(「農林経済」1998年8月6、10日より)
米澤 邦男
その典型が、1月20日付けニューヨーク・タイムズ紙の論説「海における無意味な殺りく(Senseless Killing in the Seas)」であり、漁業による乱獲や混獲魚の投棄を非情かつ馬鹿げた殺りくと猛烈に非難し、特に大西洋カジキ類の乱獲を阻止するため、国連で、公海における延縄漁業の全面禁止決議を採択すべきであると訴えている。
また、同日付の同紙には、この論説に合わせ、戦闘的な動物権運動団体である自然資源防衛会議(NRDC)の漫画入り意見広告 —— メカジキをやめて、パスタを食べよう —— も掲載された。
反漁業キャンペーンは、もちろん、NYタイムズだけに限らない。
外電によるニュース配信だけを取り上げても、1月8日付けワシントン発AP電が2本、「科学者、海洋資源保護のために立ち上がる」「海洋野生生物キャンペーン、乱獲を非難」が同時掲載された。
海洋野生生物キャンペーン(Ocean Wildlife Campaign)というのは、上記NRDCを含め、世界自然保護基金(WWF)、オードュボン協会などの巨大環境保護団体と米国の遊漁者団体が、反漁業キャンペーンのためにつくった連合組織(在ワシントン)である。
さて、同じAP電は、上記配信から4日おいた1月12日、今度は発信地をロンドンに変えて「WWFフィリップ総裁、乱獲の即時停止を求める」と報じ、欧米の各紙やわが国の英字紙の紙面を飾った。
ワシントン、ロンドンを基点とする乱獲非難は、さらに継続的、かつ、組織的に繰り返される。
米国の週刊誌ニューズ・デイは、3月2日号に、ロバート・クックによる「世界の海洋資源、漁業により、ほとんど獲りつくされる(fished out)」とする論説を掲載し、彼は「世界の海に広大な聖域(サンクチュアリ)をつくらない限り、海は間もなくプランクトンだけの『がらくた置き場(junkyard)』になる」と警告している。
NYタイムズの反漁業キャンペーンは、3月に入って、その趣向を変える。
3月20日(ジャパン・タイムズ紙上に転載された日付)に登場したオードュボン協会カール・サフィーナの新著『青い海のための歌(Song for the Blue Ocean)』の詳しい紹介と書評である。
評者はサーストン・クラーク、これにつけたNYタイムズの見出しは「魚を愛する著者、凶悪漢を釣る」。
中身は書評というより、それ自身論文というべき長さのもので、乱獲の実例と称するものをハイライトした後、彼は「こうした乱獲を防止するためには、魚に対する需要の減退を図るとともに、魚に対する大衆の認識をあらため、彼らを人類の仲間である野生動物の一員として遇するという新しい倫理観を確立しなければならない」とするサフィーナの結論を称揚している。
サフィーナの支持者には、米国の遊漁者団体があり、彼自身も大物釣りの愛好家であるが、長時間、鉤にかけたマグロやカジキと格闘することを楽しむという趣味と彼の新倫理観をどう調和させるのか、筆者には疑問に思える。
NYタイムズの上記論説と、NRDCの意見広告が同時掲載された事実からも明らかなように、こうして今日なお継続的に繰り返される乱獲非難が、巨大環境保護団体のオーケストレーションによるものであることは、マスコミ報道の中からもすぐに読み取れるが、彼らが手を替え品を替えて乱獲非難を繰り返し、これに反論する情報もまともにマスコミにのらないとなれば、一般大衆、特に魚を有力な蛋白供給源や経済資源と考える伝統、習慣、さらにその必要性を持たず、したがって、漁業資源の実態につき初歩的知識をも持たない米、英、豪、ニュージーランド(最も環境保護団体の影響が強い国々である)などの一般大衆は、すぐにもこういう宣伝を信じ込み、漁業を貪欲の象徴諸、悪の根源と断ずることになりかねない。
しかし、後で検証するように、彼らの主張の多くに真実はなく、また、さらに、キャンペーンの目的が海洋資源の最適利用にないことは、既に明らかである。
