軽視・無視しすぎており、貿易があまりににも自由に行われると、地球環境に破壊的な結果を引き起こす恐れがあるからです。 今の日本が、外国から一次産品を大量に輸入・消費(浪費)している問題について、たしかに、輸出国の経済を潤しているのは事実です。 しかし、これが開発途上国では、いっそうの環境問題や貧富の格差を増大しているのも事実です。 換金作物を増産するために、熱帯林や湿地が農地に開墾され、そこに生息する動植物の生存が危うくなっている例もあります。 我々先進国(日本だけではありませんが)の嗜好を満たすだけのコーヒー栽培地を開墾するため広大な面積の熱帯林が切り開かれ、そこに住んでいたライオンタマリンなど絶滅が心配されている動物も激減してしまいました。 東南アジアでは、日本人がエビの買い付けを始めてから、乱獲のため現地の漁師はエビ漁を行うことができなくなりました。 また、エビの価格が上昇し、現地の普通の人々には、もはや食べられなくなりました。 エビを養殖するためマングローブなどが切り開かれ、養殖池が造られていますが、過密に養殖をするため病気が蔓延します。 一つの池は五年以上使えない有様で、次から次へと新しい池が造成されています。 貿易が相手国の経済を満たすのも事実ですが、このような問題があることをご理解ください。 貿易を否定するわけではありませんが、先進国の人間の贅沢を満たすためには、あまりにも大きな代償といわねばなりません。 不可欠なものを必要量輸入するのは、いたしかたありません。 しかし、今日の日本のように膨大な食料が残飯として捨てられている現状をみれば、この問題を真剣に考えざるをえません。


(3)クジラの保護が重要でないとは言わないが、海洋生態系と言うとき、そこには海に生息するすべての生物が含まれているはず。 WWFミッションに「生物の多様性を守る」とあるからには、クジラのような哺乳類だけでなく、魚類、貝類、甲殻類、海草類、そのほか虫やアメーバに至るまで保護の対象になるはず。 何を基準に重要なものとそうでないものを識別するのか。

: WWFでは、海洋生態系の保全を図る上で最も重要なものは、沿岸管理(集水域も含む)、海洋汚染の防止、適切な漁業の実施と考えています。 沿岸域(サンゴ礁なども含む)は海洋生物の基盤である栄養塩類が豊富な場所であり、また、多くの生物種が産卵、生息の場所としています。 汚染物質は、生物の体内に蓄積され、生物の繁殖能力を低下させるなど大きな問題を引き起こしています。

 近年、これまで内海や湾など一部の閉鎖海域で顕著だった公害物質による汚染が広がりをみせていること、これが特に海獣類や鯨類の繁殖に影響を及ぼしかねないことは、WWFのクジラパンフレットでも触れています。 漁業についても、捕鯨の乱獲の歴史を踏襲している部分も多く見受けられます。 ある海域で特定魚種を追いかけ、それが商業的に成り立たなくなると次の海域で、その魚種が少なくなると別の魚種でという具合いにです。 また、沿岸漁業でも乱獲を続けた結果、現在ではほとんど漁獲がなくなり、漁協が存亡をかけて新たな資源を開発しようとしている地域もあります。 乱獲意外にも、自然サイクルなど他の理由はあると思われますが、違法な底板を利用した底引き漁業を長年行ってきたことも、決して無関係とも思われません。 また、昨年末で禁止になりましたが流し網も多くの対象外の生物(イルカ類、ウミガメ、海鳥など)を混獲してしまいました。

 WWFでは、もちろんこれが全てではありませんが、このような問題を解決することで、海の生態系が回復すれば、当然そこにすむ生物も保護されることになると思っております。 このようにWWFでは海洋生態系の保全をきわめて重要な課題と考えております。 しかし、個々の種についても保護の必要はあります。 どのようにして種の重要度を識別するのかというご質問ですが、一般に食物連鎖の上部にあるものは重要であるといえます。 特にクジラ類は繁殖力が低く、寿命が長いため海洋汚染の影響を受けやすいと考えられます。


(4)ミンククジラの資源量(海区ごとの資源量の合算が認められないのはおかしい)

: データが信用できないとは言っていません。 ただ、個々のデータは行った年により大きく異なっていることも事実です。 南極海でのミンククジラの行動がよくわからないままの状態で、単純な合算をそのまま用い、それを捕鯨再開の根拠として大々的なキャンペーンをすることに問題があると思います。 シロナガスクジラのデータについて言えば、これまで28頭しか実際には確認されていないことや、目視調査を行っている科学者の感想から、極端に少なくなっていると考えられます。


(5)IWCはクジラの「不利用」しか考えていない。「持続的利用」をうたっているWWFの方針とはあいいれないはず。

: 昨年ブラジルで開催されたUNCED(地球サミット)で、IWCは捕鯨を地球規模で規制する機関であると規定しており、WWFもこれを認めています。 IWCがクジラ類の保護・利用を図るのは条約にある通りです。 現在のように資源がずたずたになっている状況では、保護を優先するのは当然かと思います。


(6)ミンククジラの間引き

: ミンククジラの成長が早くなっているということは、『鯨類資源の研究と管理』の中で、遠洋漁業研究所の加藤秀弘博士が報告しています。 しかし、我々にはミンククジラの増加が一時的なものなのか、今後も続くのか、まったくわかりません。 オゾンホールや海洋汚染などの影響も同様にわかりませんが、悪化する可能性も大きいと考えられます。 わからない場合は、弱者の利益を考えて行動を起こすべきと考えています。 ミンククジラの間引きがシロナガスクジラの回復を促進させるかどうかは、まったくの机上の計算としか思われません。


