ナウル島守備隊(調べメモ) - 歴史記憶の迷路を辿る ブログ・アーカイヴ

投稿日時:2021-03-07(03:26) | カテゴリー : 日本への濡れ衣・冤罪・写真資料

太平洋戦争中のナウル島における日本軍の残虐行為−−オーストラリア人殺害、癩病患者大量殺戮、ナウル人文化根絶 Yuki Tanaka


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(↑で出てきているのはこの船か?それとも全く別の?)

神州丸 (陸軍・徴用船)
http://www.tokusetsukansen.jpn.org/J/420/420_027.htm

08.04.19:起工、第一次船舶改善助成施設第12号
08.11.15:進水、命名:神州丸 
09.02.10:竣工、船主:吾妻汽船株式會社、船籍港:神戸、登録総噸数:4,180、登録純噸数:2,490

18.07.01:B重油3,602.268t揚陸、雷撃に依る損傷箇所応急修理
18.07.23:昭南~08.06トラック
18.08.06:B重油3,644t補給
18.08.14:(第7144船団)トラック~
     ~08.26バリックパパン
18.08.23:解傭発令:兵備三機密第18号の8の37(08.31附解傭予定)
18.08.26:揮発油、軽油、マシン油、その他合計375.87t搭載、便乗者6名乗船
18.08.31:解傭

(ここから海軍徴用?)

18.09.01:徴傭:船舶運營會海軍配當船、呉鎮守府所管
18.09.23:バリックパパン~昭南~聖雀~楡林~香港~10.24マニラ

 (以下に一致)
アジア歴史資料センター
 昭和17年~19年 大東亜戦争徴傭船舶行動概見表 甲 第3回(14) https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C08050026700  p15~
 昭和18年9月9日 バリックババン~マニラ とある


※他に海軍徴用の漁船として 
昭和20年3月1日現在 一般徴傭船配属状況 https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C08050008700

※他、海軍徴用船
昭和18年~19年 大東亜戦争徴傭船舶行動概見表 甲 第4回(1) http://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C08050029400
p6に「神州丸」

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共同通信配信記事 2008年12月7日 地方紙各紙朝刊掲載 http://hayashihirofumi.g1.xrea.com/books34.htm

ハンセン病の39人砲撃 患者虐殺の実態判明  戦時中、ナウルで旧海軍


一、海軍第六七警備隊の副長は四三年七月九日ごろ、兵曹長に対し、ナウルのハンセン病患者の殺害、処分を命じた。

 一、兵曹長は、患者をボートに乗せ神州丸(海軍船)でえい航する段取りを整えた。海上でロープを切り、二曹がボートを砲撃。二曹と他の兵士は、沈みかけていたボートでまだ生存していた患者を射殺した。一等水兵(事件当時)は見張り役だった。

 ▽兵曹長の法廷証言(四八年十一月二十九日)

 一、副長は、連合軍による空襲が激しくなっており、収容所に爆弾が落ちれば患者が逃げ出し、島民が感染するかもしれないと言った。潜伏期間は十年以上、次世代に遺伝する病気だと語った。

 一、副長から、患者を乗せたボートを砲弾で沈め、小銃で生存者を撃つよう命じられた。人道にもとると思ったが、命令に従うしかなかった。

 ▽二曹の法廷証言(同十一月三十日)

 一、患者を移送中に殺害するよう命じられた。神州丸の船長は絶対秘密だと言った。



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海軍第六七警備隊 https://www.jacar.go.jp/glossary/term/0100-0040-0110-0020-0010-0010-0010-0090.html
『ソロモン収容所 元海軍第67警備隊 大槻巌』という本

ナウル守備隊についてのブログ『おてんば83歳』様より拝借 
http://mamasango672.livedoor.blog/archives/7518455.html
>ナウル守備隊で600名以上がこれによって死亡


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