("nemo" 第7号,2000より。
三浦 淳
「反捕鯨の病理学」第5回をWhaling Libraryに転載するにあたって、一言お断りしておきたい。
ここでは捕鯨問題に対する朝日新聞の姿勢を論じているが、途中で社内の勢力争いや社説の書かれ方に言及した箇所がある。
私は無論、朝日新聞社内部の事情に通じているわけではないので、あくまで紙面から類推して書いたのであるが、論中でも触れた朝日新聞の元編集委員・土井全二郎氏にこれをお送りしたところ、丁寧な返事をいただき、内部事情についてもご教示いただいた。
その結果、社内事情や社説の書かれ方は必ずしも私の推測どおりではないことが判明した
が、ここでは一応元の形のまま転載する。
土井氏のご教示は、将来これを別の形に公でする機会があれば、活かしていきたいと考えている。
6 捕鯨問題報道に見る朝日新聞の堕落
前回までしばらく米国知識人が捕鯨問題についてとっている反知性的姿勢を追及してきたので、ここで日本国内に視点を戻すことにしよう。
今回は報道の問題を、朝日新聞を例にとって考えてみたい。
遠回りするようで申し訳ないが、最初にこの新聞の一般的な論調を検証することにしたい。
その前に、なぜ特に朝日新聞を取り上げるのかを述べておこう。
まず私が新聞を読めるような年齢に達して以来ずっとこの新聞を読んできたから、という単純な理由が第一。
現在は産経新聞と併読しており、必要があれば大学で他紙を見ることもあるが、どういう論調の新聞であるか十二分に分かっているのは朝日である。
第二に、朝日新聞での捕鯨問題の報道には、ある種の日本知識人の姿勢が典型的に現れているからだ。
思考のタイプというものを明らかにするには、この新聞を見るのが一番いい。
第三に、朝日は日本を代表する新聞と内外から見なされており、その報道を検討することは日本のメディアが海外にどう影響するかを知るためにも欠かせない。
戦後間もない頃、日本が三流国と見なされていた時分とは違い、現在の日本は様々な面で外国から見られている。
政治家の放言が外国のメディアで報じられて批判されたりするのも、日本に対する注目度が高まっているからだ。
ならばチェックすべきは政治家などの発言だけでなく、報道機関の論調も当然その対象に入るだろう。
政治家の話が外国人の日本観に影響するなら、日本を代表するとされる新聞の報道がどうしてそうでないはずがあろう。
さて、そこで最初に、直接捕鯨問題に関係はないが、朝日新聞の報道姿勢の奇妙さを最近の事件を例に見てみよう。
オランダに対する小渕首相の謝罪問題である。
これは、この新聞の歴史認識や欧米に対する姿勢を典型的に示した事件であった。
第二次大戦中、オランダ領東インド(現インドネシア)在住のオランダ人を日本軍が残酷に扱ったとして、一部のオランダ人は現在も損害賠償を請求しており、2000年5月に予定されている天皇訪欧にあたって天皇がこの件で謝罪するようにと求めた。
これに先立ってオランダのコック首相が来日した際、小渕首相は謝罪を表明し(2月21日)、コック首相側もこれを了解した。
まず事実関係を簡潔に述べると、大戦中の日本軍はオランダ領で軍人・民間人計13万人を収容所に抑留し、うち2万人以上が病気などで死亡した。
戦後オランダは連合国の一員として日本人のBC級戦犯226人を処刑、さらに51年のサンフランシスコ条約で戦争被害者に対する補償を求め、56年の日蘭議定書で見舞金の支払いが行われた。
その額は当時のレートで48億円であり、これは現在の貨幣価値なら一千数百億円になる。
戦後処理としてはこれで幕となるはずが、どういうわけかこの問題はその後も何度も蒸し返されることになった。
それで過去にも竹下、村山、橋本といった首相が謝罪の意を表明している。
ところが今年、西暦2000年にまたオランダ側から同じ話が出され、小渕総理が謝罪の意を表明するという結果になった。
要するに、いつまでたっても戦後が終わらないのである。
政府は永遠に謝罪ゲームを繰り返すのだろうか。
そもそもこの問題に奇妙さがつきまとうのは、日本軍の行為そのものは確かに残酷だったとしても、それがオランダ領東インドで起こったことだからである。
オランダ人は最初からインドネシアに住んでいたわけではない。
インドネシアを侵略して自国領にしたのである。
その支配は350年間に及ぶ。
また、オランダの植民地支配は、ベルギーのコンゴ支配と並んでその過酷さ故に悪名が高い。
本国に好都合な商品作物を強制的に栽培させたため、原住民は主食である米を作る農地も余裕も失い、長期の飢饉で大量の餓死者を出した。
強制収容所もあった。
インドネシア最初の大統領となったスカルノは、独立後20年を経て出した自伝で、「オランダ領の時代に私たちの寿命は35歳であった。
今日ではそれは55歳に達している」と述べているという。
今回のオランダの日本に対する謝罪要求は、すでに述べたように天皇訪欧を目前にして出てきたものだが、95年にインドネシアを訪れたオランダ女王は、自国の過酷な植民地運営について謝罪めいた文句は一言も発していない。
この問題について、オランダの文筆家カウスブルックは『西欧の植民地喪失と日本』(草思社、原著95年)の中で次のように批判している。
さて、この問題に対して朝日新聞はどういう態度をとったか。
それを明らかにする前に、まず対照的な産経新聞の報道姿勢を見ておこう。
産経は2000年2月24日付け「主張」(他紙の「社説」に当たる)でこの問題を取り上げ、「賠償はもう終わっている」と題して、日本がすでに膨大な賠償金を支払い戦犯も多数処刑された以上、この問題は決着済みのはずだとして、「これまで日本は政府は首脳会談などの席でひたすら謝罪することによって、その場をおさめようとしてきた。
しかし、そうした姿勢は、相手国の際限のない補償要求の火に油を注ぐ結果にもなりかねない」と述べた。
さらに産経は、オランダのインドネシア支配について別に詳細な記事を載せて、オランダの対日要求が第二次大戦後植民地を喪失したというルサンチマンに基づくものであり、そこには過去の帝国主義に対する反省の片鱗も見られないことを報じたのである。
一方朝日新聞は、2月20日付け「社説」で、「歴史ふまえた友好を」と題し、オランダ人兵士が日本政府に損害賠償訴訟を起こしていることを述べた上で、次のように書いた。
曖昧な書き方だ。しかし、方向としては賠償に応じた方がいいのではないか、と読める。
朝日では、さらにそれに先だつ2月2日にも外報部記者・磯村健太郎が「私の見方」欄にこのテーマで執筆している。
ただし磯村の文章はオランダの提案した「日本占領下の記憶」展が日本のいくつもの都市で拒絶されたことにも触れており、この点では私も異論はない。
