(日本鯨類研究所 1997年 10月発行「日本鯨類研究所十年誌」より)
長崎 福三
秋道 智弥
高橋 順一
三崎 滋子
安成 梛子(司会)
司会
日鯨研のユニークといわれる文化人類学や法学、社会学系の研究活動について、この分野に関係の深い方々にお集まり頂いて、これまでの活動やこれからの課題などについて検証して頂きたい。
まず長崎先生からお願いします。
長崎
鯨研は捕鯨の問題に真正面から取り組む立場にあり、捕鯨問題は分野が広いので、スタッフだけではたりなくて国の内外から数多くの研究者の協力をえて活動をしてきた、せざるを得なかった経緯があります。
私も現役時代はかなりのエネルギーをこの分野に注力しましたが、この分野の研究は、今後、ますます広がっていかなくてはならないと思うし、さらには捕鯨のみならず、産業としての漁業のあり方論に広がっていく必要がある。
ユニークという話だが、本来水産研究所あたりでもこの種の研究はあっていい、と思いますね。
現にいまクジラだけでなくマグロやサメの議論があってワシントン条約の場でも、国連の場でも捕鯨でやってきた議論がそのまままかり通っている。
クジラの問題はクジラだけでなく海洋生物の利用の問題、もっと広くいえば、人と自然とのつきあいの問題に密接に絡んでいる。
そうした背景を意識することが求められている。
まずここを強調したい。
司会
秋道先生と日鯨研とのかかわりはいつからですか?
秋道
私はもともと南太平洋のサンゴ礁の島じまで魚を獲って暮らしている人びとと自然とのかかわりという枠組みのなかで、海洋民族学とか生態人類学という立場から研究してきました。
クジラとかかわるきっかけは、IWCのフリーマン先生のワークショップに参加してからです。
そしてクジラをめぐる問題とかかわったことによって、考えが広がるようになった。
それまでの調査では、太平洋の島じまの沖合海域に大きな船がきて乱獲するとか、某国がやってきてウミガメをたくさん獲っていったりする事実があった。
それまでは研究の枠組みのなかでそうした問題をどのようにあつかうのか迷っていたが、クジラというキーワードを入れることによってこれらのことにがっぷり四つに組むことができるようになった。
つまり IWCの議論、生存対商業捕鯨、環境保護対利用などのいわゆる二元論が、いかに紋切型で、欧米主導型で、これらがそれぞれの地域における人びとの考え方と相容れないかがわかってきた。
これでは国連とか FAOとか世界銀行とかの機関が声高にもの申しても、結局は地域の人びとが欧米人のいいなりになるだけで、60年代の緑の革命と同じことが 21世紀におこる。
いま、危機感をもってその二元論を叩く牙城のひとつが、クジラとかマグロ、ウミガメなど日本人には関係の深い問題なんですね。
われわれがいかに理論武装し、地域ごとの異なる文化を考えることができるかどうかが問われていると思うんです。
司会
三崎さんもクジラ問題とは長い付き合いになりますね。
三崎
1977年の IWC会議に日本代表団の通訳として出席して以来のことで、長い間フリーランスの通訳としてかかわってきて、さまざまな場面で西欧と日本との対比、その象徴としてのクジラ問題に興味を持ったわけです。
当初の議論は IWC内の捕鯨国と反捕鯨国の対立とそのなかの加盟国としての日本で片付けられておりました。
また当時の議論は自然科学的な資源論、統計学を議題とする科学委員会を中心に展開してきましたが、結局、捕鯨のモラトリアムが通ってしまった。
IWCの加盟国は 36から39ヵ国。
そのなかで、すでに IWCを脱退しながらオブザーバーを送り続けていたカナダにフリーマン先生という文化人類学者がおられて、じっと日本のとくに沿岸小型捕鯨の主張に関心を持ってみてこられた。
1988年に島さん(コミッショナー)が、フリーマン先生と出会って相談された。
日本側としても、なかなか相手の文化圏にいる人々にはこちらがいかにアピールしてもイロメガネで見られてしまうという事情があって、相手の文化圏にいる人がこちらを研究してくれれば、理解が得られ易いではないか、となったのです。
そこで沿岸小型捕鯨をテーマにフリーマン先生を中心に欧米の先生に秋道先生や高橋先生など日本人の研究者も含め、8人の方々にそれぞれの分野で研究して頂き、一冊の本にまとめ、日本政府の依頼した研究として IWCに提出するプロジェクトが始まった。
たまたま私の事務所がそのプロジェクトの事務局をやらせて頂いたのがきっかけで、その後えんえんと沿岸小型捕鯨のみならずいろいろな社会科学の先生方と連絡をとらせて頂いている間に、大変、得るところもあり、ライフワークとしてコーディネイターをやらせて頂けるのではないかと日鯨研に入らせて頂いた。
司会
きっかけになる本の前にも研究があった?
