北太平洋ミンククジラ調査事業

(日本鯨類研究所 1997年 10月発行「日本鯨類研究所十年誌」より)


出席者

畑中 寛
水産庁西海区水産研究所長

八木 信行
水産庁遠洋課課長補佐(捕鯨班担当)

藤瀬 良弘
日本鯨類研究所研究部長

後藤 睦夫
日本鯨類研究所研究部、資源分類研究室主任研究員

銭谷 亮子
日本鯨類研究所研究部、鯨類生物研究室主任研究員

安成 梛子(司会)
水産経済新聞社社長


司会  今回のテーマは日鯨研の研究部門の中でも、もっとも新しい分野である「北太平洋のミンククジラの捕獲調査」を中心に、調査のスタートの背景からこれまでの成果まで、調査船運航の体験談や苦労話を含めて検証して頂きたい。 それではまず畑中所長からお話をお願いします。

畑中  私がクジラに関わるようになったのは、1993年で、4年前ということになります。 当時、遠洋水産研究所には、クジラの研究者のまとめをするような人が、たまたまいなかったので、クジラ専門ということではないのですが、駆り出され、月例会の座長を勤めて、それ以来クジラとの関係が続いています。

 まず、最初に北太平洋でミンクの捕獲調査が始まるに至る経緯から説明します。

 1982年に商業捕鯨のモラトリアムが IWCで採択されまして、そのときに各資源の包括的評価(CA)をすること、それと同時に安全な管理方式を開発することが条件としてつけられました。 北太平洋のミンクについては、1991年に包括評価を終えて、93年から新しい管理方式というものを当てはめるとどうなるか、安全に捕獲ができるかといったシミュレーションをする作業に入りました。 そこでシミュレーションする大事な前提条件として系統群の構造というものがあります。 つまり、どういう系統群が存在して、各漁場でそれらがどう混合しているかということが非常に大事な条件設定となります。

 日本の科学者はこれまでの研究結果から 2つの系統群が日本周辺に存在していると考えていたわけです。 2つの系統群とは太平洋側を北上してオホーツク海に入るオホーツク太平洋系群と日本海を生息場にする日本海系群です。 実はこの作業部会で私達は亜系群シナリオと呼んでいますが、(反捕鯨の科学者から)「それぞれの系統群に 4つ、あるいは 3つの亜系群が存在する。 つまり別々の群れがいる。 それから太平洋の真ん中の方に、もうひとつ別の系統群(W系群)がいる。 合計 8つの系統群を設定してシミュレーションしてみよう」という案がでてそれが通ってしまったわけです。 これについて私たちは反対したのですが、亜系群がない、つまり漁場ごとに独立したものがないという十分な根拠はないということで押し切られてしまったわけです。 この 8つの群がいるという仮定で、仮にRMP(改訂管理方式)の計算をしてみると、捕獲頭数はほとんどゼロに近い数字しか出てこないのです。

 日本は過去 40年にわたって毎年、平均にして 340頭ずつ捕獲して、この位ならば大丈夫という事実があったのですが、そういう資源ですら捕獲枠はゼロとしかでないということで、日本の科学者にとって非常に屈辱的な結果でした。 それで私たちはこの結果を受けて、系統群解明のための調査をするという計画を立てました。 私も含めまして遠水研の研究者、日鯨研の研究者、水産庁の遠洋課捕鯨班の行政の方々の密接な協力閃係のもとに調査計画を作りました。 1994年の IWC年次会議にそれを日本政府から提出しました。 それが科学委員会での論議を経て、多少の異論もございましたが、科学調査として妥当だということで、日本政府は日鯨研にこの調査の実施許可を出したのです。 94年6月から初年度の調査が始まり、現在 4年目の調査を行っているところです。