例えば、上記NRDCなどの戦闘的動物保護団体は、キャンペーンの目的を「海の中に自然の捕食・非捕食関係を回復すること」、つまり、人による利用を極力排することだとしているし、上述の「カジキをやめて、パスタを食べよう」キャンペーン、さらに、WWF、オードュボンなどが反漁業キャンペーンのために組織した連合体が、わざわざ海洋野生生物キャンペーンと名乗ったこと、また、さらに、同キャンペーンのリーダーの一人、カール・サフィーナが、上述のとおり「魚を食料資源と考えることが、そもそもの誤りだ」と断言したことからみても、彼らの基本的スタンスが反利用の立場にあることは明らかである。
また、そのような反利用だからこそ、世界の漁業資源は、既に潰滅したとするようなデマゴーグに訴えてまで、漁業者への憎悪と既存漁業資源保存機関とそれを支える生物資源学者への不信を煽り立てる必要が生ずるのである。
また、これらの団体は、WWFやグリーンピースを含め、いずれも海産哺乳動物(鯨、アザラシ等)不可触主義の立場をとる。
不可触主義は、海洋生物資源全体の反利用説に立ってのみ、彼らの自然観として一貫性を維持できるのであって、その意味で彼らの漁業嫌悪は必然性を持つのである。
ただし、海産哺乳動物不可触主義(反利用、反管理)に合理性はない。
海洋生態系の頂点に立つ海産哺乳動物の不可触主義と生態系の安定が両立し得ないことは、常識というものであるが、目下解決が急務である現実問題としても、欧州で最も権威ある海洋生物資源研究機関であるICES(在コペンハーゲン)や北西大西洋漁業国際委員会(NAFO)などの研究者は、欧米諸水域における漁業資源の衰退、例えば、カナダ沖のタラ資源の衰退と、これが長年にわたる禁漁にもかかわらず容易に回復しないという現実と近年における海産哺乳動物の急増とは無関係ではあり得ないとしている。
世界で海産哺乳動物の魚の捕食量は、漁業の捕獲量の数十倍から百倍を優に超えると推定されるが、巨大環境保護組織の漁業非難は、こうした現実に対する彼らのジレンマのスモーク・スクリーンの役割を果たしている。
さて、こうした組織的な反漁業キャンペーンに対し、既に国連食料農業機関(FAO)や各種の海洋生物資源研究機関から具体的な反論がなされているが、これらがマスコミの紙面を飾ることは、めったにない。
そこで、本稿では、以下に、これらの研究機関の見解に従って、巨大環境保護組織の主張につき、具体的な反論を加えることにするが、その前に彼らの指導者カール・サフィーナにつき、触れなければならない。
筆者にとって、忘れがたい思い出があるからである。
彼が、国際ジャーナリズムに華々しく登場したのは、1992年の第8回CITES締約国京都会議(CITES:絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約、通称ワシントン条約)を前にした1991年であり、北西大西洋クロマグロ絶滅危険種指定提案の仕掛け人としてである。
既に紹介したように、彼自身大物釣りの愛好家であり、彼が指導者である野生生物キャンペーンには、米国遊漁者団体も加盟しているが、その彼が91年、突如として、この資源が乱獲により、絶滅危険水準まで低下したと主張、派手な宣伝をマスコミ紙上展開し、それを背景に、米国政府に対し、京都会議において、同種を絶滅危険種に指定すべきだと提案するよう強く求めた。
クロマグロを絶滅の危険から救うためには、これを絶滅危険種に指定し、国際取引と公海で漁獲したものの国内持ち込みを禁止する以外に方法はないと主張したのである。
彼はまた、乱獲の主原因を日本の刺し身市場の高値に帰し、これも提案の主たる理由の一つとした。
北西大西洋での漁獲(尾数)の中、日本市場に向けられる量が、十数%程度であったことは、識者の常識であり、彼がその事実を知らなかったとは考えにくい。
日本市場非難は、明らかに当時米国に色濃くあった日本バッシングの風潮にも便乗したものであったろう。
では彼の提案が、いかにして京都に持ち込まれ、京都でどうなったか、ここで振り返ってみよう。
