(日本鯨類研究所 1996年発行「捕鯨と21世紀」より)
三崎 滋子
鯨肉は日本人にとって、古くから貴重な動物性蛋白源であった。
簾価で、家庭から飲み屋に至るまでの大衆路線において無駄
のない美味しい食べ物であったし、また団塊の世代までは、
学校給食の味と結び付いて親しみのある蛋白源であった。
第二次大戦直後の日本を襲った飢餓の恐怖も、鯨肉の供給によって、
大きく緩和されたのである。
国内における食糧生産はもとより食料輸入による蛋白源供給が不可能であった頃、
連合国日本占領総司令官のダグラス・マッカーサー元帥は、賢明にも日本人の
古来からの鯨肉嗜好に着目した。
占領軍は鯨肉を日本国民の動物性食資源の柱にすえることを計画したのである。
そこで、撃沈をまぬがれたタンカーを改修し、これらを南氷洋の捕鯨に差し向け、
疲弊した日本の産業の復活の先鞭として、捕鯨産業が奨励されるようになった。
当時、日本は被占領国であったから、一般国民が海外に渡航することは禁止されて
いたが、占領軍総司令部は特に南氷洋捕鯨に従事する日本人には特例処置で
出国許可を与えた。
いかに、米国が日本の食資源不足対策に憂慮し、これに鯨肉をあてる事に
積極的であったかを示している。
南氷洋で捕獲された鯨で作った製品は、鯨肉ばかりか、機械油、飼料、化粧品など
数知れぬ多くの分野で日本の産業の復活を促した。
勿論、学校給食で鯨肉の栄養分摂取という恩恵を蒙った学童が成長した結果、
経済成長の一翼を担う人的資源となったことも事実である。
日本人が古来鯨を天よりの授かりものであると考え、有難くこれを無駄なく
利用した。
我々の先祖は食資源として鯨を利用し独特の食文化を形成したが、そればかり
ではない、文楽人形の微妙な動きを鯨の髭板を用いて芸術の域にまで
達成させたという知恵を鯨から学んでいる。
萬葉集の昔に、すでに勇魚とりの記述が存在することから見ても、
日本人が古来からの蛋白源として、鯨を尊重したことがうかがわれる。
下って17世紀には、すでに、沿岸での捕鯨が産業としての分業形態を示し、
関西を中心に日本全国に鯨利用が広がっている。
和歌山県太地の鯨方、和田氏の子孫である和田新さんによれば、彼の先祖は
徳川時代に太地で捕獲された鯨の肉を丁寧に塩漬けとし、京都の宮廷に届けるという
名誉を得ていたが、その保存方法を記した巻物が太地にしっかりと保存されている。
関西地域での鯨肉の嗜好が他の地域よりも高いということは、現在わずかながら
南氷洋で科学調査のために捕獲されているミンク鯨の副産物である鯨肉が、
特に関西で多く流通しているということからもうかがわれる。
現在では南氷洋での調査捕獲で生物学研究に必要な部分を採集した後の余剰品の
鯨肉が日本国内でのわずかな鯨肉供給源となっている。
これは、科学研究の為に捕獲された鯨類は無駄なく利用せよという
国際捕鯨取締条約第八条に基づく処置である。
南氷洋での調査捕獲の副産物であるミンク鯨の肉は、商業捕鯨で捕獲されていた
量のわずか 100分の1 以下であるが、この配分については、総理府の統計による
商業捕鯨停止モラトリアム実施以前4年間の全国各都道府県の鯨肉消費量を基本に
比率を計算し、従来の消費率を、現在入手し得る限りの中でパーセンテージで
振り当てているものである注1。
このような配分比率による鯨肉の流通は、日本での全国的な鯨肉嗜好に応える為
に、水産庁への諮問を行う民間委員会で考案された苦肉の策でもである。
調査捕獲は国家が民間に委託して行う事業であるから、そこから得られた産物は、
競売に付されなければならず、それが、いかに公平に行われるべきであるかは、
十分に考慮されているのが当然である。
しかしながら、西欧の反捕鯨主義者から見れば、そもそも日本人やノルウェー人が
鯨を食べること自体、非道徳的な行為であるから、彼等は日本人がレストランで
鯨を食べているのは、鯨肉が今では、「グルメの贅沢品であり、日常品ではない」
ということの証拠であるとして、糾弾の声を上げる。
彼等にとって、鯨肉の需要が存在しているのに、モラトリアムにより供給の減少が
発生したことによって、バランスが崩れた結果このような現状となったことは、