展覧会が持ってしまうかも知れない政治的宣伝性は言論によって批判すればいいのであり、開催そのものを拒絶するような態度はよくない。
これでは原爆展を抑圧したアメリカを非難する資格もなくなってしまう。
それはさておき、問題なのはオランダとアジアを見る磯村の論調である。
「天皇皇后両陛下は今春、オランダを公式訪問する予定だ。
アジア諸国の戦後処理を優先してきた日本政府も、オランダとの歴史問題は避けて通れないだろう。」
この記事で特徴的なのは、日本の「アジアとの戦後処理」に触れながら、オランダのアジアでの植民地主義には一言も触れていないところである。
つまり、オランダがインドネシアを植民地化し残虐な支配を長期にわたって行っていたという事実を完全に無視しているのだ。
まるでオランダがインドネシアを力ずくで植民地化するのは正当で、日本軍がインドネシアに侵攻するのだけが不当というかのようではないか。
加えて磯村の記事は、戦後日本側が多額の賠償金を支払っり戦犯が処刑されたりしたことにも全く触れていない。
来日時には日本の戦争犯罪に言及しながら、インドネシアでは自国の過酷な植民地主義を一言も謝罪しなかったという、オランダ女王のエゴ丸出しの態度をおかしいと見抜く目もない。
私は小渕首相がオランダ首相に謝罪するのも不当だと思うが、それは仮に措いてもよい。
朝日はせめて、「われわれは戦時中犯した行為を何度でも謝罪するから、その代わりオランダは自国の帝国主義についてインドネシアに深く謝罪してはどうか」と提唱する程度の社説がどうして書けないのであろうか。
この文章の読者の中には、「朝日」「産経」というブランドに最初からある種のイメージを抱いている方もおられるかも知れない。
産経の記事は要は自国の戦争犯罪の言い訳として書かれたのだと思う方もおられるかも知れない。
そういう方は、一度図書館で両紙のこの問題に関する記事を虚心坦懐に読み比べてみられ
ることをお勧めする。
先入見を捨てて読むなら、産経の記事はポスト・コロニアリズム時代の知的潮流を的確に捉え、また調査が隅々まで行き届いているのに対し、朝日の記事は視野が狭く情緒的で、真の知性からは程遠く、まるで小学生の作文であることが分かるはずである。
右で引用したカウスブルックの本も、ポスト・コロニアリズム時代と言われながらヨーロッパ人が過去の帝国主義をさっぱり反省していないという告発の書として書かれたものである。オランダ人でも、心ある人にはそうした倒錯した事情が明瞭に見えているのだ。
彼はこの点について次のように述べている。
「日本に攻撃されたのはオランダ人であるが、彼らは本国にいたのではなく、戦争の舞台となったインドネシアに武力侵入して植民地化し、軍事支配の上にあぐらをかいていたのである。
(…)彼らの戦後の幾多の歩みは、自己の潔白を装った姿での、完璧な犠牲者という身分にしがみつくための戦いであった、と見ることができよう。」
そして彼はこの後で、オランダ人は日本人と同じ尺度で測られることを侮辱と見なすと述べている。
つまり日本人の戦争犯罪はケシカランが、自分たちの植民地主義はそうではない、自分は日本人とは別なのだということだ。
こうした二重基準が、オランダ人・ヨーロッパ人ばかりか、日本人の思考法をも蝕んでいるとは何としたことであろう。
それも日本の代表的新聞と目される朝日においてなのだ。
朝日は、このことがもたらすかも知れない悪影響について考えたことがあるだろうか。
二重基準が骨の髄までしみ込んだヨーロッパ人は、朝日の記事を読んで満足してうなずくだろう。
そうだ、自分とアジア人は同じ基準で測られてはならないのだ、何しろアジアの経済大国日本を代表する新聞も同様の見解なのだから、と。
自国政治家の不注意な発言が外国に与える悪影響に敏感であるなら、自分の論調がヨーロッパ人の偏見を助長していないかにも同様に敏感であるべきだ。
朝日はこの点を厳しく自己検証すべきであろう。
私は別の話題に深入りしすぎたかも知れない。しかし、以上のような朝日新聞の摩訶不思議な姿勢をまず知っておかないと、捕鯨問題に関するこの新聞のおかしな態度も理解できない。
要は、歴史認識や国際関係感覚においてどこか狂っている人間・団体は、捕鯨問題を正しく捉える能力にも欠けている、ということなのである。
さて、本題である。
捕鯨問題に関する朝日の報道を見る上で注意すべきは、(1)どの程度のスペースを割いているか (2)どういう欄で扱っているか(署名記事か無署名か) (3)どういうスタンスを取っているか、である。
なお以下で引用する記事の日付は基本的に新潟配布版(夕刊なし)によっているので、東京本社版とはズレている可能性があることをお断りしておく。
また、ここではスペースの制約上、87年以降を扱うことにする。
87年、捕鯨モラトリアムの実施により日本が調査捕鯨を行うとした際に、朝日は「調査捕鯨の強行は避けよ」という社説を掲げた(7月20日)。
その論拠として挙げられているのは、国際的に強い反発を招くから、貿易摩擦にもさらに悪い影響を及ぼすからというのが第一、日本の調査捕鯨計画にも無理があるから、というのが第二であった。
(調査捕鯨は、当初の計画ではミンク825頭、マッコウ50頭とされた。
しかしその後ミンク300 - 400頭で実施されている。)
この社説を通して読むと、朝日の社説に特有な曖昧さが目立つ。
基本的な主張は題のとおりなのだが、捕鯨から全面撤退せよと言っているわけではない。
「国際会議の体をなしていないと、捕鯨国の間で不満の強いIWCだが、今度の総会でも数にものを言わせる強引なやり方が目立ったらしい」「関係者の怒りは分かるが」と捕鯨国側に配慮した言い回しもある。
また、鯨資源の調査は続行しなければならないとも述べている。
総じてこの時の朝日はまだまともだったと言ってよい。
調査捕鯨への懐疑は、(1)で述べた朝日の姿勢に近いが、IWCのあり方がおかしいということは明言しており、「IWCについても、国際会議にふさわしいものに改組するなり、FAO〔国連食糧農業機関〕など他の適当な国際機関のもとでクジラ問題を扱うなり、抜本的な改革をはかるべきだろう」と提言している。
また、社説以外では、反捕鯨国の偏見やIWCの奇妙さを指摘する署名記事がこの前後には多く掲載されていた。
編集委員・土井全二郎のものが目立つが、それ以外にも「私の言い分」に捕鯨協会事務局長・高山武弘や捕鯨砲手・田中省吾が「私の言い分」に登場したり(86年6月1日、87年11月29日)、捕鯨船乗組員・松田清忠や弁護士・渡辺法華が「論壇」に寄稿したりしている(87年3月24日、7月29日)。
