クジラやイルカの知能

ネット上での捕鯨に関する議論において、海外の反捕鯨論者が他の野生動物の狩猟や漁業と違って「いくら鯨の数が多くても捕ってはいけない」という極端な政策を支持する根拠にあげるのが「鯨は知能が高いから特別だ」という点である。

実際、オーストラリアが70年代終りに自国民の捕鯨を禁止する際、当時のマルコム・フレーザー(Malcolm Fraser)首相は、「特別で存在であり知能の高い鯨を銛で殺す事が多くの人に不快感を与えている」と述べていて、反捕鯨国の捕鯨に関する政策決定の背後に鯨類の知能に関する俗説への信奉がある事をのぞかせている。 また、2013年にはインドが鯨類を「人類ではない人」と公式に認めた。

カナダの人類学者ミルトン・フリーマン(Milton Freeman)が1992年初頭にカナダのギャラップ社に依頼して、オーストラリア、イギリス、ドイツ、アメリカ、日本、ノルウェーの6ヵ国で行った世論調査(サンプル数はアメリカが1000名、他はそれぞれ500名)においても、「あなたは”鯨のような知能の高い生き物を殺すなんて信じられない”という主張に同意できますか?」という設問において、「イエス」の割合がそれぞれ 63.9、64.2、55.8、57.0、24.6、21.8 パーセントとなっていて、「知能が高い鯨」を殺す事に対する反感が反捕鯨国で高い事をうかがわせている(ちなみに「ノー」の割合は 21.7、20.1、23.5、24.8、47.9、57.1パーセントである)。

しかし現実には、鯨類の知能に関して巷で信じられている事と科学者レベルで解明された事実のギャップが大きいようで、2013年に『Are Dolphins Really Smart?(イルカは本当に賢いか?)』という本を著したイルカ研究者ジャスティン・グレッグ(Justin Gregg)によると、一部の研究者と一般大衆が鯨類の知能を実際の研究データが示す以上に誇張しているのだという。 また、そこにはマスメディアの雑で不正確な報道も大きな役割を果たしているようである。

そこで、以下知能面を中心に鯨類は特別かどうかについてまとめてみる。

まず指摘しておかなければならないのは、70種類以上ある鯨類の中で、その知能が研究されているのはバンドウイルカなどほんの数種の小型鯨類であるという事である。 例えば、「イルカは鏡に映った自己を認識できる」という話はネット上でもよく見かける。 これは、ダイアナ・ライス(Diana Reiss)とローリ・マリーノ(Lori Marino)が2001年に発表した研究が発端だが、以後の様々な研究を調べてみると、飼育環境下におけるバンドウイルカ、シャチ、シロイルカなどごく一部の種でしか能力を示唆する結果は得られていない。 同じ飼育環境下においてもオキゴンドウやカマイルカでは確認できなかったという研究もあり、また、野生のイルカが自己認識能力を示唆したという研究はないようである*1。 (なお、チンパンジー、ゾウ、カササギも鏡に映った自己を認識できるらしいが、最近ではブタにもそれらしき兆候が知られており、アオリイカも鏡に映った自己を認識できるらしいという研究もある*2。)

一方、シロナガスクジラやミンククジラなどのヒゲ鯨や、マッコウクジラのような大型歯鯨について、その知能が研究され、それが人間に近い事が実証されたり、それを示唆するような事実が見つかったという話は聞いたことがない。 また、飼育環境下において人間から様々なトレーニングを受けてから行われた実験で示された能力が、、野生のイルカの生活において発揮されているかとなると、これはまた検証が必要な別問題である。

しかし、例えばグリーンピース・オーストラリアが1992に発行した"Are whales almost human?"と題したパンフレットでは記述の対象をイルカに限定せずに鯨類全般のこととして「疑いもなく知能が高く・・・」と書いている。 チンパンジーの知能が高いからといってメガネザルの知能も同等のレベルにあると思い込む人はいないと思うが、鯨類に関しては「イルカは賢い」−>「鯨類は賢い」−>「鯨を食べるのは人食いと同様な野蛮な行為である」とメチャクチャな飛躍でもって論旨が発展して、捕鯨という漁業 − 漁業自体は反捕鯨国も含めて世界中で行われているごく普通の行為だが − を特別に罪悪視して抑圧する有力な論拠に使われているのが現状である。