三崎
長崎先生たちがいろいろ論文を発表しておられました。
ところが内容が IWCに提出した本(ブルーブック 1988)と同じ部分が多いし、流布したにもかかわらず、日本人が論文を発表しますと IWCの技術委員会はアレルギー症状をおこすのをつぶさに見られていたのがフリーマン先生だったのです。
司会
高橋先生のクジラへのかかわりは?
やはりそのころですか。
高橋
もう少し早かったですね。
86年だったと思います。
私は当時ずっとアメリカに住んでおりました。
アメリカでみる限り、捕鯨の縮小、撤退の問題は過去の誤りを認識した上での合意に基づくものという印象を受けていました。
それに対する反論も多少は目にしていましたが、圧倒的に少なかったです。
それでまったく別の目的で、私は米国の人類学者と一緒に、危険な労働に携わっている人たちの間の人間関係、社会集団の研究をしていました。
その一環としてたまたま捕鯨労働を取り上げ、みせてもらったのです。
そこで分かったのは、危険にさらされているのは人間の命ではなく、捕鯨そのものだったということです。(笑)
それまでアメリカのインディアンのことを研究しておりまして、そこでは主に自然観、文化観の衝突があり、そこに圧倒的優越な文化によるマイノリティ文化の支配の現実をみてきました。
まったく同じ状況がクジラにあるじゃないかと思いました。
そこから捕鯨の研究が始まったのです。
当時は自分がまず状況を知るというところから入って、通常の民族史的な事実を集めるというところから始めました。
その頃、日本では「国際化」ということが、キーワードになっていました。
またとくに強調されていたのは、日本からの発信の少なさということです。
それで実態を海外に知らせるという仕事が大事と思っていたところ、たまたまフリーマン先生のワークショップが開催され、機会をえてできる限りのことをしてきました。
当時の考え方からすれば、第一に日本の実態を知ってもらうことですから、それには相手にとって分かりやすいような形でということで、枠組みも当然、西洋文化の枠組みに入れながら紹介するということをしたのです。
それは当時として重要だったと思います。
その後の展開をみると、事情は変わってきました。
とくに世界的に変わってきたと思うのですが、捕鯨の問題で認識しなくてはならないのは、当初の実態がどうのという問題から、現在は、文化の相互理解云々でもなくて、文化のヘゲモニー(覇権)を巡るあらそいになっているということです。
つまり、文化戦争のようなものなんですね。
こんどはそれをしなくてはいけない。
ですから私の立場は、沿岸小型捕鯨についていえば、いまの地域の人々が必要だとしているならば必要だということです。
なぜ必要かの問題を、西洋人の決めた判断基準で承認してもらう必要はない。
むしろ地域の人びと自身の判断を押し通していくのが、いま要求されていることではないでしょうか。
10年前には想像できなかったことですが、カナダのイヌイットも捕鯨再開、アメリカ国内でもマカー族がそうです。
アングロサクソンが決めた枠組みに対し、抵抗しているわけです。
それが自分たちの民族の意志、独立性、アイデンティティを主張する象徴的な手段になっているのです。
もちろん、実質(経済)的な意味もありますがそれが全てでなく、それよりもはるかに象徴的な意味が強くあるのです。
いまこの時点で、行政当局や鯨類研究所が、日本国内の地域捕鯨を考えるとしたら、地球視野での国際関係の現状を踏まえた上で、これまでとは違う枠組みで見直していかなくてはいけないではないかという気がします。
この 10年間の変化は非常に大きかったんです。
長崎
たしかにこの 10年の変化は実に大きい。
振り返ってみると最初のころは多少無我夢中のところがありましてね。
やれ、クジラを獲るのはかわいそうだという議論にもならない議論がまかり通って、みんなそのことに口角泡を飛ばしていた。
お互いにいさかいをして、それがあたかも捕鯨論であるかのようなつもりだったのです。