視界に入れる余地がない。
そもそも、彼等にとっては鯨肉とは、食べるものではなくて、鯨油を絞った後の
余計なものであったからである。
一方、日本人が西欧に住んで見ると、肉屋の店頭に兎の皮がはがされて
ブラ下っていたり、牛の胎児を母親の腹を割いて出し、食用に供するなど、
不可解な食習慣に出会いショックを受ける。
可愛いバンビを撃って殺し食べるとか、メリーちゃんが真っ白な子羊と戯れている
かたわらで大人は、肉を柔らかく保つことにより羊肉の商品価値を上げるという原則に
照らし、雄の子羊は去勢してしまうなどという行為は、私から見れば残酷である。
日本人にとって、このように食習慣の違いは、単に善悪の問題で論じられるべき
ものではなくて、民族のおかれてきた環境や習慣に照らして、統計学的な思考で
いけば、「重みづけ(weighting)」を付与されて考慮されるべきもと思われる。
仏教の教えが日常に浸透していた結果、日本では、明治に至る数百年の間、
四つ足の動物を食べず、もっぱら魚などの海産資源から食用蛋白源を得ていた。
この習慣から、鯨も海産の食資源と考えられており、尊重されていたことは
歴史を学んだ日本人であれば、誰でも知っている。
先に述べた鯨肉の供給が極端に減ったという事実から単純に、それは何故かと
問えば、恐らく人は鯨の資源量が極端に減少したせいであると考えるかも知れない。
ところが、日本人がここ15年ほど食べてきたのは、減少の見られないミンク鯨という
種である。
確かに、ミンクよりも大型の鯨油生産に効率が高い鯨種の多くは枯渇してしまった。
しかし、世界の鯨研究者の100人を超える集団である国際捕鯨委員会(IWC)の
科学委員会のメンバーの中でもミンク鯨が種としての危機に瀕しているという意見を
持つ人はいない。
ミンク鯨の捕鯨にまだ反対している科学者がいるとすれば、その理由は、ミンク鯨の
種の中での細かい極地的な少数の系統群が「よく判らないが、もしかしたら、
減少しているのかも知れない」という理由である注2。
このように、全ての鯨種が減少した訳ではないが、捕獲しても資源に悪影響のない
ミンク鯨までも供給が減り、バランスを失った。
その結果、日本人の需要が供給に対して過剰となり、価格の高騰を招き、
一般家庭で日常的に食べられなくなった。
そこで、専門に鯨肉を貯蔵し、販売するレストランに家族連れで出かけているという
現象がおきている。
このような表面的な現象をもって、日本人は鯨肉を贅沢品であると感じる向きも
あるということから見ても、捕鯨問題が一筋縄では解決できない複雑なものである
ことがわかる。
大型鯨類がもっぱら西欧諸国の機械油などの油脂製品資源として重宝に使われてき
たことは、アメリカが植民地であった時代からも歴史が語っている。
勇敢なヤンキー捕鯨船によって、世界の七つの海から大型鯨を捕獲し、油をしぼり、
肉は捨てていた昔から、20世紀の前半には、列強諸国による大々的な南氷洋での
近代捕鯨に至るまで、西欧の遠洋捕鯨は、もっぱら油をとるのが目的であった。
エネルギー資源としての鯨油が尊重されていたという点に、日本人やノルウェー、
ロシア、グリーンランド、アラスカ、そして、アメリカ先住民族などによる捕鯨が
食資源を目的としたものであったことと、決定的な違いがある。
この違いは現在、鯨油をしのぐ化石エネルギーがふんだんに供給されている時代に
なれば、ことさらに価値観の差となって現われてくる重要な点である。
化石エネルギーがある一定の埋蔵量という限界を有しているのに比較し、鯨という
生物資源には再生産能力があるから、このニつを同列に論じるのは無理がある。
そこで、政治的な観点から、西欧の新たな尊鯨倫理という有利な武器が捕鯨問題に
導入される必然性があった。
1970年代の英米を中心とした反捕鯨運動には、背後に成長する日本経済への脅威が
ちらついている。
鯨資源の存亡と西欧の経済力の優位性の存亡がダブっているのである。
争わず(戦後は平和憲法で軍隊を持たず)、平和で、勤勉で、集団の和を尊しと
する者、それは、西欧の反捕鯨がイメージする大型鯨類そのものである。
日本がそのようなイメージは日本人そのものであると世界にPRし損なったという