もっともこの頃でも違った論調の署名記事もある。編集委員・石弘之の記事だが、これについては後で取り上げる。
ところで、同時期の朝日に面白い社説が載ったので、捕鯨問題とは直接関係はないが紹介しておこう。
86年3月21日掲載の「国連を疑うスイスのこころ」だ。
これは、スイスが国連へ加盟すべきかどうかを国民投票にかけたところ、圧倒的多数で否決されたというニュースに関して出されたものである。
「あらゆる組織と同じように、国際機構も硬直やたるみをまぬがれない。
とくに巨額予算を抱える寄り合い所帯の国連には、その危険が大きく、加盟国の監視や批判はぜひ必要だ。
/ところが、われわれ日本人は国際機関にたいして敬意を持つあまり、批判を避けがちだった。
(…)われわれはもっと自主性を持ちたい。
/その点で、スイスの国連加盟拒否はまさしく『わが道をゆく』ものだった。
(…) 一つの興味深い考えかたとして尊重したい。」
なかなか面白い社説である。
面白いと私が言う意味は、この主張自体にはほぼ賛成だが、朝日がこういう社説を載せたのは、当事者がスイス、すなわち外国、それもヨーロッパの国だからではないか、という疑いがあるからだ。
仮に日本で、社説冒頭で言われているように、「国連に残るべきか」という国民投票をしたとしよう。
そしてもし「残るべきでない」という結果になったら、朝日は同じような社説を載せただろうか。
私は、載せないだろうと思う。
恐らくその場合は、「色々国連にも問題はあるが、内部改革に努めるべきだ。
世界の孤児になるような真似は慎もう」というような社説になったのではなかろうか。
すなわち、独自路線を一点の曇りもなく朝日から認めてもらえるのは、日本以外の国だけなのである。
国際機関と言うのにもためらいがあるIWCが日本の調査捕鯨に対して向けた非難を受けた先の社説と比較してみれば、それは明らかだろう。
いずれにせよ、それから数年間、朝日新聞の論調には基本的な変化はなかったと言ってよい。
反捕鯨国の横暴に対して日本を初めとする少数の捕鯨国が様々な手段で抵抗しながら功を奏さないという事態が延々と続き、それが比較的詳細に、主として土井全二郎により報道されたのである。
それが変わってきたのは93年になってからだ。
まず、1月23日に神谷敏郎の「クジラ類とどう付き合うか」という一文が掲載された。
この年、IWC総会が京都で開かれるにあたってジョン・C・リリーが来日したのを機として掲載されたものである。
リリーは、前々回から本論に登場しているが、鯨類高知能説のマッド・サイエンティストだ。
神谷は医学者で、92年に中公新書から『鯨の自然誌』を出している。
この本を読むと、彼の鯨イルカ問題へのスタンスがよく分かる。
例えばイルカの知能に関する章では、リリーのように積極的に高知能を主張する説と慎重派とがあるとしながらも、こう述べている。
「近年の目覚ましい科学技術の進歩、特にニューロ・コンピューターの開発や応用による高度情報分析技術の進歩によって、近い将来に人間と動物の音声情報交換の実現の可能性は高く、21世紀初頭においては(…)イルカやチンパンジーと自由に対話を楽しむことも、あながち夢物語とは言い切れない。」
「イルカ語の解読に成功したという報告」はどこから出されたのだろうか。
もしそれが真実なら、鯨イルカ真理教が蔓延している反捕鯨国ではすぐさま「イルカが訴えていること」とか何とかいう本が出されそうなものだが、寡聞にしてそういう話は聞かない。
また、前回のカール・セーガンについての分析で述べたように、鯨類高知能説の最盛期は50年代後半から60年代にかけてであり、セーガンは一時それに乗りながら、80年を過ぎると霊長類高知能説に乗り換えて鯨類高知能説を口にしなくなった。
80年以降、動物の知能に関する学問の主流は完全に霊長類に移ったのである。
米国のイルカ学の泰斗が91年に出した本で鯨類高知能説を否定していることにも前回触れた。
こうしてみると、リリーのようなマッド・サイエンティストを引用しながら書かれた神谷の本の位置が分かるだろう。
「遅れてきた青年」というノーベル賞作家の小説名に倣うなら、神谷は「遅れてきた鯨類高知能説学者」なのである。
彼が遅れて登場したのにはそれなりに理由があろう。
日本では70 - 80年代には反捕鯨国の横暴に対する批判が強く、鯨イルカ真理教的な本は出る余地が少なかった。
ところが90年代になるとかつてのような捕鯨は再開不可能なのではないかという気分が国内に広まり、また捕鯨が盛んだった時代を直接知らない若い世代も増えた。
そこに鯨イルカ真理教徒的な論者が登場する余地が生まれたのである。
しかし彼の登場は、繰り返すが、学問の流れからすれば時代遅れであった。
裏を返せば、鯨イルカ真理教的な論者には人材がいなかったということになる。
もっとも、神谷は朝日新聞に載せた文章ではリリーへの評価をかなり厳密に行っている。
「現時点で神経科学者にイルカとの会話の実現性を問えば、答は『ノー』であろう。」
しかしその一方で神谷は、リリーの説は否定もできないとして、イルカの知能研究が進まないのは「今日の国際的規約からみてイルカの神経系の実験はもはや許されないからである」としている。
そして「人間の脳をもしのぐ複雑なひだを持ったイルカの脳」という表現で、将来への期待をかき立てているのだが、ここには奇妙な自己撞着がある。
すなわち、イルカが尊重されていて不自然な実験が不可能だから知能が解明されないのだと彼は言うが、しかしイルカへの尊重とは高知能が検証されなければ出てくるはずのないものではなかろうか。
証明すべき論点の先取という論理的誤謬がここにはある。
またこの頃すでにチンパンジーなど霊長類の知能研究が相当進んでいたことを考えると、イルカの知能が解明されないのは手段が制約されているからだとする彼の論理はどうにも苦しい。
神谷はあからさまに捕鯨を攻撃するような論調は避けているが、最後に「鯨類との共生」という表現で暗に反捕鯨側の主張を喧伝している。
それは、マッド・サイエンティストたるリリーの名を真面目に引用していることと並んで、彼の基本的姿勢を表すものであると言っていい。
そもそも、著書『鯨の自然誌』の「あとがき」からして、国際文化の政治性にこの人がいかにナイーヴであるかを示している。
そこで彼は、漁業で網にかかったイルカがかつては殺されたり食肉として売られていたものが、なるべく海に戻すようにというふうに日本の行政指導が変わってきたことを、「国際的なマナーをそなえた嬉しい芽生え」と述べている。
彼にとっては欧米の習慣は何でも「国際的」なのであり、それが他国に浸透するのは国際政治の力関係に寄るところが大きい、という基本的認識すらないのだ。