(7)人間の自然への介入と地球の砂漠化

: 「自然は放っておいて保たれる場合もあれば、そうでない場合もある。 地球の砂漠化は自然なので、自然のままがいいなら、砂漠の広がっていくのを黙ってみているしかない。 自然を放っておくほうがいいのか、人が手を出した方がいいのかはケースバイケースである」とのご指摘ですが、WWFでは、原因を究明して人間の行為が原因で回復の可能性があることについて行動をおこすことになります。 砂漠化は自然現象とお考えですが、現在の砂漠化は多分に人為的と考えられています。 歴史的には、アフリカのサハラ砂漠は数百年単位の降水量の増減に伴い、拡大、縮小を繰り返してきました。 すなわち、湿潤な時期が長く続くと、植物が生息域を拡大、その死骸が表土を造り、砂層をその下に取り込みます。 乾燥した時期が長く続くと、植物が減少し表土が薄くなります。 あちこちの割れ目から砂層が現れ、砂漠が拡大します。 現在の砂漠の拡大は、人口が増えすぎたため、これまで行われてきたアカシアセネガルを中心とした農業体系が崩れたことと薪を得るための伐採のため、植物が減少したことが原因とされています。 植物が取り除かれたため、表土の下に存在するゴウズと呼ばれる砂層が露出しこれが広がっているのです。 砂漠化は多くの人命を奪い、地球の気象にも悪影響を及ぼすと思われます。 人災であり、人類ができる限りのことはすべきでしょう。


(8)南極海の聖域化

: 自然環境には約百年の歴史がありますが、これまでの経験から生物、生態系の保護には保護区を設定し、人為の影響を最小限にすることが最も効果のあることと考えられています。 この考えをもとにユネスコのMAB(Man and Biosphere)計画も考案されています。 この計画では、最も重要な場所をコアエリアとして人為を排し、その周りをバッファーゾーンとして、ある程度の人間活動を認めています。 記述のように、南極海のクジラ資源は、激しい捕鯨活動のためずたずたになっています。 少しでももとの生態系を回復するには、南極海を聖域化することが重要です。


(9)フランスやWWFはクジラの資源調査を行うべき。何でも危ないといって騒ぐのは決して生産的でなく、むしろ文化や習慣の異なる国々や人々の対立を激化させ、偏向や無理な押しつけを容認する態度につながる。 冷静な議論や態度表明を心掛けるべき。

: 日本政府が行っている調査捕鯨に年間25億円も必要とするように、クジラの資源調査には膨大な費用を必要とします。 WWFの自然保護活動は、WWFのミッション&ストラテジーに照らし併せて、重要性の高いものから行われることになります。 世界にはあまりに多くの環境問題があり、限られた資金という制約のもとで、重要なものから対処してゆく必要があるからです。 フランスはわかりませんが、WWFには、優先度からしても、また資金的に不可能です。 しかし自ら調査したデータがなければ、なにも発言できないのでは、ほとんどの人は意見など言えなくなります。 ここでご理解いただきたいのは、NGOというものの存在理由です。 国連や政府などは、組織的に柔軟な対処ができないことが多いようです。 そのような状況で、政治的制約を離れた自由な立場で意見を述べ、皆で討議する機会を作り、全体としてよりよい結果を導き出すのがNGOの役目と考えております。 その中でWWFは、冷静、民主的に議論を進め、態度表明を行っております。

 なお、WWFでは中国のヨウスコウカワイルカ、日本、ドミニカ共和国、ブラジルでのザトウクジラ、アルゼンチン、南アフリカなどでのセミクジラ、カナダのホッキョクイルカ、ノルウェーでのマッコウクジラ、など世界の十数カ所でクジラ類の調査・保護活動を行っています。


(10)WWF日本委員会の性格

: 一、二のどちらでもありません。 WWFでは、重要な懸案については、WWFインターナショナルが28カ国にある各国委員会や協力団体、その他関係者の意見を求め調整して決定することになっています。 この調整段階では、各国の実状も踏まえた活発な意見が出されますが、基本的には記述のミッション&ストラテジーに沿ったものになり、これをWWFファミリーのポジションとして、各国委員会は尊重することになります。 クジラの保護についてもたびたび会議が持たれたり、通信網を使った意見交換がなされています。独裁体制ではありません。


(11)家畜

: 家畜は人類が利用するのに都合がよいように、野生動物に改良を加えてきたものですが、キリスト教やイスラム教が盛んな国々で、神が与えたと感謝していることも事実です。 しかし家畜は所有者と利用の限界が明確で、所有権は守られ、また、限界以上の利用は所有者自らの規制により防止されます。 広大な生息域を持ち、かつ、季節移動を行う野生動物の利用を家畜のように規制することは不可能に近いと思われます。 これがこれまで商業ベースで利用されてきた野生動物が必ずといってよいほど過剰捕殺されてきた事実の原因と考えております。


(12)水産資源。WWFは世界中の漁業に反対なのか。

: 現在、水産資源の年間生産量は、FAOによると約一億トンと推定されています。 このうち、人類は約八〜九千トン利用しています。 水産資源が人類にとって重要な食糧資源であることは、疑う余地はありません。 しかし、現在の漁法については再考の必要があると考えております。 科学技術の進歩で、漁法は格段に進歩したにもかかわらず、近年、漁獲高は頭打ちになっています。 乱獲により漁業資源の涸渇と海洋環境の劣化が進めば、一層の科学技術の進歩があったとしても、将来の人類は水産資源を利用できるのでしょうか。