時点で、すでに捕鯨問題の勝負はついていた。
西欧は、鯨をもって、自らに欠けていた資質を代弁させ、これを食べる日本人の性格が
対極に位置する、好戦的な残酷性のあるものというイメージをメディアを通じて
一般の人々に浸透させた。
英国の日本研究家であるロンドン大学のプライアン・モーラン教授は
「日本人は鯨に似ている。
哺乳動物であるのに海に住み、ある種の特殊な地位についている鯨と、東洋人であるが
西欧文明の中に住み、ある種の特殊性を有している日本人とは、キャラクター的に
一致している」と語っている注3。
ノルウェーの文化人類学者、アルネ・カラン博士によれば、
「陸上哺乳類には見られない特殊の形態、そして、魚類には見られない特殊の形態を
持つ鯨は、あたかも日本人が西欧でもなく、東洋でもなく、存在自体が betwixt
(中間存在)なのと共通している」のである。
しかし、日本の優位を許せない西欧一般にとって、日本人が鯨を食べるという
特殊な食文化を有していることは、野蛮である。
これを日本への攻撃の理由にすれば、日本人の未開性をアピールでき、それは
市井の人間にとっても極めて解りやすい。
ここに、動物愛護という倫理が合併すれば、日本人独特の残虐性がより強調される。
私の手元に舞い込む反捕鯨の西欧人の手紙の中には、「鯨を食べる野蛮人、
日本人にはもう一回罰として原爆を落すのが丁度よい。」とか、
「ユダヤ人を殺したナチと、鯨を食べる日本人とは、性格が一致している」とか、
論理が飛躍しており理解に苦しむものが多い。
英国下院議員トニー・バンクス氏は、「ノルウェー人や日本人が鯨のような
エキゾティックな食物を食べたいならば、彼等は共食いすればよい注4。」
と一般大衆に向かって講演している。
では、西欧の牧畜や野生生物の狩猟による収獲が動物性食品として搾取されるという
事実は、どう解釈すればよいのであろうか?
このような論争には終着点を見出すのが不可能である。
鯨は知能が高いので、人類に優るものであるとする論理がある。
これには、現在西欧で勢力を得つつある「動物権」論が密着している。
哺乳類生物学者であるケンブリッジ大学のマーガレット・クリノウスカ博士は、
鯨類が特にほかの哺乳類よりも優れた知能を有しているという証拠は存在せず、
解剖学的にはむしろハリネズミやこうもりの初歩的な段階に止まっていると
報じている注5。
アシモフ夫人という科学ジャーナリストは、ジャパンタイムス紙に、「鯨が持つ
自然の血液冷却能力」と題しての論文を発表したが、その中で彼女は、このような
優れた資質を有する哺乳類を食べる民族がいることを憤慨している。
私はこの論文の是非を問うものではないが、生物にはそれぞれ特殊の資質があり、
特にかたつむりには、神経中枢の配列がどの個体でも殆ど有意な変化がないという点
に注目している。
これをもって、かたつむりを食べるフランス人を貴めることは出来ないのではないか、
科学ジャーナリストならば、もっと客観性のあるコメントが望まれる、と反論した所、
ジャパンタイムスは私の反論を掲載してくれたが、アシモフ夫人はそれを無視して
しまった。
私が言いたかったのは、昆虫や、鳥やいろいろな生物には、それぞれの
特殊な資質があり、それが、果たして人間と比較して優劣を論じられるべきもの
なのか、環境への適応プログラムと言うべきなのかは、議論のある所であるという
点である。
また、例え人類が設定した知能指数で鯨が高い評価を得たとしても、それが、
全生物界での評価につながるのかは哲学の分野の問題であろう。
危険なことは、今人類と他の種を同列に論じて、それを環境を手つかずの
状態におこうとする手段に利用しようとする一派が現われて来ていることである。
米国や豪州で人気のあるチョプラという法学者があるが、彼が1989年に来日した時、
私も「動物の権利」について講義を受けた。
彼自身ヒンズー教徒であるので、牛は食さず、また豪州で養鶏を見て以来反鶏食者
でもある。
極論に至ると、彼は人類を犠牲としても、動物の権利を守るべきであると回答して
いる。
このような西欧の潮流が、行き着くところは、人類の人口を差別によって、