私が連載第1回で三島由紀夫から引用した、若い日本人作家には傲慢に話しかけ、欧米人には卑屈に笑って「オー・イエス」を繰り返す老学長と同じような態度が、この医学者に見られるのは偶然なのだろうか。
ともあれ、神谷の登場は捕鯨問題に対する朝日の態度に変化が起こったことを示す徴候であった。
もっとも一気に180度転換したわけではない。
4月には捕鯨の町・宮城県牡鹿町のルポが載り、さらに「私の紙面批評」では五十嵐邁(信越半導体社長・日本蝶類学会会長)が「歪められた自然保護思想と対決を」と反捕鯨国を厳しく批判した。
しかしその一方で、IWC京都会議を前にした特集「クジラと生きる」では反捕鯨側の主張にもかなりスペースが割かれている。
長くなるので内容の検証は省くが、ここでもリリーの名が出てきており、朝日内部の反捕鯨派がリリーを論拠の一つにしようとしていたらしい、というのは憶測の域を出ないが、このマッド・サイエンティストをまともに見てしまう視点が紛れ込みつつあったのは間違いない。
繰り返すが、リリーの説はこの頃にはすでに時代遅れのシロモノになっていたのであり、これは朝日の記者がいかに不勉強であったかの証拠と言わねばならない。
この頃の朝日の姿勢が揺らいでいた事実を端的に示しているのは、93年の社説である。
京都のIWC総会について2度社説が載ったのである。
まず最初は、5月4日付けの「南極海をクジラ研究聖域に」である。
標題から分かるように、この年フランスから出された、南極海を鯨の聖域にしろという提案を支持したものだ。
もっともこれまでの経緯をふまえて書かれており、鯨をとるのは全面的にいけないと主張しているのではない。
と一応鯨イルカ真理教には一定の距離をおいている。その上で、
と、主として政治的戦略の視点から、南極海の捕鯨からは撤退し日本沿岸の捕鯨については再開を求める方針がよかろうと述べている。
ただし先に引用した87年社説とは違って、IWCが「クジラ愛護クラブ」、すなわち特定の動物観に支配された宗教団体のごときものになっているという認識はあるものの、改善案はまったく示されていない。
というきわめて無責任な希望的観測を述べるだけである。
聖域案に加担したこと自体よりもこの点において、社説の知的レベルは87年に比べて大幅に後退していると言わざるを得ない。
しかしその12日後の5月16日、IWC総会の直後、捕鯨問題に関する再度の社説が朝日に載った。
「どこへいくクジラ論議」というものだ。
書き方はいつもの例に漏れず両論併記的ではある。
しかし南極海の捕鯨については、
として、捕鯨の研究的側面を強調しつつ、聖域案を否定している。
実は12日前の社説とこの社説がどの程度違うか、かなり微妙なところがある。
というのは、前の社説は南極海の聖域化を訴えてはいたが、研究目的の捕鯨がどう扱われるべきかには触れていなかったからだ。
しかし鯨イルカ真理教側にとっては「聖域」の意味は明瞭である。
鯨は聖獣でありいかなる理由であれいかに資源量が豊富であれ捕獲はイケナイというのが彼らの論理なのだから、聖域案とは理由の如何を問わず捕鯨は禁ずるというものでしかあり得ない。
2度目の社説はそれをふまえ、フランスの言う「聖域」案は否定し、しかし前の社説との整合性も何とか保った、という体のものであろう。
ともあれ、この社説では聖域という言葉は肯定的には使われていないし、最後には、
と、IWCの現状への皮肉も述べられていて、前の社説とのスタンスの差が浮き出ている。
中11日をおいて2回社説が載り、しかもそのスタンスが違うという事態はどうして起こったのか。
内部事情を知らない私は推測するしかないが、二つの要素があったのではないか。
まず、朝日内部の捕鯨派と反捕鯨派の抗争である。
最初の社説は後者に配慮して書かれた。
しかしフランスの聖域案はこの年のIWCでは通らなかった。
そうした結果をふまえて、2度目の社説は前者の主張に配慮して書かれたのではなかろうか。
ここに見られるように、この頃から朝日の社説が状況追随的になっている(これが第二の要素なのだが)のは悪い意味で注目に値する。
批判能力が減退し、周囲にずるずる引きずられるような社説は、日本のオピニオンリーダーたる責務を自ら放棄しつつある朝日の姿勢を暗示している。
ところで朝日の内部抗争だが、それを明示する記事が4月23日に掲載されている。
捕鯨問題について、捕鯨派の編集委員・土井全二郎と反捕鯨派の編集委員・石弘之とによる「捕鯨対論」が掲載されたのである。
紙面の左右を使ってそれぞれが持論を展開するという構成であった。
石は環境問題の専門家と目されており、岩波新書から『地球環境報告』『酸性雨』といった著書を出していた。
この反捕鯨論を書いた翌94年に朝日新聞を退社し、96年からは東大教授になっている。
彼は前述のように87年にも反捕鯨を主張する署名コラム記事を書いている。
しかしそれは分量的には多くなかったので、本格的な持論を展開するのは初めてであった。
またそれは、神谷のような外部執筆者でなく、反捕鯨派の自社記者が姿を現したという意味で、朝日の姿勢転換を示す事件でもあった。
ここでは、「畜肉ならいいのか」と題した土井の主張には多くは立ち入らない。
長年捕鯨問題と取り組んできた土井は、資源量に関わりなく捕鯨に反対するIWCの奇妙奇天烈さ、自国アラスカ原住民には捕鯨を認めながら日本の沿岸捕鯨にすら反対するアメリカの身勝手さなどを簡潔に批判している。
では石の主張はどうか。
彼は、欧米の反捕鯨論者が述べる論拠は様々だが、日本に最も伝わっていないのは「日本の水産に対する抜きがたい不信感である」と言う。
その論拠として彼が挙げるのは、近年鯨の代用品として沿岸イルカ漁が増えており、資源が減少しているということなのだ。
そして鯨密漁の「うわさ」や密輸事件を挙げて、日本の水産行政は信用できないと言う。
私は、水産行政に対する石の批判自体は当たっている部分もあると思う。
問題は、IWCや南極海での捕鯨が論題になっている場面で、なぜこういう迂遠な論法を使うのかである。
環境問題の専門家である彼が、鯨の資源量やIWCを直接論じないのはどうしてだろうか。
答は簡単だ。論じられないからである。
IWCや反捕鯨国の態度を見れば、それがまともでないことは明瞭だ。
朝日新聞に採用される程度の知性の主なら、いかな反捕鯨派でも、IWCが正常だとかミンク鯨は絶滅寸前だとか強弁することは不可能である。
そんな主張は太陽が月の周りを回っているとするようなものだ。
だから石は直接捕鯨問題を扱わず、周辺領域に逃げたのである。