しかし、鯨研では出版物を出し、研究者の方々にいろいろと検討していただき、意見を聞いていくうちに、捕鯨論は実は、そんな議論ではないのだ、高橋さんが言われたように、ある意味では文化の鉢合わせなんだ。
そういうことがだんだん分かってきたのです。
文化の鉢合わせは、勝ち負けの話ではない。
いわゆる西欧的な考え方、生活パターンといったものとアジア的なもの、ほかにもあるかもしれませんが・・・。
食い違いをよく認識しながら、両立させる。
いかに、互いの立場を理解するか、理解させるための努力はしなければいけないですよ。
高橋さんがいわれたとおり、捕鯨問題に関する日本からの発信は当時はゼロですよ。
かろうじて、あったとしたら、科学的言語、というか、「それは資源的にはこうです」と説明する。
こういう議論はさんざん日本もやってきたわけです。
だけど、そういう議論で、捕鯨問題が解決するとは思えない。
やはり、文化の言語というか、食生活の言語というか、そういうものをきちんとやっていかなくてはいけないのだなあと、それを発信していかなくてはいけないのだと 10年の間に分かってきて、その意味で日本側の主張もずいぶん成長したと思うんですね。
司会
確かに IWCでも科学的問題ではなく、もっと政治的な、あるいは文化的な問題になっている。
そうなると捕鯨派は次の突破口の点でやや難しい面もある。
文化人類学的にみてどうなのでしょう。
秋道
高橋さんがいわれたイヌイットやマカーの話「クジラが必要だから、獲ってきた」という文化の側の論理は獲る側にある。
それを認めたらよいのにそうはならないからどうしたらよいかということで、彼はヘゲモニーという言葉を使いました。
文化の問題であるとしても、それ自体が政治性をもつ。
つまりカルチュラル・ポリティクスという枠組みもあるんです。
日本でも二風谷(にぶたに)におけるダム建設とサケ漁をめぐるアイヌ対日本国家の対立の話とか、オーストラリアでも先住民と政府の対立についての話があります。
いわゆる先住民対権力、マイノリティ対資本主義勢力とかの枠組みがあり、一所懸命やるならサポートしたい。
ただ、それだけが世界にあるんではないんですよ。
たとえば日本の沿岸小型捕鯨は先住民と国家の対峙という枠組で考えるのとは違うなあという気が・・・。
そこで日本の小型捕鯨が商業捕鯨でしょうという議論がありました。
それは違うということで、フリーマン先生の文化論が出てきたんでしょう。
人類学的な発想というか、アプローチというか、視点が出てきたわけです。
これを越えるもっと大きなうねりが出てきているか、いま、よくわかりません。
ただ、もう少し考えると、先住民と植民地主義とか権力は、いつも対峙してきたわけではないのです。
たとえば、毛皮交易でイヌイットが少しずつ得をしながらクジラの歯や肉を売ったり、缶詰をよこせといったりしてきた。
先住民が常に弱者(マイノリティー)の立場でクジラを獲らせろといってきたのではないのです。
その意味で日本の捕鯨についての議論の方が奥深い面もある。
ヴィクトリア王朝時代(19世紀)、日本の捕鯨はすごい産業として発展してきたでしょう。
それを忘れてはいけないように思いますね・・・。
三崎
140ヵ国が参加しているワシントン条約会議に参加したんですが、IWC会議はせいぜい 40ヵ国、その中の大半はアングロサクソン中心の西欧文化圏の国のグループで、彼らに牛耳られています。
一方、140ヵ国で構成するワ条約会議は最初は、アメリカとヨーロッパのダイアログ(対話)を持つためにつくられたといわれていたが、アフリカ諸国、南米の発展途上国、アジアの国がどんどん入ってきた。
140ヵ国になってみたとき、われわれがいままでひとつのクライテリアとして確立されたものと思っていた西洋的基準は、必ずしも確立したものではなかった、と思わせる事態が起こってきた。
たとえば、ゾウと共に生きながら、象牙で経済が成り立っている国がある。
