「鯨は生態系の上で頂点に立つ生き物である」とか「鯨は食物連鎖の頂点にいる生き物である」というような文は、おそらくほとんどの人は目にした事があるだろう(例えば著名な反捕鯨啓蒙家であるロジャー・ペイン(Roger Payne)に言わせると鯨は食物連鎖上、下から第7番目であり頂点に立つという)。 また、植物プランクトンから始まって、様々な生物が階層構造をなして上へ延びてゆく図も一度は目にした事があるのではないだろうか。 以前から、鯨類の食物連鎖における地位(食物段階)については疑問を感じていたのだが、この場で整理してみたい。 なお、生物を捕食者と被捕食者の1次元的つながりで捉える「食物連鎖(Food Chain)」という概念はやや古典的で、現実の捕食関係はもっと複雑な網の目状の「食物網(Food Web)」であるが、ここで述べる話では鯨種ごとの餌の違いを論じる程度なので、簡単でわかりやすい「食物連鎖」で話をすすめる。
まず、捕鯨問題との関連で考える上で、これまでIWCが管理の対象としてきた大型鯨類とその餌をおおざっぱにまとめると以下のとおりである。
ヒゲクジラ亜目ここで、歯を持たないヒゲクジラ類が食べる魚類とはサンマ、シシャモ、ニシン、イワシといった小型のものやサバ、タラといったものである。 なお、同じ鯨種でも生息する海域が違うと餌も違ってくるし、同じ海域の同じ種類の鯨でも、年によって餌に変動がある。 例えば、日本が調査捕鯨で捕っているミンククジラは、南半球に生息するものはオキアミ類などの動物プランクトンが餌の大部分を占めるが、北太平洋のものではオキアミは半分程度で、あとはマイワシ、イカナゴ、サンマなどの魚類が占め、それらの割合が年によってかなり変動している様子は、胃の内容物も調べる捕獲調査がもたらしてくれる、今現在の生態系に関する貴重な知識の一つである。
ナガスクジラ科 シロナガスクジラ 動物プランクトン(オキアミ) ナガスクジラ 動物プランクトン(オキアミ、カイアシ)、群遊性魚類 イワシクジラ 動物プランクトン(オキアミ、カイアシ)、群遊性魚類 ニタリクジラ 群遊性魚類、動物プランクトン ミンククジラ 動物プランクトン(オキアミ、カイアシ)、群遊性魚類 ザトウクジラ 動物プランクトン(オキアミ、アミ)、群遊性魚類 セミクジラ科 セミクジラ 動物プランクトン(カイアシ、オキアミ) ホッキョククジラ 動物プランクトン(カイアシ、オキアミ) コククジラ科 コククジラ 底生甲殻類 歯クジラ亜目
マッコウクジラ科 マッコウクジラ イカ、底生魚類
さて、こうして表を見ると、いくつかの疑問が生じるが、まず、このような餌の多様性を無視し「鯨」という言葉でひとくくりにして、その食物連鎖上の地位を論じられるかという疑問がある。 食物段階が植物プランクトンよりひとつ上の動物プランクトンを偏食するシロナガスクジラと、イワシやサンマなどの小型の魚を食べるその他のヒゲクジラ類、さらに表には載っていないがマグロ、カツオなど大型魚類を食べるゴンドウクジラ(歯クジラ類)などを、あたかも一つの食物段階にあるかのように語るのは、個々の鯨種の資源量の違いを無視して「鯨が絶滅しかかっている」と言うのと同じ類の粗雑な言い方ではないだろうか。
次に「食物連鎖上で頂点」という点について考えてみる。 野生の動物で鯨を襲って食べるのは同じ鯨類のシャチくらいであり、鯨を食べる野生動物種がいないという、相対的な意味では頂点と言える(余談だが、世の中には鯨は人間と同等の知能を持つ生き物であり、鯨を食べるのは食人に等しいと信じている人もいるが、彼らが鯨を食べるシャチの行為を嘆くのは聞いたためしがなく、本当に彼らの意識の上で鯨と人間は同等なのか疑問である)。 だが、食物段階がどのレベルものを食べているかで考えるならば、シロナガスクジラはオキアミを食べる他の生物より高いとはいえず、小型魚類を食べるイワシクジラなどの種は、同じく小型魚類を食べる鳥や中型・大型魚類より高いとはいえない。 もし相対的な意味で「頂点」と言っているとすれば、例えるなら5階建ての建物の5階と10階建ての建物の7階を比較して、前者は最上階だから頂点であるというのと同じ論法であって、地上からの高さが反映されているわけではないのである。 このような位置づけが生態系を考える上でどれだけ重要な指標となりうるのか疑問が残るが、これまでのところ、この疑問に答えてくれる説明には出会った事がない。
このような事から、冒頭の「鯨は食物連鎖の頂点」という言い方は、かなり誤解を招く言い方である事が言えると思う。 大型魚類を食べる一部の歯クジラ類はかなり高い段階にあるかも知れないが、鯨類が共通の食物段階にいるわけではないのであり、地球上で最大の動物として賛美されるシロナガスクジラなどは、「頂点」という言葉によって一般の人々がイメージするよりは、食物連鎖上はるかに低い位置にいるわけである。 また、最近よく話題になる環境汚染物質の体内への蓄積という点では、問題になるのは食物段階が下から何番目かという点になるはずであり、そうなると議論は鯨の種類ごと、あるいは生息域ごとの餌の違いを抜きにしては論じられないはずであるが(さらに体の部位によって蓄積の度合いが全然違うから鯨製品ごとに論じる必要もある)、反捕鯨国での報道をネット上でみるかぎり、「鯨の体内から高濃度の汚染物質が発見」というレベルにとどまるものが多く、詳細を伝えない事によって鯨であればどこで捕れたどの鯨のどの部位の食品でも危険であるかのような印象を持たせようという意図が見え見えである。
さて、食物段階が上位の動物は汚染物質が蓄積しやすいから環境のバロメーターであり、従って保護されるべきであるという論もあるが、汚染物質が蓄積しやすいなら、そうでない生物よりはいっそう注意を払って捕りすぎないようにすれば良いだけの事で、捕獲量をゼロにしなければならない必要など何かあるのだろうか。 さらに「バロメーター」だからこそ、その体内からは汚染物質の蓄積具合いや、その体内への影響など、環境汚染の生物への影響を研究する手がかりが多く得られるのであり、鯨を殺さないで皮膚からサンプルを採るだけというのでは、「私達が愛する"お鯨様"を殺すなんて許せません」という一部の愛好家の価値観に迎合する上では有効でも、海洋生物と環境に関する知識を迅速に深めようという立場から見れば、入手可能なデータのごく一部を効率悪く利用する手法であり、例えて言うならば、惑星探査機がありながら天体望遠鏡だけで惑星を研究せよというようなものであって、得られる知識も限られる。 実際、調査捕鯨で得られる知識の中には、反捕鯨論者がとなえる非致死的調査では決して得られないもの、あるいは得られてもはるかに多くの年月を要するものが多いが、この点は専門家による説明に詳しい。 もし、日本の調査を否定する国に非致死的手法のみで調査させて、日本の調査とどちらが確かで多くの結果を効率良く導くかを比較すれば、この点はすぐ明らかになるであろう。
(2000年2月19日 更新)
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