(「勇魚」第 10号、1994より)
大隅 清治
それより 30年前、IWC科学小委員会は三人委員会の勧告に従って 1964年から
南半球産シロナガスクジラの捕獲を禁止した。
当時の資源解析によれば、シロの開発以前の資源量は 15万頭と堆定され
(Chapman,1974)、1963年の資源は 650 〜 1,950頭と堆定され、絶滅の危険の
ある水準まで資源が減少し、増加率 10%とすると回復までに 65年を要すると
三人委員会は推定したのである(IWC,1964)。
そして、1970年代初めの現在資源量として、5 〜 10千頭と考える(Chapman,1974)
のがこれまでの常識であった。
これらの結果を基にすると、第 1には資源が正常に増加しているのに、それが
検出できないか、第 2に、資源の増加が捗々しくないか、あるいは第 3に資源が減少を
続けているか、の 3通りの現象のいずれかが生じたと考えられる。
1960年代の資源解析の方法と、最近のそれとは異なっており、しかも当然ながら
推定誤差がある。
もしもかつての堆定が過大評価であり、最近の推定が過小評価であるとすれば、
第 1と第 2の場合が現実的であろうし、その逆であるとしたら、第 3の場合が
実際に起こっていることになる。
その間に資源全体の長期間に渡るモニタリンク資料がないので、その判定ができない
ところに悩みがある。
しかし、三人委員会当時の現在資源量の堆定値と、最近のそれとがともに正しいと
したら、シロが捕獲禁止措置をとっても期待したほどには増加しなかったと
見なすのが正解となる。
低資源水準でのヒゲクジラ類の資源回復率を常識的に平均 7%とすれば、
30年後に資源は 7.6倍に増加する計算になり、それが 4%としても 3.2倍に
なるはずである。
生物資源の増減は加入量と自然死亡及び漁獲量との差によってもたらされる。
従って、資源が回復しない理由は、捕獲禁止措置が取られて以後もこの資源の捕獲が
続いたか、あるいは加入する鯨の数が極めて少なかったか、自然に死亡する鯨の
数が多かったか、のいずれか、またはその複合である。
ごく最近ソ連船国が 1960年代にこの鯨種を公表統計数以上に捕獲していたという
報告が発表された(Yablokov,1994)が、南半球産シロナガスクジラの捕獲禁止後の
主対象鯨種はイワシクジラであり、その漁場はシロの索餌域よりもずっと北にあり、
捕獲したとしてもそれはピグミーシロナガスクジラ(B. m. brevicauda)
であったと堆定され、ミンクが主対象になった 1972年からは国際監視員制度が
実行されたので、1960年代にシロの捕獲はあったとしてもわずかであり、1970年代
以降は捕獲されなかったと見なすべきである。
その間に加入率が小さかったか、自然死亡率が大きかったかして、回復率が極めて
小さかったことが、資源が回復しない主な理由と考えるのが最も実際的である。
シロの加入率を低下させるか、自然死亡率を高めたかした要因として、この資源を
取り巻く環境の悪化が想定される。
環境には非生物環境と生物環境とがある。
非生物環境の悪化として海洋汚染が考えられるが、もしもそれが原因であると
したら、シロと生活環境を同じくするミンクにも同様の傾向が見られなければ
ならない。
しかし、ミンクはシロが減少する間に、増加したとするいくつかの証拠があるので、
非生物環境の悪化原因説は否定できる。
そこで、主原因は生物環境の変化にあると考えざるを得ない。
生物環境としては、捕食生物、被捕食生物、同じ餌と生活の場を利用する他の
競合生物との 3つの部分が存在する。
普通型シロの南極海での主要餌生物はナンキョクオキアミである。
南極海で 1960年代から開始されたオキアミ漁業生産は最高年でも数十万トンに
過ぎず、この豊富な餌生物の資源を減少させたとは考えられず、むしろ逆に
捕鯨による主要ヒゲクジラ類の資源の減少により、余剰のオキアミが生じたと
見なさなければならない。
これはむしろ加入率の増加の要因となるので、実際の現象と矛盾する。
シロの数少ない天敵として、シャチが考えられる。
シャチの資源量は大きく、シロ資源が減少するにつれて、それだけシャチに
攻撃される率は高まることが考えられ、それが自然死亡率の増加のひとつの原因と
なる可能性は否定できない。
しかし、最も大きな原因はミンクとの生態的地位の競合であろう。
シロが初期資源の 0.5%にまで減少したのと逆に、ミンクの資源量は 9.5倍に
増加し、南極海で捕鯨が開始される時点では後者の生物量は前者の 4%
(ミンク 59万トン、シロ 1,500万トン)に過ぎなかったが、現在では逆に 79倍
(ミンク 560万トン、シロ 7万トン)になっていると推定される。
この大きな生物量の差は両者の生態的地位が大きく逆転していることを意味する。
この現象は何頭ものミンクが、シロの空き家を占領してしまったことに譬えられる。
ミンクはシロと索餌場、繁植場を共有し、餌生物も共通であり、互いに最も
競合して生活する。
その競合には索餌場と繁殖場を含む生活空間のなかでの相互の軋轢によるストレスと
が考えられる。
そして、小数派のシロがストレスを増大させ、栄養の補給を不足させて、加入率の
減少と、自然死亡率の増加をもたらし、純加入率が小さくなって、資源が回復しない
結果となったのであろう。
この解釈は、ミンクを間引かない限りシロの回復は保証されないことになり、それは
捕鯨の再開に繋がるから、反捕鯨勢力はこの解釈に対して、必死に抵抗している。
日本政府はシロ資源が回復しないでいる原因を解明して、その回復を促進する
ための、国際協同調査の提案を 1993年の IWC年次会議に提出し、委員会もこれを
受け入れた。
この調査が早急に開始されて進展し、早く原因が究明され、それによって適切な
回復措置がなされ、この貴重な鯨類資源が適正水準にまで回復して、再び合理的な
資源利用ができるようになる日を心から待ち望んでいる。
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日本鯨類研究所専務理事
国際捕鯨委員会(IWC)は 1978年以来国際鯨類調査 10年計画(IDCR)の下で
南極海における鯨類の目視調査を継続して実施し、蓄積した資料の解析結果として、
南緯 60度以南の調査海域以内にミンククジラ(以下ミンクとする)が 76万頭
分布すると推定する(IWC,1991)とともに、それに反して普通型シロナガスクジラ
(Balaenoptera musculus intermedia、以下シロとする)はわずかに 7百頭
しか存在しないという堆定値が出されて(Butterworth, Borchers and Chalis,
1992)、世界の捕鯨関係者に大きな衝撃を与えた。