いわゆる「南京事件・虐殺」 イェール大神学部資料への疑問 - 歴史記憶の迷路を辿る ブログ・アーカイヴ

投稿日時:2013-04-20(01:22) | カテゴリー : 支那事変 資料

いわゆる南京虐殺・南京事件、あちこちで検証されているが見た事の無い資料を出しているページがあったので不可解な点を挙げてみる。

その資料とは

The Nanking Massacre Project
(↑ここをクリックして下さい)

Yale University Divinity School はイェール大学総合HPの中にdivinity schoolとあるので大学内の神学部だ。

この資料の中の
photographs

を見ると数行の説明文と数々の「証拠」写真が出てくる。
(遺体写真もあるので弱い方は要注意ーー弱い方の私でも見られる程度のものですが)

・「日本兵に殺された人々」とあるが、多数の遺体が並ぶ画像が「日本兵」がやった証拠とはいかに?
・建物に煙が上がっている写真、「日本軍が占領の後に火をつけた」、煙だけでそれが証拠となるとは?


キリスト教徒日本兵?

↑何でしょうこれは。
説明では「南京陥落の後に避難所である教会でクリスチャンの日本兵が手伝った」

・真ん中で映っている軍服を着た日本兵は、どうやってここに入ったのか?止められることも殺されることも無く入ってこられたのか?
・クリスチャンだからと一人部隊から抜け駆けしてきたとして、脱走ではないのか。脱走兵が軍服のまま堂々としているのはなぜ?
・「虐殺」しまくったとしたら軍服姿の日本兵を避難民が恐れないはずがない、なぜ軍服のまま?
・いくら協力者とは言え「加害者」側であるはずの日本兵を真ん中に入れて写真を撮る?

キリスト教徒日本兵 2

↑「協力してくれたクリスチャン日本兵は避難民に石鹸、タオル、ビスケットを支給してくれた」とある。

・「虐殺」したはずの日本兵がこの軍服姿で配って廻るとどうなる?市民は抵抗なりパニックにならないのか?
しかも銃剣下げたままと見える。
・この兵士は誰なんだ?脱走でもしない限り避難民を助けるなど出来ないと思うが、配れる程の大量の支給品をどうやって持ってきたのか。
・潜入工作員かも知れぬという危惧は無かったのか?



他の写真でも「虐殺」から逃れ怖い目に遭ったはずの子供らが屈託無い笑顔だったり、支援の女性達も「数万数十万」の虐殺があった地域とは到底思えない柔和な笑顔していたりする。

特にこの日本兵のことが不可思議でならない。
虐殺など有りもせず、国民党軍との戦闘、敗走の後に日本軍が南京市民への支援をしている図と見れば容易に理解できるが。


神学部は独立性が高いのかも知れないが、天下のイェール大学ともあろうものが証拠にもならない写真を並べて「日本兵に拠る虐殺」と決定事項として明記するって、学術面だけを考えてもこんな事が許されるのか?
詳しい検証など全く無しに?
?マークだらけだ。


アメリカで、世界中で、こんな不合理・非理性的な決め付けが行なわれているとしたらガリレオの異端審問時代に逆戻りしているとしか言えません。






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