1.脳から見た知能レベル
例えばバンドウイルカの脳は約1.6キロと、人間の1.5キロに近く、見かけも人間のものにけっこう似ていなくもない。 ただ、脳の絶対重量や体重との相対比率については、知能との相関はないようである。 アジア象の脳は人間のものより5倍重いが、人間より賢いという兆候は全く見られないし、バンドウイルカの5倍近い重さの脳を持つマッコウクジラに、より高い知能を示唆する行動が観察されているわけでもない。 そもそも脳は体全体をコントロールする役割を持っているから、大まかな傾向として、大きな動物ほど大きな脳を要するのは、コントロールする対象が多いのだから当然である ここで「大まかな」と言ったのは、例えば同じ大きさの動物でも爬虫類のような変温動物と哺乳類のような恒温動物では、体の機構の複雑性が根本的に違っていて単純比較などできないからである。 では、体重に対する脳の重さの比率が大きい事が指標になるかというと、小型のマウスが高い数値を示すのである。 そもそも、脳において知能をつかさどるのはごく一部分である事を考えると、脳全体の重量でなにか知能に関わる指標を得ようとする事自体が、的外れではないだろうか。

   様々な動物の脳の重さ、体重、体重に占める脳の重さの比率
                 (High North Allianceのホームページより)

       Species     Brain weight    Body weight    Brain weight 
                         (gram)         (tonn)         as % of 
                                                   body weight

       Man                 1500           0.07           2.1
       Bottlenose dolphin  1600           0.17           0.94
       Dolphin              840           0.11           0.74
       Asian elephant      7500           5.0            0.15
       Killer whale        5620           6.0            0.094
       Cow                  500           0.5            0.1
       Pilot whale         2670           3.5            0.076
       Sperm whale         7820          37.0            0.021
       Fin whale           6930          90.0            0.008
       Mouse                  0.4         0.000012       3.2

次に脳そのものについて言えば、シワは人間より多いのだが、知能に大きく関わるとされる大脳新皮質は人間の半分程度に薄く、神経細胞の密度も低い。 もっとも新皮質が脳全体に占める量が多い方が知能が高いかというと、実際にはハリモグラの方が人間より多く、やはり量のみでなく質的な分析が求められる。 鯨類の祖先が陸上の哺乳類で、6500万年から7000万年前に海での生活を始めた事は、今日ではよく知られていると思う。 陸上哺乳動物において、脳の新皮質の最後の進化が始まったのは5000万年程前と考えられているが、鯨類の祖先はそれよりはるか以前に海へ移ったために、同じ哺乳類といっても、現世の陸上哺乳類とは違い、新皮質の層の数が6つではなく5つしかなく、構造もはるかに単純であるなど、質的な違いも大きい。 また、海中という、視覚から入ってくる情報だけでは不十分な環境で生きているために、音波を発して、その反射波から周囲の状況を把握するエコーロケーション(Echo location)という機能が発達しているため、音波の処理に必要な箇所が発達して、このような比較的重い脳を持つに至った、と考えている学者もいる。 2006年には、南アフリカのポール・マンガー(Paul Manger)が、鯨類の脳においては神経細胞を暖める機能があるグリア細胞が以上に多いこと、鯨類の脳が大きくなった約3200万年前は地球上で海水温が低下した時期でもあることなどから、鯨類の脳が大きいのは低体温から体を守るためという新説を発表し、研究者からの多くの反論を巻き込んだ議論になったという。