石はそれを隠すために、「沿岸さえ守れない国が遠洋の資源を守るはずがない、とみられても当然であろう」と言うのだが、普通に考えれば事態は逆ではなかろうか。
昔の乱獲時代ならいざ知らず、現在では国際的な監視の目が厳しい南極海での方が、外からの目が届かない自国沿岸より乱獲は困難、と考えるのが筋というものであろう。
そもそも、日本は昔から基本的に南極海での捕鯨については規約を守っている。
乱獲時代には確かに獲る側の論理が優先して規約自体が大甘であり、資源の減少を防げなかった。
日本も捕鯨国としてそれに責任を負わねばならない。
しかし捕鯨への目が厳しくなり、また漁業資源一般への保護意識が高まった現代、大甘の規約を設定すること自体がすでに不可能なのだ。
捕鯨頭数を遵守するために監視員を捕鯨船に同乗させるなどの措置も商業捕鯨末期には行われた。
条件が乱獲時代とは全く異なっているにもかかわらず、石はそれを無視している。
石はさらに次のように言う。
まず最初の言い分だが、これは端的に言って大嘘である。もし公海の資源が貧しい国にのみ供されるべきだというなら、欧米先進国は公海での漁業を放棄しているはずだが、そういう感動的な自己犠牲を払っている国はどこにもない。
それどころか、漁業水域200海里のように、資源を自国に取り込むための方策を怠りなくやっている。
これを真っ先に実施したのは米国であり、反捕鯨の急先鋒こそがエゴイスティックな資源外交を展開した張本人だったのだ。
また大西洋(公海)のカレイ漁をめぐってEUとカナダの間で争いが起こった際は、発砲事件まで起きている(朝日、95年3月19日)。
次に、鯨を「貧しい国に」というなら、日本への割り当てを削ってどこかの後進国に回せばよいわけだが、無論IWCはそんなことはやっていない。
話を一般化するが、石はこの一年前に出した著書『酸性雨』の中では、「日本は大気汚染の対策では世界の『先進国』と誇ってよいだろう」と言い、現在世界でもっとも深刻な環境問題は「酸性雨被害とゴミ問題だ」と断言している。
無論、環境問題には様々な側面があり、ある面で優れているから万事に良好とは言えないが、すでに述べたように問題を正面から扱わずに周縁に逃げているということからしても、別段環境対策の優等生でもない外国が日本に抱く「不信感」を強調せざるを得ないところからしても、石の反捕鯨論の苦しさが分かろうというものだ。
第二段落以降の主張だが、そもそも捕鯨国でもアイスランドなどは決して裕福とは言えないのである。
もしそれでも『必要ない』から捕鯨をやめろというなら、まずアメリカのイヌイットの捕鯨中止をなぜ主張しないのか。
しかもイヌイットの獲っているホッキョク鯨は資源量が極めて少ないというのに。
世界一裕福な国が資源量の少ない鯨を獲るのをまずやめるべきだとは、反捕鯨派はなぜか決して言わないが、この二重基準が石の主張にも明瞭に現れている。
反捕鯨派とは、どうやらアメリカの精神的奴隷らしい。
そもそも、「満ち足りているから鯨は捕るな」という言い方は、「鯨を捕るのは好ましくない」という前提条件がないと成り立たない。
捕鯨国は資源量が十分である限りは鯨を捕るのが好ましくないとは全然思っていないのだから、石のこの主張は、先に批判した神谷と同じく論点先取の論理的誤謬に陥っている。
反捕鯨派の非論理性はどうやら骨髄まで染み入っているらしい。
87年に彼が書いた反捕鯨記事にも触れておこう。
7月21日付け「変曲点」というコラムであるが、その主張は次のようなものだ。
「米国のカリフォルニア沖やハワイ沖などには、毎年のように何百というマッコウクジラやコククジラが回遊してくる。
それを何万という人が、観光船でウォッチングに出かける。
クジラには名がつけられ、市民の一員として愛されている。」
「日本は、一方で、膨大な肉を残飯として捨てながら『クジラは日本人の重要なたんぱく源』といい、『捕鯨は日本特有の文化だ』と叫び、『〈科学的根拠〉からしてあと何頭殺せるはずだ』と、いい立ててきた。
いよいよ過密化する地球で、野生の生き物と人間が共存するかを真剣にさぐる、という世界の大きな潮流の変化にまったく気がついていないのである。」
ここにも捕鯨をやめなければならない説得的な理由は何一つ書かれていない。
反捕鯨グループの掲げる理由は「極端」でないものも全く挙げられていないし、第二段落は、米国の習慣はすべて美しく先進的に見えるという彼の不思議な性癖を伝えるだけだ。
「世界の大きな潮流」といった表現は、右で見た93年の反捕鯨論で用いた「不信感」と同じく、資源量やIWCの内幕で勝負できないがために持ち出された曖昧な美辞麗句の域を出ない。
日本で鯨肉が無駄に捨てられているわけでもないのに、他の残飯のツケを鯨に回そうとするのも反捕鯨論者の常套手段である(私とWWFJとの往復書簡を参照)。
さらに、朝日の姿勢が93年に変わったことを示すのは、「ひと」欄への相次ぐ反捕鯨派の登場であった。
まず5月5日にシャチ研究家ポール・スポング(リリーも神谷もそうだが、生物学者というのはそもそも生物が好きだというところから出発しているので、動物が人間より大事に見えるようである)が出ているが、この記事には「鯨の言葉、本当にわかるのですか」という見出しがついていて、ここにもリリーの影が感じられる。
3日後の5月9日にはWWFJ会長・羽倉信也が登場した。
WWFJは5月5日に反捕鯨広告を朝日に出している(それが『nemo』第2号に掲載した私との往復書簡の契機になった)。
第一勧銀相談役でもある彼が、反捕鯨広告を出した団体の会長に前年から就任しているということは、日本の企業や財界の方向転換を暗に示すものだと考えられる。
羽倉はここで「出身銀行が捕鯨会社の有力な融資先だった時代もあります」としながら、「企業も自然と共存していくしか未来はありません」と述べて、「自国のことばかりでなく、世界全体の問題での貢献が求められる時代になったんです」と語っている。
一般論としては大変美しく、誰でも賛成するしかない言葉だ。
ただ、その裏も同時に読みとれる言葉でもある。
すなわち、企業や財界からするとイメージ戦略が重要な時代になったのだということである。
すでに事業規模として小さくなっている捕鯨を支持するより、自然保護に味方していますという企業イメージを作り上げた方が利益につながる、この頃から財界はそう判断するようになった。
そのため財界トップの人間をWWFJに送りこみ、企業からの募金をしやすくしたのだ。
こうした利益がらみの方向転換が羽倉の言説には見え隠れしている。
私は羽倉を見ていると、「死の商人」という言葉を思い出す。
武器を売ることによってではなく、文化差別を売ることによってひたすら利益を追求する、倫理性とは無縁の存在をそう呼びたいと思う。
