「アンブロークン」に描かれない捕虜と監視兵の交流 - 歴史記憶の迷路を辿る ブログ・アーカイヴ

投稿日時:2015-01-31(18:51) | カテゴリー : 「アンブロークン」関係

★「一風斎」様提供の資料です。
(一風斎さま、有難うございます!)

大森収容所 音楽会 クリックで拡大

これは「アンブロークン」のルイス・ザンペリーニと同じ大森収容所に居た元捕虜のハリー・ベリー氏 Harry Berryによる、収容所内での音楽会パンフレットです。

捕虜達の音楽会 ← ベリー氏親族と思われる人がアップしているページ


1943年 クリスマスでのコンサート (米側資料ではプロパガンダ用のもの、と説明されている・・)
大森収容所 クリスマス 1943年


1944年クリスマス会で  (これもまた米側資料ではフェイクであると・・)
大森収容所 楽団


ルイス・ブッシュ著「おかわいそうに」にもクリスマス慰労会・音楽会について触れられている。
「おかわいそうに」

英本国のランカシア連隊のマックノートン大尉は、朝鮮の収容所から、軍楽隊の一部を引き連れて入所して来た。そこで、早速そのバンドマスターを中心に捕虜の音楽隊が編成された。
 彼らの持ちこんだ楽器は、たしか、トランペット、ホルン、トロンボーン、コントラバスが各一挺ずつと、マンドリン、アコーディオン、ドラム、その他雑音を出す楽器類が幾組かあったと記憶する。



鈴木大佐が、妻と立派な息子たちを連れて到着したので、いよいよクリスマス大慰安会は開幕となった。私は司会者の役をふりあてられ、青い上衣にカンカン帽といういでたちで舞台に立った。
 慰安会は大成功だった。プログラムは、アメリカのギャング劇、黒人に扮して歌う民謡、ホノルル生まれのヘンショーがリードするクルーナーの合唱、数々のナンセンス劇、その他盛り沢山で、爆笑の連続だった。ギャング劇には、ルチャという捕虜が、シカゴの大親分カポネに扮して喝采を浴びた。



ちなみに上記「鈴木大佐」とは大森収容所長のこの人です↓
大森収容所 鈴木  クリックで拡大

「おかわいそうに」より

この頃(1944年春)収容所長の鈴木大佐が転任して、不愉快きわまる人物が後釜にすわった。大佐はもっと軍人らしい職務についたので喜んでいたに違いない。いつも公正な人だったが、何しろ三十ヶ所の収容所を管下にもっていたので、その一つ一つに注意して目を通すわけには行かなかったのだろう。戦後、管下の収容所での残虐行為の責任を問われて、戦争裁判にかけられた。私は深甚な同情を寄せていたし、嘗ての仲間の多くも同じ気持であったと思う。気の毒にも、巣鴨の刑務所で病を得て亡くなられた。




こんな風にお互いに人間らしいというのか、戦時という非常時ではあるけれどささやかな和みの時間もあり捕虜は「アンブロークン」(原作本・映画は観られないので)に描かれるような四六時中、非人道的な立場に置かれていた訳では決してない。

確かにワタナベは異常人格的であっただろうし他にも「嫌なヤツ」としての看守もいただろうが、同時に鈴木大佐のようなごく普通の人も少なからず居た。
後者の事をまるで無かった事のように一切除外し、看守と捕虜の微笑ましい出来事も描かず、それでアンブロークンは「実話に基づいて」と言えるのでしょうか。

原作・映画どちらも 日本軍将兵は残忍であるのが普通であり、捕虜キャンプはナチス強制収容所と同じであった としたい魂胆が見え見えです。

(次回は、元看守と元捕虜の戦後の手紙のやり取りについて書きます)




追記 
「アンブロークン」の問題について海外向けに英語で発信しておられるブロガーさんがおられます。
説得力ある素晴らしい内容です。

★ 「Conservative Blog Japan」 さんブログ
内容についての詳細な検証、問題点など

★ Unbroken's Broken Logic さんブログ
「アンブロークン」が及ぼす影響や問題点についてなど



 




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