> なにかを唱えた方が登りやすいのですか。
登山で言うと、当方の場合は何も唱えない方が良ようです。
つぶやき程度なら、ゆっくり刻むリズムの歌を呟く方が良いかも知れませんな。
当方は、題目及び経典を唱えながら登ったことがありましたが、
50丁目中、4丁目で果てました....汗
ツマラナイ話の続きです。
登山での登りの場合、ほぼ90%ぐらいは、足下しか見ていません。
下りの場合は、視野に入ってくる景色は見えます。
山道は、ようは地面を眺めているだけの辛い行程です。
だいたい、登山はじめは朝早くや暗い内にヘッドライトやハンドライトで道を照らしながら歩き出します。
足下近くの山の花や生き物に心を癒される程度で、
きつくなるとほぼ何も見ていません。
ほぼ【無】の境地になります。
ある意味〈気絶〉しているような感じでもあります。
当方は、下山中に良く足が痛むので、苦痛で気絶しそうになって居ます。
因みに、怒りで一人喚いていることもあります。
すれ違った方がビックリされ居ます。(頭のおかしな人間に見られているかも...)
なぜ、そこまでして登るのかと言えば、
前回書いたように、安堵感達成感などが得られるからだと思います。
今日は、七面さんの遙拝所から富士山が綺麗に見えています。
> 人によっては、リズムを作るために、
> 歌を謳ったりとする方も居られますが、
> 当方は、1、2、3、4とこれを繰り返し唱えています。
> 普通は日蓮宗徒なのでお題目なのですが、
> ほんとうに罰当たりものです。
>
なにかを唱えた方が登りやすいのですか。
> まぁ、二度の死ぬかと思うような体験です。
>
回心?
今回も引き続いて、
クダラナイ話をします。
適当に無視してください。
山に登ることでやって来た失敗談は、
最初の方は、がむしゃらに力加減をせずに
がんがん登っているくのですが、
直ぐに力つきしてしまいました。
そして、下山時に猛烈な足の痛みになってわが身に返ってました。
そんな事を繰り返していたので、(学びがない悲しさ...)
下山中に、嘆いていると見も知らずの当方よりも年配の方に
叱咤激励される始末。
登山中はほんとうにきつくて、
何しに登っているのかいつもよく判りません。
人によっては、リズムを作るために、
歌を謳ったりとする方も居られますが、
当方は、1、2、3、4とこれを繰り返し唱えています。
普通は日蓮宗徒なのでお題目なのですが、
ほんとうに罰当たりものです。
今回はこんな所です。
昨年は、参拝できなかったのですが、
子供の頃より見てきた七面山随身門(48丁目)からの風景です。
子供の頃と変わりません。
本来なら、ドーンと富士山が正面見えます。
今日は雨で見えません。
この場所は、ご来光遙拝所になって居まして、
春分・秋分の日には、富士山山頂から朝日が昇ると言われています。
当方、その頃に入っておりませんので判りません。
この七面山の参拝で、子供の頃より変わったことと言えば、
鹿が増えたこと、参拝道にヤマビルが湧いたことでしょうか。
そして、敬慎院でも気温が高くなった気がします。
子供の頃は、寒いぐらいでした。
朝早くご覧戴くと、新興宗教系(白衣)の人々が居られるかも知れませんが、
ご来光を拝めるかも知れません。
https://youtu.be/2oFVQygx86I
一寸頭に来たので....
中国の産業構造の強化こそが、
中国共産党の軍事力強化への協力ってのを
カモフラージュするコメントなんですな。
はっきりいって、
原子力発電の技術の向上も、正確には軍事力ではありません。
しかし、その研究の成果等は軍事転用可能なのですな。
本当に頭に来ますな。
こういう連中は。
今回も山のツマラナイ話をします。
山は結構危険です。
といって、当方が危険な目にあったかというとほぼありません。
二度だけ、死ぬかも思ったことは、
霊仙山という伊吹山の南にある素晴らしい山で、
コースを滝側にとったことで、
春開けのぬるぬるの泥状の登山道を滑って、滝へ滑落しそうになったことがあります。
正直、死ぬかと思いました。
それそその時の霊仙山山頂で、霧に巻かれて、猛烈な寒さの中暫く登山道を見失ったことで、しばらく山頂付近を凍えながら彷徨った時も死ぬかと思いました。
この日の山行は地獄でした。
その他四度登っていますが、すばらしい景色が眺められたことは言うまでもありません。
当方はほとんど交通機関と装備の関係で冬山は登らないのですが、
立山に行くことを決めて、雪もある程度想定しおかないといけなかったので、
良く行く武奈ヶ岳へ登ったのですが、その日の雪の状態からすぐにへたれて登頂は諦めて、別ルートから下山をすることにしました。
滋賀県側に八雲ヶ原という湿地帯がありその方向へ逃げました。
その湿地帯も雪の時期は、ほぼ雪で隠れています。
その横を慎重に通って、スキー場跡を登っている最中に、
ブリザードにあってホワイトアウトになってしまい、視界「0ゼロ」になってしまいました。
冬用手袋をしていたのですが、凍り始めて、手も痛くなり始めました。
正直、こりゃ駄目だと。
なんとか、深く雪に嵌った足を動かして、スキー場跡の上の林の間の道に逃げこむとブリザードも止み事なきを得ました。
まぁ、二度の死ぬかと思うような体験です。
山は、降りて初めて終わりなのですが、
運がよかったのだと思います。
山では簡単に人が死ぬことがあるところなのです。あまり知られていませんが...
今回はこんなところです。
当方のつまらない文章に、
コメントを頂き申し訳ございません。
申し訳ついでに、もう少し続けさせていただきます。
山に登る目的と手段は様々です。
最終的に世界最高峰のエベレストを登るという目標を立てる人も居れば、
当方のように、その辺を歩いてある程度満足してしまう人も居ます。
そして、登り方の種類も、
ピークハント、縦走、クライミング、アイスクライミング、周回登山などがあります。
最近では、ファストラベル、トレイルランニングなど縦走の進化形があります。
当方が毎年登っている七面山は、だいたい当方は4時間ぐらいかかるのですが、
トレイルランニングのアスリートランナーがのぼると、20分~40程度で登ってしまわれます。
その名も【修行僧】という大会が開かれています。
台風によるコース破壊と武漢ウィルスで最近はコースの規模を縮小されて行われています。
まぁ、マラソンの市民ランナー(遅めの方)とアスリートとの違いと考えていただければいいかと思います。
種類によって、目的は異なりますが、山を楽しむという点では変わり有りません。
当方は、基本的に登山は複数で登ることが多いのですが、
登るのは【自分自身のみ】です。
いくら同行者が居ても【自分自身のみ】で体を動かすしかありません。
そう言った意味で、宗教との繫がりがあったのかも知れません。
苦痛や疲労と迷いを山の中で体験します。
かといって、同行者の存在が全く関係無いのかと言えば、そんな事はありません。
勇気づけられたり、同行者の安全を考えたりして、俄然自分では考えても居無いような力が湧いたりします。
そういう事も山の楽しみのひとつだと考えています。
今回もだらだらとツマラナイ話で、申し訳ございません。
ちなみに、当方は縦走が好きです。
山行が終わった時の満足感が違うからです。
> 山岳信仰ではないのですが、日蓮宗には七面山という七面天女が転生されて菩薩になったという伝説のある七面山に毎年年に一度だけ子供の頃より親に連れられて【登らされた】という嫌な経験が元になっています。
登山が修行の一部なのかな。
いいお話ですね。
ほっこりさせてもらいました。