フランス提案南半球サンクチュアリーにまつわる一般情報

三崎 滋子(1994年4月8日)



1992年IWCグラスゴー年次会議に先立つ IWC 科学小委員会で、フランスの科学者パスカル博士は、自国の提案するサンクチュアリーについての科学的質問に答える前に議長に休憩を申し出、休憩時間が与えられると、ロビーで反捕鯨の科学者シドニー・ホルト博士と打ち合わせを行い、会議に戻った。 科学委員会の多数のメンバーの見るところ、この提案は、もともと N.Z. のグリーンピースが中心になって起案したものを、ホルトが書き直したものであるという。 その間、フランスの科学者たちは、ほとんどこの提案の科学的検討をする機会がなかったのであろう。

さらに、不思議である事は、この提案には、当初原文が英語であった為、提案国のフランスにフランス語の提案書が存在していなかった、という事実である。

これらの謎を解く鍵は、さかのぼって 1972 年から 1985 年にかけての、フランスとグリーンピースの関係を考えるところに始まる。

1. 1971 年に発足したグリーンピースはその翌年の 1972 年には反核運動を集中的に行い 小クルーザーで、太平洋ムルロア環礁のフランスの核実験に抗議の為乗り入れた。 以来、フランスの核実験には強硬な反対を続け、ついに 1985 年、フランス政府が秘密工作員 2 名を派遣、グリーンピースの船舶「虹の戦士」号をニュージーランドのオークランド港に停泊している所に爆薬を仕掛けて沈没させた。 この時、グリーンピースの雇用していたプロカメラマン 1 名が、一旦退避した船に機材をとりに引き返した所を沈む船と桟橋の間に挟まれて、事故死している。

2. 「虹の戦士」爆破事件は、N.Z. 政府の主権問題にかかわる重大テロ事件として、N.Z. の威信をかけて徹底的な捜査が行われた。 その結果、フランスの諜報機関の関与が疑われ、直接のテロ行為の犯人である 2 名のフランス人が逮捕された。 2 名は男女 1 名ずつの特別訓練をされた軍人であり、深海ダイビングの技術を持ち、仏領のニューカレドニアを基地に太平洋における諜報、破壊工作を実行していた者で、N.Z. 警察により逮捕された後、N.Z. の裁判所で長期懲役が宣告された。

3. 2 名のフランス人は、N.Z. の刑務所で服役していたが、その間フランス政府は彼らの引き渡しを N.Z. 政府に要求、それに応じなければ、EC 市場への N.Z. のチーズ、バターなどの乳製品を輸入しないと脅しをかけた。

4. N.Z. にとって乳製品は主要輸出品目であり、このようなフランスによる脅しは、国益に関する重大問題であった。 そこで、N.Z. 政府は、フランス政府との間で取引きを行い、これら 2 名のフランス工作員が N.Z. の判決による刑期に母国において服するという了解の元に、フランスに身柄を引き渡し、乳製品禁輸問題に決着を付けた。

5. しかし、フランス政府はこれら 2 名の工作員を帰国後、軍務に復帰させたのみならず、昇進させてしまった。

6. この処置は N.Z. にとっても、犠牲者を出しつつ、船舶を失ったグリーンピースにとっても到底我慢のできるものではなかった。 グリーンピースは、折りしもフランス政府での捕鯨問題が環境省の管轄となったのを機に積極的なアプローチを展開、ロワイヤル環境大臣を説得し、前述の 2 名の工作員の処置を約束通り服役処置に戻すように働きかけたと伝えられる。 しかし、フランス国内の世論、及び原子力、核エネルギー担当政府機関、軍諜報機関との兼ね合いから、彼らを再服役させる事は、不可能であった。 理由には、フランスでのグリーンピースへの一般的反感、2 名の工作員は国家の命令を実行したという意味での英雄であるとする意見などの一般世論がある。

