("nemo" 第3号,1996より。
三浦 淳
なおこの病気の今後ですが、ペストやコレラのように一定期間猛威を振るった後でないと下火にならないだろうというのが筆者の予想です。
原因究明は病気を治す第一歩ですが、理由が分かればすぐに治るというものでもありません。
それに治りたくない患者だっているのですから。
三島由紀夫に『不道徳教育講座』(1960年)というエッセイがある。
その「オー・イエス」と題された章で、三島はこんなエピソードを紹介している。
三島が渡米してあるアメリカ人教授から夕食に招待された時のこと。
客は何人もいたが、日本人は三島以外に地方大学総長だという老人だけ。
老人は英会話が余り得意ではない。
その代わりに「愛嬌をこぼれるばかりに示して」いる。
アメリカ人から何か話しかけられると、ニコニコしながら『オー・イエス』と答える。
オー・イエス、ニコニコ、オー・イエス、ニコニコの繰り返し。
傍で見ていた三島は、「サーヴィス精神の旺盛な先生だと感心」する。
さて、この大学総長、三島が「あんまり若僧なので相客としてのプライドを傷つけられたのか、紹介されてのち全く無関心を装って」いたが、しかし得意でない英会話が途切れると、その場にいる日本人は三島だけであるから、彼を相手に日本語で会話をせざるを得ない。
総長は三島にこう尋ねる。
『あーん、君は何かね、何を書いとるのかね』
三島はあっけにとられる。
「明治時代の小説に出てくるお巡りさんはよくこんな口調で話」すなと思ったからである。
しかし三島が答えようとすると、別のアメリカ人が何事か話しかけてくる。
総長はたちまちそちらへ向き直ると、『オー・イエス』と「世にも謙譲な態度で、満面に笑みをたたえて」答えるのだった。
このエピソードの意味は言うまでもなかろうが、三島はこの後でこう書いている。
「日本人には威張り、外国人にはヘイコラするというのが、明治初年の通訳から、戦後占領時代の一部日本人にいたる伝統的な精神態度でありました。
これが一ぺん裏返しになると、外国人を野獣視し、米鬼撃滅のごとき、ヒステリックな症状を呈し、日本を世界の中心、絶対不敗の神の国と考える妄想に発展します。
外国人と自然な態度で付き合うということが、日本人にはもっともむつかしいものらしい。
これが都市のインテリほどむつかしいので、農村や漁村では、かえって気楽にめづらしがって、外国人を迎え入れます。」
三島の名に偏見を抱く人は、この文章を文字通りには読もうとしないかもしれない。
最晩年を除けば三島が卓抜なエッセイストであったのは読書人なら誰でも知るところだが、念のため別の著作家からも引用をしておこう。
中村光夫は、『言葉の芸術』(1965年)で高田博厚とロマン・ロランを批判している。
発端は高田が岩波書店の雑誌「図書」に載せたエッセイで、そこで高田は昔ロランを訪れた時のエピソードを紹介しているのだ。
そのエピソードとはこうである。
高田はロランに日本語の難しさについて語り、「自分」を表現する場合でも私、僕、我輩、手前など十以上もあり、話す相手によって変えねばならずやっかいだと教える。
するとロランは「そんなばかなことがあるか、どこへ行ったって自分は一つじゃないか、なぜ相手次第で変わらなければならないのだ?」と怒りだした。
高田はその思い出を枕に、現代日本人には封建根性が根強く残っていて、ロランはそこに立腹したのだと「思いあたった」と書く。
中村はこのエッセイを紹介した後で、高田とロランの両者を痛烈に批判する。
高田の文章は、外国の名士の片言隻句に意味ありげな解釈をほどこす我国の知識人の習癖を示すもので、ロランとの会話は実にたわいない議論である。
一人称の代名詞が沢山あるのが「封建根性」のせいというのはその通りかもしれない。
しかしフランス語にそういう不平等な人間関係を表す言い回しがないかというとそんなことはない。
主人と召使いが異なる二人称で呼び合うこともあるし、一人称は一つしかなくても、通常の二人称以外に敬称の二人称が存在するのはヨーロッパ語に共通して見られる現象だ。
