日本が行っている調査捕鯨は、英語による報道ではResearch Whalingという言葉よりはScientific Whalingと呼ばれる場合の方が多い。 IWCの用語ではScientific Permit(科学許可)やSpecial Permit(特別許可)と呼ばれる範疇に属する。 国際捕鯨取締条約(ICRW)の第8条第1項により、加盟国政府には自国民に対し科学調査のために鯨を捕獲する許可を与える権利が与えられており、それに基づいた鯨の捕獲調査をいう。 調査計画の名称は、南極海で行っているのがJARPA(Japanese whale Research Program under special permit in the Antarctic)、北西太平洋で行っているのがJARPN(Japanese whale Research Program under special permit in the North Pacific)である。
このように、条約上の正当な権利ではあるが、日本の調査捕鯨の自粛を求めるような決議が毎年IWCで採択されているのは、例えて言えば、憲法で保証された権利を否定するような決議が議会で採択されるようなものである。
では、なぜ調査捕鯨を行っているのであろうか? 1982年のIWC総会において商業捕鯨モラトリアムが参加国の3/4以上の賛成により可決され(賛成25、反対7、有効票とならない棄権5)、南極海の商業捕鯨については1985/86年のシーズン、その他の海域では1986年からの捕獲枠はゼロとなった。 当時日本が南極海で捕っていたミンククジラについて、IWCの科学委員会は資源量が豊富である事を認めており、資源量が豊富な種までを含めた全面的なモラトリアムには正当性がないという見解であったが、IWC本会議においては「未だ科学的知識には不確実性がある」という事でモラトリアムの採択となったわけである。 その背景には商業捕鯨では鯨が多い場所を探し大きな鯨を捕獲するため、そこから得られたデータにはサンプリング上の片寄りがあるという意見もあった(なお、商業捕鯨においても捕獲したすべての鯨からサンプルの採取は行われ、生物学的なデータは解析されていた)。
日本、ノルウェー、ソ連(現ロシア)、ペルーは条約に則って異議申し立てをしたが、後に日本とペルーは異議申し立てを撤回している。 なぜ日本が異議申し立てを撤回したかというと、アメリカから「異議申し立てを撤回しなければアメリカの200カイリ経済水域での日本漁船の操業を禁止する」との脅しがあったためである。 そこで日本の中曽根政権は1986年に異議申し立てを撤回し、南極海では1986/87シーズン、沿岸では1987年をもって商業捕鯨は一旦停止し、モラトリアムの解除へ向けて期することとした。 しかし、結局アメリカは数年後に方針を変えたため日本漁船はアメリカの経済水域からは締め出された。 「二兎を追う者は一兎をも得ず」という諺をもじって「一兎を守ろうとして二兎とも失った」と評されるゆえんである。
一方でモラトリアムの条文は「遅くとも1990年までに委員会がこの決定の、鯨資源に与える影響につき包括的評価を行い、この規定の修正及び他の捕獲頭数設置を検討するものとする」と結ばれている。 言い換えると科学的知見の不確実性を理由に採択されたモラトリアムを1990年には覆せるよう、より信頼性の高いデータを得るべく調査方法をデザインして開始した、というのが南極海で調査捕鯨に至った大ざっぱな経緯である。
商業捕鯨と違い、調査捕鯨においては母集団から地理的、生物学的(性別、年齢など)に片寄りのないサンプリングをするのが大事なために船団の調査コースは数学的に決められ、鯨の群れを発見した際には乱数表を用いてどの鯨を捕獲するのかが決められる。 また、鯨の体から採取されるサンプルの項目が商業捕鯨時代に比べて多岐にわたるだけでなく、鯨の餌となっている生物の採集や資源量の目視調査も並行して行われている。
★ JARPA (1987/88−2004/05) ★
1987/88シーズンと1988/89シーズンに2度の予備調査を行い、翌シーズンから16年にわたる本調査が開始された。