或いは、評論家で慶大助教授の福田和也が「僕の観察だと、政治家、知識人、財界人、官僚で、一番ひどいのは財界人。
財界人の頭はひどい。
クルクルパーしかいない」と述べたこと(『愛と幻想の日本主義』、春秋社、99年)も首肯できそうな気がしてくる。
実際、朝日の「ひと」欄に載った羽倉の写真は、戦後日本で最も甘やかされてきた銀行という業界で頂点を極めた人間にふさわしく、品のない笑いを浮かべている。
日本の企業が寄付したカネによって欧米の環境運動家が日本を叩く、そんな倒錯した図式ができあがったのはこの頃からである。
その点で、羽倉のような節操のない財界人には重大な責任がある。
私が羽倉の立場にいたら、どうするだろうか。
まず、WWFのような文化差別を内包した環境保護団体には名を貸さないしカネも出さない。
そもそも欧米の団体は彼らの論理で動いているので、それに乗っかるという形では日本の独自性は出てくるはずもないのだ。
私なら、そうした認識をもとに、自前の環境保護団体を作るだろう。
そして自らの判断基準に従って、必要なところにはカネも人も惜しまずに援助するが、反捕鯨運動をやっている差別意識丸出しの環境団体にはいっさい援助はしないだろう。
欧米の文物を猿マネすればステイタスが上がる、という浅薄な態度の問題性を、羽倉はまるで意識していないようである。
財界人の知性が問われる場面と言えよう。
ちなみにこの年の秋、10月3日・4日には「ひと」欄に神谷敏郎とライアル・ワトソンが、翌年4月8日には海洋動物写真家のタルボットが登場した。
彼らは直接捕鯨問題との絡みで取り上げられたのではないが、実質的な反捕鯨派の彼らが続けてこの欄に出てくるのは、朝日記者の人脈がかなり片寄りつつあった証拠であろう。
さらに、IWC総会の終了後、「論壇」欄に捕鯨派・反捕鯨派の主張がそれぞれ掲載された。
前者は日本鯨類研究所理事長・長崎福三(6月3日付け)、後者は環境科学文化研究所長・藤原英司(6月12日付け)である。
藤原の主張については、彼の資質との関連もあり別に取り上げたいと思うので、ここでは触れない。
要は反捕鯨派がかなり紙面に登場するようになったという事実が分かればよい。
またこの93年にはノルウェーが捕鯨モラトリアムを破棄し、商業捕鯨を再開した。
これには独自の法的根拠があって日本も同じ行動をとるわけには行かなかったが、IWCの調整機能が破綻に瀕していることが改めて明らかになった。
翌94年1月25日、「イルカ・クジラと共存を考えよう」という記事が朝日の家庭欄に載った。
これは「第4回国際イルカ・クジラ会議」が4月に江ノ島で開かれることを伝えたものだが、主催の「アイサーチ・ジャパン」の岩谷孝子代表が「イルカやクジラは、独特の方法で人間の知らない過去の事実や知識を蓄積しているはず」と述べている、とも書かれている。
繰り返し述べてきたように、リリーを嚆矢とするこの種のトンデモ話はすでに時代遅れになっているにもかかわらず、それを堂々と載せてしまう朝日新聞の知性は救いがたい。
オウム真理教教祖の言葉を批判的視点抜きで載せるも同然なのだが、朝日記者の不勉強ぶりは目を覆うばかりだ。
またこの記事にはリリーやスポングが会議に参加するとも書かれてあり、前年「ひと」欄に登場したスポングという人物の正体がここからも分かる。
なおリリーは4月9日付の「気になるこの人」というコラムでも取り上げられていて、朝日内部に彼のトンデモ話を信じ込んでいた記者がいたことはほぼ間違いない。
「良心的」「進歩的」な人間が意外に神秘主義に弱い、という現象をどう見るべきか。
熊本日々新聞編集委員・春木進は、宇井純(東大助手時代に良心的知識人のお手本とされ、その後沖縄大学教授に転じた)がカルト集団ヤマギシ会を支持したことについて、「宇井氏のヤマギシ観にも、コミューンへの抜きがたい共鳴や支持の心理があるように感じられる。
そして革新的な団体は人権を侵害するような行為はしないという、幻想に近い確信も——」と述べている(『カルトの正体』、宝島社、00年)。
反捕鯨団体は一種のカルト集団であるから、この見方は一部の朝日記者にも通用するのではなかろうか。
94年5月のIWC会議では南極海の鯨聖域案が可決された。
その数日前に朝日に載った社説は、基本的に前年の最初の社説と同じものであった。
すなわち南極海からの撤退と日本沿岸捕鯨の確保である。
私は、反捕鯨国がこうした非論理的な言辞を吐くのはともかく、日本を代表する新聞がこの摩訶不思議な論理に賛成することを恥ずかしく思う。
朝日新聞は自分がやっていることの意味が分かっていたのだろうか。
日本は外国から差別されても我慢しよう、そう言ったも同然なのだ。
いや、日本だけの問題ではない。
ノルウェーなど他の捕鯨国や原住民捕鯨を行っている他民族の問題でもあるのだ。
「政治」と言いさえすれば少数者への差別がまかり通ってもいい、朝日の社説はそう述べているのである。
確かに「政治」上、論理的におかしなことや差別的な政策が通ってしまうことはある。
政治家は諸般の事情からこれに同調せざるを得ない場合もある。
心情倫理では政治は語れないからだ。
だが、高級紙がそれに同調するとなれば話は別である。
政治は政治として、その決定は文化差別だとはっきり指摘することが言論機関の責任ではないのか。
朝日はその責任を放棄したのである。
この卑屈な姿勢は、(1)でオランダと日本の関係に言及した朝日の記事と同じ論調だと言っていい。
朝日の記者は、国際関係や歴史認識において徹底的にズレている。
それは一見両論併記的な他の箇所にも見て取れる。
社説のタイトル自体が「クジラ文化の多様性を求めて」なのだが、右の文章は果たして「多様性」を求めるものと言えるだろうか。
捕鯨問題の現状を見えれば、答はノーである。
そもそも「鯨への敬愛」というのが、自然から遠ざかって生活している都市生活者が、エネルギーを濫用しハイテクに囲まれた快適な暮らしを送りながら、自然を利用して生きている非都市生活者に自分の身勝手な幻想を強制するものであって、おのれの生活は棚上げして「俺は自然保護に賛成しているんだ」という自己欺瞞をでっち上げるための方策に過ぎないのであるが、それは措くとして、鯨を敬愛する人間は自分で勝手に敬愛していればよく、他国や他民族の鯨との付き合い方にくちばしを差し挟む権利はないはずである。
ところが捕鯨問題とは、鯨を「敬愛」する人間が、他国他民族の鯨を食べる文化習慣を攻撃したところに端を発している。
IWCの救いがたい運営もそこから来ているのだ。
反捕鯨派とは自分の意見を世界規模で押しつけ、「文化の多様性」を根絶やしにしようとする人間のことである。