(13)動物愛護と民族差別

: WWF Japanでは、欧米のクジラ保護運動の中に、きわめて動物愛護の面が強いことを理解しています。 クジラは知能が高いから、可愛いから殺してはいけないと主張する人は多くいます。 しかし、WWFの運動は、それとは一線を画し海洋生態系の保全という面で行っております。 次に、民族差別的な反捕鯨運動に同調するのかというご質問ですが、捕鯨問題では、確かに日本人やノルウェー人、アイスランド人などが攻撃の矢面に立たされていますが、これはクジラ類が減少していることがより顕著になり、世界でクジラ類を守ろうという時に、伝統とか文化をかざして捕鯨を止めようとしない国々に対しての非難であると考えています。 人類の共有財産ともいわれているものをいくつかの国の人々だけで利用しようとすることについては、どうお考えですか。


(14)先住民の生存捕鯨についてWWF Japanはどういう態度をとっているのか。

: WWFでは先住民の生存捕鯨を必要不可欠なものとして認めています。 しかし、その捕鯨方法、管理方法などについては、見直しや検討が必要と考えています。 日本のものと先住民のものとの違いは、捕鯨が住民の生存に不可欠かどうかということです。 野菜のない極地方に住むイヌイットは、ビタミン類をクジラの肝や皮に頼ってきました。 日本の沿岸捕鯨の主目的は、肉を商業的に売ることで商業目的であることはあきらかで、二者の間には大きな違いがあります。

 日本近海でのミンククジラ特別保護枠申請について言えば、今回のIWC科学委員会で北部太平洋のミンククジラのアセスメントを行うべきだとの意見がでました。 2万5千頭と推定されているものの、その個体群の構成がどうなっているのか、各個体群にどれくらい個体がいるのかなど詳細が依然不明のままになっています。 これを調べる必要があるとの意見がありましたが、日本政府は拒否しています。


(15)混獲クジラについて

: 混獲クジラを流通経路に回すことについては、WWF Japanも反対しています。 現在、日本で消費されているクジラ肉の量と供給量(調査捕鯨、小型沿岸捕鯨、在庫量)に大きな食い違いがあり、密猟や密輸(昨年、一件摘発されている)でその差が埋められていると考えられています。 このように不正に入手されたクジラ肉と、混獲クジラの肉を区別することは不可能であり、混獲クジラの肉の販売を認めることは不正を助長する恐れがあるというのがその理由です。 漁民が被る漁具の被害、クジラを放す際失う魚の損失は、別の財源で賄われるべきと考えます。


(16)クジラは贅沢品か

: ご指摘のように、もはや重要な栄養源でもなく、クジラ料理屋で一人前数千円もするクジラは嗜好品であると考えております。 かつてクジラを重要な栄養源としたことが、クジラの乱獲を招いたことは否定できません。 大勢の人間が野生動物を嗜好品として利用するには無理があるようです。


(17)漁民の利益

: ここ数年、日本各地でホエールウォッチングが盛んになってきています。 近年クジラ類が以前より沿岸に近づくようになったことがその理由ですが、これは日本近海での捕鯨が中止されたことと関係があると考えられています。 また、これが地域の経済活性化に大きく貢献しています。 例えば、ホエールウォッチングに関する書物を数点出版しているアメリカ人のエリック・ホイット氏は、その経済効果を大方町での例を参考に試算しています。 「同町沖合いにいる10〜13頭と推定されるニタリクジラを捕獲した場合、収入は4億円程度(3000万円×13)になるが、ウォッチングの場合、クジラを消費しないためかなり長期的に利用できるメリットがある。 今後、15年間、毎年1万人(92年5700人)が92年の料金(大人4000円)で参加した場合、直接収入は6億7500万円、間接収入は51億7700万円に上る」とその著書に記しています。 また、小笠原ホエールウォッチング協会も91年の経済波及効果を試算しています。 「同年の間接収入は3億4800万円で、これは同村の観光消費額の約4割、漁業生産額の約5割、農業生産額の約2.3倍となる」というものです。 また、海外でも日本のホエールウォッチングが好意的に報道され、地域の知名度の向上、外交上の利点などの無形の効果も考慮すれば、ホエールウォッチングの効果には計り知れないものがあります。 WWFではこれも漁民の新しい生き方と考えております。 大方町の場合、かつての底引き網漁による影響か近年漁獲高が減少しています。 ホエールウォッチングに出る間、漁を行わないので漁場の回復に役立つというのもホエールウォッチングが始められた理由です。


(18)贅沢品とオペラ

: 野生動物の利用とオペラを同一視するのは、はなはだ乱暴と思います。 オペラ見学は高価なレジャーですが、訓練に訓練を重ねた人間が行うもので、後継者がある限り消滅することはありません。 しかし、野生動物の利用がこれまで種の存続を脅かすぐらいの乱獲につながった例は数多くあります。 科学的に管理を行うとすれば、これまで減少させてしまったこれまでの世代(我々を含む)は、まず、クジラ類の回復を考えるべきです。 クジラ類がほとんど回復したとしたら、その時の世代が考えればよいと思います。


(19)クジラの生体容量

: この生体容量は、シドニー・ホールト博士がIDCR調査結果、捕鯨統計など現存のデータを利用して計算したものです。 しかし、生態系の中での現状を語る場合、個々の種の増減を述べるよりきわめて有効と考えます。 大形のものを取り除けば、生体容量が極端に減少することは自明の理であり、シロナガスクジラやナガスクジラなどが乱獲された南極海の現状が理解できます。 BWU(シロナガス換算)が、失敗に終わったのは、最小の捕獲努力でより多くの収穫を得ようとする経済論理を無視したことが原因で、生体容量を使って、南極海のクジラの現状を訴えようとする努力と同一ではありません。 しかしながら、個々の種を推定頭数で表すことも必要と思います。 個々の種の現状を訴えるのに有効と考えられますので。