抑制してしまうというところである。
つまり、ある一定の知能に達しないものは、人間であろうと動物であろうと、
絶滅しても仕方がない、ほかの優勢な生物の権利を守るほうがより重要であると
いうことである。
1993年京都においてIWC年次会議が開かれた時、C.フイリップスという英国の
動物愛護信奉者は、日本のテレビインタビューに応じ、次のように語った。
「IWCが白人の優位性を失い、道義を失うと人類は危機に陥る。
開発途上国が多く加盟すれば、鯨の利用が奨励され、再び大型鯨の枯渇の歴史が
繰り返されることを心配している。」
この人物は、日本でも最近有力な環境保全組織として発展している WWF の
英国代表であり、日本の知識人や財界人にも彼女の支持者がいる。
日本の太平洋沿岸ぞいに四つの小型捕鯨を生業として営んで暮らしてきた
町村がある。
北海道の網走、宮城県の牡鹿半島の先端にある鮎川、千葉県の外房にある和田、
そして、日本の捕鯨の歴史の詳細が最初に記録された和歌山県太地である。
これらの小型捕鯨のコミュニティには、1988年以来8ケ国のさまざまな社会学者が
フィールド調査を行い、その結果を論文として、日本政府に提出してきた。
これらのほとんどがIWCの社会経済及び沿岸小型捕鯨の作業部会において、
正式なIWC文書としてとりあげられており、その数も30を超えている。
これらの論文はいずれも、学術誌などで高い評価を安け、捕鯨が日本において、
いかに発展し、その基礎となった沿岸の捕鯨コミュニティが「捕鯨複合体」としての
文化的な存在意義を有しているかを分析している。
興味あることは、これらの社会学者は何らかの形で、ほかの地域、例えば、
米国のアラスカ、デンマークのグリーンランドなどの原住民生存捕鯨の研究家でもある
ということである。
かれらの研究はそれぞれの分野で、手法が異なることもあって、一概には
総括出来るものではないが、要約すれば、次のようなものであろう。
「日本の沿岸小型捕鯨には、日本が貨幣制度を比較的早期に導入したという歴史から、
経済的に貨幣を介して鯨製品を市場化しているという特色はあるものの、文化的、
伝統的、精神的な意味での価値観に捕鯨という行動が欠かすことが出来ない重要性を
有しており、コミュニティ自体の存在意義の核となっている。
これは、アラスカ、グリーンランドなどのエスキモー生存捕鯨と酷似しており、
その点から、日本の沿岸小型捕鯨を単純に商業捕鯨の範疇に入れて禁止するのは
不当である。
沿岸小型捕鯨は、IWC によって、商業でもなく、原住民捕鯨でもない第三の
カテゴリーを設置して、持続的な少量の捕鯨枠を科学の管理下で行って
然るべきである。」
この第三のカテゴリーの正当性を訴える為に日本は、IWCの作業部会に毎年多大の
エネルギーを投入し、遂に、地域社会の鯨肉流通のシステムを制限するという
行動計画まで提出するに至っている。
1989年、日本は、IWC より沿岸捕鯨コミュニティに於ける鯨肉の消費量を
定量化して示せという要求を安け、アラスカのエスキモー捕鯨で定量化の計算に
成功した米人の文化人類経済学者コンサルタントを雇用し、現地調査をおこなって、
論文を提出していた。
私はこの作業会議において、反捕鯨国代表より奇妙な質問を受けた。
この論文には日本沿岸小型捕鯨コミュニティにおける催事の鯨肉消費量が
表の一つとなって提出されていた。
これに対する反捕鯨国の代表の批判は次のようなものであった。
「この催事の選択は間違っている。
なぜならば、この中には、結婚記念日がない。
また、盆というのは、我々が認める催事ではない。
クリスマスがないという程度ならば、認めてもいいが、このような片寄った催事の
選択は無効である。
従ってこれより導かれる文化性も無効である。」
さらに、「日常的に消費するという項目で、鯨肉を好む人が90%にも上っているの
はおかしい。
日常的な消費は文化ではない。
もしも、それを文化であるとするのならば、西欧の朝食であるハムエッグなども
文化となるであろうが、そんなナンセンスは認め難い。」
これに対して、私は反論した。
「結婚記念日を祝うのは、西欧的感覚のある日本人だけなのではないだろうか?