しかもゾウを大事にしないと次の世代につなげないという事情を無視して、禁輸したりしていたことへの見直しが、きちんとなされるような事態が起きてきた。
クジラ問題も、その中のひとつの分野ですが、象徴的に思うのは、クジラがむやみやたらに増えていようと、減っていようと、かまわず付属書 I の絶滅に瀕する種だといって、通商をやめてしまおうといって、IWCの決定通りに入れられていたものを、ダウンリスト(格下げ)しようという日本とノルウェーの提案(制限を加えながら、きちんと管理すれば通商もできるという)を支持した国は、なんと IWCの全加盟国を上回ること 10票以上。
これには勿論ロビー活動などあったかもしれませんが、日本は世界で孤立しているわけではない。
いろいろな見方が世界の国際機構にはでてきたんではないかと非常に勇気を得た。
結果的には今回は可決されなかったかもしれないけれど、世界の大きな山が少し動いた感じをもちました。
長崎
さっき商業捕鯨という言葉が出ましたよね。
捕鯨にかかわらず漁業も商業漁業ですからね。
商業捕鯨だからいけないのだと、よく向こうの人は言う、小型は分かる、必要性は分かる、地域性の意味も分かる、しかしそれは商業捕鯨ではないかというんですね。
しかし、本来、商業捕鯨がいけないという理屈はないんです。
人間と自然とのかかわり合いの中で、商業性を持ち込んでいけないなんてどこにもない。
ところが、商業捕鯨が問題になっているのは IWCで大きな意味をもってしまっているからで、それはモラトリアムの議論なんですよ。
商業捕鯨の枠をゼロにすると言っているのですね。
ですから、商業捕鯨でないものの規制はなくて、アボリジナル(原住民)のキャッチ(枠)は堂々と出てくる。
アボリジナルが認められて、商業捕鯨が認められないというのはおかしいじゃないかというよりも、商業捕鯨という枠組みを IWCというより反捕鯨が実にうまく使っているからですよ。
私は商業捕鯨が悪いとか、原住民、生存捕鯨だからいいんだといった議論は本来意味はないと思う。
司会
理論的には意味がないと思いますが・・・。
高橋
問題は枠組みをどうやってこわしていくかですよ。
実質論ではないのですね。
IWC自体の枠組みです。
条約を読んでみると、IWCは英語でやらなくてはならないとなっています。
公用語が英語で、なおかつ作業語が英語でしょう。
そこまで英語一辺倒の国際機関はそう多くはないと思います。
日本には不公平な状態の中で政策決定や議論が行われている。
枠組み自体を再構築していかなくてはいけないと思います。
長崎
言語の問題は確かにあり、枠組みを変えていかなくてはならないということは、あるんですが、私はとくに食文化の違いからくるどうしようもないすれ違いが、捕鯨の議論の中では非常に大きかったと思いますよ。
前から考えていたことですが、ヨーロッパ人というのは栽培(カルチャー)したものを食べているんですよ。
我々も主にはそうなんだが、ところが、カルチャーでなく、ネイチャーという食べ物がひとつだけあるんですよ。
それが魚なんです。
ヨーロッパ人の食べているものはカルチャーベースです。
カルチャーベースという考え方には、どうもネイチャーベースの考え方が通用しなくなっているのではないでしょうか。
いま、人間は自然の中に入って、生活しているという状態ではないでしょう。
外に出て、自分たちが勝手にものをつくって食べている・・・。
外からネイチャーをいろいろな形で圧迫している時代です。
だからこそ、海の利用、魚の利用、ネイチャーの利用はお魚に依存している国が本気になって主張しなくちゃいけないのではないでしょうか。
ネイチャーベースの利用ですよ・・・。
秋道
壱岐のブリの定置網を荒らすイルカを救うアメリカ人の話があって、勝本町の裁判記録によると「あなたたちも牛を食ってるではないか」といったら、被告人側弁護士のアメリカ人が「牛は人間が管理し、支配しているから、殺してもいいんだ。しかし、ネイチャーの一部であるイルカは人間の管理外である。それを殺すのはけしからん」という意味の分からぬキリスト教的な自然観をいうのですよ。
