(日本鯨類研究所 1995年発行「捕鯨と科学」より)
長崎 福三
鯨は従来全くの野放しで利用されてきたわけではない。
1930年代後半から国際捕鯨協定が作られ、戦後はいち早く国際捕鯨取締条約に
基づく国際捕鯨委員会(IWC)が組織された。
そして委員会では毎年のように保存措置が論じられてきたが、結果としては
鯨の保存と長期的利用の確立に失敗したことになる。
失敗の原因はいくつかある。
しかし最大の原因は戦後南氷洋の捕鯨が隆盛を誇った1950年代に、鯨についての
生物学的知識が極めて貧弱であったことである。
鯨の資源評価ができていないのに、捕鯨は急速に拡大した。
一般の漁業の場合もこのような例は多く、資源量の推定ができる頃には漁獲量は
既に適正水準をはるかに越して、過剰利用の状態を呈しているということは
希ではない。
そのうえ、鯨は魚に比較してはるかに減り易く、増えにくい動物である。
鯨の寿命は種類によって異なるが、一般に長い。
シロナガスでは最長寿命が120年、マッコウで70年と、ともに人間の平均寿命を
上廻っている。
寿命が長いということは自然死亡率が小さいことを意味し、多数の年令層を
含むことになるので、一般に漁獲の影響が現れ易い。
鯨は大体生後10年位になると性的成熟に達し、子を産むことになるが、妊娠期間が
長くヒゲクジラで11ケ月、マッコウで16ケ月を要する。
1回の出産は人間同様 1 頭であり、哺乳期間は 6ケ月から 2年に及ぶ。
つまり、ナガス、シロナガスでは成熟した雄が 2年に 1頭、マッコウでは 4 〜 5年に
1頭ということになる。
従って成熟雌を間引けば、生まれてくる仔獣の数に直接反映してくる。
南氷洋のシロナガスの場合、初期の資源量は 18 〜 20万頭と推定され、12万頭
程度の水準で回復力が最大になり、その段階での年間捕獲可能数は約 4,000頭と
見積もられる。
しかし実際の捕獲頭数は 1930年代で既に 15,000頭を越え、戦後も年間 5,000頭を
はるかに越していた。
戦時中の一時期を除けば明らかに過剰捕獲が長年にわたって続いたことになる。
ナガスクジラは初期資源量 40万頭、最大の年余剰を産む資源水準は約 23万頭で、
この際の持続的生産頭数は約 8,000頭であるのに対し、1950年代から60年代初めに
かけて、年間 20,000頭を越す鯨が捕獲されていた。
戦後の十数年間、いかに南氷洋の鯨が過酷な捕獲にさらされていたか理解できよう。
鯨が減少し易い動物であるにもかかわらず、第二次大戦後、捕鯨活動の活発化した
時代に、IWCが有効な管理措置を講ずることができなかったのは、先に述べたように
鯨に関する生物学的情報が極めて貧弱であったためではあるが、管理方法として
IWCが総捕獲枠制(BWU制)に依存していたことも原因の一つであった。
もっとも BWU制は設定当初は鯨油の生産調整が目的であり、資源保存を目的とした
ものではなかった。
本来、資源管理のための頭数制限は種別に設けられるべきことは言うまでもない。
しかも、その BWUは 1946/47年漁期から 1962/63年漁期まで殆ど変わらず、
16,000から 14,500の範囲にあり、資源の減少に対応する措置は
とられて来なかった。
1960年のIWC会議において、3名の非捕鯨国からの科学者の協議グループ、つまり
三人委員会が行った資源分析によると、シロナガスについては、資源量が回復した
時に期待される最大持続生産を 6,000頭と推定したのに対し、1962/63年漁期の
持続総生産頭数はわずかに 200頭以下で計算された。
そして資源を回復させるには捕獲を禁止しても 50年以上を要するという。
ザトウクジラは最大持続生産が 1,000頭以下であるのに対し、この時点での
持続生産は 100頭、これも回復までに 50年を要する。
ナガスクジラは最大持続生産が 20,000頭に対し、当時の持続生産は 7,000頭以下、
そして1961/62年漁期でのナガスの捕獲数は 28,000頭であったから、捕獲はまさに
過酷であった。
IWCで最初に捕鯨のモラトリアムが問題になったのは、ストックホルムでの
第1回国連人間環境会議の決議が伝達された1972年の委員会であった。
10年間のモラトリアムという要求勧告を受けて、IWCの科学小委員会は
モラトリアムに対し、明らかに反対の見解を示し、もしモラトリアムを行えば、