それを批判しないでどうして「多様性」が保たれるのだろうか。
朝日は物事の核心部分がまったく見えていない。
しかし事はこれで終わらなかった。
さらに悪質な記事が載ったのである。
科学部次長・石田裕貴夫によるものだ。
石田は捕鯨に関して2度署名記事を書いている。
最初はIWC総会の前に「ミニ時評」欄に載せた「捕鯨をめぐる論争・何も決めないIWC」である(5月9日)。
まず捕鯨論争を概観し、IWCは捕鯨派と反捕鯨派の対立で何も決まらない国際会議になっていると述べた後、「今年も何も決まらないだろうが、商業捕鯨にこだわり続ける日本の姿勢は現実から目をそむけているとしか映らない。
クジラで国のイメージをずいぶん損なっている」と結論づけている。
右の記述からして石田の指向性は明らかだが、「今年も何も決まらないだろう」という予測は見事にはずれ、総会は南極海の鯨聖域案をごり押しで通してしまった。
つまり、彼はどうも反捕鯨派の事情に通じているわけでもないらしい。
物事をよく知らないまま、状況に流されてきれい事を言う性格なのだ。
それは聖域案が通った後、6月1日に「主張・解説」欄に載せた長めの記事から明瞭に見
て取れる。
「クジラとプルトニウムが映す日本」というタイトルで、要はプルトニウム利用と捕鯨に固執する日本は「環境保護、核軍縮の世論」に逆らうものだ、というのである。
プルトニウムと捕鯨を並べるのもずいぶん乱暴な話だが、要は日本を叩くネタを並べればもっともらしい記事になると思っているのだ。
第一、「核軍縮」を言うならまず核兵器を所持している米英仏等の反捕鯨国を叩くべきで、兵器としての核を持たない日本を「核軍縮の世論」に反しているとするのは完全に筋違いである。
石田は反捕鯨を「地球主義の流れ」というのだが、特定の動物を可愛いとする価値観の押しつけがどうして「地球主義」なのだろう。
それは正しくは「地球全体主義」というべきだ。
石田がそう言わないのは、無論そう言えばこれがファシズムの一種だと露見してしまうからである。
石田は、資源量を無視してかかるIWCを正当化するために、「科学も万能ではない」として、1年前に紙面に登場した藤原英司の意見を持ち出す。
「野生動物がどこでエサをとるか、眠るか、お産をするかを知っておかないと、いつか滅
びる」というのだが、これほどバカバカしい見解はあるまい。
例えば鯖や鰯が「どこでエサをとるか、眠るか、お産をするかを」知っておかないと漁ができないなんて阿呆な話を聞いて、笑い出さない者がいるだろうか。
資源量を正確に見積もることは大事だが、それにはエサ場や「どこで眠るか」の知識は不可欠なものではない。
もし藤原や石田が本当にそう信じているなら、欧米に行って漁業関係者の前で「エサ場や睡眠場所が分からない魚はとるな」と主張するがいい。
笑われなければ、袋叩きにされるのがオチだろう。
藤原の意見は要は反対のための屁理屈であり、それをとり上げた石田の頭の悪さにはあきれ果てるしかない。
これが「科学部次長」なのでは、朝日新聞の知性が知れるというものである。
比較の意味で、94年に南極海聖域案が通った時に他紙が掲げた社説を見ておこう。
今度は毎日新聞を取り上げよう(5月29日)。
毎日は日本の主要紙の中では朝日と並んで進歩派と目されるが、社説は朝日に比べるとはるかに筋が通っている。
まず、朝日と違って「鯨を敬愛する人の気持ちも分かる」などと文化差別を容認するようなことは全然書いていない。
聖域化が科学的根拠のない決定だとし、さらにIWC総会が同科学委員会の勧告を無視したことに抗議して英国人の科学委員会議長が辞任した事実にも触れている。
こうしてIWCの内幕がかなり無茶苦茶なものであることをはっきり指摘した上で、IWC脱退は避けて「主張すべきところを主張すべきだ。
(…)野生動物の持続的利用という普遍的原則を譲る必要はない。
それに耳を傾ける理性ある者も現れてこよう。
事実、欧米の有力紙にも、ここ1、2年、限定的捕鯨を認める論調が登場している」と、日本の基本的主張を粘り強く訴え続けるよう求めている。
理不尽な反捕鯨派への迎合はいささかも見られない。
朝日の記事に戻るなら、従来捕鯨問題を精力的に担当してきた土井編集委員は6月3日の「ミニ時評」欄で自説を開陳するにとどまった。
社内の力関係が変化したことが分かる。
もっとも一気に反捕鯨派の記事だけが載るようになったわけではない。
「論壇」欄には鯨研勤務の三崎滋子(94年12月27日)や学研元取締役・今井建一郎(95年5月26日)など捕鯨再開を支持する人間の意見が掲載されている。
ただ、IWCの理不尽さをきちんと分析する記事は載らなくなった。
そして社説の論調は、94年以降現在に至るまで基本的に変わっていない。
最後に、再度朝日の論調を一般的に検証しておきたい。
今度は約20年間朝日の記者として勤務した安藤博が『日米情報摩擦』(岩波新書、91年)で述べているところを借りよう。
80年代末にソニーが米国コロムビア映画社を傘下に収めた際、アメリカのニューズ・ウィーク誌は「日本、ハリウッド侵略(Invades)」というナショナリズムむき出しの特集記事を組んだ。
これについて安藤は、米国の報道には加虐傾向があり日本の報道には逆に自虐傾向があると述べた上で、この問題に関する朝日の社説を「国対国の関係や大衆への配慮に関していささか過敏」だと評している。
具体的には、89年10月5日付けの「米国の心を読み誤ったソニー」だが、この社説は一方でニューズウィーク誌のような感情的な議論を戒めつつも、「日本の経済人は、なぜ米国内に強い反発が生まれたかに思いをはせるべきだろう」「先端技術や文化に関連した分野については十分な目配りをして投資すべきだ」などと書いている。
安藤は「目配り」が具体的にどのように不足していたかに社説がまったく触れていないと指摘して、この場合の取引は純粋にビジネスライクなものと捉えるべきであり、「それ以上でもそれ以下でもない」と結論づけている。
また日本の報道機関の主張性の弱さについて、湾岸危機を例に安藤はこう述べている。
そして朝日が「非軍事的貢献」を主張しながら、具体的な内容となるとまったく提示できていないことを逐一指摘した上で、「『朝日新聞』の〔湾岸危機に関する〕社説を約3カ月通して改めて読んでみたとき、どうしても感じざるを得ないのは、『何をすべきか』を説くことより、『何をしてはならないか』とクギを刺すことに重点が置かれていたことである」と安藤は断じている。
こうした朝日の姿勢が、捕鯨問題に関しても明瞭に見られることは言を俟たな
い。
さて、一番最後に、日本の報道機関の格付けということを考えておきたい。