また、海の資源をどう使うかという問題では、保護派はバイオダイバシティ(生態系の種の多様性)を保護すべきであるとして、絶滅に瀕する種は CITES(ワ条約)の付属書 Iで規制すると主張する。
それがひとつ。
他方では海の資源を適正に利用する人間の立場があるわけで両者のあいだにおける食をめぐる論理の対立がずいぶん出てきているように思えます。
長崎
私はネイチャーの海洋生物を利用するという場合、利用の仕方をきちんとエスタブリッシュ(確立)しなくてはならないと思っているんです。
ところで日本の漁業、日本人の魚食は、海の中にいるものを、多様に利用するんですよ。
ですから、一万トンなら一万トンの漁獲量を上げる場合、ヨーロッパの人があげると特定の魚に圧力がかかる。
伝統的な日本的な漁業でやると、一万トンの漁獲量の中に、大変な数の魚が入っている。
ウニやナマコや海藻まで入っている。
そういう利用の仕方が良いのではないかと私個人ではそう思っています。
そういう海洋生物の利用の仕方をエスタブリッシュしていかないと説得力がない。
秋道
海洋生物の利用方法というのは、やるべき仕事だと思うのですが、それをくつがえす商売のモラルが問題で、魚探なんか発達していますから、混獲したものはみんな捨てるとか、そういうことをやり出すとエスタブリッシュもクソもなく、非常に状況はまずい。
三崎
そういう面からいうと、捕鯨というのは鯨種を見て分かるから、まったくロスのない取り方と言えますね。
しかも、絶滅に瀕しているものは獲らなければよいのですから。
完全に確かめて増えているものを選択的に獲ればよいのでしょう。
非常に合理的なあるべき姿ではないでしょうか。
長崎
エスタブリッシュしなければいけないという考えの中には余剰論というのかなあ、それもあるんですよ。
資源が成長した部分だけ獲ればよいというのが余剰論なんですが、余剰論そのものがかなりヨーロッパの発想なんですよ。
この考え方が日本に戦後、かなり漁業の場合、入ってきている。
それが MSY(最大持続生産量)という説明になっちゃうわけです。
だけど、利用するのはいいですが、MSYという概念で漁業をするのがよいのかどうかということは、日本人はもう一度考えなくてはならないでしょう。
捕鯨の場合も三崎さんがいわれたように、非常に効率の良いタンパクの利用の仕方でしょう。
だから、過剰利用が起こりやすいんですよ。
そういうのはきちんとしておく必要がある。
司会
海洋生物の利用の方に話が進んだんですが、そのような研究も日鯨研の中に取り込むような方向もみえているようですが。
三崎
鯨研は今年 4月機構改革をしまして、情報文化部というものがつくられました。
これは私はクジラの研究所がいろいろな分野にクロス・オーバーしている部門をもった。
そして、そういった情報を集めながら、あるひとつの分野で、世界のリーダーになることができるならば非常によいことであると思います。
例えば、法学であるとか、経済学者が入ってこられ、もちろん、文化人類学もあるわけで、いろいろな先生の協力をえてそれをコーディネイトして、情報を集め発信するそういう日鯨研であってほしいと思いながらいるわけです。
司会
そういう鯨研に対して期待するものはなにかお聞かせください。
高橋
私はたまたま前の鯨研から今の日鯨研に変わる時期のことをよくおぼえています。
その間、以前に比べてすばらしく、効率的になりました。
それは驚かされるくらいです。
ただ、印象としてはお役所的になって、敷居がだんだん高くなってきた気がするんですね(笑)。
ひらかれた鯨研ということで、プロジェクトに参加される人々も多くなり、専門もずいぶん広くなってきました。
同時に自由な場になるかというと、これは別だろうと思います。
欲張りかもしれませんが、そちらの方も確保して頂きたいと思うんです。
また沿岸小型の問題なんかも、いま争点になっているのは、たった 50 頭の枠の問題でしょう。
50 頭のミンククジラから何トンの肉が取れますか?
