「日本人戦犯供述書」ネット公開=安倍政権をけん制―中国 yahooニュース
【北京時事】中国で歴史資料を保管する中央档案館は3日、第2次世界大戦後に中国国内で収容された日本人戦犯のうち、罪が重いとして起訴された45人の供述書などをウェブサイト上に公開したと発表した。
「日本人戦犯の事件捜査記録」。日本人戦犯の記録は一戦犯一案件ごとにまとめられ、日本人戦犯1109人と案件3000件余りを含む。記録には、捜査関連の法的文書と犯罪認定の資料や証拠が含まれる。それぞれの案件の記録は、戦犯の追及のための受理書や捜査についての総括意見書、戦犯による口述・記述とその中国語訳、犯罪の要点を記した記録、検挙資料、告訴資料、犯罪調査表などからなる。起訴を受けた日本人戦犯45人の捜査案件は300件余りで、戦犯自身による口述や記述、そのほかの検挙材料や告訴資料、検察機関や捜査機関の法的文書などが含まれる。
次に、「日本人戦犯の犯罪の証拠や物品」。侵略日本軍の犯罪に対する被害者の告発書、証拠、調書などを含む。肩章や襟章などの日本人戦犯の記章、日本軍の細菌製造用のネズミ飼育カゴや細菌弾の破片、法庭尋問の録音、犯罪を裏付ける写真とそのネガ、日本人戦犯の管理・審判・釈放を記録した録音と映画「人道的寛待」(人道と寛恕)、釈放された日本人戦犯の送った錦の旗などがある。。
最後に、「日本人戦犯の帰国後の活動記録」。資料の中心は写真で、「中国帰還者連絡会」(略称・中帰連)のメンバーの日本帰国後の生活とその後の中国訪問交流活動の状況を示している。中帰連は、中国政府が釈放した日本人戦犯が帰国後の1957年9月に設立した民間組織。第2次大戦中に中国侵略に参加し、多数の犯罪を行った人が、人道主義に立つ反省の上で、戦争に反対し平和と中日友好に貢献することを目的としている。
金 源 戦犯管理所所長の言
彼らが帰国するまでの約6年のうち、大部分を過ごした撫順戦犯管理所( =撫順監獄 )の金 源 所長は、自らの体験を活字にし、あるいはインタビューを通じていろいろと発言しています。そのうち、2つをお目にかけます。
なお、金 源所長は日本人戦犯が収容された当初の1950=昭和25年6月から、日本語通訳として撫順監獄に勤務し、管理教育科科長、副所長などを経て、所長にまでなった人物です。ですから6年間をこの管理所にあって抑留者の指導・監督にあたったわけで、日本人戦犯にとっては忘れられない人物と言えるでしょう。
まず、金所長の総括とも言えそうな、日本兵の残虐ぶりを次のように記しています。
〈 あるひどい者は、吸血鬼のように、中国人を撲殺した後、その肝と脳味噌を食べたのである。
このような人間性の一かけらもないような野獣のごとき実例は、枚挙にいとまがない。 〉
撫順収容所での6年に渡る中共の操作に陥る事のなかった人は居る。
小田少佐という人は供述書の中で時期場所人物、部隊の構成や位置などに矛盾が生じるようデッチ上げを紛れ込ませ、抑留されなかった少佐周辺の人達が見ればすぐに矛盾に気づくよう巧妙に書かれてあるそうだ。供述書と見えて実は真実のシグナルを送っているのだ。(「検証 旧日本軍の悪行 歪められた歴史像を見直す」自由社 より)
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私は中国人民に対し物質的精神的にも多大の罪行を犯しているものであります。無辜の人民を何等の理由なく殺害し、平和なる家庭を壊し、幾代か住み慣れし住家を破壊放火して人民を雨露に晒し、血汗を流せる糧穀を掠奪し、耕作地を荒廃せしめ、国際公法に違反して毒瓦斯、細菌戦を使用せる等の悪虐なる罪行を実行せしめたものであります。
これ等の罪行は凡て日本帝国主義の侵略行為に依り行われたるものでありまして、侵略戦争の惨逆性と破壊性とを如実に表示するものであります。
私は深くこの罪行の厳重なることと私の領導的立場の責任の重大なることを認識するものであります。
私は自己の罪行の厳重性と責任の重大性なることに思いを致し、更に認識の向上と思想改善に努力し、その実践たる認罪を徹底的に完行すると共に一歩を進め、他人の検挙にも邁進し、以て帝国主義の罪行の凡てを世界に暴露し、戦争に反対し平和を守る人民運動に対する一助とし且つは日本民族独立運動を支援する一端と希ふものであります。
之はまた中国人民に曾ての私の罪行に対する陳謝の誠意でもあります。
最後に私は私にかかる罪行を犯さしめたる裕仁に対し、心よりの憎恨と斗争を宣言せんとするものであります。
1954年8月1日 於・撫順