というわけで、イルカの脳は見かけに反して質的にはかなり人間のものと違い、人間に匹敵する知能の存在を万人に納得させる決定的な材料は、今のところないのである。


2.行動からみた知能レベル
10年ほど前であるが、ある新聞報道を見て苦笑した事がある。 内容は、オーストラリアの海で溺れた人間をイルカが岸まで押したために命が救われたというようなものだった。 苦笑したのは、どうもあちらの国では優しいイルカが溺れた人間を見て、助けようという善意で押したと、勝手に人間本意の理屈で解釈している様子が文面からうかがえたからである。 このような解釈が妥当であるためには、1.「イルカは溺れている人間の挙動から、危険な状態にあると判断した」、2.「イルカは危険な状態にある人間を助けたいと思った」、3.「イルカは人間を助けるには、人間を岸まで連れていくのが解決策であると認識した」事が検証されてなくてはならないが、実際のところ、そのような事を証明した研究はない。 イルカは生き物に限らず、木や生き物の死体などでも海で沈みかかっているものを支えたり、浮いている比較的大きな物を押して運ぶ習性があるから、上記のような民間信仰はあくまでも人間側の希望的心理の基づく解釈にすぎなく客観的根拠がない。 あまり知られてないようだが、現実には泳いでいる人間が突然イルカに攻撃されたり、沖合いの方向へ押されるというトラブルも報告されているのである。

また、イルカには集団行動にみられる社会性や、教えられた動作を行う、遊ぶといった行動も見られるが、これらは他の動物にも見られるもので、特にイルカが抜きん出ているわけでもない。 更に、イルカには人間と違って創造性というものを発揮する様子はほとんど見られないし、他のいくつかの動物に見られるように、道具を作って使うことも報告されていない。

このように行動面では特に際立ったものはないようだが、ただ、陸上動物でそれほど目を引かない行動でも海洋動物が行うと、特に過去の歴史において海の生き物とそれほど接点が無かった国々の人々の目には新鮮に映り、心が舞い上がってしまうのかも知れない。 また、イルカの顔が可愛いという事も、行動を好意的に増幅して解釈しようとする心理に関係しているとも思われる。 例えば、学習能力にすぐれ様々な遊びを楽しむカラスについて、イルカと同様の思い入れをして「どんな事があってもカラスを殺すべきではない」という政策を取りいれる国は聞いた事がない。 もし仮にカラスとイルカの知能が大差ないレベルのものだとすると、前者を殺す行為と後者を殺す行為に、政策上で善悪の差を導入するという事は、喩えて言えば「人気のある芸能人を殺すのは一般の人を殺すよりも罪が深い」というような差別法を導入するようなものであり、到底、誰もが受け入れられるものではない事は多くの人が納得できると思う。 なお、付け加えると、あの可愛い顔で(おそらく表情を多彩に変化させる事は不可能なのだろうが)仲間どうしのイジメがあったり他のイルカ類を殺したりしているのも、TV番組などでは取り上げられないが事実である。


3.会話能力
鯨類が音声をコミュニケーションに用いているのは事実である。 ただ、「音声」が気分をうなり声レベルで表現するものなのか、それとも一つの物や概念を一定の音声で表現するレベルかとなると知見はなく、体系的な言語と呼べるものを持っていて、それでもって仲間どうしの会話が行われている確たる証拠も見つかっていない。 飼育されたイルカにいくつかの名詞や動詞などの単語を教え、それらの組み合わせて作った様々な文章を理解できたというような報告は読んだ事があるが、これはあくまで人間に教えられて達成した事であって、野生のイルカが自発的に行っているのが発見されたわけではなく、また、実験そのものも、もっと多くの研究者によって追試されてからでないと、確かな事は言えないであろう。

イルカ語のようなものがあって、それを人間の言葉に翻訳でき、イルカと様々なやりとりができるという可能性は現在では全く見通しがたっていないし、おそらく達成されないと思う。 そもそも、人間とは違う形態を持ち生活環境も異なる動物の知能というものが、人間の知能でもって解釈できるものかどうかも疑問である。 例えばサッカーとテニスは共に球技であるが、全く形態の異なるスポーツであって、単に用語を入れ替える事によってサッカーのルールブックをテニスのそれに変える事など不可能である。 動物の知能も似たようなもので、異なる体を持ち異なる環境で生きている様々な動物の知能は、それぞれの動物の必要性に応じて異なった方向に発達しているものであって、ある動物にとっての知性は他の動物にとって知性として認識されるとは限らないのではないかという気がする。

