支那事変中、中国国民党政府蒋介石側の「宣伝・プロパガンダ」活動について。
中国側は事変勃発間もない頃から抗日・反日宣伝において活発に動いていたようだ。1938年には既にアメリカ各地で抗日プロパガンダ映画が上映もされていた。
戦時中の重慶における官営撮影所の映画製作について
――『東亜之光』を中心に
作者: 韓 燕 麗
という論文がある。
以下、重要箇所抜粋引用
国民党中央宣伝部・国際宣伝処
1937年11月に(略)国民党中央宣伝部に国際宣伝処が設立。翌年の年頭には蔣介石から「とくに対米宣伝活動を強化せねばならない」という指示が出ていた。その目的は「日本軍の暴行を暴露し、アメリカ輿論の同情を得、アメリカ政府のさらなる制裁手段を促進する」ことにあった
1938 年1 月29 日、一致抗日というスローガンのもとで、「中華全国電影界抗敵協会」という映画組織が共産党や国民党そして党外人士を含む各勢力の映画人によって立ち上げられた
1938 年に、軍事委員会政治部の陳誠および中央宣伝部と外交部の要員の指令により、「日本侵略者の暴行」を写した写真および映画がアメリカの各地で展示・上映された。
福田康夫元首相は6月に「中国侵略日本軍南京大虐殺遭難同胞紀念館」を見学した際、「時間」に言及し、「事実は事実だ。史実を尊重して、後世に広く知ってもらうのが私たちの責任。堀田氏も同じ思いを抱いてこの作品を完成させただろう」と語った