「レイプオブ南京」と「レイプオブ・ベルギー」 - 歴史記憶の迷路を辿る ブログ・アーカイヴ
南京攻略戦当時、南京安全区国際委員会委員にマイナー・シール・ベイツなる人物がいた。
金陵大学副学長、歴史学者、宣教師でもある。
そのベイツが書いた『ベイツ・レポート』は「南京大虐殺」神話が拡がった一番の元と言ってもいい。
ベイツ・レポートについてZFさんブログより拝借→ 南京大虐殺・ベイツレポート
そのベイツから、1938年3月14日 AP特派員ティンパーリに向けた手紙がある。
(「戦争とは何か」執筆についての相談と思われる)
・ティンパーリとはーー豪州人、AP特派員、中国国民党国際宣伝処の顧問であったとも言われるが真偽不明
イエール大学・南京虐殺プロジェクト資料より ティンパーリへの手紙
その中に気になる記述がある。
クリックで拡大
読みにくいので書き起こし。
「Rape of Belgium」なる言葉が出てきている。
南京での日本軍による暴虐について「レイプオブ・ベルギーという用語と合わせて上手く通用する」と書かれている。しかも「反戦思想啓蒙のためのスケープゴートが必要」との意味の文も。
さて、その「レイプ・オブ・ベルギー Rape of Belgium」とはどんなものか。
wiki
(日本語版ウィキが無いので英語版で)
参考に:1914年に開始された第一次世界大戦
>”1914年8月4日、ドイツ軍はベルギーのリエージュへ進軍しベルギー軍の頑強な抵抗に会う。その結果ベルギーの村々でドイツ軍による虐殺がはじまった。”
とあるが、実はその「虐殺」は現在では誇張捏造されたプロパガンダであったと言われている。
その経緯について詳しいサイト→ Remember Belgium recruitment poster
プロパガンダ映画まで作られていた
他にプロパガンダ画像の色々
ネット上で検索しても多数
特に目立つのが女性・子供(赤ん坊)への非道行為。
「銃剣で刺された赤ん坊 Bayoneted Baby」は定番と言えるほど。
第一次世界大戦時のドイツ軍の蛮行、「ベルギー虐殺」の残忍な描写は広く知られていた。そして1930年代には一部では、誇張があるのではないか、プロパガンダであろうとの観方も広がっていたようだ。
反戦活動家は、そんなウソを使って敵愾心煽るなと批判していたほど。
ベイツの手紙に戻るとーー
そういう「レイプ・オブ・ベルギー」という残忍描写の多い戦時プロパガンダを持ち出し、南京攻略戦時の日本軍の動向を非道な虐殺として「反戦活動のために」利用しようとの目論見があったのではないかと、ティンパーリへの手紙から読み取れる気がして仕方がない。
上に貼ったレイプオブ・ベルギー・プロパガンダの画や映画の描写は「レイプオブ南京」で語られるものとそっくりではないか。
ベイツやティンパーリの目論見は現在でも生きている。「銃剣で刺された赤ん坊」プロパガンダは今でもネット上で拡散していく一方だ。
(その画像についてはZFさんブログに詳しい→ プロパガンダ画像 )
関連投稿
支那事変中の中国側プロパガンダについてー国民党中央宣伝部・国際宣伝処 | 章表紙 | NYT南京記事へのベイツからの反論