今日の鯨肉事情

現在、日本の市場で流通している鯨肉は次のようなものである。

  1. 調査捕鯨で捕獲した鯨の肉
    国際捕鯨取締条約第8条第2項に従って、調査目的で捕った鯨は市場で有効利用されねばならず、また、販売から得られる収益が調査費用を補ってもいる。 ミンククジラ、ニタリクジラ、イワシクジラ、ナガスクジラ、マッコウクジラが該当する。 ただし、マッコウクジラについては水銀やPCBの含有量が多いために販売はされていないようである。

    マッコウクジラの水銀について言及したついでに補足しておくと、反捕鯨系の団体は鯨は食物連鎖上で上位に位置し、階層上で下位の餌生物から順次蓄積してきた汚染物質が濃縮して鯨に摂取されるため、鯨の肉は汚染されているから食べるべきではないと宣伝している。 しかし、実際はそんなに単純なものではない。 まず、歯を持たないヒゲ鯨と歯鯨では食べる魚の種類が異なる。 歯鯨だとマグロなどの大型魚類を食べることが可能だが、ヒゲ鯨が食べる魚といえばイワシやサンマなどの小型のものに限られる。 これらは食物連鎖上ではそれほど上位ではないから、汚染物質の蓄積具合も大型魚類とは異なる。 更に同じ鯨種でも、例えば南極海のミンククジラが食べるのはオキアミなどの動物プランクトン類が主体なのに対して、北太平洋のミンククジラは魚類の摂取比率が高いために汚染物質の蓄積具合も異なる。 北太平洋のミンククジラを例にとると、肉における汚染の程度が許容範囲以上で販売されなかった例は過去にほんの数体で、高齢のために汚染物質の蓄積が進んだオスであったと記憶している(メスの場合は1〜2年ごとの出産のたびに赤ん坊に汚染物質が一部移動するため、メス自身の蓄積濃度は薄められるという)。 一方、南極海のミンククジラの肉は極めてクリーンであるために、通常の家畜の肉ではアトピーを起こす子供でも安心して食べられる動物蛋白源のひとつとなっている。 また、ベーコンの原料となる皮脂の場合は、汚染物質の濃度が高い場合にはさらし処理などによって全く害が無いレベルにして販売されている。

    さて価格だが2006年現在、肉類の市場への1キロ当たりの卸価格は以下のようになっている。 ミンククジラの赤肉の場合、2000年における3760円という価格からは半分近くに下がっているが、末端の小売価格ではあまり実感が無い。 小売り段階では3倍程度の価格となっていると言われており、末端レベルでの価格をもう少し下げて欲しいものである。

    2005-06年の南極海調査捕鯨分
    鯨種 尾肉 尾肉徳用 赤肉特選 赤肉 赤肉徳用
    ミンククジラ 無し 7000 6000 1950 1700
    ナガスクジラ 無し 9500 7000 1950 1700

    2005年の北太平洋調査捕鯨分(沖合)
    鯨種 尾肉 赤肉 赤肉徳用
    ミンククジラ 無し 1950 1700
    イワシクジラ 18000 1900 1700
    ニタリクジラ 16000 1950 1700

    また、従来は調査研究機関である日本鯨類研究所から、調査船や乗組員を提供している共同船舶を経由して市場へ売られていたが、2006年春から新たに 鯨食ラボ という会社が5年限定のプロジェクト会社として新市場の開拓に加わった。

  2. IWCの管轄外の捕鯨によるもの
    IWCが管理の対象にすべきかどうか長年の論争に決着がついていない小型鯨類であるツチクジラ(商業捕鯨停止後、年間54頭の捕獲上限を設定してきたが、1999年からは北海道南部の日本海側で8頭の枠を追加)、ゴンドウクジラ(商業捕鯨停止後の捕獲上限は100頭程度)、イルカ類などは日本で資源状態を調査した上で自主的に捕獲上限を設定して捕られている。 これらはいずれも歯クジラ類だが、流通過程では単に「鯨」と表記される場合が多く、ミンククジラのようなヒゲクジラ類とは風味が違う事を考えると、やはり最低限「歯クジラ」か「ヒゲクジラ」かの区別は書いて欲しいものである。 そうでないと、昔親しんだヒゲクジラの味を求めて店で買った鯨肉の味が、「なんか違うなあ」という事になりかねない。

  3. 他の捕鯨国から輸入された肉
    IWCでは1977年に非加盟国からの鯨製品の輸入を禁じる決議が採択され、日本もそれに従っているため、IWCを脱退する前のアイスランドから1991年を最後に輸入されたナガスクジラの肉などがこれに相当する。 第2次大戦頃までは鯨の肉の冷凍保存期間は3-4年が限度だったようだが、現在ではマイナス25度程度で保存し、グレージングという処理で肉の表面が乾燥しないように管理するなどして20年程度までは持つようである。