当初の計画では、ミンククジラ825頭とマッコウクジラ50頭の捕獲で調査を行い1990年に予定された資源量の包括的評価に望む計画だったが、中曽根政権の対外的な政治配慮により捕獲量を減らされたため、調査結果の統計的有意性を保つには、調査期間を延長せざるをえなくなった。
調査海域としては
南極海で6つに分けられた区域
のうち、日本が商業捕鯨時代に操業を行ってきたIV区とV区を交互に行ってきたが(捕獲頭数は各区で300頭プラス・マイナス10%)、系統群分布の広がりを調べるために隣接したIII区やVI区の一部も含めるようになった(捕獲頭数は各区で100頭プラス・マイナス10%)。
よく、反捕鯨国で「調査のために数100頭も捕るのは捕りすぎ」などという人がいるが、統計学上、母集団からサンプリングして、その分析結果から母集団に関して確かな事をいうには、サンプル数がある程度十分である必要がある事を理解していない人の言である。
喩えて言うなら、人口50万程度の都市でたった10人程度からアンケート調査をして、その結果から住人の実態についてどれだけ正確な事が言えるのか、というのを考えてもらえば判ると思う。
これらの研究報告は毎年IWCの科学委員会で検討されるが、それらに加えて南極海での調査捕鯨に関しては16年計画の中ほどが過ぎた1997年に専門の会議が開催されて詳細に検討された。 その報告書の中で「JARPAの結果はRMPによる管理には 必要ではないものの、以下の点でRMPを改善する可能性を秘めていることが留意された。・・・」で始まる文の「JARPAの結果はRMPによる管理には必要ではない」だけを取り上げてIWC科学委員会が調査捕鯨の成果に否定的であったように宣伝しているのが内外の反捕鯨団体である。 報告書を良く読めば、調査から得られた様々な結果が高く評価され、改定管理方式(RMP)を改善する可能性も合意されている。 また、反捕鯨団体のいう「鯨を殺さない調査でも必要な情報は得られる」という言い分に関して、報告書は科学委員会内の両論を付属文書に併記した上で、様々な調査項目のうちミンククジラ集団の年齢構成に関する部分に関しては「会合では年齢構成の情報をもたらし得る非致死的調査方法(例えば、自然標識)があったことが留意されたが、調査船団への補給およびIV区とV区でのミンククジラの豊富な頭数が、それらの調査を成功させることを恐らく妨げたであろう」としている。 もちろん、報告書におけるこういう個所は反捕鯨団体の宣伝では都合よく無視される。
★ JARPA II (2005/06−) ★
1987年から始まった南極海での第1期の調査計画(JARPA)も2004/05シーズンに無事終わり、2005/06シーズンからは内容を更に広げた新しい調査計画(JARPA II)が開始された。
当初、南極海での調査捕鯨が始まった背景としては、当時の南極海で最も資源量が豊富で繁殖力も旺盛なミンククジラの商業捕鯨再開に向けた科学的データの収集という側面が大きかった。 ミンククジラはヒゲクジラ類の中ではかなり小さな種だが、資源管理が極めて甘かった初期の商業捕鯨によって激減した大型クジラに取って代って資源量を増やしたことが種々のデータで示唆され、南極海で商業捕鯨を再開する際には当面の唯一の捕獲対象と考えられていた。 しかし調査が進むにつれて、ミンククジラの増加傾向も頭打ちであることが性成熟年齢、、体長、皮下脂肪の厚さ、胃の中の餌の量のデータなどからうかがえ、一方、かつて資源量が枯渇した大型クジラであるザトウクジラやナガスクジラが回復し始めていることが目視調査から判明し始め、これらが餌をめぐってミンククジラと競合している可能性が濃厚になってきた。 なお、最大の鯨であるシロナガスクジラについては増加傾向は認められるものの過去にあまりに激減したせいか回復の程度はいまだ低く、また、同じ南極海のヒゲクジラ類でもイワシクジラなどは索餌海域が温暖な中緯度であるためにミンククジラと餌を争う相手ではないと考えられている。
このような背景のもと、データから得られる統計的な有意性を高めるためにミンククジラの捕獲量を増やし、ナガスクジラとザトウクジラを新たに対象に加えて鯨種間の相対的な勢力関係を解明し、更に地球規模の環境変化が鯨に与える影響の調査を拡充し、これまで一種類の鯨の管理しか想定していなかったIWCの捕獲枠算定法である改定管理方式(RMP)を複数種管理に発展させることも狙うというのが、今回の第2次調査計画の大きな目的となっている。