アメリカやカナダにいくと、たった 1つの牧場でもっと多くの肉を生産できる牧場がたくさんあるんですよ。
そのチョッピリのことで、大それた議論をすることはないでしょう。
何か枠組みが、現場から出てきたというよりも、違うところからでてきたような気がします。
地域の視点、現場の視点、業界の視点を忘れずに、維持していってもらいたいと思います。
長崎
高橋さんに質問があるんですが・・・、沿岸捕鯨の問題で、まだ残っている古文書とか、いろいろな昔の捕鯨を物語る資料が残っていますよね。
そういうものをもっと徹底的に調べて、研究者が手を入れてやるべきか、必要があるのかどうか、ほおっておけば、消えてしまいます。
高橋
たとえば捕鯨をしていなくても、寄りクジラの分配に関する記録があります。
いろいろなところの郷土史の研究者に「こんなことがある」と聞くことがあります。
鯨研の仕事に入るかどうか分かりませんが、集めるなり、所在を明らかにするなり、カタログをつくるなりの仕事を進めるべきでしょう。
長崎
私は何か鯨研がやらなければ、ほかにやるところがない。
そういう意味で鯨研がやっておかなくてはいけない、もちろん、人間やお金の制約があるが、文化財とか情報とかはほおっておくとなくなってしまう。
ですから、なるべく早く記録に残して、整備しておかないといけません。
なくなったらもう、これは絶対復活しません。
そういう情報が九州だとか、北九州とか、山口とか、瀬戸内海周辺には、まだ、かなり残っているのではないでしょうかね。
高橋
東北だって海岸地域にはありますから・・・。
秋道
寄りクジラについて名大の若い人といろいろやっているんです。
どうやって運ぶとか。
ホエールウォッチングを含めて、いま、若い人はクジラに別な形で興味をもっていますので、この研究所はクジラのナチュラルヒストリー(自然史)と、日本人とクジラのかかわりについての文化史のようなものをドッキングしたような、ひとつの情報のセンターになって、しかも研究成果の結晶をもとに国際会議の場で堂々と戦っていける、データの蓄積をもっているようなものにならないといけない。
やはりイギリスに負けたらダメです。
問題はお金と人材ですが・・・。
長崎
さっき高橋さんが鯨研をお役所的になったといわれたが、私も理解できますね。
それは、捕鯨問題をやっているのですから、役所の監視は厳しいんですよ。
仕方がない。
ただ、それ以上に鯨研がやらなくてはいけないのは一般の研究者、お役所とは関係のない研究者の意見をどのようにして組み込むか、吸い上げるか、そういう人の協力を得るような努力をするかということにかかっていると思うんです。
それを強力にやっていけば、お役所臭さなんて消えちゃうと思うんです。
お役所臭さをはじめから消そうとしても、それは無理なんです。
他からの空気をどんどん入れていけばよい。
正直言って、敷居が高くなったというのも分かるのですよ。
外からの研究者がアプローチできるような、そこで意見が述べられ、個々の研究者が、鯨研を利用できるような状態になっていなければだんだんに研究者はいなくなってしまいます。
そうなったら残るのはお役所的なものばかり。
他からどんどん人が来て利用するようにして、全体としてバランスをとるようにすればいいのです。
司会
そういった意味で、文化情報部の役割は重要でやる気がおありでしょう。
三崎
やる気は大いにあると思いますし、非常に重要なことと思います。
御用機関であるかのごとくとらえられがちな立場にあるわけですから、御用機関であると発展性はないわけですね。
失礼ながら・・・。
ですが、情報文化としてのひとつの場を与えるという使命はどうしてもあるのではないかと思います。
そういう意味では長崎先生がいうようにひらかれたものであるべきだと思います。
長崎