司会  計画は遠水研と日鯨研、水産庁と三位一体となって作られたわけですね。 水産庁としてはどうお考えか八木さんに伺います。

八木  私は1989年に捕鯨班にきて、途中2年間アメリカに留学したことをのぞいてずっと捕鯨の担当をしてきました。 89年頃は、南氷洋の捕獲調査でさえ、存続が危ないのではないかと相当なプレッシャーがありました。 93年のIWCの京都会議をやる、やらないと議論していたときも、こんなに大がかりな会議を日本でやって、注目を集め、南氷洋の捕獲調査も注目されて、もしも非難が高まったりしたら、困るのではないかと、残念ながら悪い方に悪い方にしか考えがいかない人も多かったですよ。 このような中で 93年のIWCの後に北太平洋の捕獲調査を始めるように仕向けた訳ですから、大変な決断と周到な作業であったと思います。 これは、小松さん(捕鯨班長当時)がご尽力された結果です。 私がアメリカから帰ってみると、科学委員会のレポートも好意的で、調査の目的は非常に良いとか、非常に手法的に正しいとか、なにか願ってもないことが、ズラズラ書いてあったんですね(笑)。

 さらに改めて私が思うに、日本はもともと科学で捕鯨問題に決着をつけるという立場ですから、分からないことがあれば、調査を行って解決するというやり方をとってきたわけでして、その意味で北太平洋の鯨類捕獲調査の開始は重要な意義があったという気がしています。 それ以前のIWCの構造は何も調査をしていない欧米の国が、一生懸命調査している日本やノルウェーの調査結果にいちゃもんをつけるというものだったのです。 IWCの科学委員会は 100人以上いるんですが、反捕鯨の人はほんの4〜5人程度で、これらの人たちが言いたい放題のことをいって、混乱させるという非常に困った状況だった。 揚げ足取りに終始しているかのようです。 科学では 100%こうだと、はっきり言いきれないところがあるのに、90%はこうなんだが、10%位は違う可能性があると説明しようものなら、4〜5人の反捕鯨の人が、その10%のことを大きく取り上げて強調するため、レポートの書き方によっては、あたかも意見が五分五分であるかのような内容になってしまうことも従来はあったんです。

 私はいなかったが、93年のIWC科学委も同じような状況ではなかったかと思うんです。 彼らは言いたい放題、いろいろなことを言って、日本に商業捕鯨の再開をさせないようにねらったんだと思うんですね。 そこで引き下がってしまうと、そういう構造がなお続いたでしょう。 しかし、日本はそういうことを言うなら、捕獲調査ではっきりさせてやろうと次の年に計画を出した。 そうした態度は大きかった。 つまり、彼らは商業捕鯨の再開を封じるために思いつきで好き勝手なことをいうと、日本は捕獲調査で調べてやるぞという先例を作った。 反捕鯨科学者への対応策としてこれは重要だった。 その後反捕鯨の科学者は、好き勝手なことはどちらかというと言えなくなった。

 このように IWCの運営上、よかったという点が一つと、もう一つは国内の盛り上がりという点でも重要であった。 国内的にはそれまで捕獲調査は南氷洋しかやっていなくて、そこに行き着くまでに商業捕鯨の禁止、捕獲頭数は縮小の一途を辿ってきていた。 ところが、ここではじめて日本が積極策に打ってでて、捕獲する頭数が増えた。 捕獲頭数の増加は捕鯨の歴史で二十年来はじめてではないでしょうか。 そこで、国内的にも捕鯨の流れが変わってきたのではないでしょうか。

司会  外から見てもそのように感じましたね。 でも実際に調査を実施した研究者のご苦労は大変なものがあったと想像されます。 藤瀬さんは南の方の調査も参加され、北では3回の調査の団長を努められましたね。

