旧日本軍が付帯施設として慰安所運営=米軍文書 ←yahoo・ワシントン聯合ニュース(ヨンハプニュース・韓国の通信社)
旧日本軍が軍の付帯施設として慰安所を運営していたことが13日(現地時間)、米軍が作成した文書で確認された。
聯合ニュースが米国立公文書記録管理局を通じ入手した米軍の機密解除文書によると、連合軍の東南アジア翻訳・尋問センター(SEATIC)が1945年4月にビルマ(現ミャンマー)で逮捕した日本兵捕虜に軍の付帯施設の一つとして慰安婦を置いていたかを尋問したところ、この捕虜はマンダレー近郊のメイミョに慰安婦が置かれていたと答えた。
15. AMENITIES
(a) Comfort Bags: PW never had a comfort bag while in BURMA.
(b)Comfort Girls: There had been some comfort girls in MAYNYO, but PW never been able to afford to visit them. The rates were Yen 3.50 and 5.00, with half-rates for half the time. Out of the PW's Yen 24-a month, he saved Yen 10-, the rest went on cheroo's, etc.
別の機密解除文書では、1945年4月25日に米軍の情報員が中国人の女性看護師から聞いた話として、日本陸軍の軍医が毎週金曜日に中国・満州の慰安所を訪れ女性らの検診を行っていたことが分かった。
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