> 「15年戦争」なるサヨク用語が大きな顔するようになった・・・
この立作太郎『時局国際法論』に【戦争】の定義を行いつつ
国際紛争を解決するための強行的措置(軍事力の使用)は、
【戦争】ではないと国際法的認識を示しています。
欧米がその定義と同様に、【戦争】と認識しなかったのは、
中立法に基づく国家行為を行わなかったことと認識されます。
つまり、サヨクの用語は明確に誤りと言う事が判ります。
単なる印象操作用語ですな。
日本人が、国際法論を学ばなかったために、
こういった誤った【用語】が普及してしまう羽目になったことは、
日本国の政治及び行政的怠慢と考えます。
> 一度我慢できずに飲んで、下山途中に水分が無くなって酷い眼に遭いました。
> 当方は水分不足になると、足が【攣(つ)ります】。
> 休んでも、水分補給が出来ないのでひどくなるだけなので、
> 猛烈な痛みを伴いながら、それこそ必至に降りる始末になります。
> それから、山行は多い目の水分を持って行くようにしてますが、
> それが又重いのです。ヤレヤレ...
>
比叡山の千日回峰の堂入りでは数日間飲食を絶ちますが、堂入りが終わり水分をとると、身体中に水分が廻るのがわかるそうです。
「15年戦争」なるサヨク用語が大きな顔するようになった・・・
今回もツマラナイ山話で
申し訳ございません。
山は、辛いですが楽しい一面もあります。
90%は辛いばっかりです。
子供のころに頃をやるとほぼ当方やベル殿と同じく、トラウマになりますな。
最初の方に書きましたが、当方は夏場の低山登山が多いです。
結構、脱水と熱中症の危険があります。
例えば、【熱だまり(当方が勝手につけてます)】というのがあります。
強い太陽熱を受けた草地を含む登山道で、無風の状態の時に良く起こります。
2mぐらいの範囲で、そこを歩くと【むはん、むはん、むはん、ムワァァァァン】と
もの凄く熱い熱気が湧き上がってきます。
火傷するかと思うぐらいです。(実際はそんな事はありません)
一箇所ではなく度々あります。通過する度に体へのダメージを喰らいます。
水分を必要以上に取りたくなるのですが、限りがあるのでそれも出来ません。
元気ならば素早く通過できるのですが、ぐったりしている場合は、悲惨そのものです。
一度我慢できずに飲んで、下山途中に水分が無くなって酷い眼に遭いました。
当方は水分不足になると、足が【攣(つ)ります】。
休んでも、水分補給が出来ないのでひどくなるだけなので、
猛烈な痛みを伴いながら、それこそ必至に降りる始末になります。
それから、山行は多い目の水分を持って行くようにしてますが、
それが又重いのです。ヤレヤレ...
今回はこんな所です。
お目汚し申し訳ありません。
東京裁判があったために、
保守・右翼が戦後に【不戦条約】に対する【違法ではない】と
【言い出した】としている主張をサヨクがしているのですが、
戦前のしかも昭和9年(1934年)の時点で、
立作太郎とういう国際学者が反駁していることは重要ではないかと考えます。
> 立作太郎が満洲事変と満洲国成立に関して、
> 国際法からのみた論旨の文献を紹介しておきます。
> 昭和9年(1934年)の著作物で『時局国際法論』です。
> 満洲事変は、東京大学を中心とした歴史学者達が、
> 15年戦争の始まりと主張しているところですが、
> この時に既に、国際法的にそれらの【認識】が誤りであることが
> この書籍によって判ります。
> 東京裁判での不戦条約違法を【法源】にして、
> 【刑罰】を行っていますが、
> この書籍で既にそれが【無理】であることが判ります。
資料ありがとうございます。
パリ不戦条約にアメリカが付帯条件を付けたことで、自衛のための戦争は認められ、しかも自衛かどうかは自国が決定するということにしてしまったために、不戦条約であって不戦条約ではない内容であるとサヨは気が付いていないようです。
ところで山の話、楽しく読ませていただいてます。そういえば、私も小学生の頃に学校行事で登山をやった時に、崖を登らされたりしたせいですっかり登山嫌いになってしまったな~Wと思いだしてしまいました。
立作太郎が満洲事変と満洲国成立に関して、
国際法からのみた論旨の文献を紹介しておきます。
昭和9年(1934年)の著作物で『時局国際法論』です。
満洲事変は、東京大学を中心とした歴史学者達が、
15年戦争の始まりと主張しているところですが、
この時に既に、国際法的にそれらの【認識】が誤りであることが
この書籍によって判ります。
東京裁判での不戦条約違法を【法源】にして、
【刑罰】を行っていますが、
この書籍で既にそれが【無理】であることが判ります。
今回もツマラナイ山話で
申し訳ございません。
〈山行は地獄〉がほとんどなのですが、
偶に、尾根道の縦走で、気候(熱くもなく・寒くもなく・風もなく)で、
ほんわか温々の状態で、爽やかな微風まで吹いています。
さらに周囲180度の展望があるような登山道を歩くことがあります。
そう云った時は、まるで天国にいるような気分になります。
(当方は天国に居たの記憶はありませんが...)
左右の所々に、点々と高山植物がみられ、蝶々などが飛んでいる状態です。
(飛んでない時もあります。)
こう言う時に、山が止められないという理由にもなっています。
ほとんどこんな事はありませんがね。
偶に腹立たしいのは、無数のヤマビルが登山道に起ち上がって、
頭振り振り大歓迎してくれる時は、中には当方が望んでないのにしがみついてくるのも居ます。
当然追い落とすのですが....
まさに、仏教の説話の【蜘蛛の糸】みたいです。
今回はこんな程度です。
ふぉふぉふぉ....
> 山の話、どれも興味深く読ませてもらっています。
霊仙山は、結構雨の後は粘土質で滑るので、
マンガやコメディーにあるような、同じ場所で立っては転ぶ、足ってはころんで、
泥だらけになったことがあります。
下山中は、凄く恥ずかしかったですわな。
あの立てない感覚はひどく印象に残ってます。
山の話、どれも興味深く読ませてもらっています。