ワシントン・ポスト紙に勤務経験のある石澤靖治に、『日米関係とマスメディア』(丸善、94年)という本がある。
それによれば、日本で情報の格付け機関として米国マスメディアが高く評価されているのに対し、日本のマスメディアは
米国でそのような評価を受けていない。
そのため、日本では米国紙の記事がよく引用されるがその逆は少ない、という事態が生じる。
情報の格付け機関として高く評価されるとはどういうことか。
例えば、89年に宇野首相に女性スキャンダルが発覚した時、社会党の久保田早苗議員はWポスト紙の記事を掲げて国会でこの問題を追及した。
しかしWポスト紙の記事はサンデー毎日での報道をもとにしていた。
日本の週刊誌記事の方が先であったのに、久保田はWポスト紙の方に権威を認め、「米国有力紙で報道されて日本の女性は恥ずかしい思いをしている」と国会で述べたのである。
その方が効果的だと考えたわけだが、こうしたメンタリティは少なからぬ日本人が持ち合わせていよう。
その後クリントン大統領にも女性スキャンダルが起こったが、「日本の新聞で報じられて恥ずかしい」と米国国会議員が述べる姿は、想像すらできまい。
ここには無論、アメリカと日本の国力の差も絡んではいるが、どうも日本人特有の心理も関係していそうである。
外からの視点や情報をありがたがるという傾向。
そしてこうした心理は情報の受け手だけではなく、情報を発信する側にもひそんではいないか。
具体的事由を挙げもせずに反捕鯨記事を書いた石弘之や石田裕貴夫にはそうしたメンタリティが認められるように思う。
朝日新聞がこうした記者に左右され、筋の通った主張をできないでいる限りは、日本の新聞の格付けは永久に低いままであり続けるだろう。
2000年3月14日、ローマ法王は十字軍、異端審問、反ユダヤ主義などをめぐるカトリック教会の罪を認めた。
カトリック教会が歴史上の総括的な罪を認めるのは史上初めてだそうである。
十字軍や異端審問からは気が遠くなるような時間が経過している。
捕鯨問題をめぐる不正な態度を欧米が認めるまでには同じくらいの時間がかかるかも知れない。
こうした欧米人のかたくなさを認識せずに迎合的な態度で友好が示せると勘違いしている日本人は、ついに彼らの精神的奴隷で終わるしかあるまい。(文中敬称略)
_
* 縦書き原稿から横書きへの変換のため、一部の漢数字を算用数字に変更してあります。)
(新潟大学人文学部教授)
執筆者よりのお断り
(1)朝日新聞の奇妙な対外姿勢
「われわれオランダ人は、過去40年間の長きにわたって日本人に対する不満を述べ続けてきているが、(…)自分たちが手を下して殺害したり、虐殺して死に追いやったりしたインドネシア人には心を砕くこともなく、彼らの名前は永遠に誰の知るところでもない。」
「日本、オランダ政府とも、第二次大戦の法的請求問題はサンフランシスコ講和条約などで解決済みという立場だ。
/国家間はそれでいいかも知れない。
けれども、戦争被害を受けた人たちの心の傷をどういやしていくかという仕事は、まだ終わっていない。」
「オランダのベアトリクス女王は91年の来日時、宮中晩餐会で天皇陛下の前で〔オランダ人捕虜問題は〕『お国ではあまり知られていない歴史の一章です』と指摘した。」
「戦争当事国がお互いに怪物だとか野蛮人だとか言って相手国を罵倒するのは、もちろんいかなる戦争にもつきものだが、極東戦争においては、植民地支配の事情とそれにつながる人種偏見のために、この戦争像が一段と複雑なものになっている。
日本軍のオランダ領東インド侵攻は侵略戦争としてだけでなく、ある種の”違反”とも見なされた。
つまり、西洋の国を攻撃するとは身分不相応なことであり、そのうえ負けることを知らないとはなんと礼儀知らずで謙譲の美徳のなさよ、と見なされたのである。」
(2)朝日新聞の捕鯨問題報道
「もし日本で『国連に残っていてよいか』という国民投票をしたら(…)賛成が圧倒的多数になるのは、まずまちがいない。」
「なかにはイルカ語の解読に成功したという報告すらある」
「リリー博士は当時、10年以内にイルカ語が解読され〔人間との〕会話は実現できるとしたが、その後、この研究は進展せず、博士が主宰された研究所もいつしか閉鎖されてしまった。」
「クジラだけを偏愛する保護論には賛成しかねる。再生産力がある自然は、そのおこぼれをありがたくいただいてもいい。」
「日本がいま公海での捕鯨にこだわることが、資源・環境外交全体のなかで、果たして賢明な選択なのかどうか。」
「南極海をあきらめれば、〔日本沿岸の捕鯨については〕加盟国の理解が得られるのではないだろうか」
「今日、IWCを脱退してまで、クジラを食べさせてほしいと願う国民は少ないと思われる。
/だが外圧によって捕鯨が撤退に追い込まれる現状は情けないし、『クジラを食べるのは残酷だ』と非難する一部の反捕鯨勢力に対する反感も国内に強いようだ。」
「南極海のクジラは当面、産業活動ではなく、研究活動の対象と考えたい。
(…)南極海を全面捕鯨禁止にするサンクチュアリ案には、私たちも賛成できない。
以前にサンクチュアリとなったインド洋のように、クジラデータの暗黒海域になるおそれがあるからだ。」
「初期のIWCでは、早い者勝ちで捕獲量を競う『捕鯨オリンピック』が非難の的になった。
いま、参加することだけに意義があるかのような『IWCオリンピック』のあり方が問われている。」
「公海資源は人類の共有財産として貧しい国のために役立てようという意識が世界的に高まっているときに、その主張は傲慢としか響かないだろう。
/鯨肉をもはや必要としないノルウェーやアイスランドも、同じ責めを受けるべきであろ
う。
/これだけ満ち足りた日本に『やらない』国際貢献という発想があってもよいころだ。
つまり、海外の森林を破壊しない、公害を輸出しない、そしてクジラも捕らない。」
「著者は長いこと捕鯨問題に関心を持って欧米のさまざまな捕鯨反対グループと接触してきた。
以前は、確かに非常識といっていい極端な主張も一部にはあった。
しかし最近は聞いたこともない。」
「反捕鯨国の代表が言うように、『これは科学ではなく、政治の問題』である。」
「クジラを食べることを野蛮呼ばわりされる筋合いはない。
一方、地球上最大の動物としてのクジラを敬愛する気持ちも分かる。」
(3)再び、朝日の報道姿勢一般について
「日本の新聞の社説を読んでいても、湾岸危機に対して日本が何をしようとしたのかはつかめなかったろう。
海外から日本を見る目にとってわからないだけではない。
国内の読者にとっても、結局どうすればよいかについての指針を得ることができなかったのではなかろうか。」