IWCとか CITES(ワ条約)の国際的な立場で捕鯨とかイルカとかの研究所として、立場を確立する国際的な評価をえるよう努力する場合には、そういうことをやらなくてはダメでしょうね。
私のいう「外の」というのは、当然外国人を含めてということです。
国境を越えた人たちの協力を得なければダメですよ。
三崎
国際的であると同時に、西洋に偏らない、全世界的な視野での国際的な場であることを目標にしてもよいのではないでしょうか。
長崎
是非、やってもらいたいね。
高橋
高いレベルの専門家を招いての企画はずいぶん積極的にやってらっしゃる。
同時に少し、下のレベルで、5年先、10年先を目標とした奨励策、育てる方のことをやってほしいですね。
20歳前半の人たちでも、5年、10年たったら一人前の専門家になるのですから。
また、それくらいの年齢の人は、捕鯨のことがまだ記憶にあるんですね。
かなりの人は給食でクジラを食べているのですね。
まだ関心が繋がっていると思います。
もう一世代変わると、事情は違ってくるのではないでしょうか。
ですから育てるということ、もう少し一般的なレベルというか、広報活動と奨励などもやってほしいですね。
司会
専門分野からの注文がありましたら・・・。
長崎
また、捕鯨問題に返りますが、いままでやってきたなかで、私も頭の中で必ずしも整理できていない問題がありましてね。
それは南氷洋の捕鯨と沿岸捕鯨、クジラを獲って利用するということは同じだが、社会的背景が違うんですよ。
ですから、捕鯨の必然性なり、合理性を証明しようとしたとき、南氷洋の場合と沿岸捕鯨の場合はかなり違うんですよ。
どこがどのように違うのかを人さまに説明でき、自分も納得するような整理がどこかで必要なのかなあということを、感じているんです。
少し広い立場で南氷洋というのは広大な海域で、そこにクジラが集まってきて、そこでクジラを利用する(もちろん、商業ベースでやる)という立場と沿岸でのもの(日本の沿岸捕鯨だけでなく、あちこちの沿岸、インドネシアなどの捕鯨も含め)。
そういう違いをどこかで整理しておく必要があるでしょう。
法学的研究というのがあって、私は南氷洋の場合と沿岸の場合は人類学的にも、社会学的にも経済学的にも全く地盤が違う。
法律の上でも、もっときちんとした区分けが必要なんじゃないか。
いつかやっておかなくてはならない問題ではないかと思いますね。
秋道
さっきの多様性の話ですが、地球上には自然とさまざまなかかわり方をしている文化がある。
クジラの種類もたくさんある。
だから関係性自体の多様性を尊重する立場をとらないかぎり、どうしても教条的な行動とか、条約で規制する方向に走ることになります。
グローバルに考えることは必要だが、地域ごとの多様性を尊重する立場をとらなくては、柔軟性がなくなる。
南氷洋の話ですが、これも沿岸にくらべて人の住んでいないところでの捕鯨だから地域を云々できないという議論もありますが、ひとつには大型鯨類であるヒゲクジラは大回遊する。
だから向こうからやってくるところを獲る待ちの漁業と、出かけていって獲る攻めの漁業の 2つあります。
出かけていくのは悪くて、来たものを獲ればよいという、「沿岸・地元優先」という発想もやめた方がよい。
商業は先史時代からありました。
すなわち、海に依存すればするだけ、人間は陸に依存する度合いを深めるのですよ。
海で一所懸命とればとるだけ、陸のものを必要とする。
たとえば、水とか、澱粉とか、薪や着るもの。
初期のころから交換−交易は必然で、クジラを追いかけること自体が背中に、陸の影を背負っているのですよ。
ですから生存対商業という IWCの理論はおかしくなります。
最近の例では、ニュージーランドに漂着したクジラをマオリの人々が「おお、クジラだ」といって「昔、獲っていた」とその肉を売ろうとしていたら、ニュージーランドの白人政府は「君たちは先住民だから、この肉を商業的に使ってはいけない」といった。
