韓国に拠る日本漁船拿捕を描いた映画「あれが港の灯だ」 - 歴史記憶の迷路を辿る ブログ・アーカイヴ
今日はまた古い映画
「あれが港の灯だ」 今井正 監督 1961年
今やマスコミ他で無かった事の様にされている、日本海での韓国に拠る日本漁船拿捕を巡っての人間ドラマ。
あらすじ ←込み入って分かり難いですが
↓こちらも(東京国立近代美術館HPより)
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当時の韓国の李承晩大統領が朝鮮半島と日本の海上に設定した「李ライン」、これを越えて操業する日本漁船は例外なく拿捕されるとの政策が実行されていたのだが、この大きな政治問題を背景として、身分を隠しながら生きなければならない一人の在日朝鮮人漁師の苦悩が描かれる。彼にとって、たどりつくべき「港の灯」は、どこにあるのか?
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今井正監督は共産党員だったらしいが、共産党がこのようなテーマを扱うとは今では考えられませんねえ。
当時の共産党は北こそ正義で南はアメリカの傀儡という立場だったからか。
この古い映画は監督も意図しなかったであろう、李承晩ラインの理不尽さと日本漁船拿捕やあるいは射殺事件という事実を半世紀後の今に伝えてくれる。
当時を微かに覚えているが、テレビのニュースでも「また拿捕未遂があった」「(漁師さんが)何年ぶりかで帰還した」と伝えられていたものだ。残された家族の苦悩もドキュメントでやっていた覚えもある。
それがある時期からぱったりと一切報道されなくなった。
今やまるでタブーのようになってしまっているが、去年だったか国会で石破氏がこの事件の事をご本人の記憶と絡めて暴露していたのは、胸のすく思いがした。
映画の解説の中には日本側にも問題があるように書かれているのもあるが、それはおかしい。
李ラインの問題、強硬な拿捕、韓国側による在日の人の扱い、それらが根幹の問題であって日本は巻き込まれているだけだ。本作品からも日本人漁師達が在日の人を受け入れているのに、拿捕事件がそれをさせないでいるのが分かる。
今現在も南北同じ民族同士で一触即発の危機にあるが、いくら独裁体制とは言え戦後長年それを崩せないで来た民衆に一切の責任が無いと言えるのかどうか。
とにかく 日本を巻き込むな!
こういう映画は当時の空気を伝えるよう改変無くリメイクして欲しいものだ。
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