「日中戦争」呼称はおかしくないか?ーー支那事変・日華事変 - 歴史記憶の迷路を辿る ブログ・アーカイヴ
脅威は海からやって来る、過去の「血の教訓」を忘れず、海洋強国化を進めよ―中国メディア ←yahooニュース
全人代代表の杜本印・南海艦隊副政治委員は「近代以降、多くの列強が海から侵入してきた。海洋強国は制海権を掌握しなければならない、という血の教訓を忘れてはならない」と語った。
いつも通り好き勝手なこと言ってますね~。
「近代以降」ずっと、まるで中国が実質上も理念も統一した国だったように言っております。
抗日の為に挙国一致で戦った戦争だとすり替えるのが基本理念になっているらしい。
この記事からちょっと感じたことがあるので書いてみます。
タイトルに書いた「支那事変・日華事変・日中戦争」これ全部同じ戦争のことです。
日中戦争 wiki
大日本帝国政府は、勃発当時は支那事変としたが、1941年12月の対米英蘭の太平洋戦争開戦に伴い支那事変から対英米戦までを大東亜戦争とした。 中国側は、抗日戦争と呼称している。
昔、戦中世代は「支那事変」と呼んでおり、40数年前に私が習った教科書には「日華事変」とあったように思う。
近年になって「日中戦争」の呼称を聞くようになり、一瞬いつそんな戦争があったんだ?と不可思議な感覚になった。
大東亜戦争を太平洋戦争と言い換えたのも同じだが、「日中戦争」の呼び方には巧妙な自虐史観が隠されている気がしてならないが思い過ごしだろうか。
日中と呼べば即座に「日本vs中国の」とイメージしてしまう。
日華事変も「日本vs華」だが、「華」=中華民国を意味するのであって共産党の中華人民共和国は意味しない。
「日中」となると歴史に詳しくない若い人は、当時から今の中国=中華人民共和国が存在していたかのようで、統一したその中共との戦争だったと思い込みかねないし、売国サヨクらはあえてその誤解を利用するだろうし中国の思う壺にもなりかねない。
途中、国共合作があったと言っても実態は軍閥割拠であり、漢奸(かんかん)狩り(wiki)と称して内紛というか同胞虐殺が多数起こっていた。
「中国」という挙国一致で闘おうとする国家の実体など無かったのだ。
「日中戦争」という国家間同士の戦争を想像させるような戦争では無かったし、「抗日戦争」はもっとあり得ない。
それを前提にすると「日本による中国への侵略」など意味を為さない。
居留邦人への暴虐もあって防衛のために介入せざるを得なかったが、これは列強各国も同じ。
どうしてもと言うなら日本も含めた列強が、シナの内紛や軍閥割拠に介入した、これが正解に近いのではないかと思う。
統一国家の体を成している中国という国に日本が単独で進出した訳ではない。
少なくとも41年以前の紛争は支那事変とすべきだし、「日中」ではなくせめて日華事変の呼称を使えばいいと思う。
(それにしてもシナと打っても「支那」に変換されないので面倒この上ない!)
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