(20)自然保護は先進国・都市住民の思想であり、農村漁村や低開発国の抑圧につながり かねない。 自然保護一般のあり方についてのWWFの姿勢は。

: 自然保護が実際には先進国・都市住民の思想であり、農村漁村や低開発国の抑圧につながりかねないとのご指摘ですが、自然保護が富めるサイドから起こったことは事実です。 自然保護は元々豊かになるために、乱獲を繰り返してきた人間の犠牲になった動植物を守らねばならないという反省から始まりました。 これは豊かになった人々が、失ったものの大きさを悟ったことが大きな原因です。 ですから貧しい国では、自然保護は発生しませんでした。 しかし、現在では自然保護の最先端にさらされている開発途上国の人々も、環境破壊について大いに懸念をしています。 アマゾンやボルネオの先住民が森林伐採に反対して、自身の生活を守る活動を展開していることをお聞きになったことがあると思います。

 人間も自然の一部であり、その自然がうまく作用しなければ人間は生きていけません。 幸いにも良好な自然が残っている低開発国や地方の自然を守ることは、人類にとって必要なことだと考えます。 もちろん、ただ都市の住民が自分たちの生活態度を改めることなく失ったものを地方に求め地方の自立を妨げるのは問題です。 今後は、先進国の国民が生活態度を改めること、貧富の格差(南北問題)の是正を踏まえた活動に進展させなければならないと考えます。 なお、このことは1991年にWWFがUNEP(国連環境計画)とIUCN(国際自然保護連合)と共同で策定・発表した「かけがえのない地球を大切に」で述べております。 小学館から出版されていますのでご一読いただければ幸いです。 現在の私たち(環境保護を行っている人間も含め)の生活は、はるかに地球の能力を超えたレベルで行われています。 多くの資源を浪費し、公害などさまざまな環境問題を引き起こしています。 急激には無理ですが、資源の利用を必要最低限にもってゆく努力が、要求されています。 日本のような経済的に豊かな先進国が、減少したクジラに固執するのを止めることは、その一歩になると思います。


 最後に、人類を現在生きているものとしてだけではなく、過去、現在、未来に生きているものとしてとらえ、未来の人類に対しよりよい自然を残すことが、我々現在生きているものの務めではないでしょうか。 現在クジラを食べているのは、日本、ノルウェーなど少数の国です。 十分な食糧を持つ我々が、できるだけあるがままに近い形に修復した南極海の生態系を次世代に残そうとしていることをご理解ください。




6.三浦淳よりWWFへ

 拝復
 この度は捕鯨問題に関する質問に再び丁寧なお答えをいただきありがとうございました。 お答えの中の何点かについて再度質問させていただきたいと存じます。


(2)貿易がどんな場合も善であるとは私も思いません。 エビのような例があることも存じています。 私が言いたいのは、ミソもクソも一緒にした物言いは止めてくれということです。 日本も、またどんな国でも、非難されるべき点を持っています。 それを非難する時はその点を冷静に指摘すればいいので、赤新聞的なスキャンダラスな表現はすべきではないでしょう。 「膨大な食料が残飯として捨てられている」のは事実ですから、それを非難するのは構いませんが、その中に鯨肉が沢山含まれているという事実はあるのでしょうか。 あるならば残飯の多さと絡めて非難するのもいいでしょうが、ないならばこういう論法はお止め下さい。


(4)ミンク鯨の資源量とその捕鯨再開については、RMSが先のIWC総会で認められなかったことが全てを物語っていると思います。 結局「分からない、分からない」と言い続けてきた反捕鯨側の論拠が崩れたので、それを糊塗するために否決したのではないでしょうか。 キャンペーンということですが、私の見るところ欧米の反捕鯨キャンペーンの方がはるかにひどいという印象です。 またシロナガス鯨の資源量が極端に少なくなっているのは日本も認めているのですから、別に問題はないでしょう。


(5)IWCがどういう団体であるかは、地球サミットで認められたかどうかとは関係ないと思います。 現在のIWCには非捕鯨国=反捕鯨国が多いのは周知の通りで、それらの国が地球サミットでIWCをどう評価しようが、それは自分が自分を規定するのと同じで当てにはなりません。 また、一般に国際機関の決定は(国連もそうですが)国際的だから正しいということにはなりません。 保護と利用の関係については(4)で書いた通り、IWCの姿勢は明らかに偏向しています。 この機関が鯨資源の保護と利用だけでなく、欧米の鯨偏愛論(「鯨は賢い、可愛い」の類)を反映させているのは、一時期「鯨類の知能と倫理」を議題として持ち込んだこと(『鯨類資源の研究と管理』参照)からも明らかではないでしょうか。


(6)ミンク鯨の資源量増加が一時的だとどうして言えるのでしょうか。 その論法で行くとあらゆる水産資源物は利用不可能になります。 また、海洋汚染対策は重要な問題だと私も思いますが、捕鯨に関して、それもミンク鯨のように資源量の多い種類について言うのはフェアではないと思います。 これも同じ論法で行くと魚類はどれも利用不可能になるのではないでしょうか。

 ミンク鯨とシロナガス鯨の関係ですが、餌が競合関係にある以上、ミンク鯨の間引きがシロナガス鯨の資源量に少なくとも悪影響を及ぼさないことは明らかではないでしょうか。 もっとも私も、シロナガス鯨が増加しないのは数が少なくなりすぎて生殖の機会が減少したことが一番の要因だろうと思いますが、餌の競合相手が増えすぎないことはシロナガス鯨にとっていいことではないでしょうか。 お返事には「机上の計算」とありましたが、どういう論拠でそう言えるのでしょうか。