91年から92年にかけ、彼が仕掛けたキャンペーンは、WWF、グリーンピース、オードュボンなど巨大環境保護団体のほとんどを巻きこんだ一大コーラスとなり、わが国を含め、各国のマスコミに広くキャリーされ(いつもそうだが)、世論に大きなインパクトを与えた。
特に、この種の問題で常に尖鋭な立場をとる米、英などには、国会の一部や政府環境部局内に提案支持の具体的動きもあったが、92年に入って、政府担当部局の科学者が一致して、提案に科学的根拠なしと断定したため、両国とも政府部内では、そうした動きは急速に勢いを失った。
CITESや国際捕鯨委員会(IWC)などの国際会議では、これらの国は世論を理由に、科学的根拠を欠く政治的提案をしばしば支持するが、この提案には、自国の漁業者の利益が直接絡むだけに訴訟の可能性もあり、さすがに、あまり政治的に動くというわけにもいかなかったのであろう。
しかし、もちろんサフィーナは諦めない。
これまでのCITES会議が、巨大国際保護団体の強い影響力の下にあり、また、この問題の真の利害関係国が数カ国にすぎないため、提案国さえ見つけ得れば、成立のチャンスは十分あるとみたからである。
CITES会議は科学委員会といった下部組織がなく、議事はすべて本会議場での雄弁(参加NGOも発言を許される)とロビー工作による票まとめにより決定される。
CITESのこれまでの歴史を見ても、成立のチャンスはあるはずであるとみた彼の判断には十分な現実的根拠があり、また、こうした場合、提案国の獲得にも、巨大環境保護団体は、かつて不自由をしたことはなかった。
サフィーナは早速WWFの助力を求め、スウェーデン政府に持ちかける。
同政府の環境部局とWWFの間には人事交流もあって、その関係は密接であり、また、この問題に具体的利益も持たない。
また、環境保護に熱心な国として、人気もまずまずであり、この種の国際会議での目立ちたがり屋でもある。
WWFからの要請さえあれば、必ず提案を引き受けるとみたサフィーナらの思惑は、果たして的中し、スウェーデンはこの提案を引き受け、クロマグロは京都会議における最大焦点の一つとなって、マスコミの脚光を浴びることとなった。
緒戦の勝利に気を良くしたサフィーナらは、大挙して京都に乗り込み、早速、大規模なPRと派手なロビー工作を展開することになるが、その後の会議の流れは、彼らの期待を全く裏切った。
その原因はもちろん、大西洋マグロ類保存国際委員会(ICCAT:日、米、加、EUなどが加盟する条約組織)の関係学者を中心とする地道な説得工作により、この水域のクロマグロ資源が、彼らの主張するような低い水準になく、また、資源は増加しつつあることにつき、各国の理解が得られたことにあろうが、もちろん、それだけでは、不十分である。
CITESの立場でこれまで繰り返されてきた政治的決定(鯨、南部アフリカ象、キューバのタイマイ)についても、会議の大勢が科学的知見に無知であったわけではなかったからである。
明らかに彼らの今回の挫折の原因には新しい風の流れがあった。
これまで会議を思うままに牛耳ってきた彼らと彼らの強い影響下にある特定国に対する大勢の不信感と反発である。
そして、それを象徴したのが、国連環境計画事務局長トルバ博士による冒頭演説であった。
この会議後間もなく、任期満了により事務局長の職を去る彼にとって、この演説は任期を締めくくる総括であり、その思いをこめての「白鳥の歌」であったが、彼はこう切り出して、満場を粛然とさせた。
「これまで、CITES会議は常にラージ・アンド・パワフルな声に圧倒され、支配されてきた。
その結果、絶滅種を救うべきCITESが、自らの上に絶滅の危機を招いた。
面白くも何ともない皮肉である」。
彼のこの発言は、主として、南部アフリカ象問題を念頭に置いたものであったろうが、彼の声に代表される新しい流れは、クロマグロ問題でも、スウェーデン政府を確実に孤立させた。
