加藤嘉 主演映画「ふるさと」 - 歴史記憶の迷路を辿る ブログ・アーカイヴ
今日は本ではなく映画
1983年作で、DVD化されておらずVHSビデオももう販売されていない。
こんな秀作をなぜDVD化しないのか不思議で仕方ない。
まず加藤嘉の演技がとんでもなく素晴らしい。
モスクワ国際映画祭で最優秀男優賞を取った際、当地の試写会で「本物の認知症老人を使ったのか」と言われたほどの演技を超えた演技。
「砂の器」での千代吉役に勝るとも劣らない。
↓これは加藤氏がモデルとなった写真集絵本だが、このイイ顔で喜怒哀楽を演じるから堪らない。
あらすじは
(以下ネタバレあるので注意)
=====
山狭の徳山村ではダム工事が行なわれていた。静かだった村の道をトラックが砂ぼこりをあげて走りぬけて行く。徳山村に住む伝三は、妻を亡くしてボケ症状が現れはじめていた。離村を余儀なくされている息子の伝六と嫁の花は、ダム工事の手伝いに出かけており、昼の間、伝三は一人である。それがいっそうボケを進めていた。隣人も忘れてしまい、伝六と同衾する花をふしだらな女とののしる伝三を、伝六は離れを建てて隔離する。夏が来て、川で水遊びをする子供たちを見て表情をなごます伝三に、隣家の少年・千太郎はあまご釣りの伝授を頼む。かつて伝三はあまご釣りの名人と言われていた。早起きして出かける二人。伝三のボケは回復に向かう。夏休みも終りの頃、雨の日が続き、再び孤独となった伝三のボケは狂気に近いまでになり、やむなく伝六は、離れに鍵をかけて伝三を監禁した。真夜中に離れで暴れる伝三。千太郎は、伝三に秘境・長者ヶ淵にあまご釣りに連れて行ってくれるようせがんだ。歩きずめで二時間、たどりついた二人は秘境の美しさに目をうばう。そして、伝三に教えられた通りに降ろした千太郎の竿に大ものがかかった。千太郎は伝三に助けを求めるが、伝三は胸をおさえてうずくまっていた。あわてる千太郎を落着かせ、伝三は人を呼びにやらせる。村へと一目散に走る千太郎。その頃、伝三は岩場に横たわり、若き日の美しい出来事を夢見ていた。数日後、小雪の降り散る峠に、村に別れを告げる伝六や千太郎たちの姿があり、花の胸には伝三の遺骨がしっかりと抱かれていた。
=====
加藤と息子演じる長門裕之の親子やりとりが真に迫ってすごい。
映画というよりまるで近所の親子喧嘩を見ているよう。台詞も現実味があり、善人悪人もおらず普通の人々がドキュメントのように描かれる。
ボーっとして渓流で遊ぶ子供たちにからかわれる場面ではちょっとヒヤヒヤ、けれどすぐに子供に負けじと水を掛け合い初めて童心に戻って楽しそうな表情になる。
まだらボケでボケた時の伝三(加藤)は心ここにあらずな眼、だが一旦あまご釣りの場面になると別人のように目付き鋭く昔の釣り名人としての威厳ある様子が素晴らしい。 ボケ老人なのにカッコイイ。岩場で倒れた伝三が若い頃を周囲の自然と共に思い出すシーンは、死に行く場面のはずなのに美しくもある。
加藤自身もすごいが、この時代まで居た「老人」は明治大正生まれであろう、頑固でいながら「隠居」としての諦観をも感じさせる。昔はこういう年寄り居たなあ。
徳山村は実際に今は徳山ダムの底に沈んでおり、数年前から私は徳山ダムHPで工事の進行などウォッチングしていた。
2006年の試験湛水の時には地図上に日々刻々と水を湛える範囲が広がっていき、最後には映画に出てきた「長者が淵」のような上流の渓谷にまで及んでいるだろうと想像すると胸がつまる想いがした。
ダム建設を何でもかんでも反対するような団体を胡散臭く見ているし、地元の経済面含め必要な物は必要だと思う。ほとんどの場合建設には賛成の立場だ。
けれど賛成反対と、地元の人達にとってかけがえの無いであろう故郷が消えてしまう無常観、あるいは消え行く自然への崇敬の念みたいなものを感じてしまうのとは別の話だ。
こういう映画をDVD化して、学校で子供達に見せてあげて欲しい。
(追記)
巨大ダムの下に沈んだ村の風景
「故郷 ~私の徳山村写真日記~」 ←ここを押して
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし (方丈記)
日本は特に災害多く資源少なく、「久しくとどまりたるためしなし」が運命付けられているように思う。
何かを失う事無しには生存さえ叶わなくなる。
英知を結集した巨大ダムも美しいし、かつてあった村々もそこに住んでいた人達も美しい。
関連投稿
「金正日は日本人だった」 | 章表紙 | 「熊から王へ」