(8)(9)私の言いたいのは、南極海を聖域にという主張が、欧米の鯨偏愛論から来ており、また捕鯨を行っていない国にとっては労せずして自然保護のポーズをとれる手段に過ぎないということです。 もし本当に反捕鯨国が鯨のことを考えているなら、すでに聖域化されているインド洋の鯨資源調査などをきちんと行っているはずです。 ところが実際にはそうではない。 これはフランスなどの態度がポーズに過ぎない証拠ではないでしょうか。

 日本が南極海の調査捕鯨に大金を投じているのは鯨を資源として利用したいと考えているからです。 資源として利用するからこそ大金を投じる、これは冷厳な事実です。 無論だからといってかつてのような乱獲が許されるはずはありませんが、現在の捕鯨状況はすでに過去の乱獲からは程遠いところに来ているのです。 ですから、厳しい歯止めを設けた上で捕鯨を認め、その代わり捕鯨国には資源調査や鯨学への貢献を義務づけるといったやり方の方がはるかに生産的ではないでしょうか。 また、南極海の生態系については、シロナガス鯨とミンク鯨の関係でも明らかなように、長期間に及ぶ利用ですでにバランスは大きく崩れています。 放っておけばよくなるとは言えないでしょう。

 NGOの存在意義は私も十分認めます。 またWWFが中国の楊子江イルカなどの保護調査を行っていることには敬意を表したいと思います。 ただ、現在は鯨・イルカ類は欧米の偏愛の対象になり文化的偏見の源になっている以上(これについては(13)で詳述します)、その取扱いには慎重さが要求されるのではないでしょうか。 楊子江イルカなど明らかに絶滅に瀕している種のことが一般に余り知られず、ミンク鯨のように数の多い種が少数捕獲されても大騒ぎする現状はどう見ても異常です。 そうした状況の中で、WWFは偏見を助長するような行動には特に敏感であるべきでしょう。 WWFがそうだというのではありませんが、NGOが一般に偏見から自由であるとは言えないと思います。 むしろ国家と違ってある種の責任を負う立場にないため偏見を知らずして保持している場合もあるようです。 例えば自然保護団体グリーンピースの問題点についてはドイツの雑誌「シュピーゲル」でも指摘されています。


(10)WWFが独裁体制でないというなら、私はWWF日本委員会が全世界のWWF委員会に次のような提案をするよう要求します。

 「WWFは鯨類の保護を、厳密に科学的な自然保護という見地から訴えるものである。 したがって文化差別や価値観の違いを伴った鯨保護運動には反対である」と、全世界に向けて宣言すること。


(11)(12)資源利用の限界については、これまで野生動物の過剰捕殺がなされていたことは事実でしょう。 しかしそれが一律に野生動物捕獲禁止につながるなら、水産資源の大半は誰も利用できなくなってしまいます。 家畜と野生動物の無理な区別はここで意味をなさなくなるのです。 現在水産資源についても世界的に様々な規制が広がっていますが、少なくとも水産資源をいっさい利用するなといった極論はないはずです。 十分な規制を設けた上で水産資源の秩序ある利用を行うことはこれからの人類の食糧事情を考えれば誰にも異存はありますまい。 これは魚類以外の野生動物についても言えることではないでしょうか。 魚類とそうでないものを区別するのはご都合主義に過ぎません。


(13)日本の自然保護団体は文化差別的・民族差別的な反捕鯨運動に対する見方がまるで赤子同然と先の手紙に書きましたが、お返事を拝見してその感をさらに深くしました。 これは一番肝腎な点ですから強調しておきたいと思います。

 「クジラ類が減少していることがより顕著になり、世界でクジラを守ろうという時に」とありますが、アメリカの反捕鯨運動が「鯨は賢い」を基調としていることは、先の手紙でロビン・ギルやカール・セイガンの言動をもとに私が指摘した通りです。 これも先の手紙に書きましたが、ニュージーランドに旅行した学生が「鯨を食べるのか」と言われたという話は、言うまでもなく「資源が少ない鯨を食べるなんて」という意味ではなく、「我々は鯨を食べる習慣がないのに日本人は鯨を食べるのか、気味が悪い」という意味でしょう。 英国の議員が「鯨を食べたいなら人肉を食べろ」と発言したというのは有名な話です。 また何年か前、宮崎の海岸にイルカが集団で乗り上げた時(いわゆるイルカの集団自殺です)、英国のマスコミはイルカが自分から浜に乗り上げたのにあたかも日本人がイルカを虐待しているかのごとくに報じました。 ここから出てくる結論は一つしかありません。 欧米の反捕鯨運動は表向き自然保護の面をかぶりながらも、その裏に文化差別・民族差別的理由が隠されているということです。 私の挙げた事例に対して文化差別・民族差別以外の解釈ができるというならお答えいただきたいものです。

 また、自然保護に逆行するというなら、生物の多様化を保持するためにはあらゆる種をその絶滅危険性に応じて保護するよう訴えるのでなくては筋が通りません。 なのに(これは(3)とも絡みますが)なぜ鯨ばかりが特権的な動物にされるのでしょうか。 鯨は繁殖力が弱く長命なので海洋汚染に弱い、というのがお答えでしたが、しかし現実には「食物連鎖の上部にある」鯨・イルカ類の中で絶滅に瀕しているのは楊子江イルカやホッキョク鯨などごく少数で、むしろ住んでいる場所が限定される下等な生物に絶滅種が目立つというのが実際のところでしょう。 生物の多様性ということからすればそれらの下等種をこそ総力を上げて保護しなくてはならないはずです。 ところが鯨といえばヒステリックなまでに反応するくせに、実際に絶滅しかかっている生物に関しては無関心である欧米人(反捕鯨派の日本人もですが)が多い、これはどう考えても異常です。 これがIWCにも影響しているのは、(5)でも書いた通り、「鯨類の知能と倫理」を議題に持ち込んだことからも明らかです。

