JAをボロカス言うたわしがあれなんですが、
虎ノ門関係者がまた分裂しそうですな。
??ですなぁ....
Akira Kashima ご自身かどうかわかりませんが、
この方の紹介されたサイトを見てみたら、
阿羅健一氏主催の「南京戦の真実を追求する会」のサイトでした。
https://twitter.com/laughingsalesm1/status/1336465096965378048?s=20
> > 『今村均回顧録』を読まないとわからないけれど、まだ読んでません。
> > ただ、1940年3月(写真は1月)に戦陣訓が畑俊六大将のもとで作成されて、
> > それに今村均が関わっております。
> > 今村は、永田鉄山らの一夕会に属しています。
> > 畑俊六大将は、松井石根大将をあまり快く思ってなかったようですから。
> > どうなのでしょうか。
> > 後に畑のところで重要な戦陣訓を作る際に辣腕を振るうのですから、
> > 松井大将と関係性の面で良好ではなかったような気もします。
> > 分治合作主義という華北分離統治工作継続を求めていた「新対支政策」を提示した松井と、それに反対する皇統派の荒木の関係性などを踏まえても、軍事の内部の情報を詳しくないのでよくわかりませんでした。
> > 申し訳ありません。
>
> 情報ありがとうございますm(__)m助かります。
> 松井大将の後任者である畑大将の元で作られたことを考えると、個人的には関係性は悪かったとしても、中支派遣軍の基本的な訓令として看板にあるような3か条があったということかと思います。
同意します。
初期からの中支派遣軍の方針だったと考えていますし、
進軍中や南京での捕虜処刑の件も、兵民分離の原則と南京戦史に掲載された
信夫淳平とHenry Halleckの文章だったと考えています。
> 『今村均回顧録』を読まないとわからないけれど、まだ読んでません。
> ただ、1940年3月(写真は1月)に戦陣訓が畑俊六大将のもとで作成されて、
> それに今村均が関わっております。
> 今村は、永田鉄山らの一夕会に属しています。
> 畑俊六大将は、松井石根大将をあまり快く思ってなかったようですから。
> どうなのでしょうか。
> 後に畑のところで重要な戦陣訓を作る際に辣腕を振るうのですから、
> 松井大将と関係性の面で良好ではなかったような気もします。
> 分治合作主義という華北分離統治工作継続を求めていた「新対支政策」を提示した松井と、それに反対する皇統派の荒木の関係性などを踏まえても、軍事の内部の情報を詳しくないのでよくわかりませんでした。
> 申し訳ありません。
情報ありがとうございますm(__)m助かります。
松井大将の後任者である畑大将の元で作られたことを考えると、個人的には関係性は悪かったとしても、中支派遣軍の基本的な訓令として看板にあるような3か条があったということかと思います。
> 以前南京のツリーで拾って、日本軍が民間人を虐殺するはずが無い根拠として貼っていた画像なんですが、1941年から日本軍が南下して行った南寧での画像だということが明らかになりました。
> 司令部の方針として出していた訓示ですが、この命令を出した今村部隊長と松井石根大将との関係について何かご存じないですか?https://www.asahi.com/sp/articles/photo/AS20181108001257.html
『今村均回顧録』を読まないとわからないけれど、まだ読んでません。
ただ、1940年3月(写真は1月)に戦陣訓が畑俊六大将のもとで作成されて、
それに今村均が関わっております。
今村は、永田鉄山らの一夕会に属しています。
畑俊六大将は、松井石根大将をあまり快く思ってなかったようですから。
どうなのでしょうか。
後に畑のところで重要な戦陣訓を作る際に辣腕を振るうのですから、
松井大将と関係性の面で良好ではなかったような気もします。
分治合作主義という華北分離統治工作継続を求めていた「新対支政策」を提示した松井と、それに反対する皇統派の荒木の関係性などを踏まえても、軍事の内部の情報を詳しくないのでよくわかりませんでした。
申し訳ありません。
以前南京のツリーで拾って、日本軍が民間人を虐殺するはずが無い根拠として貼っていた画像なんですが、1941年から日本軍が南下して行った南寧での画像だということが明らかになりました。
司令部の方針として出していた訓示ですが、この命令を出した今村部隊長と松井石根大将との関係について何かご存じないですか?https://www.asahi.com/sp/articles/photo/AS20181108001257.html
太平洋問題調査会(IPR)についての面白い論文がありましたので紹介しておきます。
片桐 庸夫
『太平洋問題調査会(IPR)とインクワイアリー問題--第七回ヴァージニア・ビーチ会議不参加への道程を中心として』
https://ci.nii.ac.jp/naid/110000333877/
Westel W. Willoughby
https://en.wikipedia.org/wiki/Westel_W._Willoughby
この人物は余り日本では紹介されてないようなきがします。
満洲事変以降の中国での憲法・法律などの教官や外交での顧問をやっていた人物のようです。
ハーバードのロースクールのManley O. Hudson に意見が近い人物のようです。
このHudsonの弟子が、Quincy Wright、横田喜三郎がいます。Quincy Wrightの弟子には武内辰治がいます。
1920年代のソ連の米国の法律学会への浸透工作ってのは、どうなってたのでしょうかね。
この人物面白い。
強烈な皮肉やさんのようですが、
現在の共和党、民主党、トランプ大統領を見ている目線が、
庶民感覚なんでしょうかね。
> 私自身の訳は置いといてですね(割と思い込みがあったりします、後になって、あ、あれ違うわ!と気づいたり)
> シブタさんの訳が合ってるのでないかと思えます。
> 「切り離す」というのはcomparativeを「単に比較対象として出しただけ」みたいな意味でしょうか・・?
> weblioでは「比較により査定される」「比較に基づいた」とあるので、「切り離す」とは逆の意味になってくるような。
連中昔から酷い訳をして、大げさに言うと日本人を騙してたのでしょうな。