「おかわいそうに 東京捕虜収容所の英兵記録」の続き(その5)です。 太平洋戦争敗北後、日本と日本人、日本軍隊と兵隊とはすこぶる不評判になって、世界中の人達から白い目で見られた。私はそれが残念でたまらかなかったが、確かに不評判になる事実はあったのだし、時代とか風潮とかいうものは怒涛のようなもので、小さい手で押しとどめることは不可能だから、私は歯を喰いしばっていた。
忘れていたが、火野葦平の序文が示唆に富んでいるのでまずそれを。
人間は二度と戦争をしてはならないと、自分の経験を通じても心底から考えている。
しかし、日本人が投げ込まれた戦争の回想の中で真実を解明したいということは、それとは別問題だ。
誤解され、歪められ形のままでいることは耐えられない。ありがたいことに、その是正をブッシュさんがやってくれた。
これが昭和31年(1956年)時点。
それから60年近く経った今もまだ「誤解され歪められ」たまま、あるいはもっと酷くなっているかも知れない。
従軍経験のある火野が「歯を喰いしばって」「耐えられない」と書いている、つまり日本のために命を賭した人達にこんな思いをさせ続けた戦後68年だったという事だ。
では本書内容に。
香港で敗軍となった将校ルイス・ブッシュは日本軍の憲兵隊収容所→一般民間人収容所→軍人収容所と移動する。
この香港軍人捕虜収容所では将校以外には作業が割り当てられており、飛行場の草刈などやるのだが、驚きな事にこの「労働」をブッシュは「ピクニック作業隊」と呼んでいる。(ブッシュは通訳として同行)
野戦用の炊事車を引っ張っていっての野外作業は「まるでピクニックにでも行くような楽しさで、みなはしゃいだ」と。
作業場への道すがらにも「妻や愛人が食糧や煙草などの包みを持って待ち構えていた」「看視兵たちは気のいい親切な人ばかりだった」。
さぼり放題でもあり、他に作業に来ている中国女性とねんごろになって退避壕に雲隠れする連中までいた。 (何という強制労働!)
連合軍側捕虜の世界各国の人種民族が集合させられたことがあり、彼らは去勢されるのではないかと恐れる。
それを聞いた日本兵らは大笑い。
結局耳たぶからちょこっと採血するだけで(何という人体実験!)終わるとカレーライスをご馳走になり日本兵とピンポンして遊んだ。
こんなこと戦史で語られる事は殆どないですねえ・・。
戦時中でも現実にそぐわない「日本軍は鬼畜」の噂が飛び交っていたようで、これは鬼畜米英とする日本の側も似たようなものか。
ほんの一部に酷い扱いがあればそれが総てであると噂が回る、あるいは意図的に広めるというのはあっただろう。ブッシュも本書の中で「戦争中は敵について途方もない話を聞かされる」と書いている。
(その途方もない荒唐無稽話を今になって利用しているのが中国・韓国だ)
「街の女の中で、日本兵相手に稼いだアガリを捕虜に貢いで(差し入れ)いた連中が少なくなかった」
あ~これが中国の「従軍慰安婦」の実態でしたか~。
他にも大音楽慰安会が開かれたり「楽しい外出」があったりブッシュ自身による日本語講座が開かれたり、なかなかのんびりした様子に思える。
その中でも心身衰弱する捕虜も少なくなかったらしい。外から食糧を仕入れて分け与えても何をしてもダメで、「生きる興味を失って」弱ってしまうのだ。
香港収容所から一部が日本本土へ送られることになり、ブッシュもそこに含まれる。
船が不足していたので小さなボロ船に入れられ、ここはかなり苦難の様子が書かれている。
看視の日本兵や船員に悪意があるわけでなく単に物資不足であり、経由地の台湾では食糧物資の調達に奔走したりする。
昭和18年(1943年)9月に大阪築港に到着。
ここから大阪駅まで市電も使いながら行進する様子が何とも興味深い。
船旅で弱ったり病気の捕虜は歩けるものでなく、いくら単距離でもトラックに乗せてあげないのが、こういう所は後で日本軍の「非道」と言われる要領の悪さと感じた。
行軍途中でみなバラバラになってしまい灯火管制された夜の街を迷子になる。
迷子になるほどに特に監視が厳しくはなかったという事。
島国でどこにも脱走できないのが分かっていたからか。
やっと大阪駅に揃うと洗面所で顔洗ったり髭を剃ったり、カタコト英語の一般日本人と喋ったり、それも割と自由。
駅弁が配られ中身は「燻製の魚、鯨肉のフライ、白米飯に漬物」それにお茶が付いてきた。
居合わせたスイカ売りの少女からスイカをもらったりもしている。
こういう様子も知られざる戦争の側面とも言えると思うが、こんな話は一般に知られていないのが残念だ。
金沢駅でまた駅弁が出され、新潟の収容所へ。
ブッシュはすぐに東京へ移送されるのだが、新潟の収容所に入った捕虜の人達はその後雪崩に遭って多くが亡くなったそうだ。
一旦閉めてまだ続きます。
同じニオイがする人達 - ナリスマシ族と呼んでます | 章表紙 | 「東京捕虜収容所の英兵記録」 その6-DV伍長や初詣に連れられていった捕虜の話