 次に、日本やノルウェーが「人類の共有財産ともいわれているものを(自分だけで)利用しようとする」ことについてどう考えるかとのご質問ですので、お答えしましょう。

 どんな野生動物でも無条件に人類の共有財産と言えるかどうか、私には疑問がありますが、一応それはおくとします。 人類の共有財産であるものは、世界中のすべての国で利用しなくてはならないのでしょうか。 例えば日本人は世界中で食料にされている魚種でなければ食べてはいけないのでしょうか。 イカやタコや魚卵を食べる国民は、食べない国民から「共有財産を自分だけで利用している」と非難されなくてはならないのでしょうか。 そんなことはありますまい。 どんな国にもそれなりの食文化があり、食べられるものなら何でも利用しなければならないという決まりはどこにもありません。 ヒンズー教徒は牛を食べませんが、それに対して「せっかくの食料なのに食べないなんてケシカラン」と言うのは、大きなお世話です。

 この大きなお世話を、WWFが鯨に限って認めるのはどういうわけでしょうか。 「人類の共有財産」と言いますが、反捕鯨運動が起こる前は捕鯨国以外は誰も鯨を財産だとは思っていませんでした。 数が少ないから利用しないのではなく、要するに鯨を利用する習慣がなかったに過ぎません。 それは今も変わりはなく、反捕鯨国の多くは鯨を保護すべき自然だとは思っても、保護すべき資源だとは思っていないでしょう。 自然資源の持続的利用を唱えるWWFの方針が欧米の反捕鯨とは相容れないはずだと私が言うのはそのためです。

 かつてはアメリカなど幾つもの国が捕鯨をしていました。 しかしそれは鯨から油をとるために過ぎず、肉は捨てていたのです。 乱獲がたたって鯨資源が減少すると、それらの国は捕鯨を止めました。 エコロジーに共鳴したからではなく、油をとるためだけに鯨を利用していたので資源が減少して採算が合わなくなったからです。 しかし日本やノルウェーは鯨から油をとるばかりではなく食肉としても利用する習慣を持っていたので、資源が減少しても十分採算がとれたのです。 アメリカなどが反捕鯨を唱え出したのは、不採算性により捕鯨から撤退した後になってからです。 つまり鯨が自分の利害関係の外に出てからです。

 捕鯨がこれほど世界的に問題にされるのは、大部分の国にとって鯨が資源ではないからです。 もし日本やノルウェーのように鯨を無駄なく利用する習慣を持つ国が多ければ、捕鯨問題がこれほど世の爼上に上ることはなかっただろうと私は思います。 自分の利害と無関係な自然なら保護せよと訴えるのは簡単です。 無論、無関係だから自然保護を訴えるなと言いたいのではありません。 しかしそれが責任ある訴えなら、(8)(9)で述べたように反捕鯨国は大金をはたいてでも鯨類資源の調査をしているはずです。 ところが実際にはそうではない。 これは捕鯨問題が本当の意味での自然保護問題ではなく、文化差別・民族差別を背後に隠しているからであり、また欧米の政治家にとっては労せずして自然保護のポーズをとれる手段と化しているからです。 本当に自然保護を考える政治家なら国民の税金を上げてでも鯨類の調査を行うでしょうし、また鯨よりも絶滅の危険性の高い生物を(どんな下等生物であれ)保護するよう訴えるはずです。

 その意味で、暗殺されたスウェーデンの故パルメ首相の責任は重大だというのが私の考えです。 「鯨が救えないなら人間も救えない」式の安易なスローガンの元凶は彼だからです。 これは私の想像ですが、この時彼は自分が何をしているかよく分かっていなかったのでしょう。 自分の提案が文化差別主義・民族差別主義に道を開き、ヒトラーの反ユダヤ主義にも似た反捕鯨主義を台頭させるとは予想していなかったのではないでしょうか。 国民の支持を受けなければ成り立たない政治家という商売人は、しばしばこうした「敵」を想定することによって受け狙いをします。 ヒトラーの反ユダヤ主義と似ていると私が思う所以です。

 こうした反捕鯨運動をWWFは支持するのですか? 私は捕鯨問題が厳密に資源量の面から語られるなら、自然保護団体にも十分な理があると思います。 鯨の乱獲の歴史は明らかですし、捕鯨国を監視することも必要でしょう。 しかしそこに文化差別・民族差別が絡んでいる以上、欧米の反捕鯨運動に何の批判もなく同調することは、文化差別・民族差別に加担するのと同じことになってしまいます。

 そうならないためにはどうすればいいでしょうか。 まず第一に(10)で私が要求したように、自分たちは鯨類の保護を主張するが文化差別的な反捕鯨運動には反対であると全世界に向けて明確に宣言すること。 これは、現在のWWF日本委員会のように、ウチの方針は欧米とは違うと小さな声で言うこととは全然違います。 現在のWWF日本委員会の態度では、あちらは「要するに奴らはやっと俺たちの偏見(とあちらは思っていないでしょうが)に同調するようになったわけだ」としか受けとらないでしょう。 喩えで言えばこういうことです。 三流国民と言われていた日本人が名誉白人扱いされて嬉しがり、白人が黒人差別をしているのを見ても俺自身が差別してるわけじゃないとつぶやいて知らん顔をしている。 こういう日本人を私は醜悪だと思いますが、WWF日本委員会の態度はこれと同じではありませんか。