7. このような交渉過程で浮上してきたのが、日本とフランスの契約によるプルトニウム再生処置であった。 フランスは、プルトニウムを再生する施設を有し、英国と共に EC 内でも原子力発電に関する先進国であるが、米国は、日本が世界に先んじて、原子力開発を促進することに深い懸念を示し、プルトニウムの海上輸送を、世論に訴えても妨害すべしとの政策を示した。 本来、米国自身が、日本の経済成長を望み、1960 年代に積極的な原子力利用を日本政府に勧告し、それに基づいて日本の原子力開発政策が実行されているものであるが、1980 年初頭、日本の経済成長が米国への脅威となったことから、さらに、プルトニウムの研究が進んで、その安全性への疑念と核兵器への転換可能技術の発達という経緯から、米国は、再三日本の原子力開発に懸念を表明し始めた。 また、米国の国内でもスリーハンドレッドマイル事件が発生、世論が原子力利用に反対の気運も生じ、米国内でのイエローケークあるいはプルトニウムの運輸についての規制強化などの背景から、国際的にもプルトニウムの運送は、テロ発生の危険を防ぐべくルートを発表しないという条件でしか認めないという協定に日本も参加していたのであった。

8. グリーンピースはこの米国の姿勢を背景としフランス政府に日本へのプルトニウム回送時に積極的な妨害を行う作戦を立てていた。

9. フランスがグリーンピースと交渉している中でフランス政府がとった 2 名の軍工作員への処置を謝罪、あるいは N.Z. の裁判判決に再服役するようにというグリーンピース側の要求をのむ代わりに代案として突き付けられたのが、「南半球鯨類サンクチュアリー」をフランスが提案すべしというグリーンピース案であった。

10. フランスにとってこの代案は、折りから問題をはらんでいたプルトニウム運送とリンクさせれば、環境問題の擁護国としてのイメージアップにもなるという二重の利点を有する格好の好取引となるものであった。

11. グリーンピースとの取引が成立しフランスは、サンクチュアリー提案の英文を受取り、IWC にこれを提案する事となったが、フランスもしたたかであった。 フランスは、グリーンピースに日本のプルトニウム運送船「あかつき丸」が出港するシェルブール港及びフランスの 200 海里内での妨害行動を自粛するよう求めた。 グリーンピースは、これを受け、積極的な反対行動はデモにとどめるとしたが、たまたまデモの船舶がフランス海軍と接触事故を起こした時、これを深く追求しないでおいたのである。

12. フランス海軍の護送がフランスの領海内で終了した後、「あかつき丸」は、国際協定に基づき そのルートを発表せずに運航した。 これがグリーンピースの格好の抗議材料となって、世界のメディアに連日グリーンピースのチャーター船より「あかつき丸」情報が通報され日本到着まで、世界の非難を浴びたのは、周知の事実である。

以上を考慮すれば、フランスの「サンクチュアリー」提案に関する奇妙な行動と、グリーンピースがこの提案に懸命な支援を送る理由が判明するであろう。 ノーフォーク島での会議にも、本来ならば NGO が来ない筈の南海の孤島にグリーンピースのボスのマクタガットを筆頭に日本のグリーンピースからの舟橋嬢をふくむ数十名の反捕鯨団体メンバーが来ていて会議の進行を注目、メディアに一方的な情報を流すというグリーンピース独特の作戦に出た。 ノーフォーク会議に先立つ週には、シドニーで、IFAW、WWF と共にグリーンピースが反捕鯨のサンクチュアリー促進大会を開催、席上、オーストラリアのブリッジウォーター IWC 主席代表が、NGO よりの質問に答え、「日本では 40 年もの長期政権の交代があったので、新政権は、より環境保護指向であり捕鯨政策の転換もあり得ると思う。」との発言をおこなった。 これに対して、IFAW より日本の議員などへのアプローチを積極化するとの意図を表明している。 これが、先般ワシントンで開催された GLOBE 会議での Brian Davies IFAW 代表の来日予定につながっていることが察せられる。

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