    以下の鯨肉は比較的近年に正式に輸入されたものである。 ただし、いずれの種も2006年現在においては日本の調査捕鯨で捕獲されているために長期保存し続ける理由も見当たらなく、既に消費されつくしているかもしれない。

    ナガスクジラ
       アイスランド (1991)、 スペイン (1986)
    
    イワシクジラ
       アイスランド (1990)
    
    ニタリクジラ
       ペルー (1986)
    
    ミンククジラ
       ノルウェー (1989)、 ソビエト (1989)、 ブラジル (1986)、 韓国 (1986)
    

    1999年11月末に544業者を対象にし、うち416の業者から回答が得られた調査結果によると、捕獲禁止種の肉の在庫量は、ニタリクジラが1.7トン、イワシクジラが0.1トン、ナガスクジラが17.7トン、マッコウクジラが11.2トンで、いずれも上記輸入肉の残りか、または、商業捕鯨停止前に捕獲されたものである事が判っている。 例外として、仕入先不明のザトウクジラの肉が0.9トン見つかった。 当局の目を逃れて密輸されたものなのか、次に述べる混獲クジラなのかは断定されていない。 なお、調査捕鯨や小型捕鯨で捕獲されている鯨種の在庫は、ミンククジラが643トン、ゴンドウ鯨、ツチ鯨、イルカ類などが416トンで全体の97%であった。

    上記の鯨種はいずれも、ワシントン条約では絶滅に瀕した種を掲載する付属書 I に記載されているが、実際の資源状態とはかけはなれた分類なので、日本はこれらについて留保している。 条約上では、ある鯨が合法的に捕獲されたものであり、捕獲国がIWCの加盟国であって、日本とその国の双方がその鯨種のCITESの付属書 I への掲載について留保していれば、両政府の輸出入の許可の許可によって合法的に輸入できる。 例えば、日本とノルウェーは共にIWC加盟国であり、共にミンククジラの付属書 I への掲載を留保しているので、双方の政府が許可すれば、ノルウェーで捕獲されているミンククジラから、ノルウェーで消費されない部分(ベーコンの材料や肉の一部)を日本へ輸出する事は可能であり、実際ノルウェーは2001年1月に日本への輸出を開始する旨の発表をした(ただし、日本国内からは価格下落を懸念して反対があったために実現しなかったようである)。

  4. 定置網での混獲された鯨の肉
    以前は、海辺に座礁したり、漁網に絡まったりした鯨は、生きている場合は海へ返すが、死んだ鯨は、焼却や埋め立てなどの処分の他、地域内での消費に限定する事で肉の消費が認められる場合もあった。 ただし、金銭の授受を伴う売買は認められていなかった。

    しかし、漁民にとっては魚網などに経済的被害を受けた上に、何の経済的見返りを受けることなく肉を分けたり、あるいは更にお金を払って焼却や埋葬するのでは踏んだり蹴ったりである事から、実際には、これらの鯨の肉が出回っている場合もあった(1)。 そのため、鯨のDNAを登録するなどの手続きをした上で、肉の市場への流通を認める方向で法令の変更が検討され、2001年7月から実施された。 具体的には、定置網に鯨が混獲された場合、肉片のサンプルを水産庁か日本鯨類研究所へ送り、写真を撮って報告書に添付するなどの所定の手続きを取ることによって販売が可能になる。 ただし、大型鯨類の中ではシロナガスクジラとホッキョククジラは対象外であり、定置網以外の巻き網や刺し網での混獲は対象外である。 初年度(2001年の後半)には52頭の混獲クジラが販売された(すべてミンククジラであったという)。

なお、海外から違法に密輸して摘発された例や密漁の例があるが(2)、それらの肉が実際に市場で流通しているという確たる証拠はなく、仮に流通してもやがて露見して長続きはしない事は想像にかたくない。 ちなみに、密輸の場合は30万円以下の罰金もしくは3年以下の懲役、密漁の場合は200万円以下の罰金もしくは3年以下の懲役、となる。 また、上記4の最後に述べた法令改定に伴い、違法鯨肉を扱った流通業者や小売店も罰則の対象にする事が検討されている。 現在では鯨肉の不足感もないため、リスクを犯して密漁するメリットもあまり無いように思われる。