サフィーナを先頭に、WWF、グリーンピースなど巨大環境保護団体は必死の巻き返し工作を展開したが、孤立の壁は破れず、スウェーデン政府は会期末に至ってついに提案の撤回に追い込まれた。
この敗北は、巨大環境保護団体組織の初めての挫折であり、その後のCITES会議における象、鯨などの討議にも明らかな通り、その後の歴史は、ゆるやかながら、中道に向け、大きく転回しはじめた。
彼らが、反利用の立場に立つ限り、この流れは必然であったが、転回は遅きに過ぎ、多くの不必要な血が流された後であった。
さて、以上が本件の顛末であるが、サフィーナらの主張には、さらに醜い側面が隠されていた。
第一に、北西大西洋クロマグロの主たる漁獲者が、遊漁者であったとする事実である。
京都会議の際、利用できた最新の公式統計は、90年の漁獲統計であるが、これによると、米加の沖合を含む北西大西洋におけるクロマグロの漁獲尾数の70%は、遊漁者が漁獲し、残余の30%を、日米加の漁業者が均等にシェアした。
にもかかわらず、「乱獲」の主たる原因を、彼は漁業者に転嫁したのである。
第二に、CITESにおける絶滅危険種指定は、遊漁者に実質的な影響を与えないという事実である。
上述の通り、CITESの禁止は、当該漁獲物の貿易と公海からの持ち込みだけであり、距岸200カイリ(370キロ)を超えて公海まで出漁することが、ほとんどない遊漁者にとり、何らの障害にもならない。
他方、漁業者、特に国内に市場をほとんど持たないカナダと全量を日本に持ちかえる日本の漁業者の操業は、事実上禁止される。
彼の提案はまさに罪人による罪なきものの処罰を企図したものであった。
第三の罪は、なお許しがたい。
遊漁者による漁獲の急増である。
漁業者による漁獲が、それまで強く制限、削減されてきたのに対し、遊漁者の漁獲は、83年の11,600尾から、90年の29,000尾まで、1.8倍に増大し、ついに90年には全体の漁獲量の70%をも占めるに至った。
漁業者の場合と異なり、遊漁者に漁獲報告の義務はない。
したがって、上記の尾数は、政府によるサンプリング調査による推定ということになるが、それにしても、遊漁者団体の幹部でもあるサフィーナが、遊漁者による漁獲の急増という事実を知らなかったはずはない。
この急増こそ、彼とその仲間が、そもそも、この資源が絶滅の危機にあるなどということを信じていなかったことを示す証拠であろう。
CITES京都会議終了の翌々年、ハーバース誌6月号の紙上で、サフィーナはその本音を「クロマグロ提案は、鯨に代わる環境保護運動のシンボル探しの一環として提案した。
サメも考えたが、ジョーズの印象が悪いので、クロマグロを選んだ。
CITES会議では敗れたが、クロマグロは今や政治的存在に昇格し、所期の目的を達した」と要約している。
中世、もっとも神を信じなかったのはローマ法皇であったという説があるが、彼の信者の中で自説をもっとも信じなかった男が、サフィーナであったことは、間違いない。
科学的にみて、そもそも標記のような設問は、成立し得ない。
資源学的にみた場合、特定の漁法の使用の全面禁止、特に、他の漁法による漁獲の存在を前提とする場合、これを正当化すべき科学的理由は存在しない。
ある漁法を全面禁止しなければ、その資源が枯渇すると主張するには、その資源が既に絶滅寸前であることを証明する必要がある。
まして他の漁法が併存、その漁獲量が全面禁漁を求める漁法より多ければ、他漁法の乱獲是正が先決だろう。
しかし、巨大環境保護団体と米国遊漁者団体は、公海における延縄の全面禁止が、必要不可欠だと主張する。
そして、彼らの意見を代表する形で、前掲NYタイムズの論説は「未成熟魚や保護を必要とするクロマグロやカジキ類を捕獲する」ので、国連総会に対し、米国は公海における延縄の使用禁止決議を提案すべきであると建議し、既に95年(92年の誤りであろう)の公海流し網使用禁止決議という見習うべき前例があると主張する。
だが、NYタイムズ紙の主張に合理的な根拠はない。
北西大西洋のクロマグロの実情については既に考察した通りであるが、カジキ類についても、事実はさして変わるところはない。