私自身第一年目の記念日しか祝っていない。
ましてや、素朴な地方の日本人が毎年結婚記念日を祝っているとは信じ難い。
しかし、日本人にとって、盆こそ家族で団らんする大切な催事である。
また、日常的な食生活にこそ文化が反映されているのではないか。
西欧のハムエッグ朝食も永年にわたる家畜を食べるという貴方達の国の文化が
そのような形で殆っているのではないか?」
この反論のお陰で、また日本は翌年までに、日常的な食習慣と鯨肉の関係についての
研究を宿題に頂いてしまった。
西欧の文化が全ての基本であり、ほかの民族の文化は異端であるとする意見の
典型的な例をもう一つあげよう。
1987年ロンドンのチャンネル4が「鯨を救おう? 地球を救おう?」と題して朝まで
討論する深夜番組を企画した。
それは折しも、英国の若者のアイドルである詩人ヒースコート・ウイリアムス氏が
「鯨帝国」という詩集を発表する前夜であった。
同時に日本で有名な作家C.W.ニコル氏が「勇魚」(英語名 ザ・ハープーン)
という太地の物語を英語で出版する時期でもあった。
日本の捕鯨文化を説明するという役割を担ったニコルさんから、私にも自費で
ロンドンに来てくれないかという電話がかかった。
熟考の末、私はロンドン在住の知人を頼って、ロンドンに向けて計3日の急ぎ旅をする
決心をした。
母国の大学卒業後初めて就職したのが英国の航空会社であったこと、また英国連邦
の一つである豪州で10年以上暮らしたこと、さらに、16年間にわたり10回以上の
英国でのIWC会議に出ていたことなどが、おこがましくもそのようなテレビ番組に出て
討論しようと決心した背景であった。
この番組は「After Dark」と称し、長期にわたって、人気が高く、
いろいろな有名人をパーティ形式で招き、自由に語らせるというオープンエンド
(終了時間制限なし)の番組であった。
これに出て見ると、まず有名なウイリアムス氏を筆頭に、ガイア学説の創始者
ジム・ラブロック博士、ドイツの緑の党の国会議員ベトラ・ケリーさん、
後に国際グリーンピースのスポークスマンとなり、地球環境分析の為日本の
豊田財団から招かれたケアリン・マルバーニ氏、英国自動車産業の代表
トニー・ポール氏、さらに、フランスの著名な海洋学者ジャック・クストー博士
(彼は残念にも番組直前に欠席となったが)に対して、こちらは C.W.ニコルさんと
私である。いろいろな話の中で、日本人がいかに鯨を不当に使用しているのかが、
話題となり、ニコルさんと私は必死の防戦である。
ウイリアムス氏は、「文楽などという原始的な日本人しか解らない人形劇に鯨の
髭板を使用するのはけしからん。
そんなものには、プラスティックで結構」というのである。
文楽は日本の誇る三大舞台芸術の一つであり、歌舞伎、能に並び、
立派な文化であるといくら主張しても、無視である。
文楽の人形の微妙な動きが、弾力ある鯨の髭板を使うことで可能となっていること、
日本人がこの芸術を伝統ある正統なものであるとするのが、おおいに気に障った
らしい。
その背後にあるものは、自分の文化しか認めないとする西欧中心主義である。
これが、英国を代表する文化人の姿勢であるとすれば、由々しき問題であると
私は思った。
しかし、このような姿勢が次第に変化を見せていることは喜ばしい。
1995年のIWC年次会議はアイルランドのダブリンで開かれたが、その開会の挨拶で、
アイルランドの環境文化大臣ヒギンス氏が語った言葉がその変化を象徴しているかの
ようである。
彼は「たとえ鯨を食べない民族であっても、ほかの国の食文化を強制的に変えようと
する姿勢は間違いである。」と述べた。
それは永い歴史の中で英国文化の押し付けを余義なく受け入れるに至った国の
代表としての真摯な発言であったと思う。
私と言えども、英国人が皆日本文化を軽視しているとは思っていない。
あのテレビ番組の夜通し討論の後、町に出た私にふと声をかけて来た老夫婦があった。
「日本の御婦人が一人で頑張っているのを感心して見てましたよ、
きっとあのテレビに出ていたのは貴女だと思って声をかけました。
私たちだって、戦争中鯨を食べたのよ、そのまずかったの何のって!