藤瀬  個人的にも北太平洋のミンクには思い入れがありまして、学生の頃からイルカ類を対象にして研究をやってきましたので、当然のことですが、鯨類を相手にする場合、大型のクジラには興味をそそられるものがありました。 丁度、学生時代、当時は日鯨研におられ、今は遠水研にいる加藤先生からお声がかかって、沿岸の小型捕鯨、ミンククジラの最後の操業の年であった 1987年の鮎川の操業の生物調査を手伝ってみないかと声をかけられ、それが発端で、日本鯨類研究所に入所し、南氷洋の調査をやってきました。 北太平洋の調査では 1回目から昨年までの 3回、調査団長を務めました。

 1回目の調査のときは実態がよく分からなかったことと、特に夏場における沖合での分布がよく分からない状況の中で調査を進めたわけです。 ミンククジラは沿岸では春先に鮎川沖を北上して、網走沖にコースをとるんですが、第 1回の調査は、IWCの開催時期で、夏場の調査になり、かなりのミンククジラは北上してしまう。 そういう時期にどうやって調査を進めていくか、いろいろ船団の方からお知恵を借りながら計画し、出港したんです。 しかし、この年は国内でも異常気象で熱帯夜が続き、灼熱地獄であったと聞いていますが、沖合でもこの太平洋高気圧が非常に強いために、調査海域には、南からの温かい空気が入りこんで、濃霧となり、視界がなくなって動けないという状況が続きました。 海況的には海の状態は穏やかで、ベタナギだったのですけれど、視界が全くないという状況でした。 しかも水面から 6メートル位のところまでは霧がかかっていますが、キャッチャーボートのマストに上ると上空は青空が見えるのです。 そういう状態が続き、65日間調査しましたが、天気のよい日は 1週間しかありませんでした。

 北の調査ということで意気込んで取り組んだんですが、その意気込みを発揮できる場がなく、悶々とした日が続いたというのが最初の航海でした。 このため、この年は期待通りの成果を上げられませんでした。

司会  銭谷さんからも 1回から 3回の状況を、体験を交えてお聞かせください。

銭谷  現在は遠水研にいらっしゃる加藤先生から、新鯨研ができるとか出来ないとかという頃にお声を掛けていただき、それがきっかけで日鯨研に入所しました。 当時は研究所がどうなるか解らない状況で、しばらくは、一般事務や雑用をやってました。 南の捕獲調査には、3次調査に始めて乗船し、計3回、生物調査員として参加しました。 その後、北の調査が始まってからは、1回から生物調査の担当ということで3回まで乗船しました。 第1回はガスでクジラが獲れないという状況が続き、待ちくたびれました。 クジラが来て疲れるのと、来ないで疲れるのでは、来ないで疲れる方が精神的につらかったように思いました。

 ただ、逆に、北の調査は調査項目が南の調査に比べて詳細な部分がありますので、特にDNAとか寄生虫、食性、骨格の調査など細かくやらなくてはならないわけですが、ガスがかかったことにより捕獲したクジラほぼ全てについて、骨格の計測などは十分な時間を掛けることが出来、ていねいな調査ができたと思っております。

司会  天候もさることながら、調査というものは実際にやってみてこそ、得るものが大きいと言えるのですね。

藤瀬  第2回の調査では、目標の標本数の確保を達成できました。 その背景には、1回目の調査は21頭の採集しか出来なかったけれど、第2回の調査では、どのような方法に改良していけばよいかといった、いろいろな情報を与えてくれたおかげであるといえます。 文字通り予備調査の役割を果たしたといえます。

司会  2回目は海域をかえて?

藤瀬  1回目の調査資料を検討した結果、サンプル数があまりにも少ないということになりまして、もう1度同じ海域の調査をやらざるを得ないということで、第2回も同じ海域で調査したわけです。 その際にどのような調査方法がよいかを相談をして、いくつかの改善、改良を行ったわけです。