 欧米でも一部の良心的ジャーナリズムは反捕鯨に一方的に加担するような真似はしていません。 IWC京都総会の頃、ドイツの「ツァイト」紙はノルウェーの捕鯨漁師の言い分を半ページを割いてそのまま紹介しました。 狐狩りや闘牛などの殺生のための殺生は伝統だと言いながら捕鯨は伝統であろうが攻撃する反捕鯨国の身勝手さを、捕鯨漁師は訴えています。 こうした良心的なジャーナリズムと比べるとWWF日本委員会の態度ははるかに内弁慶的で卑屈だというのが私の印象です。

 そして第二に、生物の多様化という目標に沿って下等生物であれ哺乳類であれ、本当に絶滅に瀕しているものを科学的根拠に基づいて保護すること。 私が貴委員会に手紙を書くようになった発端は新聞にお載せになった反捕鯨広告でしたが、なぜ鯨には広告まで出す癖により絶滅の危険性の高い生物には広告を出さないのかと私は二度に渡って問うたと記憶します。 しかしちゃんとしたお答えをいただいていないように思います。 欧米が反捕鯨だからこちらも真似れば自然保護先進国、といった薄っぺらな自然保護ではなく、大衆に受けるようなポーズをとるのでもなく、真に地球のために役立つようなバランスのとれた自然保護を地道にやっていただきたいと思います。 そのためには、後にも書きますが、都市住民の生活を叩き直すことも忘れずやっていただきたいのです。


(14)エスキモー(イヌイット)の捕獲しているホッキョク鯨が絶滅に瀕しているのに、彼らの捕鯨を認めているWWFの姿勢は明らかにおかしいと思います。 エスキモーは野菜のない地方に住んでいるとありますが、野菜がないならそれを政府が供給してやればいいだけの話ではありませんか。 私は先の手紙にもそう書いたはずです。 この点については筋の通ったお答えをいただきたいと思います。

 それから、生存捕鯨と商業捕鯨を無理に分ける思考法がそもそもおかしいので、自分で捕って自分で食べるのと自分で捕ってそれを他人に売って他の生活の資を得るのに優劣はないはずです。 もっとも「商業」全般をWWFが否定するなら話は別ですが、(2)のお答えでは必ずしもそうではないようですね。

 日本近海のミンク鯨とエスキモーの捕獲しているホッキョク鯨の資源量の違いが明瞭であるにもかかわらず、へ理屈をつけて前者の捕獲を否定し後者を擁護するWWFの姿勢はまったく非論理的と言わざるを得ません。


(15)鯨の密猟や密輸が問題であるのは分かりますが、たまたま網にかかった鯨についてまで騒ぎ立てるのは神経症の極と言うべきでしょう。 密輸への監視をいっそう強化すべきことは言うまでもありませんし、例えば鯨肉の販売に関しては許可制とし、密輸肉を扱ったら許可を取り消すなど、密輸を防ぐ手段は考えられると思います。


(16)(18)どうも私の書いたことを理解なさっていないようです。 私は鯨が贅沢品になりつつあることを認めますが、贅沢品だから捕鯨はケシカランということにはならないと言っているのです。 文化はそもそも贅沢なのであり、贅沢だから悪いとは言えない、栄養源として欠かせないからこそ鯨は乱獲されたのであり、現在のエスキモーの捕鯨にしても生活に必要だという名目のもとに絶滅に瀕した鯨種を捕獲している、逆に贅沢品だからこそ乱獲しないで少数ずつ捕獲し続けるということもあるだろう、それで何の不都合があるのか、そう言っているのです。 鯨料理が何千円もするとありますが、別に何千円でもお金を出す人がいれば構わないでしょう。 ホエールウォッチングにしても何千円もかかるようですし。


(17)ホエールウォッチングですが、私は原則的には結構なことだと思います。 ただし、捕鯨を抑圧する手段として使わなければ、です。 鯨を利用する方法には色々あるので、食べようが見ようがどちらでもいいわけです。 それは、牧場で牛を見るのが好きな人もいれば牛肉のステーキにしか興味を示さない人もいて、そのどちらが優れているとも言えないのと同じことです。

 ところが実際にはホエールウォッチングが捕鯨を抑圧する手段として欧米で喧伝されていることは言うまでもありません。 それはすでにお答えの文章からも明らかです。 「海外でも日本のホエールウォッチングが好意的に報道され、(…)外交上の利点など(…)」というのは、要するに「あちらもこちらの習慣に染まってきたから仲良くしてやろう」ということでしょう。 これはホエールウォッチングが文化的偏見に端を発しており、政治の道具と化している証拠です。 同じ文化習慣を持つ国同士しか「外交上」の利益を持てないとすると、何とも情けない世界ではありませんか。 この点についてWWF日本委員会はどうお考えですか。

 それから、経済的効果だけでホエールウォッチングを称揚するのはおかしいと思います。 人間が仕事を選ぶのは現金収入の多寡だけが基準ではありません。 外部の圧力とは無関係に選んでいるなら結構ですが、実際にはそうとは言えないだけに、「この方が収入が多い」という表現はきわめて政治的と言わざるを得ません。 農業や漁業のあり方を経済面からのみ考えるのは危険でしょう(WWFも(2)のお答えからすると私と同意見ではないかと思いますが)。 例えば、今でも現金収入を手っとり早く上げようとすれば、日本の農家は農業など止めて全員都市部に出てしまえばいいわけです。 無論米を初め農作物は完全自由化した方が安くなり経済的でしょう。 日本の農業はこの場合つぶれるでしょうが、私はそれでいいとは思えません。