絶対的な平等が現実にはありえない以上、上下親疎の程度をあらわす言い回しがどの国にもあるのは当然で、日本にしかないと考えるのは根拠のない独断に過ぎない。
そもそもよその国の言葉の特色が分からないからといって立腹するのは失敬な話で、それなら高田はロランにこう言えばよかったのだ。
日本語には一人称代名詞は沢山あるが、フランス語のように機能によって形が変わることはない。
「私は」が jeで「私に」がmoiで「私を」が meであるフランス人は、人に金をやる時と人から金をもらう時とでは自我の形が違うのか、と。
たわいない議論はそれで終わったはずだ。
さらに中村は次のように述べる。
「問題は、こういう考えがたんに高田氏のように特殊な教養と経歴の持主ひとりのものではなく、それに多数の賛成者がいるということです。
どうも日本語というのは特別に封建的な言葉らしい、とか、我々の言語生活に表われた封建性は反省しなければならないという人がすぐでてきます。」
30年も前のエッセイを二つ引いたのは、20世紀も終わろうとしている今日になっても状況にさして変化が見られないからである。
やや枕が長くなりすぎたが、以下本論に入ろう。
先の『nemo』第2号に私とWWFJ(世界自然保護基金日本委員会)の捕鯨問題に関するやりとりを載せた。
これをもとに、改めてWWFJの態度を批判しよう。
私とWWFJとのやりとりには様々な論点があったが、私の消しがたい疑問は次の点である。
(1)
捕鯨問題には、鯨やイルカを特別な動物だとする文化差別主義がからんでいる。
純粋に自然保護や資源保護の観点から鯨を保護せよとする運動は、こうした文化差別主義とは一線を画さなければならない。
したがってWWFJは、文化差別的な鯨・イルカ類保護運動には反対だとWWFが全世界に宣言するよう提案するべきだ。
(2)
IWC(国際捕鯨委員会)は、科学委員会の勧告した新しい科学的な捕鯨基準(改訂管理制度=RMS)を総会で否決している。
これはIWCが科学的な根拠に基づいて捕鯨問題を論ずる団体ではなく、文化差別主義に支配された団体である証拠である。
(3)
さらにIWCは、少なくとも40万頭以上いるとされる南極海でのミンク鯨について、日本の調査捕鯨(年間300頭)に難癖をつけている。
それに対して、千頭程度しかいず絶滅が心配されているホッキョク鯨をイヌイット(エスキモー)が捕獲することは認めている。
これもIWCが非科学的で差別主義丸出しの団体である証拠である。
WWFJは、新聞に載せた意見広告に寄せられた疑問への回答では「文化や習慣をふりかざしてのわがままは許されない時代」と称している。
とすればWWFJはIWCのこの態度を批判し、イヌイットに対して捕鯨をやめるよう申し入れなければならないはずである。
ところがWWFJはイヌイットの捕鯨は認め、日本近海での日本の調査捕鯨には難癖つけている。
この論理的矛盾をどう説明するのか。
そもそもホエール・ウォッチングを日本がやれば欧米で好感的に報道されて利益になると主張するなど、WWFJの姿勢は欧米の偏見にすでに染まっており、文化的偏見に鈍感すぎる。
(4)
先進国の都市生活者が農漁村や低開発国にある自然を保護しろと主張するのは、きわめて安易なやり方であり、農漁村や低開発国の抑圧につながる。
本当に自然が大事だと思うなら、環境保護団体に寄付をするよりまず身近な自然を回復し、エネルギーの浪費をやめるなど、都市生活者が自分自身の生活を根本的に改めるべきだ。
したがってWWFJは事実上政治力の弱い農漁村や低開発国に圧力をかけるより先に、乗用車やクーラーの使用をやめるよう東京の住民に働きかけるべきだ。
以上の疑問について、WWFJは何一つ答えていない。
つまり答えらないわけだ。
そうである以上、文化差別主義を支持する団体だとみなされても仕方があるまい。
その根底にあるのは、三島や中村のエッセイで指摘されていたような、日本知識階級の卑屈さである。