司会  DNA分析ではサンプル数が偏っているよりも、広く数多くサンプル数があった方がよいのでしょうが、第1回の調査ではどうだったのでしょうか。

後藤  私は日鯨研に入って4年目で、北の調査が始まった年に入りました。 それまで大学で無脊椎動物(毛ガニ)のDNAの研究をしていました。 入所の前年に、大学の2年先輩で、いま私の上司であるルイス・パステネさんの紹介で日鯨研でアルバイトをしていたときに、これからはクジラを研究するうえで DNAが重要になってくるので、手伝ってくれないかと言われたのが縁で入所しました。 私自身は、昨年の第3回の北の調査に乗船しました。 私の専門はDNAを扱う遺伝学ですから、ミクロの世界を見がちなのですが、今回の乗船でDNAの研究以外に他の研究の材料がどのように採集されたかなど、全体的なところをみることができ、非常によい経験をしました。

司会  DNAで系統群のあるなしなどもはっきりするのですか。

後藤  鯨類については、哺乳類ということもあり、DNAの分析自体はやりやすいのですが、回遊の仕方や繁殖域など生態についてよくわかっていないところがあり、分析結果の解釈をどうしたらよいかというところが難しい点ですね。

司会  そうしたものを受けて、畑中さんを座長とする大会議が開かれたのですね。

畑中  第1回の調査は21頭に過ぎなかったのですが、非常に大きな情報をもたらしてくれました。 一つは獲れたクジラの成熟段階とか、オス、メスの比率はどうなっているか、といったことがパッと入ってきたんです。 オスの成熟個体が大部分を占めて、メスは非常に少ないということ、子供のクジラがほとんどいないといった情報がまず、入ってきました。 これでは一つの独立した系群だということは、先ずあり得ないことが分かったんです。 それから後藤君たちがDNAの解析をしてくれまして、日本の沿岸捕鯨で獲れたものと、まったく差がないことも分かりました。 これにより、ますます沖合の系統群が存在しないという自信を深めたのです。 しかし、いかんせん、21個体でものをいうのは不十分であろうということで、次の年、同じ海域で再度 100個体を獲ることにしたのです。 それに1回目は目視で資源頭数もでるような設計で、調査したわけですが、2回目は目視情報を少し犠牲にしても標本数を増やす、つまりクジラの密度の高い海域で、調査するという形に設計を直したいと藤瀬君から提案がありました。 論議の末、致死的調査方法に対して偏見を持っていない内外の公正な科学者達の適切なアドバイスも得て、2回目、改めて再調査を行うことになったのです。 こんどは極めて順調で 100頭を捕獲し、計画を達成したわけです。

司会  2年目は天候など環境も 1年目と大分違っていたんですか。

藤瀬  天候は 1年目と逆に好転しまして、調査活動が非常にスムーズに行うことができました。 それに第1回目は標本採集船 2隻と母船 1隻の3隻で調査したのですが、これではどうもうまくクジラを発見できないということで、南氷洋と同じように採集船を 3隻にし、さらに第1回調査では採用していなかった共同採集という方法を行いました。 すなわち採集船が共同して捕獲対象とするクジラの採集を積極的に行ったということも成果をあげる要因となりました。

司会  DNA解析などでもサンプル数はあればあるほどよいのでしょうね。

後藤  個体数の問題についてはいまだに IWCとか、遺伝学の学会などでまだかなりの議論の余地があるようです。 実際には必要標本数は用いる手法によっても異なると思いますし、数は多ければ多いほど信頼性の高い結果を得ることができると思うのですが・・・。 いまのところ、私が扱っているDNAのサンプルは日本海系群である韓国の商業捕鯨時代のサンプルが 30個体、それに日本沿岸の商業捕鯨時代のサンプルが約300から400程度、このほか捕獲調査で捕獲されたサンプルなど、600近いサンプルを扱っています。