「本来研究活動を実質的に増大させねばならないのに、調査はおそらく低減する
結果になる」と悲観的であった。
1973年にも科学小委員会はモラトリアムに科学的正当性はないと述べている。
1974年の年次会議でもアメリカは向こう10年間のモラトリアムを提案した。
これを受けてオーストラリアは修正案を提示した。
これが新管理方式(NMP)である。
この方式は 1975年から実際に導入され始め、その結果1974/75年の割当が
1,000頭であった南氷洋のナガスクジラは 75/76年漁期には 220頭に削減され、
76/77年には保護資源と認定され、割当量はゼロになった。
また、南氷洋のイワシクジラも 75年以降急に割当量は減少し、78年には
保護資源となった。
マッコウクジラも 76年から徐々に割当数は減少したが、元来南氷洋においての捕獲は
多くはなかった。
一方、北太平洋ではナガスは 75年以降、イワシクジラも同じ年から保護資源に
なっている。
NMPは効果を発揮したと見てよい。
第34回年次会議(1982)の科学小委員会が本会議に先だちケンブリッジで
行われた。
ここでは小型クジラを含む数多くの鯨種ストックが論議されたが、最も時間と努力を
費やしたのは南氷洋ミンクと北西太平洋マッコウクジラの資源評価であった。
この結果、南氷洋におけるミンククジラの推定総数(捕獲対象になる大きさの
鯨のみ)を30万5千頭と算出した。
しかし、年々捕獲しうる頭数についての合意が得られず、かなり広い幅が提示される
結果になった。
北西太平洋のマッコウについても資源評価が合怠できず、一致した勧告をつくるに
至らなかった。
このことは、それぞれの鯨種及びストックに関するわれわれの知識は不充分であり、
したがって効果のある管理を実施することもできないので、捕鯨を見合わせるという
論旨につながっていく。
これを受けて、アメリカ、イギリス、オーストラリアは商業捕鯨の禁止案を
提示したが、結局はセイシェルの商業捕鯨のフェイズ・アウトという形の
モラトリアム案に集約された。
この間、1981年には新たにインドなど10カ国が、1982年にはモナコなど 5カ国が
IWCに新たに加盟している。
数の上では捕鯨国側は全くの少数派となり、このセイシェル案は採決された。
そして条約附表10項に以下の項目を新たに加えることとなった。
「この10の他の規制にもかかわらず、あらゆる資源に対する商業的目的のための鯨の
捕獲頭数は、1986年の鯨体処理場による捕鯨の解禁及び1985年から1986年の
母船による捕鯨の解禁期よりゼロにする。
この規定については、最良の科学的助言に基づく検討の下に置かれるものとし、
遅くとも1990年までに委員会がこの決定の、鯨資源に与える影響につき包括的評価を
行い、この規定の修正及び他の捕獲頭数設置を検討するものとする」。
つまり3年間の猶予期間をおいて次の年から商業捕鯨の捕獲枠をすべてゼロと
するものである。
1982年 IWCは商業捕鯨の一時的全面停止(モラトリアム)を採決した。
その理由は、われわれが持っている鯨類に関する科学的知識は不確実なものであり、
これらを基にして管理を行うことはできないとし、確実な情報が得られるまで、
すべての商業捕鯨を停止するというものであった。
そして既に述べた包括的評価を遅くとも1990年までに行うという附帯条件が付されて
いる。
つまり科学的に、最良の科学的助言に基づいて、この設置(モラトリアム)の
検討を行うということであり、捕鯨に関心を持ち続けている国々は、関心ある鯨種や
ストックについて、当然新しい調査に基づいた科学的情報を集めなければならない。
新しい情報が得られなければ知識の不確実性は改善できないし、包括的評価も
意味がない。
そうなれば附表第10項の目的は達せられない。
科学的情報が不確実である理由は、従来の鯨や捕鯨に関する情報は、殆どが
商業捕鯨の活動及びその捕獲物から得られたものであり、これらの情報はバイヤス
している。
偏りのあるデータからは信頼でさる情報は得られないということであった。
したがって確実性の高い情報をうるためには、商業性を全く排除した、科学的に
デザインされた調査によって、データを収集しなければならない。
日本が最も関心を持っている鯨は南氷洋におけるミンククジラであり、この鯨の
ストックに関する知識の不確実性を補填し、管理に必要な科学的情報を得るために、