外国では受容者=弟子としてペコペコし、逆に国内では輸入品を振りかざして啓蒙家=教師を気どる——これが明治以来、日本の二流知識人が一貫してとってきた行動様式だった。
同じ知識階級でも一流ならこういう莫迦な真似はしない。
日本の欠点は欠点として指摘し、しかし対外的にも言うべきは言う。
例えば鴎外はそうだった。
考えてみればそれは当然のことだが、この当り前のことが一番難しいのが日本の二流知識人なのである。
現代の日本は、かつてのように知識人が論壇でもっともらしくご宣託を垂れる時代ではなくなっているが、その代役は色々なものが果たしている。
NGOもその一つだ。
私はNGOの意義を否定しない。
しかし逆にNGOだから無謬で無垢だとも思わない。
おかしいと思うところはどんどん指摘させていただく。
それに答えられないなら、そんなNGOは消えた方がいいのである。
WWFJに特徴的なのは、対外的な発信能力がないことだ。
私は (1)についてはWWF日本委員会が全世界のWWFに提案せよと言ったわけだが、それについて日本委員会は何も答えていない。
捕鯨文化を持つ国がそうでない国にこういう提案をするのはごく当然のことだ。
地球上にあらかじめ決まった普遍性などあるはずもなく、普遍とは地域性の集合体にすぎないのだから、地域の特性はその地域に住む者が訴えなければ誰にも分からない。
多数者の偏見にしても、少数者がそれを指摘して初めて偏見であることが分かるのである。
ところがこの当然のことがWWFJにはできないのだ。
この行動様式は先に述べた通り、日本の二流知識人の特徴である。
WWFJは「オー・イエス、ニコニコ」の人だったのだ。
二流知識人の特徴はもう一つある。
言葉と行動が一致していないことだ。
例えばサロン・コミュニストのように口では共産主義を讃美しながら決して共産主義国では暮らさず、自分の生活も改めようとはしない。
WWFJは (4)で明らかなようにこの点でも二流知識人相当である。
さらに二流知識人の特徴を挙げよう。
政治的センスがなく、国際政治の仕組みに無知なことだ。
IWCは国際的な組織だからまともだと信じてしまう。
様々な偏見と力(「経済制裁」などというのもその一種である。経済力の強い方が有利なわけだから)と身勝手が現実の国際政治を(残念ながら)動かしていることを知らない。
「環境保護」という美名も、そこにあっては偏見の隠れ蓑となり様々な政策の口実に使われることに気づかない。
例えば、 (3)で述べたイヌイットの捕鯨である。
イヌイットというと恵まれない少数民族というイメージがあるせいか、絶滅に瀕している鯨を捕っても仕方ないんじゃないかと思う人も多かろう。
しかし、イヌイットとはこの場合アメリカ人のことである。
世界最強のアメリカ政府はその気になればイヌイットに必要な栄養を含んだ食物を提供して、絶滅に瀕した鯨を守ることができるはずである。
実際、良心的なアメリカ人学者は、日本の捕鯨をやめさせる科学的根拠はない、むしろイヌイットの捕鯨をやめさせるべきだとかつてレーガン大統領に訴えたのだった(『C・W・ニコルの海洋記』)。
ところがアメリカは資源量豊富な鯨を対象とする日本の捕鯨には全面的な圧力を加え、全滅に瀕している鯨を捕る自国民は擁護しているのである。
要するにエゴ丸出しなのだが、アメリカのWWFが自国のエゴに気づかないのはある程度やむを得ないとしても、理不尽な抑圧を受けている日本のWWFがこのエゴに気づかないというのは、不思議な精神構造というしかない。
(しかしこういう精神構造の日本人が多いことは最後に述べる。)
いや、もっとはっきり書こう。
アメリカのWWFはこずるいのであり、自分の頭でものを考えないWWF日本委員会はこずるいアメリカWWFの言いなりなのだと。
実際、95年12月の朝日新聞の報道によれば、アメリカのブラウン商務長官は捕鯨問題にからめて日本に制裁措置を加えるようクリントン大統領に勧告したという。
