「東京捕虜収容所の英兵記録」 その2--捕虜に給料が支払われていた! - 歴史記憶の迷路を辿る ブログ・アーカイヴ

投稿日時:2013-09-18(10:51) | カテゴリー : 「アンブロークン」関係

昨日の続きです。

「おかわいそうに 東京捕虜収容所の英兵記録」
(↑昨日の記事 クリックどうぞ)

おかわいそうに―東京捕虜収容所の英兵記録 (1956年)おかわいそうに―東京捕虜収容所の英兵記録 (1956年)
(1956)
ルイス・ブッシュ

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「捕虜収容所」に対する私のイメージ=固定概念は正に勝手なイメージであって、現代の大多数の人もそうではないかと思う。
本書を読むと収容所内での生活描写では驚かされることが多かった。

一番の驚きは「捕虜に給料が支払われていた(もちろん日本円で)」ということ。
捕虜の階級を日本軍の階級に当てはめてそれと同等の額が支払われていたという。
収容所内部には売店があり、そこで使うことが出来る。
所内では捕虜間に闇市まであり、外部労働で買ったりクスねてきたりした物も売買される。
(しかもクスね方も倉庫作業で「服の中にこぼれた」砂糖を持って帰ったりで、日本側の検査も厳しくはないーー食糧不足の中である程度は黙認されていたのか)
それでも使い切れず貯まるので、所内監視員の日本兵が借金のお願いに来たりもする。
その環境なりに人間くさいエピソードの連続で、語弊があるがなかなか面白いのだ。


本書は初め著者ルイス・ブッシュの日本との関わりや日本人妻かね夫人との生活など描かれ、1941年開戦当初頃の香港攻略戦時の様子が描かれる。
1941年12月25日、イギリス軍は日本軍に降伏。
英軍士官であるブッシュは捕虜の身となる。
日本語が話せるということでスパイ容疑を掛けられ呼び出され事情聴取されるが、尊厳を損なわれることもなく雑談しながらのもので特にどうということも無い。
軍人なので本来なら捕虜として収容されるのが、親日ということだろうか自由さのある一般民間人収容所へ入れられる。
収容所から出る事は出来ないが、広い敷地の中では自由で海岸もあるので海水浴まで出来ていた。
敷地内では学校、病院、図書館も開設され、特に人道上問題は無かったようだ。

時系列が前後するが
香港攻防戦の中で、英軍降伏後もシェーソン山の地下弾薬庫で粘って籠城する豪州人含む英軍部隊があった。
著者ブッシュがそれの説得に向かうのだが、籠城部隊は食糧が尽きたら弾薬を総て爆破して兵士も諸共の覚悟があった。
ブッシュら説得組は最後アルコール(ラム酒)で誘い出し事無きを得る。
籠城部隊が収容所へ入れられると日本軍将校は「帝国陸軍提供のご馳走でもてなし」ビールやウィスキーもふんだんに振舞われたという。
英軍籠城組の気概はまるでよく言われる日本軍のものに思えるが、どこの国も軍人となれば似た処はあったのだろう。
その気概と矜持を敵であっても認める所は認める軍人魂というのか、こういう場面は端々に出てくる。

けれど日本軍全員が筋の通った人間という訳でもなく卑怯な人間もいたようだ。
以下引用。

激しい戦闘の最中とか危うく殺されかかった反動で、兵隊が残酷な行為に出る事はあるが、大体から言って戦闘部隊の兵隊たちは敵に対して大らかな気持ちを抱いているものである。
私が残酷な取扱いを受けたのは、殆どが非戦闘部隊の連中からで、こういした連中に限ってバカでかい軍刀をさげ、立派な制服を着、自惚れと尊大にふくらんでいたものである。


「寄生虫や山師的存在はどこの軍隊にも見出せるもので、終戦後の占領中でも例外ではなかった」とも書く。

この人は軍人兵士のことを日本だから、連合軍だからと特に分けて人を批評はしない。
卑怯な奴は人として卑怯であるとする。
けれど総じて温厚であるのにと、人格捻じれたような人間が日本人の中に居ることを残念がったりはする。



香港の民間人収容所から日本本土へ送られ大森捕虜収容所の処はまた次に。





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