密輸や密猟は反捕鯨団体が好んで取り上げ、捕鯨に反対する口実にしたがるトピックだが、過去において「生物学的に適切な捕獲枠が設定されたが、密猟などの違反が横行したために絶滅の危機に瀕した」鯨種は存在しないという事実には留意しておきたい。 IWC以前に捕鯨によって絶滅した系統群はいくつかあるが、それは「適切な捕獲枠」の概念などなかったり、捕獲枠が設定されていない時代の話である。 IWCの時代になっても鯨種別に捕獲枠を設定したのは1970年前後以降であり(BWU制の廃止時期は南氷洋とその他の海域では異なる)、国際監視員制度の実施も70年代からと、時代によって大きく変化している。 こういう過去における資源管理の有無や、その方法の違いを無視して同等に扱い、商業捕鯨が再開されたらすべての鯨種が再び絶滅の危機に瀕するかのような「捕鯨性悪説」的な雑な議論を展開し宣伝しているのが反捕鯨団体である。 なお、1990年代にIWCが開発した捕獲枠算定方式であるRMP(Revised Management System - 改定管理方式)では、計算される捕獲枠が種々の安全措置によってかなり控えめな上、報告された捕獲量が実際の捕獲量の半分であるような極端な場合でも資源に悪影響を与える事なく管理できる事がシミュレーションで確認されている。

さて、関連する例だが、1994年に反捕鯨団体のEarth Trustなどの資金提供のもと、オークランド大学のC.S. Baker博士とハワイ大学のS.R. Palumbi博士が日本の市場で得た鯨肉のDNA分析でザトウクジラなど違法な鯨種が見つかったとの論文をScience誌の1994年9月9日号(第265号)に発表し、欧米の著名なメディアでも広く報道された。 同年10月31日付けのタイム誌によると、Earth Trustのエージェントがあらかじめ日本国内で鯨肉を買い集めて用意した検体を、1ヶ月後にBakerが東京のホテルの一室にポータブルの機器を持ち込んでDNAをコピーし、既存の標本と照合したものだという。 論文はニュージーランド政府からIWCにも提出されたが正式な論文とは認められず、科学委員会では検討の対象にもならなかった。 内容に疑問点が多いため(3)、すぐに日本側がサンプルの提供を求めたものの、いまだに応じていないのは何か不都合でもあるのだろうか。

その後Bakerは、かつてグリーンピース・ジャパンの活動家として南氷洋で日本の調査捕鯨の妨害に従事し、その後IFAW(International Fund for Animal Welfare - 国際動物福祉基金)に移った舟橋直子の協力のもと、 1997、98、99年に同様のサンプリング調査を行い、現在捕獲されていない(過去の合法的在庫はある)鯨種の肉が流通している事をもって、日本では密輸や密猟が野放しであるかのように発表している。 IWC科学委員会では Bakerの論文について、サンプル鯨肉がどこで捕獲されたものなのかについて必要な情報がそろってない事が確認されている。

注意すべきなのは、このような疑わしい調査結果でも一方的に「事実」として英語のメディアに載って世界的に報道されると人々には事実として記憶されるという点である。 反捕鯨国の一部の強硬な世論の背景には、この例のような一方的情報が長年にわたって「事実」として報道され続けてきた事があるのは疑いないと思う。 実際、ネット上で海外の人間と議論していても、「調査捕鯨では鯨を生きたまま解剖している」という類の与太話を信じている例にすら出くわす。

ただ残念なのは、流通過程において鯨製品のラベル表示にいいかげんな例が多いことで、私自身、北太平洋の調査捕鯨で捕られたニタリクジラの肉を買ったら、ラベルの原産地表示が南氷洋になっていて驚いたことがある。 南極海のミンククジラが「オーストラリア産」として売られていたという、笑い話のような例もあったと聞く。 産地ならまだしも、違う鯨種が表記されている例も多い。 一部の流通業者によるこの種のいいかげんなラベル表示が反捕鯨団体の格好の餌食となって、IWCの場で宣伝材料に使われる事態も起きていて、早急な改善が求められる。

(2006年11月19日 更新)


(1) 最近の例では2000年2月、千葉県の富山町で魚網にかかって死んだザトウクジラの肉を、経済的被害の埋め合わせに売却していた事が発覚している。 鯨は定置網の入り口をふさぐように死んでいたために、2日間魚がかからず400万円の被害を受け、さらに、鯨の引き揚げ作業費や動員された船員の人件費もかかるので、少しでも経済的損失の埋め合わせをするために業者に肉を売却していた。

(2) 手許の資料では近年以下の事例がある。

なお、押収された肉は埋め立て処分や焼却処分される。

(3) 日本側が指摘した点として、ナガスクジラの購入価格が異常に安い点への疑問、ひとつの鯨肉マリネ製品からミンククジラとザトウクジラのDNAが検出されている点、肉の入手先が伏せられている事による信憑性の問題、などがある。 用意された41検体中、実際に結果が得る事ができたのは16検体のみであり、素人が必要な注意を怠って用意したサンプルから強引に政治的目的で結果を引き出したかのような印象を受ける。

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