司会  出てきたものを解析するという作業は、みなさん集まっておやりになるのですね。

畑中  系統群を判別、識別するために、酵素やDNAを使った遺伝的な方法、外部形態、受胎日などの生物学的な方法、重金属、PCBなどの汚染濃度による違い、寄生虫の違いでみる方法など、系統群を識別できるさまざまな手法を使って、解析したわけです。 その結果を使いまして 1996年のIWCで改訂管理方式を当てはめる再検討の作業部会をもったわけです。 ここではこれまでの成果を提出しましてIWCから高く評価されました。 7つ設定されていた亜系群はないということで合意されました。 しかし、沖合の西太平洋系統群(W系群)については残念ながら結着がつきませんでした。 それが存在する仮説を支持するという根拠がないということについては科学者は合意したのですが、だからといって存在しないとするにはまだ不十分な根拠しかないというわけで、例えば4月とか、5月とか、まだカバーしていない時期の標本も必要だろうというわけです。 すなわち2カ年の調査で早くも成果が認められ、目的のうちのかなりの部分が達成されております。 さらに北の調査では学問的にも非常に面白い資料が得られました。 例えばシロナガスのように北太平洋ではほとんどいないのではないかといわれていた種類のクジラがかなり発見され、資源の回復をうかがわせております。 また、マッコウクジラの数が相当多いということも分かりました。 さらにミンククジラがどういうものを食べているのかといった、今後の魚類資源管理のうえでの重要な情報も出してくれました。 特に沿岸では浮魚の魚種交替とか年変動といったことがあるわけですが、餌になる魚類の自然変動にあわせて、ミンクが餌を変えています。 例えばマイワシが多かった 1980年代、これは商業捕鯨時代のデータですが、ほとんどマイワシだった。 こんど調査してみるとサンマであったり、また今年はカタクチイワシを食べています。

 北太平洋には 3万頭のミンクがいると推定されています。 これらが食べる年間の餌は、ラフな計算ですが、100万トン程度と推定されます。 クジラを獲らないで、このまま増やしていきますと日本の漁船が対象にしているマイワシとか、サンマとかの資源がクジラによって左右されるという点も、私はこれから考えなくてはならないと思います。 バランスのとれた生態系を保っていくという意味からもクジラの餌の消費量が、漁業資源に与える影響の大きさということを今後の大きな研究課題として考えていく必要があります。

司会  クジラの餌は大分変わってきているのでしょうか。

藤瀬  これが明らかになったのは第2回の沖合の調査ですが、調査海域のなかでも北側ではオキアミ、もう少し南ではカラフトマス、さらに南に行くとサンマとかカタクチイワシとかが、胃から出てきました。 特にサンマは餌生物として大きな役割を占めていました。 それが昨年の第3回の調査で、よりはっきりしました。 特に昨年の調査で、沿岸域でのサンマ棒受け網漁船の漁場と、ミンククジラが発見される場所が非常に近いことが分かってきました。 実際にはサンマ漁業とミンクとの競合関係は、もう現実問題として起きているのかもしれません。

司会  以前サンマの船団長に話を聞いたときに、ミンクが増えているといっていました。 何を食べているかなどの問題や寄生虫の種類などからも、同じ系統だといったようなことも分かってくるのですか。

銭谷  寄生虫も系統群の判別に重要な手段になるのではないかと考えられており、2次、3次調査では寄生虫の専門家の方に乗船していただき、その専門家に寄生虫の調査を実施してもらいました。 また、食性に関しても専門に研究されている方に乗船していただき、3次調査のときにはノルウェーの研究者にも入っていただいて、ノルウェーで行っている調査方法を北の捕獲調査で実際にやってもらいました。 さらに北大の食性を研究している学生にも調査にあたってもらいました。

司会  外部の力をうまく導入して調査をオーガナイズしていっているんですね。 では、北太平洋の調査で威力を発揮した DNAの分野について 3回の調査の成果について後藤さんからお話しください。