未成熟魚の漁獲というが、未成熟魚の主たる成育地は沿岸であることを考えれば、遊漁者団体や環境保護団体の責めるべきは、自らであって、少なくとも、沖合はるか遠くの公海で操業する延縄漁船ではあるまい。
また既に、メカジキ以外のカジキ類については、漁業者による漁獲が一切禁止されているが、遊漁者には、特別の漁獲規制もなく、漁獲量報告義務もない。
そのため、米国政府による推定遊漁者漁獲量は、実際の漁獲量に較べ過少であるが、どの程度過少であるかは判らないという。
(ICCATへの米国の公式報告<97>による)遊漁者の漁獲対象は、メカジキ(swordfish)以外のカジキ類(billfishesと総称される)であり、メカジキは、よほどのことがないと漁獲できない。しかも、ICCATの上記報告(75)はメカジキに較べ、その他のカジキ類の資源水準は著しく低いと警告している。
ここまで事実が揃えば、遊漁者の漁獲を野放しにしつつ、延縄の禁止を声高に訴える彼らの真の意図がどこにあるのか、誰の目にも明らかである。
NYタイムズ紙の所説の中、特に悪質なのが、延縄禁止を国連決議により実現せよという主張である。
この水域のマグロ類とカジキ類の資源保存と漁業規制のためには、既述した通り、ICCATという条約機構があり、ここで毎年、日、米、加、EUなどの専門家による資源のレビューが行われ、それに基づき、漁獲量制限、漁具制限、未成熟魚の保護など必要な規制措置が決定されている。
NYタイムズ紙の論説は、ここでの営為を無視し、延縄の公海における使用の禁止を、国連総会に提案し、何ら専門的知識を持たない外交官の集まりの中で、事の決着を図るべきであるというのである。
問題は、北西大西洋に限らないからという口実を用意するのであろうが、他水域をも巻き添えにして、ICCAT水域に、延縄禁止を押しつけようとする点で、なお悪質である。
ICCATが採択する規制措置と異なり、彼らが提案する国連総会決議に法的拘束力はないが、米国は決議に従わない国に対し、当該産品のみならず、水産物全般に及ぶ輸入禁止措置を講ずるための法律(ペリー修正法)を持つ。
法律の実際の適用は、既にWTOにおいて、WTO条約違反とする判断が示されており、制裁発動の可能性は低いが、そうであっても巨大環境保護団体が、当該漁業の継続を許す国に対する憎悪キャンペーンを展開し、さらに、水産物のみならず、当該国からのすべての輸入品のボイコット運動を推し進めるには十分であろう(米国やカナダ、メキシコなどにも延縄漁業が存在するが、少なくとも、憎悪キャンペーンには十分である)。
また、NYタイムズは、国連決議には前例があるとし、公海における流し網の使用禁止決議に言及する。
しかし、禁止に十分な科学的根拠なしとする科学者の勧告を無視し、さらには、FAOなど専門科学機関での審議を拒否し、米、ニュージーランド両政府と両国の特定漁業、これと結んだ巨大環境団体が猛烈な宣伝、ロビー工作により、短い総会決議期間中に一挙に成立させた決議が、公平にみて良き前例であるはずがない。
既に、この公海流し網漁禁止決議については、筆者やワシントン大学バーク教授(国際法)、マイルズ教授(生物資源学)などによる詳しい分析が公刊されているが、この提案の背後に公海漁業の抹殺を狙うグリーンピースなど巨大環境保護団体があったこと(グリーンピースなどは、会場周辺で猛烈な宣伝を行った
)、また、両国が自国の主張に不利な科学的データを隠したことなどは、歴史上の汚点として今日に残っている(科学的データ隠しについては、バーク、マイルズ両教授の詳細な報告がある)。
もっとも、この決議の裏にある詭計を知るのには、詳細な事実分析はいらない。
90年、92年の2度にわたり、国連が採択した流し網禁止決議の文面と比較すれば、それだけで十分である。
両決議は、前者にあった但し書きの有無を除けば、ほぼ同文であり、その意味で92年決議の目的が、この但し書きの削除であったことは、明白である。