これは南極海の捕鯨だけではなく、北太平洋など他地域をも含むものである。
そしてこの勧告を公表したのがグリーンピースとWWFだったのである。
つまり両「環境保護」団体はブラウン長官を支持するというわけだろう。
ここに見られるのは、資源保護とか環境保護とかいう思想ではない。
鯨を特別な動物だと見なす動物差別主義、それに基づく民族差別主義である。
それほど鯨が大事ならまずイヌイットの捕鯨をやめさせるべきだし、本当に鯨・イルカ類で絶滅に瀕しているもの(ホッキョク鯨以外では、川に生息しているカワイルカ)をまず保護すべきだろう。
ところがそれと正反対の政策がとられているのは、捕鯨問題が環境保護の美名に隠れて政治的に悪用されている証拠である。
グリーンピースやWWFは環境保護に名を借りた民族差別と身勝手な政治を支援する団体だったのだ。
ところで、前号で私はWWFJとの往復書簡を発表したが、そこに書かなかった事実に触れておこう。
前号を見れば分かる通り、WWFJからはこちらの質問に二度回答が来たが、その後右の (1) - (4)で列挙したような疑問を当方が述べたのに対しては返事が来なかった。
それで私は二度ほど催促状を出したのである。
しかし梨のつぶてであった。
それで往復書簡を発表するにあたっては、別段断る必要もなかろう(プライベートな内容ではないし営利目的でもないからだ)とは考えたが、まあ一応と思い、「載せますからいいでしょうね、内容にはいっさい変更を加えず、余計なコメントもつけません、もし駄目ならちゃんとこちらの疑問に答えなさい」という手紙を出しておいた。
実は返事はないだろうというのが私の予想だった。
こちらの二度にわたる催促にもかかわらず疑問に答えないのだから、おめおめと返事をよこすはずがない。
ところが驚いたことに返事が来たのだ。
答はノー、そしてこちらの疑問にも答えないというのである。
何と阿呆な団体なのだろう。
『nemo』がわずか150部の雑誌であることは書いておいたのに、自分の意見を知られるのがそれほど恐いのだろうか。
そもそも最初に新聞に意見広告を出したのはWWFJである。
ならばそれに対する疑問には最後まできちんと答える義務があるし、その応答を公開されても文句はないはずだ。
それができないのは、まともな団体ではない証拠である。
こちらは疑問に答えない限り掲載すると書いておいたので、予告通り掲載した。
内容にいっさい変更を加えず余計なコメントもつけないというのも予告した通りである。
ただし個人攻撃が目的ではないから、二度の返信にあった個人名はイニシャルだけにした。
さて、個人攻撃が目的ではないと繰り返した上で、以下で或る事実を指摘しておこう。
それは、WWFJからの二度目の返事を書いた人が一昨年朝日新聞の或る記事にコメンテーターとして登場した、という事実である。
そのコメントとはこうだ。
「野生のイルカと泳いで自閉症を治療したという研究があるなど、イルカには計り知れない将来性がある。イルカと共存できるルール作りをめざすべきです。」
自閉症を治すのにイルカを使うのは結構である。
しかし、それはあくまで人間のためなのだ。
じゃなければ、いったいイルカの自閉症を人間は治してやったのだろうか。
「共存」という言葉はかくもいい加減に使われる。
そしてこの種の論理こそ鯨・イルカ類偏愛国に蔓延しているものであり、果ては鯨・イルカは絶対に殺してはならないという恐ろしい飛躍に至るのだ。
「イルカには計り知れない将来性」なるフレーズにはこの匂いが芬々と感じられる。
つまりこの人は、自然保護や資源保護、WWFのモットーであるはずの「自然資源の持続的利用」から一歩も二歩も踏み出したコメントを加えているのである。
すでに欧米の鯨・イルカ偏愛主義=文化差別主義に洗脳されている疑いが濃厚だと言えよう。
「自然保護」団体に勤務する人が、この手の人間ばかりでないことを私は望む。