後藤  細胞内にあるミトコンドリアには、核DNAとは独立したDNAがあるんですが、そのDNAの変異のパターンを調べて日本沿岸と沖合に分布するミンククジラの系群構造を明らかにすることが私の仕事です。 遠水研に保管されていた過去の商業捕鯨時代の標本を用いて調べた結果、オホーツク・太平洋系群と、日本海系群は、明らかにDNAのパターンが異なることが分かりました。 さらに、この2系群は 4月に網走沖で混合していることも明らかになりました。 過去に、遺伝学の分野では現在、中央水研におられる和田さんがアイソザイム(酵素)を使って、同様の結果を得ていますが、私の研究結果は和田さんの結果を強く支持しているといえます。 このような結果をもとに、初年度捕獲調査で採集された沖合海域の 21個体と三陸、網走などの沿岸域の標本についてDNAを比較したところ、遺伝的に差が見られず、沖合と沿岸域には同じ系統群が存在する可能性が考えられました。 2回目の調査で 21個体に加えて新たに100頭、昨年は 1年目、2年目より、さらに沿岸寄り、それから網走、道東沖でそれぞれ 17頭、33頭、30頭ずつ採集して調べましたが、1年目の結果を支持する結果が得られました。

司会  これまでのデータと新しいサンプルを新技術を駆使して解明していくのですね。 これからの課題はどこにありますか?

後藤  われわれがいま行っているDNAを用いた遺伝学は学問的には、非常に若い分野であるため、DNAの世界は日進月歩で技術自体、常に新しい手法が開発されています。 従って、新しい手法を用いて系群構造などを調べて行かなければならないと思います。 昨年、核DNAを研究している人が入所しまして、核DNAの研究が始まっております。 われわれが行わなくてはならない最終目標は W系群が存在するかどうかを調べることですが、沖合に別系群が存在するか、また二つの系群が混合しているかどうかが核DNAを用い ることで、ある程度分かる可能性があります。 ですから、今までの手法に加えて、新しい手法を用いた研究がこれから必要になってくるものと思います。

司会  皆さんともに苦労をして調査を終えて帰ってくると分析などの仕事が待っているわけですね。 一方で、クジラの研究については、世界の矢面に立たされており、別の意味の苦労があるとも聞かれるのですが・・・。 敢えて火中の栗を拾うという言葉が適切かどうか分かりませんが、そういう面がありますか?

畑中  クジラの研究については、殺さないで研究しようという非致死的方法が外国の研究者の主流になっています。 しかし、私はそういうやり方ではクジラの研究が非常に遅くなるし、阻害されると思うんです。 捕まえなければわからない情報がいっぱいある。 例えば年齢情報がないと、死亡率とか、生存率とかは分かりません。 獲らないで研究しようという世界的な風潮の中で堂々と獲って、しっかりした研究をしていくというのがわれわれの立場であるんです。 しかし、実際いろいろな場面で、獲ることに対する非難めいた話が浴びせられる。 国内でもそういう考えの研究者がいる。 逆に外国でもそれにとらわれない考えの研究者もいるのですが・・・。

 もう一つ、クジラの研究者が辛いという感じをもっているのは、研究者がこけると捕獲調査そのものが立ち行かなくなるということです。 研究者は本来、自分の好きなことを、あまり責任を負わずに、好きなようにやりたいという意味で研究者になった人が多いのですが、クジラの研究者はいろんな形で責任を肩に担って、研究をしていかなくてはなりませんので、日鯨研の研究者は余分に大きな責任とストレスを感じているんではないかという気がします。

八木  火中の栗を拾うということですが、日本人なので拾わなくてはいけないのではないでしょうか。(笑) 例えば外国の科学者でも自分に何ら利害がないのに日本の調査に協力してくれる人は大勢いるんです。 そういう中で、日本人が火中の栗を拾わないと、外国の科学者が一所懸命やってくれるのにへンなことになってしまう。 他の研究分野の人が自由にやっているといわれるが、それはむしろ他の分野の人がおかしいんですよ。 研究費などを既存の枠組みから調達できる安定したところにいながら文句をいうのはおかしいと思いますね。