90年決議の但し書きは、科学的根拠に基づき、禁止の必要がないと証明された場合は、禁止の対象から除外すると明記していたが、92年決議は、これを削除、いかなる場合にあっても、公海における使用は禁止するとしたのである。
決議の意図が、公海漁業の抹殺にあることは疑いない。
また、かつてのわが国のアカイカ公海漁業の規模を上回る流し網漁業が、当時欧米などで広く行われていたことを考えれば、この決議は、単に科学的利用のみでなく、公平の点から見ても、著しく不正義な決議であった。
グリーンピースやWWFなど、巨大環境保護団体やその立場を支持するマスコミなどが、なぜ誇張と曲解にみちた乱獲説を唱え、漁業者への憎悪と既存資源管理機関への不信を煽るのか。
その動機は、反利用にあるとする筆者の見解は、既に述べた通りであるが、ここではさらに一歩進めて、彼らの「世紀末的乱獲説」とその根拠に正面から対決することとする。
彼らによると、既に、世界の漁業資源の3分の2は枯渇状態にあり、しかも、その低下は、加速度的に進行中であるという。
NYタイムズの前掲の論説では、少し遠慮して「一説によると」と但し書きをつけているが、それに続けて「したがって、3分の2に相当する資源は、減少しつつあるか、いずれ減少する」と、一刀両断する。
「したがって」というが、両者に論理的な因果関係はなく、後段は書き手の思い込みにすぎない。
巨大環境保護団体の発行するパンフレットは、さすがにそこまで幼稚な書き方をしないが、世界の漁業資源の3分の2は枯渇状態にあり、その原因は工船トロール、延縄、等々の大規模漁業の貪欲によるとする結論と論理構成は同じであり、既成漁業管理機関や生物資源学者の努力や成果を否定する点でも、軌を一にする。
NYタイムズの所説の根拠が、後者にある以上、両者の一致は当然である。
巨大資源保護団体は、しかも、その結論の出所を、FAOの公式見解としたため、世界のマスコミなどにも、広く信じられ、国際法学会など漁業との関連が比較的薄い集まりで、筆者もこうした説を頭から信じて譲らない”石頭”(大部分は、欧米、インドなど巨大環境保護団体の勢力の強い国の人たちだが)に出会った経験を持つ。
しかし、この説、真っ赤な嘘である。
彼らの主張の影響力の大きさに仰天したFAO自身が、今年6月3〜6日、ブレーメンで開催された会議でそのような事実はなく、逆に世界の漁業資源の4分の3は、健全な状態か、十分利用されない状態にあると公式に声明しているのであるから、事の真偽は既に明らかである。
しかし、筆者はこの問題をもう一歩踏み込んでみたい。
巨大環境団体の側に、誤解でない故意と他意があると思うからである。
彼らとFAOの間に典拠についての争いはない。
典拠はFAOによる「世界の漁業と養殖の現状(The State of Fisheries and Aquaculture)」(1995)であり、争点は、その8ページの記述にある。
では、問題の個所を具体的に紹介しよう。
FAOは、資源状態の解析に必要な漁業・生物統計が利用できるものについて(つまり、現在、本格的に利用されている資源のすべてと考えてよいが)、資源水準の評価を行い、その水準により、次のような分類を行っている。
(1)過度に漁獲されているもの(overexploited)16%
(2)過度の漁獲の結果、極めて低い水準にあるもの(depleted)6%
(3)過去の過剰漁獲が是正され、現在、資源状態が回復中のもの(Recovery from overfishing)3%
以上の分類用語に誤解の余地はない。
上記3種のカテゴリーに属する25%の資源が適正水準以下にあり、そのうち、6%だけが憂慮すべき低水準にあると、FAOは明示し、残余の75%の資源は最適水準かその近傍にあるが、十分に利用されていないとしているのである。
しかし、巨大環境保護団体は、同じ資料を用いて、世界の漁業資源の3分の2は、乱獲状態にあると主張し、その上に立って、トロールや延縄など彼らが大規模漁業と称するものの即時停止を求めている。
では、その主張のトリックはどこにあるか。