最初の2回の調査は予備調査として妥当な調査手法の追求に重きを置き、ミンククジラを850頭±10%、ナガスクジラを10頭までの捕獲となるが、本格調査ではミンククジラを850頭±10%、ナガスクジラとザトウクジラを各50頭の調査を予定している。 初回の2005/2006年の調査ではグリーンピースとシーシェパードの2つの反捕鯨団体が過去同様に一般市民の寄付金をドブに捨てるような空疎で見かけ倒しの妨害活動を行ったものの調査は無事に終了し、反捕鯨国が唱える非致死的手法のみの調査では得られない貴重なデータがミンククジラ以外にも蓄積され始めた。
★ JARPN (1994−1999) ★
一方の北西太平洋での調査は、日本近海の北西太平洋におけるミンククジラの系統群の分類に関して反捕鯨国の一部の科学者から出された仮説に反証するために1994年に開始された。
もともと商業捕鯨時代の生物学的データから、北西太平洋のミンククジラは以下の2つの系統群(おおまかにいって繁殖集団)から成ると考えられていた。
2000年2月にこの調査計画の成果についてIWC科学委員会主催のレビュー会議が開催され、反捕鯨派の科学者が提唱した新仮説を支持するデータは見つからなかったものの、それらを完全に否定するまでには至らなかった。
★ JARPN II (2000−) ★
当初は系統群分類に重点を置いて始まった北西太平洋の調査であったが、捕獲された胃の内容物の調査から予想外に多くの魚類、それもサンマやイワシをはじめ明太子やタラコの親であるスケトウダラなどが見つかり、また漁業の現場でミンククジラがこれらの魚をごっそりと食べて漁業と競合している事が判ったため、比較的豊富なニタリクジラやマッコウクジラにも調査の対象を加えて魚と大型鯨類の捕食関係などの生態系を解明する事に重点におき、2000と2001年にそれぞれミンククジラを100頭、ニタリクジラ50頭、マッコウクジラ10頭を捕獲する予備調査に着手する事となった。
実際に捕獲した鯨の胃から見つかった魚類の写真は、日本鯨類研究所や水産庁の捕鯨班のページに見ることができる。
この調査における主目標は、漁業における複数種管理にある。 どういう事かというと、従来は例えばミンククジラ捕鯨ならミンククジラのみの資源量から捕獲量を決めていたのを、餌としている生物との数量関係によるモデルを用いて複眼的に行なっていこうという点にある。 同様の試みはすでにノルウェーで始まっていて、ミンククジラとその餌であるオキアミ、マダラ、シシャモの関係を数式で表して、どの種をどれだけ獲ると他のどの種がどれだけ増減するかという研究がなされている。 鯨が多量の魚類を捕食する以上、ミンククジラの数倍の体重を持ち資源量も同等あるいは数倍もある北西太平洋のニタリクジラやマッコウクジラも調べなければ、この点の解明はできない。 よく、反捕鯨論者の中には、鯨を殺さない非捕殺的調査のみで充分という人がいるが、鯨の群れを観察したり皮膚から少量のサンプルを取っただけでは、鯨と魚の数量的捕食関係などは判らないのである。 もちろん、従来からのミンククジラの系統群の問題に加えてニタリクジラの系統群分類なども調査対象となるし、臓器などを調べて環境汚染の影響の具合なども調べられる。
2000年と2001年の2年間に予備調査を行ない2002年から本調査となったが、本調査からはミンククジラは新たに沿岸での50頭の捕獲が追加され、さらにイワシクジラ50頭が加わった。 沿岸でのミンククジラは釧路と三陸で毎年交互に、それぞれ違う時期での捕獲である。
更に2004年からは、イワシクジラの捕獲枠が100頭に、沿岸域でのミンククジラは釧路と三陸でそれぞれ毎年60頭(計120頭)と変更になった。
現在の捕獲予定数をまとめると、
ミンククジラ: 220頭 (沖合いで100頭、沿岸で120頭)、である。
ニタリクジラ: 50頭、
イワシクジラ: 100頭、
マッコウクジラ: 10頭、