でも、貴女の国では上手に料理してるんでしょうね?」
ニコニコと話する彼等に私は、日本からの12時間の旅の疲れを癒される思いがした。
この体験のフィナーレは、帰国後届いた一通の手紙であった。
ケンブリッジ大学の教授からで、哺乳類の研究をしているが、
「しっかりと情報を与えてくれた貴女に感謝します。
日本であれ、どの国であれ、科学的に保障された資源を利用して悪いわけは
ありません。
初めて、日本の科学者の努力が判りました。」とあった。
この体験から、私は西欧人には、きっちりと説明すれば、理解する人もあるという
ことを学んだ。
日本の中にはいわゆる国際派といわれる人々で、ミンク鯨の捕獲は例え科学的、
文化的に正当でも、外国人が反対するから長いものに巻かれたほうが良い。
だから、相手に迎合してやめてしまおうという人々が多い。
彼等は、まだまだ外国人と対等に対話するという努力に欠けているのでは
ないだろうか?
鯨がどの位餌を食べているかを試算した日本の科学者がいる、
一日に鯨は自分の体重の3%から5%程度の餌を食べる。
各種の大型鯨のそれぞれの平均的な体重(その幅は 99.9トン から 7.4トン 程度)を
出し、それぞれの鯨種に全世界の海域の推定資源頭数をかけた。
これに索餌期の日数を掛けたところ、驚いたことに鯨が食べている海産物は
FAOで知られている全人類の漁獲量の約6倍余となった。
索餌の対象となる魚類やおきあみ類が必ずしも人類の食生活に直接の影響は
ないものだとしても、21世紀に予想される地球人口の爆発的増加により、
私達が陸上の食資源に依存ばかりしていては、とても生きていかれないことは
明白である。日本と同様、海産物に食生活を依存し、日本よりも外貨葎得に
水産製品が大きな役割を持っているアイスランドの水産学者が最近発表した
近海の鯨の索餌対象は、イワシ、イカからシシャモなどの高級輸出品にも
広がっており、それは、年間450万トンに達している。
モラトリアムの結果近海での捕鯨が停止しており、毎年そのような鯨類の捕食と
人類の漁業との競合が懸念されている注6。
さらに、日本の北太平洋ミンク鯨捕獲調査では、昨年度の胃の内容物分析から
ミンク鯨がさまざまな魚種を捕食していることが判明したが、これより以前にも
1970年代の調査から、笠松不二男博士他によって、論文が日本水産学会誌に
掲載された。
これによれば、ミンク鯨はメロドや、イワシばかりではなく、サケなどの魚類も
捕食しており、これらの餌となる魚の移動とミンク鯨の捕食パターンに連動性が
見られる。
陸上の動物資源を牧畜などに依存して生産すれば、森林の伐採、土壌の化学的劣化、
有蹄類特有のメタンガス発生要因などの問題が派生する。
では、集約的牧畜で、いわゆる feed lot 形式の穀物飼料による牧畜をおこなったと
しても、これに要するエネルギーは単純に計算しただけでも、北米の例では
年間収穫する穀物から生物が得られるエネルギー量の10倍を要する、
とする学説がある。
食肉生産によるブラジルでの森林問題や、米国の中西部での国有地貸借による
牧畜業が、いかに土壌の劣化を招いているかは、米国を初め各地で大きな問題として
とりあげられてきた。
日本の沿岸小型捕鯨が1984年から1987年に捕獲したミンク鯨は925頭であったが、
この捕獲に要した燃料消費は、ミンク鯨の生産する1キロカロリーに対して
わずかに 2.1 カロリーであり、これは、北米における食肉の1キロカロリー生産に
対する化石燃料消費量10キロカロリーよりはるかに少ない。
要するに、海は太陽の恵みから生まれる自然の栄養分を鯨に与えて育ててくれて
いるのである。
前頁に棒グラフで示した
