IWCの年次総会には毎年何十ものNGOが参加し、それらの大多数は反捕鯨団体である。 徐々に解説を加えていくとして、とりあえず、その主なものを列挙しておこう。 各団体のページを訪ねて、捕鯨問題に関する主張を読み、それらが何を語って何を隠しているかを洗い出せば、反捕鯨運動における情報戦略の性格というものが見えてくるであろう。 また、掲示板やゲストブックがある場合には、それらを見ることによって、彼らを支持する一般市民の知識の程度や見識のレベルなども見えてくるであろう。
ところで2002年4月1日に、WWF日本支部が会員向けの会報において「数が多く絶滅の心配がない種類は、徹底した管理制度などの条件が整えば商業捕鯨の再開が可能であるという論理を否定できない」という旨の見解を載せて注目された。 これがスイスの本部の方針に影響を与えるのかどうか未知数だが、オーストラリアやニュージーランドの支部は、そう簡単に姿勢を変えないのではないかと想像する。 なお、ノルウェーのWWF支部はすでに1996年に 「ノルウェーの商業捕鯨の捕獲量は資源に影響のないレベルであり、IWCで定管理制度が完成すればもはや反対することはない」という旨の声明を出して 本部の姿勢との違いを明らかにしている。
また、1998年にはアメリカ・インディアンのマカー族の捕鯨復活への妨害でもメンバーから逮捕者を出している。 今年(2001年)の夏はカリブ海の原住民生存捕鯨に注目を集めるべく、セント・ビンセントへ向かったそうである。 ピアース・ブロスナン(Pierce Brosnan)やルトガー・ハウアー(Rutger Hauer)など、ハリウッドの俳優にも支持者が多いようで、ワトソンの半生を描いた映画が作られるという話が以前ネットに流れていたが、その後どうなったのであろうか。 このニュースに対してあるノルウェー人が、「出来上がったら、その年の代表的コメディー映画になるだろう」と評していたのが思い出される。
これまでは日本と直接対峙したことがなかったが、2002年末には南氷洋における日本の調査捕鯨に対する妨害活動を開始する予定で、8月からニュージーランドのオークランド港において、自身の活動船ファーリー・モワット(Farley Mowat)号の準備をしている。 報道を見る限り、過去のグリーンピースと類似の行動をとるつもりのようで、「類は友を呼ぶ」という言葉が思い起こされる。 最近の報道によると、捕鯨に反対する理論武装を強化する意味も込めて、妨害活動船の乗員40数名は全員菜食主義者であるという。 また、出航を間近に控えた11月には、活動船に魚雷が搭載されているという情報を受けてニュージーランド当局が捜査をした。 その結果、密漁船などに対する威嚇目的で載せた、内部が中空の模造品の魚雷がデッキ上に確認されている。
なお、彼らにとっては敵にあたる ハイノース・アライアンス のページのゲスト・ブックにポール・ワトソン自ら書き込みをしているのを以前よく見かけた。
彼女にまつわる逸話を1つ引用しておこう。 文中「米澤」とあるのは当時IWCでの日本代表団のコミッショナーであった米澤邦男氏である。
米澤がホテルにチェックインした時に反捕鯨派の攻撃は開始されていた。 米澤はホテルで次のように言われた。「あなたの部屋に花が沢山届いていますが、どうされますか? 棄てろというなら、棄てます。それから、プロジェクト・ヨナという反捕鯨団体のマッキンタイアという女性が、あなたにお目にかかりたいと言ってきてますが、どうしますか」
米澤が「花を持って来い」と言うと、葬式の花である白ユリが部屋に入り切らないぐらい届けられた。 それからマッキンタイアが部屋を訪ねて来て、「ミスター米澤、今日は何の日か知ってますか?」と言うから、「知らないね」と言うと、「今日はクジラのお葬式の日です。 そう思って私は花を持って来たんです。 クジラみたいな利口な動物を殺すのは許せません。 人間以上に利ロなんですよ、コミュニケーションもしているし」と真顔で言った。 そこで、「クジラは本も書かないし、建物も建てないし、あまりいい仕事はしないようだね」と言うと、「そこなんですよ。 クジラは本当はできるんです。 でも残念ながら手がないんです。 手さえあれば人間に負けないものを作りますよ」と彼女は言った。
米澤は、40分ほどマッキンタイアにつきあったが、最後に、「あなたのお話を聞いていると、クジラが一部の人間よりは利ロかもしれないと思えるようになりましたよ」と皮肉を言ったが、それが相手に伝わったかどうかは、分からなかった。
マッキンタイアは、その後、プロジェクト・ヨナの金を横領して3年ほど後にクビになっている。 運動家になるには金を集める才能がなければならないし、日本から来たコミッショナーのホテルに押しかけて、デモンストレーションをやったという実績を積まねばならなかったのだろう。 運動家は純粋なだけでは務まらない仕事である。
(小川晃 「鯨と日本外交」、「月刊日本」 2001年7月号)
(2002年12月7日 更新)
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