私はこの文章を三島由紀夫と中村光夫からの引用で始めて、20世紀も終わろうとしている今日になっても状況にさして変化が見られないと述べた。
だから最後は私自身の手でそれを指摘しよう。
最近の話題といえばフランスのタヒチでの核実験である。
フランスは南極海を鯨の聖域にという提案をした国だが、だいたい鯨類資源の調査にもろくにカネを出していないし、この提案も真に自然環境を守るためではなくポーズ作りのために過ぎないということは、前号掲載した私の主張で明らかな通りである。
そして今回の南太平洋での核実験はそれを裏書きしたものと言える。
ただ、感情的に反核を叫んでフランスを非難すればいいというものでもない。
一部の人が言うように中国の核実験も非難せよ、というのでもない。
そもそも過去にさんざん核実験をやってすでに核兵器を備えているアメリカやロシアを非難しないのはおかしいのだし、日米安保により日本がアメリカの核の傘下にあると見なされている以上、日本は自国で持たずとも核を利用していると批判されても仕方がないわけだ。
批判はこういう具合に総合的にやらなければおかしいのである。
ところで、本年1月末にフランスが6回目の核実験を行った時、朝日新聞に識者(?)のコメントが載った。
その中の「仏政府給費留学生としてパリに留学した作家の荻野アンナ慶応大学文学部助教授」のコメントは以下の通りであった。
最後を読んで、奇妙なことを言うと私は思った。
日本は植民地主義に走り侵略戦争を行ったのだから、それを謝罪しないと自分の被爆体験も語れないしフランスの核実験に抗議することもできない、というのである。
なぜ奇妙なのだろうか。
昭和初期から20年までの日本の行動については色々な見解があり得るだろうが、それはここでは措く。
少なくとも威張れないような行為を相当やっていることは確かだからだ。
だから、核実験がフランスのもともとの領土内で行われているならこれでもよろしい。
実際はどうか。
フランスは南太平洋のタヒチで核実験を行ったのだ。
タヒチはもともとフランスの領土だったのだろうか。違う。
フランスは19世紀半ばに軍艦を派遣してタヒチの王政を廃し植民地にしたのである。
日本が韓国を併合したのと変わりはない。
日本は、無論戦争に負けたからではあるが、現在は植民地主義はとっていない。
対してフランスはおのれの植民地主義を謝罪するどころか、植民地を手放さず、そこで核実験を数回行うという真似までやったのだ。
要するに第2次大戦後半世紀を経てなおゴリゴリの植民地主義国家なのである。
そのフランスに対して、日本は自分の昔の植民地主義を謝罪しなければものを言えないとする荻野アンナの精神構造はどうなっているのだろう。
「フランスの歴史や地理を踏まえ」るとはどうやらこの程度のことらしい。
こういう二流知識人を日本の一流大学は助教授に迎えているのだから、日本の知的水準はまだまだ低い。
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* 縦書き原稿から横書きへの変換のため、一部の漢数字を算用数字に変更してあります。)
(新潟大学人文学部)
これから「反捕鯨の病理学」講座を開講します。
反捕鯨病は20世紀末に流行している奇病ですが、その病因については十分な解明がなされていません。
以下、ささやかながらこの点について寄与を行いたいと思います。
1.二流知識人の卑屈病——文化差別主義に追随する「環境保護」団体WWFJ
《大学の授業で、作家クロード・シモン氏の大江健三郎氏への反論を教材に使った。
シモン氏は、第二次大戦前の平和主義が、ドイツの侵略を許してしまったという後悔を語り、チェチェン紛争にみられるように不安定なロシアの脅威を強調した。
その見解は、環境破壊など地球規模の視点を欠いているものの、フランスでは多くの人に支持されている。
日本の反核運動もこうしたフランスの歴史や地理を踏まえるべきだ。
同時に、日本の被爆体験を理解してもらうためには、自らの侵略についてきちんと謝罪しなければならない。》