漁業と捕鯨のエネルギー効率の比較
を見ても判るように、
収獲物を得る為に費やす化石エネルギーを一とすれば、捕鯨のエネルギー効率は
世界のさまざまな海域での漁業に比較して顕著に高い。
即ち、鯨肉は食料として得られるエネルギーが非常に無駄がない。
このようなエネルギー効率の高い経済的で環境資源倹約の可能な食資源を、
資源に損害のない程度に利用していくことは、誠に合理的で環境保護の視点からも
奨励されて然るべきである。
日本が1987年以来南氷洋で実施しているミンク鯨の捕獲を伴う多角的な
ランダム標本採集調査では、季節内での生息域毎あるいは性別、年齢別による
棲み分けの状態がかなり明確となってきた。
このような知見を実際の捕鯨に活用すれば、種の繁殖を妨げることなしに
捕鯨できるよう計画的な管理が可能である。
ましてや、IWCの科学委員会の長年にわたる努力の結果である改訂管理方式(RMP)は、
世界水産資源管理史上最も保守的な保護を実施しつつ、長期的な捕鯨を可能とする
管理方式である。
この RMP が完成してから、早くも4年が経過している。
その間 IWC 本委員会は科学者の努力を認めながらも、この方式を実施する意思が
見られないことに抗議して、科学委員会議長(英国人)は辞職した。
RMP などの新しい科学の流れに従って捕鯨すれば、余剰の資源を、資源と利用
両方の持続を確保しつつ捕獲出来ることは間違いない。
かって、人類はオリンピック方式という過酷な競争原理に基づく捕鯨を行って、
多くの鯨類資源を桔渇に追いやった。
しかし、21世紀を目前とした現在の科学情報の豊かさを以てすれば、かっての
利潤追及型捕鯨が蘇るようなことは許されない。
新しい持続的な捕鯨が今や可能となっている。
その背景になっているのは、苦節16年間に達するIWC科学委員会の実施した、
国際鯨類十年調査(IWC/IDCR)による目視調査である。
この調査から得られた知見なくしては、改訂管理方式(RMP) の基礎的データも
入力不可能であったであろう。
さらに、日本の行っているミンク鯨捕獲調査は、目視も併用しつつ、生物学的、
生態学的な知見を向上させるのに重要な役割を果たしている。
捕鯨の性格からして、対象とする種以外の種の混獲が殆どあり得ない「くじら漁」
が生物種の多様性を損ねることはない。
しかも、鯨が食物連鎖の最高に位置していることから、鯨類を管理しつつ
生態系をモニターするという目的も捕獲にともない達成可能である。
国際捕鯨取締条約の前文には、「鯨類という人類共通の自然資源を次代に残す為に
この条約を締結した」とうたってあり、そのために、「鯨類の保全と捕鯨産業の
健全かつ秩序ある発展を促す」とある。
ミンク鯨に関する限り科学的な知見が今程発達した時期はないであろう。
そうであれば、人類がこの豊富な資源の生産量の限られた一部を食程資源として
利用することに我々は臆病であってはならないと思う。
ある日本のテレビ番組で、日本の反捕鯨を代表する若い科学者が、「これからは、
鯨の利用についてのいろいろなやり方を考えていく時代となっている、
例えば、ホエールウォッチングのような形でも人類が鯨と共存していくべきである。
捕鯨が再開すれば、日本人は根こそぎ鯨を獲って食べてしまうであろう。
だから捕鯨再開反対。」と意見を述べた。このような思考原則には根底に経済的な
大規模捕鯨の再開があるのであろう。
では、根こそぎ鯨を獲るような捕鯨が果たして今の時代に見合うものなので
あろうか。
例えば、少なくとも76万頭と推定されている南氷洋のミンク鯨を根こそぎ
捕獲する為に、天文学的な数字の設備投資が予測されなくてはならない。
しかも、捕穫が多量であれば、市場原理がはたらいて、長期安定した価格が