南氷洋における鯨類調査計画を作成した。
NMPを実施する上で最も不可欠な知識は資源量の推定と、対象鯨種の自然死亡率の
判定であった。
ミンククジラについては大体の死亡率の推定値はあったが、科学小委員会の一部の
研究者は年令別死亡率が必要であると主張した。
このような状況の中で、日本は年令別の自然死亡率を推定することを目的とした
資源の代表的標本採集を一義的目標に置く調査を立案した。
またこれと並行して南氷洋における鯨を中心とした生態系の研究のための
情報収集も目標に加えた。
このような科学的研究のための鯨の捕獲許可発給の権利は、条約の第8条によって
締約国政府に与えられている。
日本政府は1987年の IWCに「南半球産ミンククジラ調査及び南極海生態系に関する
予備調査」計画を提出した。
これによると、2つの大きな調査目標が示されている。
第1は南半球ミンククジラ資源管理に必要な生物学的特性値の推定、第2は南極海の
海洋生態系の中で鯨が果たしている役割の研究である。
計画によれば IV区と V区を交互に隔年調査を繰返して標本を採集し、調査終了
までには16年間を要するとしている。
ミンククジラの採集標本数は年間 825頭と計算されたが、利用し得る調査船の数、
経費、及び技術者・科学者の数などを考慮し、最終的には300頭±10%という
水準を提示した。
この計画は長期にわたる本格的調査を意図しており、2、3年で情報を収集し
包括的評価に役立てるという主旨とはかけ離れている。
鯨類資源の特性値が短期的の調査で算出できる筈はないので、調査が長期にわたる
ことは当然であった。
この調査には調査海域内の鯨の目視による頭数推定と、発見された群れ又は
個体から系統的抽出を行って標本を採集し、群れの性及び年齢組織などを調べる
部分が含まれている。
この双方の情報を組み合わせることによって調査海域中の群れの年齢組成を
推定しようとするものである。
標本採集のため標本船は予め定められたトラック・ライン上を走り、鯨群に遭った
場合、所定の方法で標本を採集する。
ここで常に議論になる問題がある。
一部の人びとは調査のために、なぜ鯨を採捕しなければならないかということで
ある。
非致死的調査で充分ではないかという意見である。
鯨の場合、その資源量を推定するには組織的な方法による目視調査が最も有効
である。
このためには鯨を殺す必要はない。
しかし科学者が知ろうとしていることは、資源量だけではない。
その資源の性・年齢組成がその資源の動向を知るのに決定的に重要であることは
人間の人口動態解析と同じである。
資源量が同じ水準であっても、その組成いかんによっては資源が減少する場合と
増加する場合又は同じ水準に安定する場合とさまざまである。
このことを知らなければ妥当な管理は行えない。
性・年齢の組成を知るためには、今の技術ではどうしても標本採集による解析に
頼る以外に方法はない。
一連の日本の調査が発足した頃、IWCの科学小委員会は新しい考え方による鯨の
管理方式(RMP)を開発し、その検討をおこなってきた。
RMPでは従来の新管理方式とは異なり、必ずしも資源の各種の特性値を必要とせず、
ある時点での資源量と過去の捕獲頭数の情報があれば、利用しながら、安全な管理が
実現できるというものである。
この方式を採用すれば自然死亡率や、妊娠率などの知識は不必要であるから、
日本の南氷洋調査は必要ないという意見もある。
しかし、RMPを導入するにしても、資源の再生産性を知った上で、捕獲頭数を
設定した方が管理の効率が良いことは明らかである。
RMPを運用する場合、定期的に資源量をモニターする調査が必要である。
この調査の精度、信頼度こそ RMP の実施に最も重要な基本になる。
資源量は、今もそうであるように、将来にわたっても目視による推定によって
得られる。
しかし資源が将来どのような動きをするかは、その資源の性・年齢組成・妊娠率に
よって決まってくる。
RMPの実施と並行して、現在日本が行っているような調査は継続されなければ
ならないと思う。
過去 5カ年の調査結果は、その都度取りまとめ科学小委員会に報告されている。
年齢組成の結果を見ると IV区では若齢群が多く、年齢とともに漸減していく組成が
得られているが、V区では年により中間の年齢層にピークが出るような組成を示す
ことがある。