イルカと会話が可能であると思っている方は、試しに本屋で幼児向けの童話でも買って、そこに使われている言葉に対応するものがイルカの生活に存在するかどうか考えてみるとよい。 人間の世界でも、ある外国語の単語が示す概念が自国語にないために翻訳に苦労するのはよくある事だが、相手は何もかも違うイルカである。 百歩譲ってイルカが人間の言葉に翻訳可能な言語を持って仲間どうし会話しているとしても、「王子様」、「ごほうび」、「お祈り」、「結婚式」など、そもそもイルカの世界に存在していそうになく、従って翻訳などできそうもない言葉に満ちている事がわかるはずである。 子供向けの本ですらこの有り様では、鯨類高等知能教の教祖であるジョン・リリー(John Lilly)が言うように、イルカを相手に地球や宇宙の様々な事象について語り合い、哲学的認識を深めるなど、夢のまた夢であって、せいぜい「あっちの方にイワシがたくさんいた」と教えてもらうのが関の山であろう。 しかもこれは、「百歩譲ってイルカが人間の言葉に翻訳可能な言語を持っている」と仮定した場合の話であり、その前提すら極めて怪しいのである。

実際、イルカの音声コミュニケーションについての過去の様々な研究について考察したある科学者は、彼らが「誰が」、「どこで」、「何を」といった情報は伝達できるものの、「いつ」、「どのようにして」、「なぜ」といった情報をやりとりしている形跡はないとしている。

なお、前出のジャスティン・グレッグの著書では、人間の自然言語にある特徴(例えば、既存の言葉の組み合わせで無尽蔵に新たな表現を生成できることなど)がいかにイルカの音声コミュニケーションにおいては欠落ないし不足しているかを例を挙げて説明し、「イルカ語」というものを明確に否定している。 ちなみに同書ではイルカの音声コミュニケーションについて、人間の言語にある代表的特徴10項目でのスコアを根拠を挙げて各 0〜5点で評価しているが、総合スコアはチンパンジー(音声と身振りによるコミュニケーション)と同じ20点で、満点である50点からはほど遠かった(概要については、 「イルカ語」は存在しない を参照)。


このように考えると、鯨が人間に近い高度な知能を持った生き物であると信じ、それを捕鯨に関する政策に反映させるという行為は、喩えて言うなら、カリフォルニアの砂漠で空飛ぶ円盤に乗ってきた金星人とテレパシーで会話したという、1950年代初頭のジョージ・アダムスキー(George Adamski)の話を鵜呑みにして、「金星の方々に迷惑がかからないように、探査機を送り込むのはやめましょう」というのと同レベルであって、カルト・グループの仲間うちならまだしも、政治レベルでまかり通る事が私には不思議に思える。

同じ知能レベルである事が明白な他国の人間に対して、文化的背景に基づく社会・経済上の制度の様々な違いに難癖をつけ、自分たちの制度が世界の標準や理想であると強弁し、時にはそのような口実から経済制裁や軍事的対立にまで発展させる一方で、鯨類の知能レベルについての説を盲信し、ヒステリックなまでに鯨類を保護する政策をとり続け、自分たちの鯨観に基づく政策を世界中に強要しなければ気が済まない国々を見る時、なにか病んだ精神のようなものを感じてしまうのは私だけであろうか。

客観的に様々な実験や多くの科学者の意見をもとに、他の動物と比較してイルカがずばぬけた知性の持ち主である事を立証してみせたTV番組や雑誌記事は、私の知る限りでは無いようである。 だが、なんとなくイルカは動物の中で特別な知性を持っているかのような印象を与えるTV番組でのナレーションに接したり、思わせぶりなタイトルの本を目にする事は多いと思う。 かつてナチス・ドイツの宣伝相であったヨーゼフ・ゲッベルス(Joseph Goebbels)は「ウソも百回言い続ければ人々は真実として受け入れる」というような事を言っていたと思うが、似たような状況にあるのが鯨類の知能をめぐる世間の認識の状況である。

(2015年2月21日 更新)



参考

(1) イルカについては以下の研究など。
http://www.comparativepsychology.org/ijcp-vol26-2/04.delfour_etal_FINAL.pdf
http://isanakai.web.fc2.com/isana-symp/2012/isanasymp_12.pdf
※p.12に要旨。

(2) ブタについては、
http://wired.jp/2009/10/15/豚にも自己意識がある?:鏡像を理解できること/
イカについては、
https://kaken.nii.ac.jp/d/p/16580156.ja.html

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