答えは簡単である。
上記FAOの報告書は、前記3カテゴリーのほか、2種類の分類を設けている。
第一は、利用が十分でないもの(underutilized): 31%。
第二は十分または強く利用されている資源(fully to heavily exploited): 44%である。
もう答えはお判りであろう。
巨大環境保護団体は、後者の資源を、fullyとか、heavilyという用語の通俗的語感を利用して、これを乱獲状態にあるとみなしたのである。
他の3種類の分類との比較で、そのような解釈が不可能であることを知ってのことに違いないが、かかる解釈は、8ページにFAOが付した脚注と両立し得ない。
8ページの脚注は「十分または強く利用されている資源」の定義であり、強くという表現が、学術用語として十分定着していないための配慮として設けられたものであろう。
脚注は、明解である。
早速紹介しよう。
「十分または強く利用されている資源とは、概ね最大持続的生産(MSY)を実現する水準にある資源である。
しかし、MSYを実現する資源水準とMSY量の大きさを特定する上で不確実性が伴うため、若干のものは、わずかながら(slightly)、これを下回る水準にあろう」
巨大環境保護団体は、FAOの分類とその趣旨、脚注を無視し、世界の資源の3分の2が、乱獲状態にあると強弁し、NYタイムズに至っては「したがって、これら十分に利用されている資源は、既に減少しつつあるか、いずれ減少する」といった支離滅裂な独断を読者に押しつけたのである。
しかし、問題の根はもう少し深い。
筆者はむしろ、FAOの分類の趣旨と脚注を十分承知の上で、彼らはFAOが最適水準もしくは、その近傍にあると分類した資源を、乱獲資源に編入し、3分の2乱獲説を主張したと考えるのである。
彼らは、これまで、しばしば「MSY水準を最適水準と定義し、これを資源管理の目的」とする現在の国際法上の慣行を、経済至上主義による誤った政策であると非難してきたが、その論法にしたがえば、MSY水準にある資源も、彼らの望む水準を下回ることになり、乱獲状態として位置づけることも可能となる。
後述するCITES(通称ワシントン条約)での新しい論争と考え合わせれば、その方が論旨一貫するというものである。
しかし、もしそうであれば、まず、そのことを明らかにし、自らの定義する最適資源水準の位置とその科学的根拠を明らかにすべきであろう。
それを怠って、単に自らの分類をFAO報告によるとし、あたかもこれをFAO見解とするような主張を流布することは、詐術というものであろう。
では、MSY理論は、経済の名において、資源の乱獲を正当化するためのものであるか。
答えはもちろん、否である。
近代資源管理科学は、一般にMSY水準を最適資源水準と定義し、この達成を資源管理の目的とする。
58年ジュネーブ国連海洋法条約、82年国連海洋法条約は、ともに、この慣行を慣習法とみなし、後者の61条は、資源保存措置の目的を、「当該資源をMSYを実現する水準に維持し、または、この水準に回復させること」と定義している。
MSY水準は、資源管理学の定義上、成熟魚の資源量の増加量が最大になる水準を意味するので、その意味で、最適密度にある水準ということになる。
そうした背景を知る識者にとっては乱獲を示唆する経済至上主義とする主張は、奇想天外というべきものであろう。
海洋生物資源の反利用・反管理運動の目下の焦点が、国際捕鯨委員会(IWC)とCITESにあることに、大方の異論はあるまい。
ただし、IWCでの科学論争は、既に決着がついた。
米、英、豪などの反利用国と巨大環境保護団体は、自らの選んだ科学者を、IWC科学委員会に大量に送り込み、その圧倒的大部分を占めた。
しかし、これらの科学者は一斉に政府の反科学的立場に叛旗を翻し、ついに91年、全会一致をもって、資源を安全に利用するための許容捕獲量の決定方式を採択し、資源量が頑健な(robust)状態にある南氷洋ミンク鯨などには、すぐにもこれが適用可能であるとの判断を示した。