維持されるのは困難である。
日本人は今バブル経済でふくらんだ不良債権の処置に、頭を悩ましているが、
「少なく供給しつつ、安定した価格を維持し、同時に資源も安定する」という
RMP 方式は、経済的観点からも理にかなっている。
こう考えると長期に安定した捕獲が可能であり、資源自体が危機に瀕することの
ない管理方式(RMP)に従っての捕鯨のほうが、業者にとっても有利である。
このような視点からも、改訂管理方式による捕鯨の管理は理にかなっているのである。
これに対し、もし根こそぎ的捕獲を実施すると仮定すれば、市場の混乱を招き、
需要と供給のバランスが崩れ、捕鯨産業は自滅するであろう。
恐らくこの若い捕鯨反対の科学者は、生物が再生産不可能な物質であると考えて
いたのであろう。
そうでなければ、現在のIWC科学委員会の勧告に基づく捕鯨が、彼のいうような
「ホエールウォッチングにも少しは鯨を残しておいて欲しい」という発想につながる
訳がない。
彼はテレビ放映の後、「鯨に MSY(最適資源水準)なんてあるのですか?」と
IWC日本代表に質問していた。
MSY理論に基づく過去の管理方式(NMP)の時代が終わっていることも研究していない
ようであった。
1994年に、鯨を特別の道徳と倫理で守ろうとする理由から捕鯨反対の政策をとる
国が多数となったIWCで、南氷洋の800平方マイルという途方もない大海域を鯨類聖域と
する決定が行われた。
これは、豊富なミンク鯨までも一からげにして、鯨類には触れてはならないという
政治的な決定である。
しかし、ミンク鯨以外の大型種はすでにこの決定の半世紀も前からIWC自身によって
保護されている。
比較的小型ですばっしいこく、繁殖力旺盛なミンク鯨の食べる同じオキアミを
主なる餌としているシロナガス鯨のような大型髭鯨類の回復が遅れていることを
考えても、この決定が時代の潮流に反して資源の持続的開発を阻害するもので
あることは明瞭である。
この事実は次第に世界の有識者に知られてくるであろう。
国連環境開発会議は、21世紀の人類の増加を視点に入れてアジェンダ21を
採択した。いつの間にか殆どの食資源が輸入に依存するようになってしまった
日本に住む我々にとって、ミンク鯨資源を科学的に長期的に、賢明に管理しつつ
利用できることを示すのは、それが、ほんのわずかな供給であっても、食糧自給の
原則を真剣に再考する姿勢があるか否かを示す重要な試金石である。
その意味で、新しい捕鯨は、人類にとっての重要な象徴的ケースなのである。
注2 レッドデータブック「世界のいるかと鯨類」1991年
注3 「妥協なんか怖くない」インタビュー PP.56−57:1990年
(財)日本鯨類研究所刊。
注4 1994年グラスゴー IWC 会議前での公開演説、この発言は多くの日本英国の
メディアで取り上げられた。
注5 Dr.Margaret Klinawska;P.65: Report of International
Seminar Series on Whaling:ICR/1993
注6 1993 年 (財) 日本鯨類研究所主催 「国際捕鯨問題研究セミナー・シリーズ」
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日本鯨類研究所
国際関係担当
日本人と鯨肉
鯨の資源は今危機なのか?
地球上で鯨は特別の位置をもつ生物?
捕鯨問題は文化問題
鯨を食べてなぜ悪い?
生物多様性と捕鯨
鯨類は人類共通の資源
注1 関西地区は兵庫、大阪府などで、全国 47 府県での配分率 1000 分の 180 を
受け取る。
ちなみに東京は 1000 分の 113。