畑中  確かにそのとうりなのですが、比較の上でいうと、同じように給料をもらっていながら片方では、自由な発想で自由な立場でやれるということも現実にあるので、そういう感じがするということなんでしょう。 しかし、日鯨研や遠水研のクジラ研究者は外国の研究者に比較して大きな利点をもっていると思います。 よその国でクジラを獲って研究したいと思ってもその手段がない。 ところがわれわれは計画的にサンプルやデータを集めて、それを使ってどんどん仕事ができているのです。 そういう意味で外国の科学者からみるとうらやましい立場にあるという見方もできます。 期待と圧力の中で、仕事をしているようなものですが、一方で行政から全面的な支援をもらっている点も大きいと思う。 その意味で他よりはずっとよい条件もあるということを認識すべきでしょう。 ですから辛い辛いと言わないようにしようとは思うんですが(笑)。

司会  藤瀬さんのお考えはどうですか?

藤瀬  研究者である限り自由に発想して研究を進めていく、また、それをすることが発展につながるというのが理想ですが、われわれには調査という大前提がありますので、発想が実施可能かとか、それで成果があがるのかということを常に考えなければならないので、発想自体にも制約がかかり、難しいところがないとはいえません。

 一方で、私も「いま、お前たちは恵まれている」と言われたことがあるんです。 「いままでの伝統的なクジラの研究は致死的な方法で捕獲したクジラを調べて情報を得てきた。 しかし、いまは非致死的な方法が主流であるため、直にさわって調べるということができなくなってきている。 これからは文献でしか見たことがない人が研究者としてやっていくようになる。 クジラの年齢査定ひとつとっても、技術を発揮できる場がなくなる。 日本の国内ではまだ標本が自由に手に入るので幸せだから、もっと勉強しろ」といわれるんですね。(笑) そういう意味で日本の鯨類研究者は、恵まれていると私も思いますね。

司会  いずれにしろクジラの研究者には大きな期待と同時にストレスがかかっていることは間違いないようですね。 ではこうした調査に基づいて今後、北の研究はどういう方向にいくのか、また、課題といったことについてお聞かせください。

畑中  完全な 2系統群なのか、亜系群がいるのか、さらには第3の系統群がいるのかを解明するこの調査の目的は達成されつつあり、5年計画の中の2年分でかなりの目的を達している。 この5年間の結果をもって、私たちはもう1回、RMPのトライアルのための作業部会をもってもらい、最終的にわれわれの仮説が正しいんだということを認めてもらって、単純な2つの系統群という前提で捕獲枠を算出する方向にもっていきたいと思っています。 ただ、まだ、残された課題もあります。 その一つはロシアの水域に入れず、その中での調査ができないことです。 もう一つは生態系の調査です。 生態系は非常に重要で、クジラだけを考えているわけにはいかないことが分かってきましたので今後、この生態系の調査を実施していくことです。

司会  生態系の調査は具体的には?

畑中  生態系調査を実施するとすれば、ミンククジラだけでなく、北西太平洋にいるイルカとか魚類についての情報も不可欠ですので、魚の研究者も当然参加していただかなくてはならない。 クジラだけの調査ではなく、魚類とか、プランクトンの研究者などを組み入れて水産研究所、日鯨研など関係する研究機関が連合して、相当大がかりな調査を組まなくてはならないと思います。

司会  そうすると行政の対応も、広がってくる。 ロシアの海域までの調査も考えているのですか。

八木  北のミンクはもともとロシアのオホーツク海側に主力がおりますから、そこを調査することは重要です。 去年、一昨年とロシアに調査させてほしいと申請したんですが、実現しなかった。 ロシア水域の調査はどうしても必要なので今後とも生態系の解明を共同で調査するなどの提案をして、ロシアにとってもメリットのある調査を考えて実現させたい。      

 特に、生態系の問題はわが国周辺の総資源の解明という最終的には食糧問題に直結する大きな長期的な問題です。 合理的な資源の利用など重要な意味があるのでこれからも皆さんと力を合わせ努力していきたいと思います。

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