なお、調査海域におけるニタリクジラは現在の推定頭数は2万3000程度(IWC科学委員会、1995年)であり、捕獲開始前の推定頭数は3万5000から4万程度であるから、大体、NMPの説明で述べる MSYレベル に近いと思われる。 ニタリクジラは日本近海ではモラトリアムで商業捕鯨が停止する1987年まで捕獲されていた。
一方、イワシクジラについては日本の研究者による調査海域の推定頭数は2万8000程度である(IWC科学委員会ではまだ最新の資源評価に着手していない)。 この推定頭数が妥当ならば年間50頭(全頭数に対して0.2%程度)の捕獲では悪影響は考えられない。 日本近海での捕獲は70年代に採用された新管理制度(NMP)によって保護資源になったために商業捕獲は1975年が最後であり、27年ぶりの捕獲となった。
北太平洋西部におけるマッコウクジラの推定頭数は10万程度であるが、初期資源量は不明である(江戸時代末期、まだ日本人が遊泳速度が遅くて死んでも沈まないセミ鯨などを中心に沿岸捕鯨を行っていた時代に、欧米の捕鯨船が大挙して押しかけて日本近海で捕っていた捕獲歴史の古い種であるから、今世紀始めにノルウェーの国際捕鯨統計局がまとめ始めた資料だけでなく、古い歴史的資料まで遡って解析して大ざっぱな推定ができるかどうか、といったところではないだろうか)が、年間10頭の捕獲ではとうてい資源状態に影響しない。 マッコウクジラは大型鯨類の中では最も豊富で全世界での推定頭数は100万以上なのだが、なぜかアメリカ国内では絶滅に瀕した種に分類されていて、これをタテに日本の調査に対して圧力をかけている。 マッコウクジラが豊富で全世界の推定頭数が100万から200万である事は アメリカ政府の海洋大気局(National Oceanic and Atmospheric Administration - NOAA)のページ にも記載されていたのだが、自らの政策の馬鹿さ加減を裏付ける数字であるためか今では削除されている。 2001年1月に、アメリカのノーマン・ミネタ商務長官が来日して日本の農水大臣と会談した際、日本側がこのページを引き合いに矛盾を指摘したところ、さっそく翌日には数値の記述が削除されたのだという。 このように豊富な種でも絶滅に瀕した種に指定されるのは、ワシントン条約(CITES)における分類と同様、鯨を取り巻く政治状況の歪みの産物である。
なお、条約第8条第2項では捕獲した鯨を「実行可能な限り加工」する事が規定されている。
従って、捕獲した後に研究用のサンプルだけを取って鯨を廃棄してはいけないのだが、一般には条約の規定などあまり知られていないため、日本国内でさえ「調査捕鯨で採った鯨がなぜ売られているのだろう」という声はたまに耳にする。
また、このような一般市民の知識不足を利用して「調査捕鯨は科学を隠れみのにした商業捕鯨」と主張する反捕鯨団体の宣伝がもっともらしくまかりとおる。
実際には、こうした副産物の販売によって調査にかかる費用のかなりの部分がまかなわれている。
これは、例えば惑星の研究のために探査機を送り込んでも費用を補う副産物が得られるわけではない事と比較すると、科学研究としてはコスト面で効率の良い部類にはいると思う。
いずれの調査も (財)日本鯨類研究所 が主体となって計画され、科学者以外の乗組員と船は共同船舶株式会社からチャーターされている。 調査計画は毎年IWCの科学委員会において事前に審議され、計画内容に対し助言などが行われている。 調査結果は国外の科学者も交えて解析され、IWCに多くの論文が提出されているものの、一般の市民にはアクセスしにくいし、英語の専門論文は読んでもたぶん理解できないと思うが、日本鯨類研究所が毎年発行する年報や年4回発行される「鯨研通信」で各年の調査結果の概要を知る事はできる。
調査捕鯨計画はまだ進行中であるが、「くじら紛争の真実」(小松正之編著、地球社、2001年)、「ここまでわかったイルカとクジラ」(村山司・笠松不二男 共著、講談社ブルーバックス、1996年)などで執筆時点までに得られた成果を知る事が出来る。
(2010年3月21日 更新)
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