以後、反利用国は科学論争を完全に断念し、票を頼みに、条約上の義務違反を承知の醜いサボタージュ作戦を続けている。
CITESにおける反利用派の支配も、90年代に入ってようやくかげりが見え、いくつかの変化が生まれた。
特に、これまでの絶滅危険種指定・解除手続きが、あまりにも恣意的であるとする持続的利用派の主張から、94年のフォートローダーデール締約国会議で新しい基準が生まれた。
この会議では同時に、絶滅危険種指定のためのこの基準をさらに改善するために、2002年までにその見直しを完了させることを勧告する決議も採択されている。
さて、このフォートローダーデール会議は、わが自然資源保全協会(GGT)にとっても、印象深いものであった。
GGTをはじめ、巨大環境保護団体の反利用自然観に対するアンチテーゼとして、資源の持続的利用を旗印とする各国のNGOが、前CITES事務局長ラポワントを中心に結束して組織した国際野生生物管理連盟(IWMC)が、その存在を世界に強く印象づけた会議であったからである。
GGTは、こうした活動をCITES当局に認められ、同組織創立25周年に際し、表彰の栄を受けた。
NGOとしては、日本では唯一の表彰団体である。
さて、表題にいう新しい論争というのは、まさにこの基準の見直しであり、持続的利用派と反利用派の間で今、激しい水面下の争いが続いている。
特に、海洋資源の基準づくりは、両者間の大きな争点であり、既に反利用派は処女資源の2分の1の水準を、絶滅のおそれのある資源の上限とすべきであるとし、この提案を、CITES委員会におけるたたき台提案とすることに成功した。
このたたき台提案が、巨大環境保護団体の主張する3分の2乱獲説と軌を一にすることは、読者も容易に読み取ることと思うが、上記の展開は、CITES周辺、とくにこれと密接な関係を持つ国際自然保護連合(IUCN=政府間機構ではないが、CITESに対する特別な助言機能を与えられている)内に持つ彼らの影響力を示す証拠であろう。
このたたき台に対する持続的利用派の反発はまた当然である。
少なくとも海洋生物資源においては、処女資源の2分の1というのは、一般的に理論上、MSY水準とされる水準であり、絶滅のおそれのある水準とは全く無縁な高い水準である。
また、国際法上管理の目的とされる最適水準を少しでも割れば、CITESの禁止規定がただちに発動されるというのも、乱暴な話である。
資源絶滅のおそれがある水準とは、少なくともこんな恣意的な水準でなく、一定の確率をもって当該資源が連続縮小再生産に入る水準を基準として定義されるべきであり、海洋動物の分野では、既に相当の業績もある。
基準の設定のための作業は、専門学術機関でないIUCNの特定グループのイニシアティブではなく、海洋生物資源の合理的な利用を図るために設けられた国連の専門機関であるFAOのイニシアティブの下に、世界の叡智を集めて行われるべきであろう。
幸いにして、南ア政府は、この点で先般のイニシアティブをとり、今夏のFAO水産委員会に、FAOによる作業の推進を提案し、今年11月には、その作業と関連するシンポジウムをケープタウンに招請するという。
その成果に心から期待したい。
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(社)自然資源保全協会理事長
今年が、国連による「国際海洋年」であることもあり、それに合わせて、1月早々から、欧米マスコミの上で、漁業による資源枯渇非難が、センセーショナルに繰り返されている。
1 彼らの繰り返す乱獲非難の多くは事実ではなく、また、非難の目的は、海洋生物資源の最適利用の実現にはない
2 カール・サフィーナ(オードュボン協会)と北西大西洋クロマグロ事件(1992年CITES京都会議をめぐって)
3 科学的にみて延縄の禁止提案に合理的な根拠は存在し得るか
4 世界の漁業資源は、巨大環境保護団体の主張するような乱獲状態にあるか
5 CITESにおける新しい論争