(19)残念ながらお答えには納得できません。計算したのがホールトだろうと誰だろうと生体容量という概念はナンセンスです。 例えば、新潟に棲んでいるトキは絶滅を待つばかりになっていますが、同じ鳥だからという理由でカラスと一緒くたにして数を計算するでしょうか。 同様にシロナガス鯨とミンク鯨は同じ鯨と呼ばれる動物ではあっても別の種類で、お互い同士生殖は行いません。 別々に考えねばならないのは当り前ではありませんか。

 そもそもこの箇所のお答えの文章は意味がよく分かりません。「大型のものを取り除けば…」の文章は、a)大型鯨が多く乱獲されたから生体容量が大幅に下がったのだ b)大型鯨を別に考えればミンク鯨など小型鯨だけだと生体容量はたいしたことがない のいずれの意味でしょうか。 a)なら、シロナガスやナガスを種別にして資源量の変遷を示せばいっそうはっきり大型鯨の減少が分かるでしょうし、b)なら生体容量が大したことがないからといって小型鯨を乱獲していいわけがありません。

 「BWUが失敗に終わったのは…」の文章も理解しかねます。BWUが失敗したのは経済論理だけを優先させ、種の別を無視したからです。 種別を無視する点でBWUと生体容量は同じ誤りを犯しています。

 いずれにせよ鯨は種別に資源量を示すのでなくては意味をなしません。 WWFも是非そうしていただきたいものです。 実際捕鯨の是非が問題になる場合でも種別に論じているのですし、捕鯨国でもシロナガスなど資源量の少ないものまで捕獲させろと要求しているわけではないのですから。


(20)自分と無関係な自然ばかりを保護しようとするな、と先進国都市住民に訴えるべきだというのが私の言いたいことですが、理解されていないと思いました。 お返事の「減少したクジラに固執するのを止めることは、その一歩」というのは、その典型です。 捕鯨とWWF日本委員会にお勤めの方たちは無関係である、だからこそ「鯨を止めるのが一歩」と簡単に言えるわけです。

 私は、隗より始めよ、と言っているのです。 自分に直接関係のあることから始めていただきたい、そうでなければ所詮自己満足に終わるだけだと言っているのです。 具体的には、先の手紙にも書きましたが、クーラーや自家用車など、エネルギーの無駄使いや空気汚染につながるものはまず自分から止めるということです。 もっとも環境保護団体にお勤めの方々は最初からクーラーや自家用車などお使いになっていないかも知れません。 その場合は家族親戚・友人知人や同じビルに入っている会社のクーラーや自家用車をやめさせ、次には港区全体のクーラーと自家用車を、そして東京都全体の、という風に都市住民の生活を叩き直すことから始めていただきたいのです。 それこそが本当の「一歩」ではありませんか。 自分はエネルギーを浪費して快適な暮しをしながら、農村漁村や低開発国にのみ様々な要求を突きつけるのは偽善です。 それは分かっていると口先で言うだけでは足りません。 まず自分とその周囲の生活を実際に変えてこそ、農村漁村低開発国に要求を出す権利ができるのだと私は思っています。 そうした意識を持たないまま弱者いじめをする自然保護論者が多すぎるのではないでしょうか。 ワリバシをやめれば森林は保護される、というバカげた考えが一世を風靡したことがありましたが、自分が大したダメージを受けずに自然環境に貢献できるというのは欺瞞です。 自分が苦しむことから始めていただきたい、そして次には、少数者の習慣を改めさせることによってではなく、多数者の習慣を改めさせることによって自然を保護しようと努力していただきたい。 それが抑圧から最も遠い自然保護のやり方だと私は思います。 あるがままの生態系を回復する、というなら、都市によって破壊された自然を当の都市住民自身が回復する、それが「隗より始めよ」の意味です。

 捕鯨国が少数であることは、反捕鯨を喧伝する理由にはまったくなりません。 逆に、反捕鯨の根拠を慎重に検討しなければならないことを意味します。 反捕鯨に文化差別・民族差別が少なからず絡んでいること、他に保護すべき自然が山ほどあることを考えれば、WWF日本委員会の姿勢は厳しく問われなければならないでしょう。 責任ある科学的自然保護を推進するためには、この点をなおざりにしないでいただきたいと思います。

  1993年10月15日          三浦 淳

              *                                  *
 以後WWF側からの返書はなく、捕鯨問題をめぐる往復書簡はこれで終わる。

 本誌掲載にあたって三浦からWWFに了承を求めたところ、拒否の返事がきた。 したがってこの掲載はWWF側の意向を無視したものであることをお断りしておく。 残念ながらWWFの意向に添えないと三浦が判断したのは——(一)発端はWWFの意見広告であるから、それに続く意見のやり取りも公開する義務がWWFにはあると考えられる(二)個人のプライバシーやWWF内部の機密事項に触れる内容ではない(三)WWFの最初の返書は、意見広告へ疑問を寄せた多数の人間に宛てられた公的なものである(四)第二の返書は三浦個人に宛てられているが、「この返書は(…)三浦様と同様の疑問をお持ちの方々にもWWFのポジションを理解していただけるよう作成しました」とある以上、公開を前提にしていると考えられる——以上の理由によるものである。

 ただしWWFの返書には担当者の個人名が書かれているが、これは削除しイニシャルのみ記すことにした。 他は、わずかな誤植を訂正した以外は、いっさい内容面での変更は加えていない。

   (三浦記)

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