「レイプオブ南京」と「レイプオブ・ベルギー」 - 歴史記憶の迷路を辿る ブログ・アーカイヴ

投稿日時:2019-06-07(00:43) | カテゴリー : 支那事変 資料


南京攻略戦当時、南京安全区国際委員会委員にマイナー・シール・ベイツなる人物がいた。
金陵大学副学長、歴史学者、宣教師でもある。
そのベイツが書いた『ベイツ・レポート』は「南京大虐殺」神話が拡がった一番の元と言ってもいい。
 ベイツ・レポートについてZFさんブログより拝借→ 南京大虐殺・ベイツレポート

そのベイツから、1938年3月14日 AP特派員ティンパーリに向けた手紙がある。
(「戦争とは何か」執筆についての相談と思われる)

・ティンパーリとはーー豪州人、AP特派員、中国国民党国際宣伝処の顧問であったとも言われるが真偽不明

イエール大学・南京虐殺プロジェクト資料より ティンパーリへの手紙

その中に気になる記述がある。
   Dy5dvwFU0AAR16R.jpg  クリックで拡大

読みにくいので書き起こし。
   Dy5eGYEVsAYQdzK.jpg

「Rape of Belgium」なる言葉が出てきている。
南京での日本軍による暴虐について「レイプオブ・ベルギーという用語と合わせて上手く通用する」と書かれている。しかも「反戦思想啓蒙のためのスケープゴートが必要」との意味の文も。



さて、その「レイプ・オブ・ベルギー Rape of Belgium」とはどんなものか。
wiki
(日本語版ウィキが無いので英語版で)

参考に:1914年に開始された第一次世界大戦
>”1914年8月4日、ドイツ軍はベルギーのリエージュへ進軍しベルギー軍の頑強な抵抗に会う。その結果ベルギーの村々でドイツ軍による虐殺がはじまった。”

とあるが、実はその「虐殺」は現在では誇張捏造されたプロパガンダであったと言われている。
その経緯について詳しいサイト→ Remember Belgium recruitment poster

プロパガンダ映画まで作られていた 


他にプロパガンダ画像の色々
DGzRSx7UwAA_8wx.jpg DoqQpqbU8AAbi4C.jpg

ネット上で検索しても多数
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特に目立つのが女性・子供(赤ん坊)への非道行為。
 「銃剣で刺された赤ん坊 Bayoneted Baby」は定番と言えるほど。

第一次世界大戦時のドイツ軍の蛮行、「ベルギー虐殺」の残忍な描写は広く知られていた。そして1930年代には一部では、誇張があるのではないか、プロパガンダであろうとの観方も広がっていたようだ。
反戦活動家は、そんなウソを使って敵愾心煽るなと批判していたほど。
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ベイツの手紙に戻るとーー
そういう「レイプ・オブ・ベルギー」という残忍描写の多い戦時プロパガンダを持ち出し、南京攻略戦時の日本軍の動向を非道な虐殺として「反戦活動のために」利用しようとの目論見があったのではないかと、ティンパーリへの手紙から読み取れる気がして仕方がない。

上に貼ったレイプオブ・ベルギー・プロパガンダの画や映画の描写は「レイプオブ南京」で語られるものとそっくりではないか。
ベイツやティンパーリの目論見は現在でも生きている。「銃剣で刺された赤ん坊」プロパガンダは今でもネット上で拡散していく一方だ。

(その画像についてはZFさんブログに詳しい→ プロパガンダ画像 )






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