このあたりの組成に見られる変化は群の移動と関連していると見られ、継続した
資料の収集が必要である。
従来の調査から得られた他の重要な情報の一つに、時期及び位置(特に
パックアイスとの関連で)によって雄雌・成熟/未成熟鯨の分布に明らかな
棲み分け現象が見られる。
この種の棲み分け状況の知識も鯨の分布・生態を知る上で鍵になる情報である。
南氷洋鯨類調査によって、数多くの生物学的情報が、体系的に採集されるように
なった。
調査は広汎そして細部にわたるが、主要な調査課題は、既に述べた2点に
要約される。
第1は年齢別(又は年齢群別)自然死亡率の推定、第2は南氷洋における
鯨を中心とする生態系の研究である。
この計画が最初に作成され、調査が開始された段階では、信頼できる M の推定は
管理上不可欠であった。
それが年齢別のものであれ、年齢群別のものであれ、科学者が合恵できる M の判定が
必要であった。
しかしその後、RMPの開発が進み、これを特定の鯨資源に適用することが IWC、
科学小委員会で合意された時点からは、年齢別又は年齢群別の M の推定は
管理上不可欠であるという条件はなくなってしまった。
RMPの実施にはいくつかの問題がある。第1は管理対象とするストックを正確に
規定できないために、場合によっては、過大な安全性を管理の中にとり入れるため、
可能捕獲数は大幅に減少することになる。
管理の安全性を強調するためには、まずストックの規定を明確にすることが必要で
ある。
第2はRMPを実施するには、その都度ストックの動向を知る必要があり、そのために
適当な時期にストックの大ささをモニターしなければならない。
このモニターの結果に基づいて、新たに捕獲数を決定するという段取りになる。
モニターがしばしば行なわれ、その結果が正確であればあるほど、RMPの実施は
安全性を持ち、効率的でもある。
RMPの実施の鍵はモニターの正確さにかかっている。
鯨資源のモニターは、目視調査である。
鯨群の移動・分布は毎年固定しているわけではない。
既に今までの調査で経験しているように、年によって、その主群の分布は変わる
ことがしばしばある。
したがって目視調査だけの結果では大きく変動する可能性がある。
目視結果をストックの大きさに照らして正しく評価するには、漁場に入ってきた
群の性・年齢組成のデータが必要である。
ミンククジラのように、その分布に、性又は年齢による棲み分けが明瞭の場合、
群の組成は重要な資料になる。
このような意味で RMPの実施には目視調査とともに、標本調査による群の組成調査が
必要である。
また、年齢組成の正確な情報が継続的にとられていれば、既に述べた Mの推定も
可能である。
また組成のデータはストックの判定にも重要な情報を与える。
現在日本が行なってい IV 及び V 区の標本調査では、DNAに基づくストック判定の
研究が進んでおり、新しい情報が集積されている。
IV区では年齢組成が若齢獣から年をとるにしたがって漸次減少する曲線を
描いているので、一つのストックと見なす根拠の一つになるが、一方 V 区では
組成の曲線が中高の形を示し、若齢獣が欠落している。
つまりあるストックを全体的に含んでいないことになる。
この海域に入っている群は、より広い分布を持つストックの一部に過ぎないと考える
可能性がでてきた。
もし、そうなら標本採集区として V 区の範囲を拡げることを検討しなければ
ならない。
このような情報は年齢組成の結果から得られる。
南氷洋における鯨群の種別組成は、かつての大規模な捕獲の結果、大幅に
変化したことが知られている。
一部の科学者はミンククジラが他の大型鯨(特にシロナガス・ナガスクジラ)
などのnicheを占めてしまった可能性を示唆している。
このような生態系の変化を探知するために、まず鯨類の種別資源量から研究を
進めることは極めて有効である。
そのためには全鯨種を含めた鯨の種別資源量のデータを日視調査によって蓄積する
必要がある。
これは短期間でできることではなく、長期に及ぶ一定の調査が必要である。
このためにも IDCR 型の目視と共に標本調査船による目視結果は重要な資料と
なる。
_
日本鯨類研究所 理事長
I モラトリアムヘの経緯
II 南氷洋での日本の鯨類調査
III 南氷洋鯨類調査のこれから
1. 自然死亡率の推定(M)
2. 南氷洋における生態系のモニターについて