マオリの反論は「なんと白人の人はおこがましいですね。人間の暮らしをどう考えるんですか」ということになるのです。
「商業ということに対して、IWCで決まっているから」というのは、教条的なんです。これを続けたら地球は滅びます。
自然はナイーブですから教条的に考えると、失敗するのですよ。
だから、いろいろとかかわりながら、少しずつ利用していくようなやり方が一番よいと思っています。
法律とか人間そのものがえらいんだというやり方でやると失敗する。
クジラ問題はそういう人間と自然とのかかわり合いを映すまさに鏡なんです。
高橋
いまの捕鯨問題は明らかに文化(カルチャーポリテックス)の問題であると思います。
ですから、実質論では議論を続けてもゲームをしていないことになる。
たしかに、生物研究者の議論はまっとうですよ。
だけど、文化のコンテキスト(文脈)からはずれている。
負けてしまう状態ですね。
これはどれだけ続くか分かりませんが、文化と文化の間の戦いであって、しかも非常に強大な支配力をもっている文化が相手です。
その中の議論なのですから、現状をわきまえていくつかの窓を常に空けておいてもらいたい。
かなりの労力をそちらに費やしてほしいと思います。
それは必ずしもアメリカやイギリスと議論するわけではなく、彼らを説得するためでもないのです。
第三者、傍観者を説得するために、議論するわけですから、そちらで支持者をふやしていくことなのです。
それから、議論を固めるというよりも、具体的に組織を突き崩す方策を考えるべきだろうという気がします。
いろいろな意味で日本は重要な地位にあり、将来、未来を考えていく場合、英米の方を向いてばかりはいられません。
捕鯨の問題は重要な意味を持っています。
具体的にといえば、沿岸捕鯨はやりましょう(笑)、英米は理解できない、それは文化が違うからしょうがないんです・・・。
ある程度まで議論したらそれでいいのだと・・・。
どのように自分たちの捕鯨を管理するのか、管理方法を決めて実行する段階にいまはあるのではないでしょうか。
長崎
高橋さんの話と若干関連させていえば、これからの捕鯨はどういうものであるべきか、生物学的な議論はあるのだけれど、それとは別に捕鯨の仕組み、社会的な、経済的な効果といろいろありますがね。
そういうものを考えてみる必要があるのかもしれませんね。
新しい資源の利用の仕方ということですね。
会議であなた方は何を考えているのかといわれたとき、実はこういうことを考えているのですということが言えるものを考えておく必要があると思う。
しかし、それは分かりやすいものでないと困るんだ。
そういうものも、かなり大事な仕事になるでしょうね。
秋道
小学生ぐらいでも分かるようにですね。
これからは、クジラを獲っていく環境教育ですね。
三崎
いままで環境問題に捕鯨を敵とするシンボルとしてのクジラを取り込んで相手方は、成功したんですよ。
けれど、われわれは環境問題が大事だからこそ、捕鯨が大事だという、逆の発想でした。
そして、相手は袋小路に入ったんですよ。
だから、人間よりもクジラの方が可愛い、大事だということでは人類の環境問題は解決つかない。
みんなが理解し合い、妥協しあって、相手が全部いけないという発想ではいけない。
そういう相互のミーティングポイントをつくるような発想でこれからはいくのでなければダメでしょう。
ワ条約の 140ヵ国集まった中で白い顔して教条的なことを言っているのは非常にわずかであった。
これが未来を象徴していると期待したいですね。
司会
では、この辺で・・・。
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出席者
日本鯨類研究所顧問
国立民俗学博物館、第一研究部教授
桜美林大学国際学部教授
日本鯨類研究所嘱託
水産経済新聞社社長