西條八十 と 「南京入城」 - 歴史記憶の迷路を辿る ブログ・アーカイヴ
今日は 日本の古い歌
「絶唱」は何度も映画化、ドラマ化されているが、私が見た覚えがあるのは小林旭、浅丘ルリ子主演(浅丘がめちゃくちゃ可愛かった)のと、舟木一夫、和泉雅子のもの。
どちらもテレビの深夜放送だったかな。
山口百恵のも見たが、どうしても受け入れられず面白く感じなかった
舟木主演のものは66年、その時の主題歌がこれ。
テレビの歌謡番組で聞いて気に入って私は歌いまくっていた。
小さい頃からテレビ漬けで歌謡曲が好きで歌っていたが、明治生まれの祖父が「小さい子供にあんな大人の歌ばかり歌わせて」と両親にモンク言っていたらしい。(私には直接言えなかった優しいじいさんでした)
テレビドラマになった「青い山脈」も歌が気に入りかなり歌っていたなあ・・
幼児期~小学生時に歌謡曲に熱中し過ぎてか、中学生になるとテレビも映画しか見なくなり同年代が夢中になっていた郷ひろみや百恵やらに全く興味が湧かなかった。
だから懐かしい!と感じる歌は60年代前半に集中している。
自分の事はこれくらいにして、さてここからは西條八十の話。
「絶唱」の歌詞は今となればレトロで美しい。
歌詞は ここ
西條が作詞した代表曲といえば、戦後なら「青い山脈」が最強。
「王将」(作曲・船村徹 船村がまたいい曲作る人なのです)や舟木一夫が歌った「絶唱」「夕笛」はどちらも美しい。
戦前戦中なら「誰か故郷を想わざる」「支那の夜」「蘇州夜曲」や「若鷲の歌」などの軍歌。
私などが言うまでもないが、美しい日本語を一切の違和感無くメロディにはめ込むことの出来る天才ですねえ・・。
それから西條は意外というか当時なら当たり前だったかも知れないが、1937年日本軍南京攻略直後、入城式取材のために南京に入っているのですね。
ジャーナリストや文化人ら多数入ったうちの一人らしい。
↓こんなページを見つけた。
西條八十『燦たり南京入城式』
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僕の手には鉛筆と、それから、さつき読売支部で、貰つてきた、支那紙の書簡箋がある。詩稿は三時半に大校飛行場から福岡目がけて飛ぶ飛行機に、是非乗せなければならないのだ。
皮の上衣を着て、ゴルフ・パンツを穿いて、重い軍用靴をぶら下げて立つた儘、人込みの中で書くのだ。
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有名詩人である西條でさえ、「鉛筆」なのですね。屋外の現場取材だから当たり前といえばそうだが。
戦闘や捕虜反乱への対処以外での「南京虐殺」はあった、とする元兵士の手記はどれも薄れも無い綺麗なインクでノートに書かれている。
ペンとインクがちゃんと用意されていたんだろうか、当時万年筆は庶民は持てなかったと言うし、「屋内」で机に向かって書けたんだろうか。
詩人が鉛筆で書いている一方で、仕官でもない普通の歩兵の人までがインクでびっしり書いている、しかも入城後忙しかっただろうに詳細な記録を残している。後に書いたとしたなら記憶が絶対に正確だと言えるのか。
こういう方向からも、(非戦闘員や女子供への)虐殺があったという証言や手記はどうもおかしいと分かるのですねえ。
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