日本軍によるとされた女性への非道行為は正に中国の風習・1927年 広州蜂起  - 歴史記憶の迷路を辿る ブログ・アーカイヴ

投稿日時:2016-04-01(14:43) | カテゴリー : 日本への濡れ衣・冤罪・写真資料

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『南京大虐殺』『レイプオブ南京』で語られる日本軍による非道行為は、1920年から大戦終結後の1949年まで続いた国共内戦や、各軍閥による漢奸狩りでの虐殺光景のすり替え(転嫁)と思われてなりません。
中には在シナ日本人がシナ暴徒に襲撃された事件のすり替えと思われるものまで。
 
多数あるシナ軍閥による虐殺事件の中でも、非道が目立ち犠牲者写真が今も多数残っているのが「1927年上海・南京事件」や「広州蜂起」。
 
1927年広州蜂起についてウィキより

南昌蜂起、秋収蜂起における中国共産党の蜂起の失敗の後、コミンテルンはより一層の武装蜂起の方針を打ち出した。12月11日、中国共産党は中国国民党の軍隊内にいる左派の人間並びに広州の労働者及び農民の組織に対し広州攻撃を働きかけ、蜂起が決行され都市ゲリラ戦が展開された。市街の公共建物や国民革命軍側の拠点が攻撃対象とされ、大部分が共産側に占領された。翌12月12日、張太雷を主席代理として広州ソヴィエト政府の樹立を宣言した。しかし、すぐに広東軍の将軍張発奎が反撃を開始し、12月13日には共産党勢力は広州から撤退を余儀なくされた



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1927年広州蜂起・共産党員の被害

 
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↑これが正に「シナ独自の女性への暴行手法」の証拠ではないでしょうか。 
 
↓参考に。
以前のエントリー NHK『中華の源流・幻の王朝を追う』


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