「朝鮮と古代日本文化」という強烈トンデモ本 - 歴史記憶の迷路を辿る ブログ・アーカイヴ

投稿日時:2014-04-08(00:05) | カテゴリー : 韓国・朝鮮

朝鮮と古代日本文化―座談会 (中公文庫)朝鮮と古代日本文化―座談会 (中公文庫)
(1982/12/10)
司馬 遼太郎、 他

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書棚を片付けていたら奥の方から出てきたのがこれ。

朝鮮と古代日本文化

座談会
司馬遼太郎/上田正昭/金達寿 編

百済系、新羅系、高句麗系渡来人集団の日本各地における多方面にわたる活躍を再現し、古代日本文化の重層化に果たしたその影響の大きさを探究する。



初版が1982年のもの。
読んだのは2000年頃。
最初読んだ時に、ある意味トンデモ本具合が面白かった。
座談会のはずが戦前生まれの在日朝鮮人である金達寿だけが暴走しまくって全然、座談・対談になってない!(笑)
これはもしかして座談会形式に見せておいて後の編集で間に挟んでいったのとちゃうか~~。
各章の座談会には司馬ら編者以外にも学者が加わり、朝鮮人は上記の金と李進熙。

二人はこんな人。以下wikiより

金達寿
皇国史観の要素となっていた「帰化人」に代わる「渡来人」の呼称を提唱した歴史学者上田正昭に賛同し、当時の先進文化を伝えたという高句麗人・百済人・新羅人等の存在を「渡来人」として日本人に認識させ、日本人の対朝鮮観に影響を与えようとした。

李 進熙
学術的には正確性に問題があり、また戦前の日本の植民地政策への反感に基づく韓国国粋主義性の点で批判を受けてもいる。
好太王碑が日本軍部に拠って改竄されたと主張した人 ←こいつだったのか!
(後に原石拓本の発見で改竄など荒唐無稽だと立証された)

日本で生まれ育っても朝鮮に都合の良いファンタジーまみれとはいったいどんな脳の構造していることやら。

座談会の日本人学者側と話が噛み合って無い場面が多いが、中には数人、この二人の在日学者に媚びているのか必死で同調している人もいる。
その気持ち悪い事と言ったら。

例えば金達寿の発言は下のようなもの。

古事記に有名な瓊瓊杵尊の「詔」で「筑紫の日向の高千穂のくしるふたけに天降りて」とあって、このクシフルのフルもソウルのフルですが。
つまり「韓国(からくに)に向かっている良いところだという訳ですね。

「くしふるたけ」のフルがソウルだって?意味不明過ぎる!
こいつは記紀に出てくる名称をことごとく朝鮮が起源だと言っているキ印の人だ。

さすがにあとがきで司馬遼太郎はこう書く。

朝鮮語、アイヌ語、日本語の類似性を今までの言語学的方法で見出すのはじつに困難で、これをシフト検討法という語彙統計法にかけると、同祖であったとしても分裂してから6,7千年経っているという。


司馬さんだけは金の戯言を許せなかったのでしょうねえ。

他にも金のファンタジー発言を。

日本書紀の方ですが、垂仁3年の条の伝承では、玉・矛・鏡といういわゆる三種の神器と、最後に一番重要なのは熊神籬(くまのひもろぎ)です。この神籬というのは(中略)神社の原型なのですね。そして神籬という言葉も、新羅の言葉であると書いています。では熊は何なのかということですが、朝鮮語でコムでして、「聖なるもの」という意味なんです。


うわ~~もう頭おかしい!
これに続く会話で日本人学者はするっとシャーマンの話に切り替えている。
お前はアホかってちゃんと言えって!

こういう感じで超一級品のトンデモ本としての真骨頂が現れている会話を。

金達寿ーー玉虫厨子はずばり言って高麗か、新羅か。
上原和ーーそういわれると大変困るんですが、舶来かどうかという問題で言えば、これはやはりこちらで出来たと考えざるを得ないんです。第一の理由は材質です。(中略)玉虫厨子の宮殿や台座には檜、台座の蓮弁には樟(くすのき)を用いています。
司馬遼太郎ーー檜というのは朝鮮には無くて日本だけの木だそうですね。


さすが司馬さん、ガツンとやってくれました、 「朝鮮にその材質は存在してない」 (笑)

記紀の名称も高天原も神様の名も、三種の神器も、神社も、玉虫厨子も飛鳥文化もぜーーーんぶ朝鮮由来です!と言いたい金達寿、これが歴史学者を名乗り、司馬ら重鎮と対談するとは。

よくこんな座談会本を出したものだ中央公論社は。
「日本文化の中の朝鮮」ではなく「日本人の中の頭おかしい朝鮮人」のトンデモ本じゃないか。
今から考えると80年代~90年代は韓国に対して異様な「一定の配慮」をしまくった自虐史観の最盛期だったかも知れない。




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